あとがき

 もしも同じように死産に遭われた方がここに辿りついた時、ほんの少しでも参考になることがあればと思い、このおはなしを投稿するまでのことを書き残しておきます。

 妊娠週数は33週、体重は2200キログラムほど、身長は50センチメートル弱、原因は不詳でした。


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 0日目。妻が夕食時に、今日は胎動が弱いかもしれないと話題にする。前日はよく動いていたため、寝ている程度に捉えて別の雑談に移る。


 1日目。昼頃、役所に行っているはずの妻から絞りだすような電話があり、詳細不明ながらも仕事を休み病院に向かう。待合室で鼓動が聞こえなかったと知り、合流した義母と一緒にお医者さんからの説明を受ける。

 もう蘇生の望みはないこと。母体に危険性はないが放っておくと悪影響があるため、促進剤を打つなどして普通に出産しなければならないこと。本日入院すると出産が休日になりそうなので翌週の入院になること。出産後、海外に検査を出すことはできるが、それでも原因は分からない可能性が高いこと。

 検査はしないことに決め、麻酔による無痛分娩を申しこむ。結果として、出産そのものは普通に絶叫するくらい痛かったようだが、陣痛とそれによる消耗はだいぶ抑えられたようだ。


 2日目。ほとんど記憶にないが、どうやら深夜に文章を書いていたようだ。これについては「まえがき」参照。


 3日目。妻が自力で見つけた、流産・死産経験者の会合に参加する。まだ妊娠中のためイレギュラーながら受け入れていただく。ここで聞いた経験談は妻にも、それを間接的に伝えてもらった私にも、大きな救いとなるとともに出産・通夜の過ごし方の指針を与えてくれた。

 とくに、どのような形であっても子を亡くした悼みは永遠に消えないほど大きいものであって、どのような形であっても産まれることは慶ばしいことである、とのメッセージをいただけたことを何より感謝しています。


 4日目。葬儀社に妻と足を運ぶ。30万円程度の見積もりとなったが、義母の紹介により流産・死産専門のプランを用意している葬儀社に妻が電話をしたところ10万円程度の見積もりとなった。前者は一般的な葬式と同様に霊柩車や納棺師などを手配するもので、見積もりの金額としては納得できたため、そのままお願いするつもりだった。ただ、もう少し慎ましく行いたい気持ちはあり、それらの手配をしない後者に決めた。おかげで後述のとおり、ささやながら我が子のお世話をすることができた。

 死産を扱っているドラマとして会合で教えてもらったコウノドリ2期5話を妻と観る。現実の病院はこんなに優しくないだろうと軽口を叩いたが、実際はもっと優しかった。


 5日目。入院する妻を見送る。心配した両親が夕食をもって訪れる。夜眠れず普段嗜まない酒に逃げようと試みたものの、ここで呑んだらアル中まっしぐらの恐怖が過ぎり、アクションゲームに逃げる。クリア特典のチートモードで進めるものの延々と同じステージで同じ行動を取って死につづける。


 6日目。昼頃、妻から出産の連絡が入る。予定としてはもう少し後だったのだが、かなり安産だったようだ。おかげで安産祈願をした水天宮を恨まずにすんだ。

 特別な配慮のうえ、我が子を抱っこしたり、手形足形を取ったり、おむつを履かせたり、希望のバースプランを一通り叶えていただいた。状態としては頬などの表皮が剥離してしまっていて、どうしても血生臭かったが、それ以外は五体満足で普通の赤ん坊に近かったのではないかと思う。なによりかわいかった。世界一かわいかった。

 看護師さんの中にまだ色々と不慣れな感じの新人がいて、その方が先輩にうちの子を預けられた際、あやす仕草を無意識にしていたようなのだが、そんなことが嬉しかったと妻は後に語っていた。


