第12話 ドレミにお邪魔(2)

【タワーマンション・ドレミ 商業フロア 喫茶『ドレミ』店内】



 閉店後の後片付けも終わった喫茶『ドレミ』に案内され、ユーシアは内装の明るい雰囲気に和む。

 楽器演奏の出来るエリアを中心に、喫茶を楽しんだ人々の残り香が、客席に漂っている。

 店の外装は全面ガラス張りだが、閉店と共に分厚いカーテンで視界は遮断されている。

 ユーシアが簡易ベッドでニヤニヤとリップの写真を眺めていても、誰にも見られずに済む。

 ラフィーは店員達にメールで事情を説明し、カーテンの閉まり具合チェックを終えてから、ユーシアのタワーマンションでの生体認証登録を始める。

 タワーマンション・ドレミの所有者であるラフィーの決断なので、住民登録も手軽に済む。

「はい、こっち向いて」

 ユーシアは言われた通りにラフィーに顔を向け、ラフィーの手にした携帯端末の生体認証アプリに、顔や眼球の情報を任せる。

「相変わらずキレイね、アイオライトの瞳は」

「手入れを欠かしませんので」

「布団は本当に、要らないの?」

 ラフィーの念押しに、ユーシアは足元の影から簡易ベッドを両手で持ち上げて、応えて見せる。

 ラフィーは、少し匂いを嗅いで、消臭スプレーを二度吹きかける。

「…以後、気を付けます」

「体臭には油断しちゃダメよ。体臭には、空気を読む力が無いのよ、全然。平気で裏切るから」

 ラフィーは、三度目の消臭スプレーをかける。

 それでも気に入らなかったので、簡易ベッドを元に戻させて、客席のソファを簡易ベッドに仕立てて、自宅からリップの布団の予備を敷かせる。

 ついでに、リップも様子を見に付いてきた。

「よう、ベッドの持ち込みで不許可喰らったって? お母さんは、匂い関係は容赦ないからね。大丈夫? あたしの中古布団で、寝られる?」

 リップの問いに、パジャマに着替えていたユーシアは、反応が遅れる。

 加えて、惚れた相手が可憐なパジャマ姿で現れたので、見惚れて何もかもが遅れた。

 ラフィーが、目尻の下がったユーシアのエロい目も、携帯端末の生体認証アプリで登録する。

「これでユーシアが、エロい目で誰を見ているのか、リアルタイムで記録出来るね」

「お母さん、その仕事、最高」

「個人情報だから、リップには見せません」

「狡いよ、お母さん! あたしも、その弱みが欲しい〜〜」

「必要ないでしょ、もう惚れられているから」

「惚れさせるのと、マウントを取るのは、別」

「…そうねえ」

「うふ」

 母と娘が、仲良く婿候補のエロい目の生体情報を共有する。

 リップとラフィーに遊ばれながら、ユーシアはパジャマに着替え終えると、無抵抗にリップの中古布団に身を横たえる。

 この二人には勝てないので、ユーシアはリップの中古布団に逃避を決めた。

「寝ます。おやすみなさい」

「あら、お休みなさい。電気は全消灯で大丈夫?」

「はい、お願いします」

「じゃあね、お休みなさい」

 ラフィーが、店内の灯りを全て消して、出て行く。

 居住エリアと繋がるドアが閉まる前に、リップが声だけで、おやすみの挨拶を交わす。

「おやすみ、ユーシア」

「おやすみ、リップ」

「明日は何時起き?」

「六時」

「あたしもだよ」

「おやすみ、リップ」

「おやすみ、ユーシア」



 そして、

 安眠できる、

 はずだった。



 簡易ベッドの枕元の空間が、月光の凝縮された光輪で開かれる。

「またかよ」

 ユーシアは、セキュリティが作動していない事を考慮し、攻撃を控える。ここで騒ぎを大きくしたら、関係各所への説明対応で、睡眠時間が大幅に削がれる。

(十五分以内に、適当に対応して、追い払おう)

