第38話 ジャージ運命黙示録(1)

【タワーマンション・ドレミ 商業棟三階 武術訓練場C】


 ヴァルバラが昨夜の内に予約を入れて借り切った武術訓練場Cに、ユーシアは九時五分前に到着した。

 クロウに身体を貸す十一時まで、ここでリップと過ごす算段である。

 リップもイリヤもヴァルバラも、ジャージ姿で柔軟体操をしていた。ついでにカイアンも。ユーシアは、とても悲しい顔をする。

「そんな顔をしている場合か?」

 ヴァルバラが呆れて、閲覧していた忍者のリハビリ手引き書から顔を上げる。

「ユーシアには、準備運動は不要で始めて構わないな?」

 言ってすぐに、ヴァルバラはユーシアのリハビリを始める。

「まずは、壁の垂直登攀から」

「てっきり、ヴァルバラはリップの専属かと」

 言いながらユーシアは武術訓練場の壁を裸足で駆け登り、天井の鎹に触ってから、軟着地する。

「君の具合を確認しないと、リップお嬢様が安心して訓練できないと見た。次は、手裏剣。的は…」

 エリアス・アークが、魔法で的を短距離・中距離に五箇所ずつ作り出す。

 ユーシアは、短距離で五本、中距離で四本を命中させる。

「もう一度」

 ヴァルバラは簡潔に、再テストを言い渡す。

 ユーシアは手裏剣を回収すると、次は全部命中させた。

「もう一度」

 三度目は短距離三本、中距離二本の命中だった。

「疲労で集中力の持続が落ちている」

 カイアンが、ユーシアの手足の張り具合を触診しながら、状態を確認する。

「何処も痛まない? 筋肉や神経の違和感は?」

「それは無い」

「自覚は無い?」

「無いけど、この結果は、疲れかも」

 ヴァルバラが、リハビリの続行を確認する。

「もうやめておくかな?」

「いや、もう少し」

「よしじゃあ…次。分身の術」

 ユーシアが横に素早く大きく反復横跳びを繰り返し、残像を残していく。

 残像の分身が、1体、2体、4体と増えて、徐々に霞んでいく。

 動きを止めたユーシアは、気怠そうに息を吐く。

「うん、今ようやく、自覚した。疲れている、確実に」

「分身の自己ベストは?」

「四つ身分身なら、二十分でも続けられた」

「では、もういいかな」

「うん、もう休む」

 ユーシアは床の上に寝転がると、ローアングルからリップを見守る体勢に入る。

 その有り様を、一同が色々な目で見詰める。

リップ「ほら、ジャージで正解だった」

イリヤ「ジャージであっても、下から覗こうという精神は、いっそ見事であります」

ヴァルバラ「守役を増やして大正解でありましたと、報告します」

カイアン「いや、あれはツッコミ待ちでしょう」

エリアス「いいえ、ツッコミ待ちと見せかけた、マジの覗き行為です」

 エリアスが裏切ったので、ユーシアは胡座に直して見学に回る。

ユーシア「いいよ、いいよ、いいよ! 俺の脳内でリップは、可憐なレオタード姿で動かすから!」

ヴァルバラ「リップ様。アレは、下品過ぎるのではないかと、上品で気品溢れるヴァルバラは心配します」

リップ「ふうん。父上と比べて、何方が下品?」

イリヤ「お嬢様、人死が出そうな質問は、控えるであります」

ヴァルバラ「陛下の方が遥か彼方の次元で下品ですが、ユーシアもその領域に達するかと」

イリヤ「ひいいい」

カイアン「この話題は時間と正気を喰いそうなので、訓練を始めませんか?」

ヴァルバラ「ご尤もです」

 ヴァルバラは魔眼『アタランテ』を起動させると、魔法合金の矢をリップの周囲に取り巻かせる。

ヴァルバラ「では、フルスイングの真空斬りは疲れるので、小振りで負担の少ないやり方の真空斬りを特訓します」

リップ「よっしゃ」

 リップは、トンボを捕まえる要領で、人差し指をくるくるクルクルと回して真空を発生させる。

 超小型マイクロ真空斬りが、リップの指パッチンで魔法合金の矢を弾いていく。

 弾かれた矢の一本が、ユーシアの頭を掠める。

リップ「こりゃ失敬!」

ユーシア「大丈夫。わざとやっても、許す」

リップ「よし、次行くぞ!」

 リップが次々と、超小型マイクロ真空斬りで魔法合金の矢をユーシアに向けて弾いていく。

 ユーシアは最低限の動きで、胡座をしたまま回避する。


ヴァルバラ(事故、起きないかな〜)

イリヤ(事故が起きても知らないでありますよ)

カイアン(レベルの高い戯れ合いだなあ)

ヴァルバラ(起きないなあ、事故)

