楽園

――小さい頃に、何かの本で読んだことがあるんだ。

 僕ら人間の起源は【うみ】っていうところで、そこから色んな生物が生まれたんだって。それは、きっと今は学校でも教えてくれないこと。

 何故って?僕らの住んでる街【月影】は世界中どこを捜しても見つからない理想郷。いわば、楽園なのだから。完全に安定が約束され、暑くも寒くもない、雨も降らない四六時中星の輝く街。僕ら月影で生まれた子供達はこの街を出ることはない。だって、この街の向こうには【たいよう】っていう大きな炎が燃えていて、その光を浴びたら肌が真っ赤に焼け爛れるんだって。


「ホントかな?」

「らしいよ、よくは知らないんだけどさ」


 友達のタクトはそう言う。割と適当な奴だ。スマホで漫画を読みながらもなんとなくこちらに耳を傾けていたらしい。


「【うみ】って、見たことある?」

「あるわけねぇだろ」

「だよなぁ、お前に訊いたのがバカだったよ」

「ひどくね?」


 僕は草っ原の上に寝そべって、夜空を眺めて言った。空には満天の星が輝いている。満ちることはあっても、欠けることのない月を眺め、呟くように……


「なぁ、タクト」

「あんだよ」

「この街の外ってどうなってんのかな?」

「おい、お前さ……」


 スマホを閉じてポケットに仕舞うと、タクトは草っ原から腰を上げて言った。


「この街から出たいなんて、本気で言ってんのかよ?」

「タクトは、思わないの?」

「やだよ、おれ、死にたくねぇもん」

「ホントに、死ぬのかな?」

「知らね」


 草っ原の向こうからチカチカと懐中電灯の光がこちらに向かってくる。


「誰だ?」

「……」

「なんだ、ガキかよ」


 長髪の髭面ででかいおじさんがこちらに向かってきた。僕らが身構えるのを見たおじさんはけらけらと笑い出した。


「変なおっさんが来たって思ったろ?」

「……」

「あながち間違っちゃいねぇがな。なんか話聞いてたら、お前さんこの月影を出たいのか?」

「!」

「なんでだ?この街にいりゃ何でも揃ってるのによ」

「……だって、僕は【うみ】を見たことがなくて……」

「なるほどな」


 おじさんは鼻で笑った。


「いいこと教えてやるよ」

「?」

「あそこに高速道路があるだろ?」


 夜景の中に高架橋があり、そこは高速道路になっている。


「あれは街の外に繋がってる?」

「そうなの?」

「でもさ、なんでそんなのを作る必要あるんだよ?」

「決まってんだろ?外に行く必要があるからだよ」

「外に行けるの?」

「あぁ、でもよ。一度行ったら二度と帰ってこられねぇよ」

「どうして?」

「お前さん、何でもかんでも訊くんだな」

「だって……」

「そんなに行きたきゃ、俺が連れてってやるよ」

「えっ?」

「でも、二度と帰ってこられなくなるぞ。行ってみたらわかる」

「おじさんは……」

「俺は構わねぇ、帰って来る気もねぇからよ」


 僕はタクトを見た、タクトは手を上げて別れを告げる。タクトは行く気がなさそうだ。


「単なる好奇心だけじゃ、止めといたほうがいいと思うがな」

「僕は……生物学者になりたい」

「?」

「その為には、うみを知らなきゃいけないんだ」

「二度と帰って来られなくてもか?」

「……死んだ父さんと約束したんだ。生物学者になるって」

「面白いガキだな。いいや。来いよ」


 おじさんは草っ原の中に乗り上げた四駆に僕を連れて行った。座り心地は最悪だった。煙草の臭いが染みついた四駆のシート。


「行くぜ」


 おじさんはイグニションを廻した。古いエンジンはけたたましい音を立てて真っ黒な排気を吐き出す。

 高速道路のゲートを潜る前に、そこには軍人のような門番がいた。一言二言おじさんは話している。


「行くのか?」

「あぁ」

「目的は?」

「確認作業だ」

「わかった。ならこれを持って行け。もう帰って来られないぞ」

「んなもんわかってる」


 おじさんはカメラのようなものを受け取り、ゲートを抜けていく。高架橋を過ぎると満天の星。果てがないような闇夜。


「今は朝だ。ちょうど外は太陽が出始める頃だ」

「たいようって……」

「あぁ、あの【たいよう】さ。怖じ気づいたか?」

「いやっ、平気だよ」

「なら大丈夫だ」


 おじさんの四駆は長いトンネルに突入した。


「ホントはな、外に出たって死にはしねぇんだよ」

「……」

「街の中に人間を隔離しただけなんだよ。今まで存在していた世界は、戦争の為にもう崩壊してる」

「!」

「こんな現実を見せない為に、国は【月影】を造ったんだよ」

「なら……」

「ほら、着くぞ」


 トンネルの向こうには、今まで見たことがないような光が溢れていた。暖かな光だ。


「これが……」

「な~んもねぇだろ。俺はこの世界を復興させようとしてる」

「え?」

「何年かかるかわかんねぇがな。仲間もいる。お前さんの父さんも、プロジェクトの一員だったんだ」

「父さんも?」

「ほら、あれが海だ」


 そこには大きな果てしない水溜まりがあった。向こう側には光の玉が今にも上ってきそうな様子で光っている。


「行くか?」

「うん」


 何年かかるか分からない、世界の復興。僕は僕なりに助けていこうと決めた。

――あの果ての名前は【水平線】って言うらしい。

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