 リップの残り香に包まれて寝ようとした頭を整え直し、腐れ縁が有るらしい魔女に向き合う。

 光輪の向こう側に繋がる内装の高級な執務室から、紫系統の羽衣を着た酔っ払いが入って来る。

「寝る前に、少しいいかしら?」

 酒精を微かに漂わせながら、シーラ・イリアスが勝手に舞い降りる。

 寝床へのアポなし訪問に配慮し、口煩い魔杖トワイライトは伴わない。

「十五分以内に、用を済ませてくれ」

「事情はバッファロービルで仕入れました」

 リアルタイムで密かにガン見している事は、全然言わない。

(あ〜、高度なストーカー行為を続行中だな、この魔女)

 言わなくても、引っ越したばかりの寝床に忍び込んで来る段階で、ユーシアは察してしまった。

「明日から、多忙を極めるわよ、貴方。お互いの手間を減らせるツールを、紹介させて」

 シーラ・イリアスは、一羽の光の蝶を、ユーシアの方へ寄越す。

 月光の光を放つ蝶は、ユーシアの枕元で、蝶の羽根が生えた妖精の姿へと変化する。

 性別は不確定だが、シーラ・イリアスにやや似た妖精だ。衣装は、小さなサイズのTシャツとキュロットのみ。

「イリアス商会とバッファロービルと、此処タワーマンション・ドレミのサポートシステムと連動済みの、自立型汎用式神。

 エリアス・アーク

 四ヶ月は、お試し期間で、無料。

 五ヶ月目から、月に九千円を」

「間に合っている」

 押し売りと判断し、ユーシアは拒否する。

「この子を仕事の端末として活用すれば、情報共有や情報操作の手間が省けるわよ。ユーシアの秘書を務められるサポート型だから、ね?」

「断る。使い捨てにできる端末の方が、使い易い」

 シーラとエリアスが傷付いたような顔をするので、ユーシアは断る理由を並べて積み上げる。

「この子は、特注品だろ? 美しく賢そうだ。忍者の装備品は、消耗品が基本だ。この子を壊さないように仕事をする気配りは、出来ない」

 エリアス・アークは、音もなく空気も乱さずに、ユーシアの眼前に浮遊する。

 その顔には、自信しか浮かんでいない。

「エリアスは、隠密の仕事向きです。壊れませんから、ご心配なく。戦闘中は電子の海や影の中にダイブ可能です。ユーシアよりも、逃げ上手ですよ」

 やたらと自信が有りそうなので、ユーシアは捕まえてみようとする。

 照明の落ちた店内で、美少年忍者と妖精型式神が、短くも俊敏な鬼ごっこをする。

 二十秒かけても、ユーシアの手はエリアス・アークを捉えられなかった。

「ふむ。これは本物だ」

「こちらの使える魔法も、幾つか使えるように仕込みました。戦力としても、お得よ。加えてみて」

「うむまあ、そう考えれば…」

 ユーシアが同意しかけた途端、シーラとエリアスがメチャクチャ嬉しそうに目を輝かせるので、逆に警戒心が湧く。

「お試し期間は、厳重に守ってもらうぞ。許可なしに五ヶ月目の契約更新をしたら、消費者センター経由で返品するからな」

 押し売りのコンビは、返品なんて有りえないよとでも言いたげなナメた笑顔を、ユーシアに向ける。

「じゃあ、大切にしてね」

 そう言って退散しようとするシーラの言葉に、含みがあるような気がして引っかかるが、ユーシアは去るに任せた。

 睡眠時間の確保が優先。

 残されたエリアス・アークは、ベッドで就寝し直そうとするユーシアの枕元で、小声で話しかけてくる。

「これからよろしくね、ユーシア」

「うん、よろしく」

「もう寝るの?」

「うん、寝る」

「エリアスには、どうして欲しい?」

「静かに寝てくれ」

「おやすみ、ユーシア」

「おやすみ、エリアス」

 エリアス・アークは、蝶の形態に戻ると、まるでアクセサリーのように静かな物体に擬態した。

 ユーシアの頭に、「こいつに隠しカメラを仕込ませたら、最高の盗撮式神になるな」というアホな思い付きが浮かんだが、情報はシーラにも筒抜けだと思い直して、大人しく寝る。

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