第6話 彼女の父親の孫が上司です

【バッファロービル七階 ユリアナ様専用酒場】


「七階は、ユリアナ様の私用酒場になっています。基本は一人で飲みたい時や、パーティで客を招く時に使います」

 七階は、階全体が高級バーのような趣きの内装で、広々と店を構えている。

 この時間帯は閑散として、シェフらしい中年男一人が、熊のような巨躯を屈めてレリーと新顔のユーシアに、笑顔で手を振ってくる。

 客席には、休み時間らしいメイド喫茶の店員が数名、早めの夕飯を摂りながら、レリーの連れている美少年忍者を見て、静かに盛り上がっている。

「今日みたいに予定がない時は、シェフのハヤシさんが、メイド喫茶や本屋の店員に賄いを振る舞ってくれます。ただで」

「おう、新顔のかわい子ちゃん! 何か食っていくか?」

 根っからの陽性料理人であるハヤシは、手料理を食べさせるコミュニケーションを惜しまない。

 ユーシアの警戒心は、ハヤシには一切向けられなかった。

「ユーシアです。この後はデートの予定なので、ジュースを一杯だけ」

 挨拶をしながら、厨房奥の間取りを確認し、内外の出入りルートが無いかどうか、瞬時に確認する。

「おおう?! じゃあ、精力の付くものを」

「まだ十歳ですよ、ハヤシさん」

 レリーのツッコミに、ハヤシシェフは目を剥く。

「これだけハンサムなら、摘み放題じゃね? キンタ○が休まらないだろ」

「ほら、下ネタ禁止」

「いいじゃん、今、ユリアナ様いないし」

 言った傍から、ユリアナがエレベーターから一人でこのフロアに姿を見せる。

 ハヤシシェフの背筋が不必要に伸び、ユーシアとレリーに手早く人参ジュースを出すと、ユリアナの注文を待ち受ける。

 ユリアナの方は、畏まるユーシアに先ず近寄ると、レリーが所持している物と同じスカイブルー色のキーカードを渡す。

「キーカードは、直接渡すのがユリアナさんのやり方です。正式採用、決定。おめでとう、ユーシア。もう大人扱いするからね」

「この段階で?」

「私の時は、四週間も掛かりましたよ」

 早過ぎて疑問を抱くユーシアと妬いちゃうレリーに、ユリアナはバーのカウンター席に座って足を伸ばしてから応える。

「サリナ軍曹を守った時に採用を決めて渡す気だったけど、時間が経つとユリアナさんもフラウも、揃って忘れていましたとさ。本業が忙しいからね。雑用には向かないのだよ、昔から」

 ハヤシシェフから渡された『今週のお勧めメニュー』から、フラウの料理では食い足りなかった料理を選ぶ。

「野菜多めのカプリチョーザ・ピザと、チーズセット。酒はスクリュードライバー。アルコールは3%でお願い」

「あいよ!」

 ハヤシシェフが、ピザを焼きに厨房へ引っ込む。

 ユーシアは、その間に美脚を伸ばして寛いでいる警備対象者との親睦を図る。

「本業というと、今日の場合は水道事業の再公営化と、有害図書指定の無効に関する仕事ですね?」

「ああ、やっぱり横目で見ていたか」

「付近に置いていた書類が、視界に入っただけです」

「その二件では、ユリアナさんの身に危険は及んでいません。留意して先走って調査しなくても、大丈夫だよ」

「このビルと周辺だけに、専念します」

「慣れたら、アキュハヴァーラ全体も守れるようになって欲しいな。忍者向きの仕事を回す気でいるから、そのつもりでよろしくね。君の有能さには、仕事を押し付ける前から敬服している」

 ユリアナが話を大きくしようとするので、ユーシアは飲んでいた人参ジュースを吹きかけた。

(この人、まさか…俺を多忙にして、リップとの接触を激減させようという腹か?!)

