第11話 ドレミにお邪魔(1)

【タワーマンション・ドレミ 住居棟一階】


 タワーマンション・ドレミ(三十六階建ての)の敷地は、アキュハヴァーラの駅から徒歩十分の、都市の喧騒から充分な距離を置いた立地だ。

 都心に住みたいが都会は苦手というニーズに応えて、一〜三階にはショッピングモールが備えられている。ニートな住民でも、安心して一生過ごせる。書いていて、作者も住みたくなった。

 夜間の警備陣も厚く、制服姿の民間警備員が歩哨する姿が視界から途切れる事がない。

 ユーシアは初顔だったが、リップの連れなので誰何は一切されなかった。

 警備の厳重な住民専用ゲートを潜り、一階の商業フロアの少し裏手に回ると、リップの自宅フロアに到着する。

「三十六階建てのタワーマンションなのに、住むのは一階。この諧謔を味わって欲しい」

 リップは玄関を顔認証で開けると、出迎えに来た母にユーシアをお披露目する。

「ただいま〜。生のユーシアを、お持ち帰りしてきたよ〜」

「おかえりなさい〜。久しぶりね、ユーシア」

「はい、ご無沙汰です」

 リップを順調に三十歳まで成長させたような美母が、流れるような動作でユーシアのスカートを捲る。

「あら、シマパン」

「お土産です」

 ユーシアは動ぜずに、リップ母に見惚れながら、途中で買ったチョコ菓子セットを手渡す。

「あら、お酒のツマミにピッタリ」

 既に飲んでいるらしく、呼気にほろ酔いの酒気が混ざっている。

「ユーシア、一緒に飲む?」

「俺はリップと同い年です」

「残念。五年早かったのね」

「十年です」

「残念」

「残念です」

「ユーシアがチキンな事によ」

「忍者ですから」

「そういう所」

 そうは言われても、十歳の主人公が飲酒をしたら全方面で不味いので、ユーシアは乗らない。

 リップ母は、それ以上は誘惑せずに、自宅の間取りを指差しで教える。

「トイレと、風呂場と、居間。洗濯は住民専用ランドリーがあるから、そこで自己責任。寝床は、この部屋を使って」

 めちゃくちゃ良いダブルベッドがある広い部屋なので、ユーシアは使用目的を察し、中を覗いただけで入室を躊躇する。

「ラフィーさん。この部屋は、そのう…」

「滅多に来ない、リップの種親専用部屋。使ってよ。使いもしない部屋の掃除って、馬鹿馬鹿しくなってくるから」

「でも、一人で使うには、広過ぎるような」

 万が一にも、この部屋の持ち主と鉢合わせした場合を想像しただけで、休職中の国家公認忍者は胃と脳が痛くなる。

 遠回しに、遠慮する。

 ラフィーの方は、遠慮しない。

「このダブルベッドで、リップを授かったのよ。縁起が良いから、ここに引っ越す時も運び込んだの。寝心地を堪能してね」

「寝られなくなります!」

 ユーシアの反応を見て、母娘でニヤニヤと笑顔。

 このペースだと、弄られまくって正気を失うので、ユーシアは打開策を思考する。

(このタワーマンションで、誰も借りないような事故物件でも借りよう)