イリヤ(基礎能力が上がっているでありますな)

カイアン(お似合いだなあ。陛下が泣きそう)


 リップの周囲から、魔法合金の矢が尽きる。

「ヴァルバラ〜〜。矢が尽きた」

「次の段階に移りましょう」

 ヴァルバラは、細身の武器を集めたキャリアケースを、リップの前に開示する。

「昨日の戦いで腕を痛めたのは、大鋏という慣れない武器で力を込めたからでしょう。リップお嬢様には、レイピア(細剣)やサーベル(騎兵刀)のような武器が適当かと」

 リップは、右手にレイピア(細剣)、左手にサーベル(騎兵刀)を持って、真空斬りを試そうとする。

「お待ちを! 建物を破壊してしまいますので、結界を敷いてからに」

 ヴァルバラは、魔眼『アタランテ』で出している魔法合金の矢を周囲に布陣すると、魔力結界を展開する。

 武術訓練場Cの体育館な風景が、ヴァルバラの個性を反映した、高そうな貴族の館の舞踏会会場に変わる。

 広さは十倍に、豪華さは億倍に。

 ヴァルバラの魔力で形成された独自の空間が披露され、一同を感嘆させる。

ヴァルバラ「さあ、これで周辺への被害を気にする事なく、全力で…」

 ヴァルバラは訓練を促すが、少年少女は魔力結界を見せてくれた隻眼伯爵令嬢に、目をキラキラさせて尊敬の念を暴走させる。

ユーシア「ヴァルバラさんって、こんなにハイクラスの魔法騎士だったの?! お会い出来て光栄です」

リップ「ごめんなさい、ナメていたわ。イリヤよりちょっと強いだけの騎士だとばかり」

ユーシア「もうイリヤと同格には扱わない。尊敬します」

リップ「今晩、抱き枕にしていいですか?」

ヴァルバラ「あ、あの(照れ)訓練の続きを」

 リップは我に返ると、レイピアを天井に向けて振るう。

 リップが真上に放った真空斬りは、天井のシャンデリアを破砕して、消滅させる。

 続いて三連続で柱や壁、テーブルに真空斬りを放って威力を確かめてから、左手のサーベルでも真空斬りを試す。

 手首に負担をかけない範囲で左右の真空斬りを試して魔力結界内の調度品を散らした挙句、リップは両手で一度に真空斬りを十字交差させて放つ。

 魔力結界そのものが、大きく十字に斬り裂かれる。

 その威力に耐え切れなかったレイピアとサーベルが、刀身の根元からブツ切れる。

 一同、リップの腕まで壊れてはいないかと、恐る恐る確認する。

 最速で動いたユーシアが、リップの両腕を診察しまくる。

「大丈夫だよ」

「ジャージを脱いで」

「大丈夫だって」

「ジャージを脱いで全身を確認させて」

「大丈夫と言った!」

 リップがユーシアに刃牙式コブラツイストをかけて、両腕の無事をアピールする。

 その関節技から抜け出すのは容易だが、ユーシアにはリップから技をかけられている最中に、離れるという行動様式は持っていない。

「リップ。君のためなら、俺は鬼になってジャージを脱衣させる!」

「親しき仲にも、四次元殺法」

 しつこいユーシアを、リップは魔力結界の裂け目に押し付けてダメージを与えようとする。

 イチャイチャしている主人には構わず、守役の二人は真面目に話し込む。

「パワーに武器が見合っていない。専用武器を用意せねば」

「高いでありましょうな」

「しみったれるな、お嬢様の安全の為だ」

 リップを後方に置いて護るというシステムの構築は、二人とも疾く諦めている。

「真空斬りに耐えられるレイピアを製造してくれるような、奇特な鍛冶屋を探すであります」

「コウガに行くか。水口(みなくち)の里で、丈夫なレイピアを景品にした武闘会が開かれていたはずだが…」

「自分も、開催時期や参加条項までは心当たりが無いであります」

 うろ覚えの知識なので、カイアンに守役二人の視線が向く。

 カイアンはリップとユーシアの体調に視線を向けながら、返答する。

「『折り返し鍛錬』で丈夫なレイピアを作っている鍛冶屋が、コウガの水口(みなくち)に住んでいる。ここ十年、新興宗教団体に絡まれて困っていると聞いているから、恩を売ってリップ専用レイピアを買うのが、都合良い展開だ」

「それだ」

「それでいくであります」

 小耳に挟んだユーシアが、リップとプロレス技で絡まったまま、カイアンの方に三歩近寄る。

「僧兵さん。自分が潰したい新興宗教団体を、俺たちにぶつける気?」

「そうだよ」

 カイアンは、あっさりと目論みを認めながら、壊れた武器を掻き集めて、丸めて纏めた。

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