 7日目。退院した妻を迎えに義母と合流し、葬儀社の方に用意してもらった棺に納め連れて帰る。リビングのジョイントマットを積みかさねてバスタオルを敷き、その上に棺を置く。クーラーは22度に設定した。もしも腐敗の徴候が見られるようであれば、もっと冷やした小部屋に移すつもりだったが、棺の底と横に詰めた保冷剤で充分だった。底には葬儀社から借りた市販の板状のものを敷き、横には冷蔵庫にあった小袋のものを詰めた。そして底は1日に2回の交換、横は1日に4回の交換を行った。底の交換時には棺から取りだす必要があり、また肌が乾かないように時おり保湿剤を塗るようにしたのだが、これは妻との大切な時間となった。

 なお初めに駆けつけた義母以外の人については、なるべく哀しませることのないよう会わせないことにしていたが、あまりにもかわいいので他の家族も呼ぶことにした。このかわいさについては、もちろん親の補正によるものであるはずで、私については子供の頃それなりに重度のアトピー性皮膚炎だったため多少の表皮がなくなった状態は見慣れていて、むしろ爛れたり膿んだりしていないぶん綺麗に見えたという側面もあるとは思う。しかし、かわいかった。世界一かわいかった。

 自室のノートパソコンをリビングに移動して『ちっさなミネくんのおっきなひみつ』をほとんどタイピングする速度で書く。


 8日目。両親が訪れる。香典は辞退していたが、代わりに孫へのお小遣いとお菓子を持ってきてくれた。両親とも一目惚れしてしまい、母に抱っこしてもらい、父には頭を撫でてもらって、たくさん写真を撮った。状態が状態なので、保冷剤の交換時など頭を高くするとどうしても鼻血や赤い涙を流してしまうのだが、母に抱っこしてもらった時はそんなことは一切なかったどころか、すごくほっとした表情になったため、みんなで涙目のまま笑う。

 『ちっさなミネくんのおっきなひみつ』を少し加筆して妻に伝え、棺を開けて読み聞かせる。あまり温まったり乾いたりしてしまうとよくないので、用事がない時は棺を閉めていたのだが、だんだん宝箱のように感じられてきて、妻も私もそれぞれこっそり覗いたりしていた。


 9日目。義父と義弟が訪れる。お小遣いと、大きな花束を持ってきてくれた。義父は、しっかり生えそろっている髪を羨ましがったり、この中では一番早く傍に行くからね、などと優しいブラックジョークを飛ばしてくれた。どうしても時間が経つにつれ、眉間や鼻まわりの内出血が赤黒くなってしまったが、それ以外は元気いっぱいだった頃の姿をみんなに見せてくれたように思う。

 『ちっさなミネくんのおっきなひみつ』を印刷して、今度は妻に読んでもらう。これは惚気だが妻はとくに声がいい。とてもとても素敵な読み聞かせとなった。


 10日目。遠方の妹から届いたバースデーソングを聞かせ、妻と歌う。クーラーを切って、保冷剤を取り除き、新しい服に着替えさせる。近所の火葬所から家への帰り道を覚えさせるため徒歩で向かう予定だったが、大雨のため葬儀社の車に迎えに来てもらう。

 火葬の寸前、ロビーで小さな棺を抱えている時に、我が子を手放したくなくて脱走……する妄想をなんとか振りはらった。棺に花と贈り物を納めた姿もかわいく、たくさん写真を撮りたかったが撮影禁止のため抑えた。火葬炉の閉まる自動扉もこじ開けたかったが、そんな腕力はなかった。

 帰宅し、棺のあった場所に骨壷を置く。ずいぶんとスペースが空いてしまい、ただただ寂しく感じていると、骨壷に寄り添うように真っ白な猫が座った。


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 この十日間、ふとした時に松任谷由実の『ひこうき雲』が脳裏を過ぎっていました。ジブリの『風立ちぬ』で知ってから定期的に聴いている歌で、その歌詞にこういう一節があります。


「あまりにも 若すぎたと ただ思うだけ」「けれど幸せ」


 その幸せの意味がずっと分からなくて、けれどようやく少し分かった気がします。それで、このおはなしを書きました。

 生きている者はやがて日常に戻っていきます。なんだかもうあの子がいた日々は幻だったような気さえします。そうではないので、このおはなしを投稿することにしました。


 ありがとう、ばいばい。

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