 ユーシアの瞳が、ちょいとゆらゆらと燃えて揺れる。

 そういう視線には平気なユリアナは、美少年忍者への期待を重ねて伝える。

「アキュハヴァーラの治安は、現在良好だよ。でも、景気の良い都市には、好ましくない輩も惹かれて来る。そういう芽は早めに摘まないと、結局は景気が悪くなる。摘む役は、君が適任だよ、ユーシア」

「あの、ユリアナ様」

 警備以上の事で扱き使おうとするユリアナに、ユーシアは重要な断りを入れる。

「国家公認忍者を濫用していると思われたら、好ましくない亡命者と見做されます。本国へ送還される等のペナルティが持ち出されるかと」

 ユーシアの立場でユリアナに出せる、最大の牽制球だった。

「アキュハヴァーラの治安維持に使うだけだけどね。まあ、君が濫用の危険に留意している事は、承知しておくよ」

「本気で、留意してくださいね」

「ユリアナさんは、真っ当な政治家です。人の話は、よく聞いているよ?」

「警告は、しましたよ?」

「うむ、聞いた」

 親睦が深まるどころか、互いへの警戒心が深くなるだけだった。

 至近距離でやりとりを聞かされたレリーが、怖がって涙目で人参ジュースを飲み干す。

 ユリアナはこの件を今日は打ち切り、身近で手軽な話題に切り替える。

「で、リップとのデートは、どこまで進む気かな〜?」

「近況報告だけになりますよ。守役のガードが堅いので」

 守役がいなかったら、どこまで進む気だったのねん? というツッコミを、レリーは怖くて実行できなかった。

 本作品は、全年齢向きだし。

「イリヤは、自分から志願してリップの守役に就いたからね。祖父が指名して寄越した守役と、真剣勝負をした上で勝ち取った就任だから、やる気が違うよ、やる気が。

普通は、S級の戦士に一騎討ちなんて挑まないよ」

「世間話の態で、脅さないでください」

 イリヤが本気でユーシアを討ちに来た場合、ユーシアには逃走する選択肢しかない。

 ユリアナは、そのパワーバランスを承知の上で、会話を進める。

「仕方ないでしょう。叔母が未成年である以上、姪であるユリアナさんが予防線を貼らないと」

「ユリアナ様の方が、姪?」

「ユリアナさんの祖父が、リップの父親。だからユリアナさんが姪で、リップが叔母。ちなみにコノ国での血縁者は、ユリアナさんだけ。だからリップの保護者役は、ユリアナさんだけに回ってくる」

 ユリアナの顔が嬉しそうなので、ユーシアは要らん事を聞いてしまう。

「保護者をやると、幾ら貰えるのですか?」

「年に三千万円。リップの結婚が成立した時点で、打ち切り。君がリップと結婚する気なら、一年以上前に言ってくれると、助かる」

「早ければ、今晩にも、お返事を」

 レリーが、手にしていたコップを握り割る。

 ユーシアが手を差し伸べかけるが、レリーはひと睨みで止める。

 手に突き刺さったコップの破片を引き抜きながら、傷口を回復能力で塞いで出血を最低限に防ぐ。

 割れたコップの破片だけを引き取り、ユーシアは専用のゴミ箱に片付けてから、ユリアナと会話可能な距離に戻る。

 ユリアナが、緩いジト目でユーシアを見下ろす。

 ユーシアは、この人は怒りというモノを他人には絶対に見せないように決めている人だと察する。

 何かを腹の底で懸命に堪えながら、ユリアナは話を続ける。

「三千万円の保護者料の内、半分をリップにリカバリーしています。損しちゃうから、リップは、君ほどには急がないと思うなあ、損しちゃうから」

「そうですね。俺が拙速でした」

 生身で電子レンジの中に叩き込まれたような身の危険をゼロ距離で感じて、ユーシアは常識人として振る舞う。

 今切実に、ユーシアはフラウに側で壁になって欲しかった。レリーでは、ガクブルするだけだし。

 短時間で乾いた喉を人参ジュースで潤す頃に、ハヤシシェフがユリアナの料理を運んで来る。

「はい、お待たせ」

 具にインゲンと玉ねぎと人参スティックとベーコンを載せたカプリチョーザ・ピザと、包装を剥いた6Pチーズとゴーダチーズを盛ったチーズセット、オレンジジュースに酒精を少なめに盛ったスクリュードライバー。

