第2話 邂逅


―――46階層


 グオオォウウ!! グガッグオオオ!


 だんだんと近づいてくる魔物の気配に死を覚悟する。身動き一つ取れない俺は、足の激痛に耐えながらドスンッドスンッという足音を聞いていた。


(くそっ。くそっ! くそっ!!)


 流れてくる涙は止まる事がない。すぐ目の前にある「死」と、自分の無力さに対する「憤怒」。


 自分でも意外なほどカイル達に対する憎悪はなかった。いや、正確には復讐する事すら諦めてしまっている。


 これは自分で招いた事だ。誰かに自分の『夢』を託すなど、あってはならない事だったんだ……。理不尽さに苛立ちはあれど、これは全て自分が招いた事であるような気がした。


 グオオォウウ!!


 目の前には屈強な魔物。斧を持ったドラゴン……。


(ソルジャードラゴン……)


 初めて見た「Sランク」魔物に直感的に死がよぎる。


「あぁ。死にたくない。死にたくない。死にたくない! 誰か……。父さん……。母さん……」


 もうこの世にいるはずもない両親に助けを求める。


「グロォオオオオオ!! ガッ!!」


(何で? なんで? 何で俺なの……?)


 これまでの努力やカイルの言葉たちが走馬灯のように駆け巡る。皆んなの水分補給のために覚えた水魔法も、松明や焚き火のための火魔法も、全て無駄だった。



「ルーク。俺に任せとけばいい」


「なぁルーク。お前の親父さん達は立派だったよ」


「置いてくぞ? ルーク」


 これらの言葉は全部が嘘で塗り固められたものだった。信じていた……。人間的に少し横暴なところもあるが、俺にとっては大事な存在だったんだ。


 ソルジャードラゴンは手に持った斧を振りかざしている。鋭い牙。凶悪な爪。見るからに硬そうな鱗。


(何でこんなことに……?)


 そう心の中で呟くと、やっとカイル達への憎悪が湧いた。生まれて初めての憎悪を抱いた。自分の死を前にして生まれて初めて憎悪を抱いたのだ。


「許さない……。絶対……」


 足の痛みはもう感じない。感じた所で意味がない。


 だってもう死ぬのだから……。


 向かってくる「死」を受け入れ、瞳を閉じると、ポロッと涙が溢れた。両親に会えるかも……と思えば、少しだけ憎悪が軽くなった気がした。



 ドスッドスッドスッドスッドスッ……ドドドドッ!!



 無数の音に目を開けると、目の前には光の矢と漆黒の矢に貫かれているソルジャードラゴンが今まさに倒れている所だった。


 ドゴーンッ!


 と大きな音を立て、倒れると黒い霧となり霧散し、巨大な魔石だけが、その場に残る。


「……えっ?」


 何が起きたか分からないが、今自分が生きている事にまた涙が込み上げてくる。


「……無事ですか?」


 後ろから聞こえた声に首だけを振り返ると、彼女は心配そうに俺を見つめていた。


 左に6つの黒羽と右に6つの白羽。左に漆黒の髪と瞳。右に艶やかな金色の髪と瞳。禍々しくも神々しくて、怖いのに暖かい。スラリとした身体には豊満な胸が惜しげもなく携えられ、綺麗な四肢は細くしなやかだ。


 天使のようでもあり、悪魔のようでもある。矛盾を詰め合わせたような彼女に、ただ一つだけ言葉を伝えれるのだとしたら、きっと……。


「綺麗だ……」


 死にかけていた事も、裏切られた事も、足の痛みも、顔にこびりついた自分の血も、何よりも大切だった『夢』すらも、頭から吹き飛んでしまうほどの美しさ。


 呼吸が苦しくて、心臓は随分と騒がしい。


「大丈夫ですか?」


 彼女はゆっくりと歩み寄り、俺の拘束を解いて、


「『回復ヒール』」


 と呟いた。カイルに刺された足の傷がみるみる癒されていく。俺はその一挙手一投足にただ見惚れていたが、お礼を言っていない事に気づき、慌てて口を開いた。


「あ、ありがとう……ございます……」


「いえ……」


 呟きながらも彼女から視線を外せないでいる。彼女も俺の顔を見つめ、小さく首を傾げて口を開いた。


「あなたは『神』ですか?」


「……ち、違います」


「『神様』の匂いがします……」


「えっ……? はい? いや……お、俺は……『洗濯』しかできませんよ……」


「『洗濯』……?」


 救って貰ったところで、自分には『洗濯』しか出来ないことを自覚し、グッと唇を噛み締めた。


 彼女はまた小さく首を傾げる。色の違う大きな瞳が俺を捉え、ふっくらとした唇はなんだか色っぽい。黒と白のワンピースがよく似合っていて、彼女の可愛らしさを助長させている。


 答えを待っている彼女に「ふっ」と自分の無力さを鼻で笑い、情けなくなりながら口を開く。


「『洗濯』って言うのは……服とか物の汚れを洗い流す事です」


 俺は自重気味に呟いたが、彼女は「うぅーん……」と何かを考えるような仕草をする。しばらく俺の周りをグルグルと回っていたが、急に目を見開き、非の打ち所がない美しい顔を俺に寄せる。



