錆猫奇譚(10)
窓からの脱出は、あまりにも現実離れしていて。
「ふわぁ……」
「どうだ。こんな場所じゃねぇと叶わねぇけど、夢っぽくて悪くはねぇだろ?」
折り鶴の背に乗るなんて。
その上、そのまま空を飛ぶなんて、人生のどこで想像できただろうか。
「穴の中なら──自由自在?」
「大抵の事はできるぜ。全能とまでは言わないが」
ゆっくりと滑空しながら、鶴は木々をすり抜けていく。
本当に障害物が無いかのように、するすると地面に近寄るが──たまに紙が擦れる音がするあたり、完全というわけではないらしい。
「このまま空飛んで街へ戻るとかは?」
「穴を抜けたら即座に萎んで地面と激しいご挨拶だ。やるか?」
「歩く事にします」
くだらない冗談は口にしない人だろう。
素直に言う事に従っておけば、身の安全は保証される。それは信じておいて間違いない事のはず。
やがて鶴はふわりと接地。慣性も感じさせない不気味さは、やはり穴の特性というべきか。
一足先に鼠が飛び降りる。それを見て反対側から着地。
「後は──ひたすら、山を降りろ。それで今回の一件は終いだ。お疲れさん」
無駄な事はするな、と。
暗に言われている気がした。
「鼠さんは?」
「もう一仕事だ。気にすんな。どうせお前にゃ何もできん」
大きな鶴がかき消える。
ふん、と敢えて鼻を鳴らし、控えめに不満を示してみる。もう少しだけ彼の動きに付き合ってみる事にしてみよう。
「何もできないなら、何もしません。せっかくだし、見学していっても?」
「……。…………。お前、やっぱ頭おかしいな?」
呆れ顔もその態度も、慣れてくるとどんどん可愛く思えてくるもので。
引き剥がされる事も無かったので、数歩離れて、彼の動向を観察する事にしてみた。
つまるところ、ただの好奇心だ。都市伝説といい穴といい暗闇といい、あまりに知識が深すぎる彼が、よりにもよって穴を塞ぐという。
何を以て、そんな事を言えるのか。
「──そもそも『穴』ってのは、人が生み出した妄言の産物みたいなもんでな」
す、と右手を掲げながら、彼は語る。
「八百万の神って言えばわかるか。信仰、口伝、形の無い神秘。そういった物が『観測される事は無い』という異常をすくって形になる」
特に彼に変化は見られない。
抜け出た旅館も、褪せた外観がそのままで、あの暗闇が嘘だったかのように佇んでいる。
「それでもアレらは存在する。『存在しない』という概念を盾にそこに在る。ソレ自体を強固なルールで雁字搦めにしてでも、だ」
その解説に何の意味があるのか、首をかしげようとして。
──そういえば、穴の中からの対処や目的は聞いていたが、穴そのものの成り立ちについては理解が薄かった事に今更気づく。
「じゃあ、どうやって穴を塞ぐかって話だが、奴が構えてる盾を全て剥ぎ取ってやりゃいいだけの事だ。つまり──」
一瞬、旅館が揺らいだ気がした。
「ルールを破り、穴を認知させ、人がその実体を知るようにする。多数の目に意識を向けさせりゃ、それだけで穴は崩壊するんだよ」
紅蓮。
「ほあっ──!?」
燃える。燃える。燃える。
一瞬で旅館を包み込んだ炎は、ただそのままに勢いを増し、あっという間に天へと昇る。
ごうごう、ではなく、空気と燃料を多分に含んだばちばちという音が耳を打つ。
「ちょ、鼠さん! ここ山の中!!」
「わかってるよ。山火事とか笑えねぇ。適当な所で収めるさ」
相も変わらず鼻を鳴らされた。
声になる前に口が動く。避難の言葉。それに対して鬱陶しいと言わんばかりに片手を振られる。
「ここが穴である限り、この火だって俺の物だ。──この勢いで山が燃えりゃ、嫌でも多数の人間に目がつく。後は、そうして穴が穴としての機能を失う寸前に火を止めりゃ、それでこの件は落着だ」
元からあまりに異次元過ぎて、何を言っているのか掴みきれない所もあった。
そこにこの火である。この男、本当に何を考えているのか。
しかし旅館そのものを飲み込む大火は、そもそも止める為の手段が見つからない。こういう時の為の携帯だと慌てて取り出し、消防車を呼ぼうとした所で。
「要らんよ。人目はだいぶ稼げた。もう終わってる」
声に応じ、恐る恐る目を上げる。
そこには炎も。
踏み込んだ筈の旅館も。
影も形もなく、消え去っていた。
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