 ユーシアとリップへの心労で激減したエネルギーを補充する為の料理を前に、ユリアナの顔が笑顔に戻る。

「いただきます」

 食す前に、ユリアナはユーシアとレリーを急かす。

「じゃあね。ユリアナさんが食べ終わるまでに、寝室は見終わるように行動してね」

「はい」

「はいはい」

 そして、食し始めると、去る直前のユーシアに追加の言葉をかける。

「ユーシア。さっきの件は、忘れていいよ。考えてみると、もう一億五千万円貰ったから、これ以上の役得を望むのは強欲だ。恋人たちの家族計画を邪魔だてすまい。今夜、決めるなら決めちゃっていいよ」

「早まりません。大丈夫です」

 そう言ってからレリーと共にエレベーターに消えたユーシアに、ユリアナはスクリュードライバーを一気に半分飲んでから、感想を述べた。

「どうだろうかねえ」

 聞こえていたハヤシシェフは、この件でも第三者でいられる事に、感謝する。




【バッファロービル六階 ユリアナ様の私室】


「六階は、丸ごと全部、ユリアナ様の私室です。書斎、ベッド、バスルーム、トイレ、居間が有ります。ここに入れるのは、ユリアナ様とフラウ、リップと守役のイリヤだけです。ここで他の者を見かけたら、同僚でも問い質してくださいね」

「分かった。レリーを見かけたら、即逮捕する」

「ユーシアを見かけたら、戒名を考えてあげるね」

 言い合うと時間を喰うので、ユーシアは巻いて行動しようとする。

「間取りだけ見たら、即、お暇しよう」

 ユーシアのキーカードで、部屋の玄関を開ける。

「衣装箪笥を開けるなよ〜?」

 レリーがユーシアの背後に付き、目を見開いて動向を監視する。

「床に下着が落ちていても、ガン見せずに進みなさい。それが礼儀というものです」

「は〜い」

「何なのよ、さっきの心臓に悪い会話は? ユリアナ様の前で失禁しかけたわ!」

「は〜い」

「主従関係の重みを、もうちっと自覚しなさい!」

「あ、そこに隠し金庫」

「わーい、ここ?」

 ユーシアの指差した壁のポスターを外そうとして、レリーは罠に気付く。

 ユーシアが、嘘情報を元にポスターを剥がそうとしたレリーの姿を、スマホで撮影している。

「こりゃあ、信用されないわ」

「お前、ぶっ飛ばすぞ〜!?」

「あ、仕事中、仕事中」

 レリーの小パンチ連打を躱しながら、各部屋の間取りを確認する。

 どの部屋も一目で確認しただけで済ませるつもりが、寝室に飾られた写真の一枚に、ユーシアの足が止まる。

 まだ八歳くらいのリップを中心に、ユリアナとリップの父親が映っている。

 その眼力に威厳が備わり過ぎている高級背広姿の老紳士は、リップの肩を抱いて、親バカの笑顔で寛いでいる。リップの方は、それ程でも無いが。

 背景に映っているのは、此処のメイド喫茶の内装だ。

「お庭番(国家公認忍者)の目を盗んで、どうやってアキュハヴァーラに来られた? 公務を影武者に任せたにしろ…」

 アノ国(アサキユメノ国の略)の皇帝がお忍びで庶子と会っていた珍事に、休職中の国家公認忍者はスルーを決めた。

(この件は、絶対に、手に負えない。忘れよう)

 ユーシアは割り切ると、写真の皇帝陛下に向かって反射的に土下座しているレリーを立たせて、次の下層へと向かう。

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