「あ、あなたは……私の『罪』を『洗濯』してくれますか?」


「………『罪』?」


「……私は愚かにも神に反逆した堕天使です……。天界から追放され、この階層から上には行けないのです……。天界に帰りたいなどと、贅沢はもう言いません……。ただ、もう一度だけでも太陽や月の姿を見たいのです……」


 彼女は寂しげに、上を見上げるがダンジョンの中から太陽や月が見えるはずもない。助けてあげたいとは思うが、俺の『洗濯』にそんな力があるとも思えない……。


(彼女『も』追放されたんだ……)


 なんとも言えない親近感を抱いてしまう。俺もアイツらから追放され、ここに置いていかれた。彼女はずっとこの暗く禍々しいダンジョンに閉じ込められている。


「助けてくれた恩を返したいんだけど、俺にはそんな力はないよ……。仲間、いや、仲間のフリをしていた人達に置き去りにされたばかりなんだ」


「なんて愚かな事を……。あなたからは神聖なオーラを感じます……。その証拠に、いつもならこの場所には、さっきの『ドラゴン擬き』がたくさんいるのです。この場所は、こんなにゆっくりお喋りできない場所ですよ?」


 茶化しているわけでは無さそうだ。それに彼女に嘘をつくメリットは見当たらない。それに彼女の瞳からは微かに信頼が滲んでいる。


(『ルークなら大丈夫さ!!』といつも言ってくれていた父さんと同じだ……)


 懐かしい感覚に目頭が熱くなってしまう。


(信じてくれている……)


 理由なんてどうでもいい。ただ誰かに求められている事が嬉しくて堪らない……。


「……大丈夫ですか?」


 彼女は俺の顔を覗き込み、視線を合わせる。急に現れた美しい堕天使に軽く笑みを溢す。


(とりあえずやってみよう……!! とりあえず行動に移してみるのは、きっと数少ない俺の長所だ!!)



「やってみよう! 『物の汚れ』以外、『洗濯』した事はないんだけど……」


「大丈夫です。きっと上手くいきます。だって私はあなたのオーラに惹かれ、この場所に来たのですから!」


 彼女は初めて微笑み、ほんのりと頬を染めた。息を飲むほど美しく、抱きしめたいほど可愛らしい。


 きっと俺の顔も赤く染まっているだろうけど、今は集中しよう。今回はいつもとは質が違う。彼女の『罪』を洗い流すのだ……。


「君の『罪』は……?」


「傲慢にも神に反逆してしまった事です……」


 俺は彼女の手を取る。少し冷たくて、細く綺麗な手をギュッと包み込む。


(できる。大丈夫だ。しっかりイメージするんだ……)


「……『洗濯ウォッシュ』」


 俺が唱えると、ダンジョンに光の粒子が舞う。まるで、俺の故郷にしかいない小さなホタルが無数に飛び回っているようだ。


「すごいです……。とても綺麗……」


 彼女は漆黒の瞳と金色の瞳を輝かせる。確かに綺麗だ……。今までの『洗濯』とは全く違う。


 光の粒子は彼女を包み込む。ダンジョンの中だと言うのに、心地よい風が頬を撫で、繋いでいる手がだんだんと熱を帯びてくるのがわかる。


 渦巻く光が少しずつ彼女の身体に溶け込んで、一つになっていく。


「綺麗だ……」


 光の中で気持ち良さそうに瞳を閉じている彼女が綺麗で、思わず口から溢れてしまった。


 ゆっくりと彼女の身体に溶けてく光。彼女の黒羽や黒髪、ワンピースすらも徐々に色が変わっていく。


 全てが溶け込んだのを確認しながら、すっかり姿が変わってしまった彼女に俺は目を見開く。


 輝く白羽は背に12本。ダンジョンの暗がりでもわかる、綺麗な金髪は光り輝いている。真っ白いワンピースは純白で、抜群のスタイルはそのままに、ゆっくりと開いた瞳は夜空に輝く星のような金色だ。


 彼女はその綺麗な金色の瞳からぼろぼろと涙を溢す。


「私はルシファー……。私はルシファーです。いまやっと名前を思い出せました……。本当にありがとうございます……。信じていました。あなたを見つけたその瞬間から……」


 きめの細かい少し赤らんだ頬に綺麗な雫が駆けるが、顔はとても晴れやかな笑顔だ。


 成功したようでよかった。

 助けられてよかった。

 この笑顔が見れてよかった。


 誰かの役に立ててよかった……。


「こちらこそ、助けてくれてありがとう。ルシファーさん。俺はルーク・ボナパルト。俺を信じてくれて嬉しかった!」


 彼女はポーッと頬を染める。


「ルーク様の力は『神の力』です! 私の『罪』を消し去るなど、神以外にはあり得ません!! 私の事はルシファーとお呼びください。敬称は不用です! 私は今この場を持って、あなたに絶対の忠誠を誓います……!」 



 ルシファーはまだ握っていたままだった俺の手を豊満な胸に引き寄せながら、早口で捲し立てる。


 とても感激しているのは伝わってくるが、俺は「こんな美女の胸を触ってしまった……」と心拍数が跳ね上がり、顔が真っ赤になっているのを自分でも自覚してしまって、あまり頭に入って来なかった。


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