 本人は、その思考回路が時にアンダーグラウンド過ぎる事に、無自覚である。

「自分に解決策が、あるであります」

 守役のイリヤが、帰宅後に初めて口を挟む。

「自分も、この部屋に寝床を移せば、お嬢様と間違いを犯す可能性を遮断出来るであります」

「なんだか危ない解決策ね」

 ラフィーは感想で済ませたが、リップはやや不機嫌に応じる。

「じゃあ、あたしもこの部屋で寝るわ」

「お嬢様、それでは全然意味が無くなります」

「大丈夫。あたしがイリヤをユーシアから守ってあげるから」

「なるほど! お互いを背中合わせに守り合うでありますな?」

「問題点に、気付けええええええええ!!」

 リップは皮肉を打ち切り、イリヤにヘッドロックを掛けて本気で締め上げる。

 イリヤがタップして降伏を伝えるが、リップは無視して技を続行する。

「これがリップの、家での通常ですか?」

 ユーシアが確認を取ると、ラフィーはユーシアの首根っこを摘んで居間に持ち運ぼうとする。

「猫みたいに、アレな自覚が無い子だね」

 やはり迷惑なのだろうと、ユーシアは宿泊を、一晩だけに決めようとはした。


 居間でイリヤの淹れたホットココアをご馳走になりながら、今後の事を聞かれたので素直にホイホイと応えていると、ラフィーはマトモな住居提供の話を持ちかけてくる。

「うちの喫茶店、十一時から二十時までなの。喫茶店の中に折り畳みベッドを運び込んで寝泊まりすれば、家賃が浮くから、お勧め」

「幾らでしょうか?」

 事故物件を借りずに済むので、ユーシアは食いついた。

「夜勤警備員を一人雇ったも同然だから、無料でいいわよ。条件は、ユーシアの望みと同じ。リップの側に、可能な限り、居てあげて」

 守役のイリヤは、一切異議を挟まない。

 その事情は、ユーシアも察している。

「アノ国は、護衛に一人しか、付けてくれないのですね」

「普通の皇女殿下なら、最低三人は騎士級の護衛が付いてくれるけど、一人だけ。非公式のリップには、義理で護衛を一人だけ。アノ国が認めた枠は、それだけ。

 知名度が高くて器量良しだから、生理が来る頃には群がってくるわ。これから、リップの周辺に、嵐が来るのよ」

 ラフィーが親バカだという意見は、少数派だろう。

 実際に超弩級の玉の輿を決めた美女の遺伝子を色濃く引き継ぎ、リップは美少女に育っている。

「イリヤがいくら強くても、一人では守りきれない。金で雇える護衛には、あんまり期待していないし。

 だから、ユーシアにも頼むからね。

 将来そのまま結婚しても構わないから、リップを守って」

「守ります」

 恋人の母親から盛大な信頼を表明されて、ユーシアは燃えた。リップの護衛に費やすべき金銭をケチったのではないかという疑念は、脳内でミキサーにかける。

 大真面目に即答するユーシアと真逆に、リップは楽天的に鼻歌混じりで茶化す。

「あたしにデレるのを、仕事にしないでね〜」

「いいな、それ」

「あたしに依存しないで、ユリアナ姉様の所で真面目に働きなさい。ヒモになるつもりなら、捨てるからね」

「は〜〜い」


 既にユーシアを尻に敷いているリップに頼もしさを覚えつつ、ラフィーは話題をズラす。

「ユリちゃんは、どう? 相性は良いかしら?」

「ユリちゃん!?」

「ユリアナ様。堅苦しいから、ユリちゃんで済ませて幾星霜。だって、始めて会った時は十歳のガキんちょで、カメバズーカよりも気安くバズーカを撃ってくる問題児だったし。だからユリちゃん。悪いイメージは、積極的に中和しないと」

 明日顔を合わせてユリアナ様をユリちゃんと呼ばないように気を付けようとは思いつつ、言葉を選ぶ。

「相性に関わらず、巧く仕事をする努力を怠らない、実のある関係を築けそうです」

「あらららら〜〜」

 ラフィーは酔い覚ましのほうじ茶を飲みながら、親友の苦心を慮る。

(あの人、有能だったら相性の良し悪しを噛み殺して仕事しちゃうからね〜。いつか爆発しないといいけど)

 ちょいと放置できないネタなので、ラフィーは搦手を用いる。

「味方でいてね。ユリちゃんは、立場が弱いから」

「そんなに弱い人には見えませんが」

 亡命というより追放されたに等しい皇女で、現皇帝の直孫なのに護衛を付けてもらえないという『見殺し』同然の扱いを受けながら、十五年で大都市の一角に政治家として根を下ろした傑物である。

