#07:未→成立×ヴァリアンテ×蔓延
ここに至るちょっと前から、音を音と認識できなくなっていた。目の前で起こっている事象のすべても、どこか画面を一枚かましたかのような、そんな遠さを持っている。鈍かったのか鋭かったのかも分からない、強化ガラスが粉砕される音は確かに発生していたのだろうが、それでも僕の脳裏には、無声映画の中でことさらスローモーションに展開する場面のひとつを視聴しているくらいの現実味しか湧きたててこなかったわけで。
でも次の瞬間には大量の黒色と灰色の糸玉を執拗に絡ませ合わせたかのような「煙」の塊が僕らの眼前には落下してきていて。
球体に近い「形」を保持していたそれが、徐々に霧散、では無く徐々に内へ内へと収束していくというような不自然な挙動様態を見せたかと思った時には、僕の右斜め前方で力の入っていない素立ちの、それでいて身体の側面にだらり下げられていた両腕の先が既に例の「巾着」の口に入り込んでいた御仁の、おそらくその指先だけが凄まじい速度で動いているんだろうことだけは確認できた。
「ぽやーっとしない!! 感情あっても無くても、ここ切り換えるとこッ!!」
背中越しの三ツ輪さんの鋭い叱責の声に、のっぴきのならなさだけは改めて感じているものの、それでも未だに身体は動こうともしないし、それの命令系統も完全にフリーズしているのか、何のために何の行動を起こすべきなのか、それすらも判別できていない状態にいて。分からない。「どう動けば」が、分からない……
そんな中、三ツ輪さんから放たれたいくつもの弾道の残滓のようなものは、それに残留していた当の本人の「感情」の残渣のようなものが纏っていたからか、何とかぼんやり見開いていた目でも捉えられてはいた。絡みついていたのは【
が、
それを受けて「球体」は徐々に委縮していったものの、その反応には不服だったのか、未だだらりとしたしかし隙の無い待機姿勢を保っている三ツ輪さんの鼻を鳴らす音が聞こえる。確かにそれは先ほどよりも大きさだけはこじんまりとしてきたものの、その反面、「煙」としての濃度というか密度というかは増していっているかのようで、さらにその形状がどう見ても二足歩行のヒト型にしか見えなくなっているという説明しづらい不穏さを巻き付かせているようであり。
「未知」は危険だ、その場合はどんな些細なことでもいいからそれの「情報」を探り取るんだ……何でもいい、キミならば「色」を見極め、これまでの経験から推測するのもいい、そこまで至らずとも、動作の規則性、不規則性……そこを「知る」、それだけでも「未知」は未知では無くなる……
村居さんのいつだかの言葉が頭の中で再生される。そうだ、こういう時はまず相手の情報を得ることを最優先にするんだった。
でも三ツ輪さんの「攻撃」をまるで意に介さず、自らの意思でマイペースにそのように移ろっているような不気味さ。自らこちらに接近してきたわりに、こちらをまるで無視するかのような態度。そのどれもが、
「……ッ!!」
村居さんの安否を速やかに確認したい僕にとって「苛立ち」を醸す存在であったわけで。
次の瞬間、僕は「匣」を掴んだままの左手を前に突き出し、その甲の上に右手を乗せる姿勢を取っている。右掌を被せるようにもうひとつの「匣」は左手の甲に載せられており、それを細心の注意をもって「相手」側に向いた面を上へ上へと中指の先でにじり上げていた。
刹那、
ごく薄い隙間から、桃色の光を宿したリボン状の煙が、勢いよく削ったカンナ屑のように射出されていく。中に詰まっていた「疑似体」が狭い空間の中で圧縮され、渦巻いて濃縮凝縮されていく中で得る性質……広い空間へと出ていこうとする強力な指向性は、髪ほどの隙間をすり抜けた瞬間、「力」を持ったベクトルへと変化する。
「リリース」……と呼ばれている、実戦で使うのは初めてだが、彼我距離五メートル、そうそう外す距離じゃあない。それよりも「実戦」とようやく認識してくれた自分の脳と身体に改めて喝を入れるつもりで自分の下唇を思い切り噛んだ。遅れて感じる鉄っぽい味。引き続き、「情報」を、状況を確認し続けるんだ、しっかりしろ。
たっぷり二秒くらい。先ほど封じ込めた四体分の「疑似体」は、薄っぺらい光線、のような形状のエネルギーとして未だ揺蕩う「ヒト型」の胸辺りに刺さっていた。目には目を、ってわけじゃあないが、「感情」には「感情」を。対となる「感情」同士をうまく同じ規模くらい同士でぶつけ合うと、綺麗さっぱり消滅するらしい。そこまでいかなくとも、散らし掻き消すといったくらいことは出来得る。言ってしまえば「ダメージを与える遠距離攻撃」。あまり小回りの利かない僕の、「第二の手段」、ということになる……使用状況は限定的になるが。が、
……威力は結構なものだそうだ。
実際目の前で桃色の「光線」を受けた「ヒト型」は、しばらく自分の胸元を見下ろす仕草をしていたが、それがすべて自らの体の中に入り込んだ瞬間、びくりと全身を強張らせたかと思うや、足を滑らせたヒトのように尻餅をついてそのままの姿勢で動かなくなっていったわけで。と、
「……へぇ、エコって流行りだもんねー」
それをちらと見た三ツ輪さんからそんな気の抜けた感想が漏れ出てくる。でも息を詰めていたんだろう、言外にはほんの少しの安堵感も確かにあって。そして僕もその様子を見ながら少しは「冷静」を取り戻したようだ。でもそれより早く、まずはブースに行ってみないことには始まらない。今度こそ三ツ輪さんを促し、背後側の出入り口に向かおうとした。
刹那、だった。
「なるほどなるほど? 色々あるんだってことは分かってきたぞ」
キナ臭さを軽薄さで包み丸め込んだかのような、壮年男性の良く言えばツヤと張りのある、悪く言えば常に一段こちらを見下した上での優越感を孕んだよく通る声が、再び静寂が染みわたってきたこの大空間に反響した。
「……!!」
振り返るとそこには今の声の主としては相応しい薄茶色のカジュアルなスーツを着込んだ大柄な男性の姿が……村居さんでも勿論なく、ここの所員のヒトでも無いその姿があって。よっ、と言いながら床に座り込んだ姿勢から少し芝居がかった所作で勢いをつけて立ち上がったその姿は、紛れもなく「普通の人間」のものに見えた。
が、
硬そうな黒髪をオールバックに固めたその下でこちらを値踏みするかのように見てくる垂れ目の奥の鋭い眼光に、なぜか呼吸を乱されつつある自分がいる。ノーネクタイの首元から隠し切れずに一条、立ち昇ってきている「赤色」も、今まで見たことのない、何というか禍々しいものを感じさせたわけで。
こいつは一体……「何」だ。
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