 ユーシアの見る限り、立場は既に、ライオン並みの強者。

「市民権も選挙権も故郷も無いの。万屋稼業を政治家と謳って立場の弱さを隠して足掻いている、一人の人間。ユリちゃんも守らないと、ダメですからね?」

「…はい、上司ですから」

「上司じゃなく、人間として守って。ここ、重要だからね?」

 ラフィーの念押しに、ユーシアは不承不承、飲み込む。

 立場や役職ではなく、人間として守れと言われた意味を、ユーシアは理解できる少年だ。



 ラフィーの話に区切りが付いたと見たイリヤが、にこやかに気安く、ユーシアの肩を叩く。

「自分も、お嬢様のオマケにユリアナ様を守っているであります」

「おお、意外に器用だね」

「しかも、次いでに此のタワーマンションも守っているであります」

「ふ〜〜ん」

 話の流れに、ユーシアは、やや引いて聞く。

 優れた忍者特有の、勘による回避行動が、働きつつあった。

「ユーシアも、そのつもりでいて欲しいであります」

「既に警備会社がガッチリ守っているじゃないか、此処は」

 プライベートでの時間を死守しようとするユーシアに対し、イリヤは申し訳なさそうに、話を詰める。

「警備会社では、武鎧を装備した敵や、バスター(B)級以上の魔法使いを防げません」

「そこまで物騒な想定を?」

 強盗や痴漢レベルではなく、軍隊レベルの戦力が向けられる想定に、ユーシアはイリヤの話に慎重になる。

「貴重な血筋であります。アノ国では、宝石や銀行以上の警備陣が敷かれているであります。お嬢様も、身体が整い次第、狙われる可能性が爆上がりするから気を付けるようにと。守役を拝命する際に、忠告されたであります」

 結びの言葉を、イリヤは慎重に、選ぶ。

「お嬢様の、父君から」

 ユーシアは、返事を保留する。

 アノ国の現皇帝の血筋を欲しがる輩は実在するだろうけれど、カウンターで熾烈な報復をされる可能性が、高い。

 アノ国は皇族への手出しに対して、七百年で三つの国と十四の都市国家を滅した実績がある。

 自身がZS級の騎士である皇帝が率いる帝国の敵に回る危険性を、無視する人間がいるとは思えない。

 今まで、は。

(でも、イリヤ経由で聞いた忠告は、無視不可能だ)

(ラフィーが俺に住居を提供するのも、この忠告が存在するからだ)

(自分で見届けるしかないか)

(というか、俺が一番目立つ抑止力に成り得る、のか?)

 リップをチラ見するが、この件でのコメントを拒絶するように、虎みたいな欠伸をする。

 おしゃべりを売りにするような、この美少女が言いたくないネタである以上、ユーシアも深追いしない。

「イリヤ。あくまで、警備補佐。非常勤の補佐だけなら、気を配る」

 まだ危険の予言はあっても、予兆はない。

 気が向いた時にだけ手伝うという意味の返事を、ユーシアは選ぶ。

 イリヤが立ち上がって、最敬礼の姿勢を取る。

「ありがたいであります」

 何だか補佐という言葉の受け取り方に誤差が大きそうで、ユーシアは表情を苦くしてしまう。



 ユーシアは風呂を借りながら、今日一日で得た仕事を振り返る。


 1、ユリアナ様の雑用(多忙になるだろうけど、たぶん楽勝)

 2、リップの護衛(望むところ)

 3、イリヤのフォロー(タワーマンション・ドレミの警備補佐)


 三つの仕事を得てしまった。

(なんだか、休職前より、仕事が増えたような)

 国家公認忍者として、アイオライト家の忍者として積んできた経験が、ユーシアの脳と勘をチリチリと刺激する。

 気になって、湯船に浸かっても緊張が解れない。

(ああ、面倒臭い!)

 ユーシア・アイオライトは、自立一日目で早速余計な荷物を大量に背負い込んだ現状に、湯船の中で呻く。

 割かれるであろう時間に呻きながらも、思考は前を向いて進撃してしまう。

 可能な限りシンプルに、現状を捉え直す。

 地理と人間関係を鑑みて、美少年忍者は明日からの仕事の絵図面を描き直す。

(街ごと全部、守れば、可能か)

 そう、行き着いた。

 そういう考え方に行き着く少年だから、ユリアナに雇用された事に、ユーシアは未だ無自覚だ。

(俺は既に、アキュハヴァーラの一部だ。目に付いた全ての災厄を、払えばいいだけだ)

 そういう方向に思考が進む少年だからクロウに目を付けられた事に、ユーシアが気付くまで、あとわずか。


 呻き声を拾って風呂場の前に来たリップは、ユーシアの呼吸音が治ったのを確認すると、安堵しながら寝室に向かった。


 仕事が二日目から更に増加するとは、ユーシアも含めて誰も想像していなかった。

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