錆猫奇譚(5)
「一晩過ごしちゃったら仲間入りじゃないですか! いや、何の仲間入りとかいまひとつピンと来てませんけど!!」
気付きと共に慌てて突っ込む。
そうだ。彼はさらっと一晩と言ったが、しかしそのままでは話の内容と大幅に矛盾する。
穴はルールの上に成り立つ。現世と繋がるのは翌朝。だから一晩待てと言われても、都市伝説をなぞるのならこのまま待っていては帰れなくなる事は想像に容易い。
混乱してきた。どこまでこの鼠と名乗る男を信用したら良い物か。
「……ああ。話さなかった俺も悪かった。取り敢えず落ち着け」
身を起こしながら手を振り、座るように示される。
警戒心は先の言葉で大幅に高まったが、それはそれとして会話に応じてくれる律儀さは信頼しても良いのだろう。先程から、質問を中途半端にはぐらかされた事は無いのだから。
「聞き流されてるだろうが、あくまで俺は例外だぜ。俺はどれだけ穴の中に居ようと、溶かされる事は無いんでね」
「──溶かされる?」
穴に食われる、と言っていた事だろうか。
しかしその疑問に対する答えの前に、彼は説明を続ける。
「俺は『基準』だ。現世のルールを穴の中でも機能させられるし、──穴が現世とあまりに隔絶されてるなら、今度は穴そのものの内容を改変できる。規模はそんなデカくはならんがな」
さらりとトランプをかき集め、まとめて一山に戻す。
軽くシャッフル。先よりは乱雑で回数も少ないが、それで十分と言うように、まとめて表をこちらに向けた。
「……は?」
ハート。ダイヤ。クラブ。スペード。数字の羅列。
それだけなら普通のトランプだ。だというのに、今見える物にはまた明確な異常がある。
赤い。赤い。赤い。赤い。
どのマークも揃って、真っ赤な色に染まっていた。
「手のこんだ手品……です?」
「そうか。じゃ、コレを見ても同じ事が言えるか?」
右手を上げながらの鼠の言葉。
何を、と思って見上げれば、微塵も動かされない手のひらから溢れるトランプカード。しかもプラスチックのみならず、紙製の綺麗な物、子供が作ったような画用紙に稚拙な絵が描かれた物、はたまた鉄板に彫られた物──。
「トランプしか出せないんですか」
「阿呆。わかりやすくする為にやってんだ。極論はなんでも掴めるし形にできるわ」
嘆息。
しかし、言いたい事はどことなく伝わってくる。
「ま、作るだけじゃないけどな。……穴は『人間らしさ』を奪い、『化物らしさ』に染めていくみたいな機能を抱えてる。普通の人間はその流れに逆らえんが、俺は一切奪われない。どころか、逆にある程度なら利用できるって事よ」
「ビーコン」
「……辺りが海っぽいから上手い事言ったつもりか?」
苦笑された。
それでようやく、彼の人間らしい一面を見た気がする。
人を食ったような、或いは小馬鹿にしたような態度ではなく、ちゃんと感情らしい反応を。
「うーんと……つまり、『穴』は胃袋で『私』はごはん、『鼠』さんは寄生虫?」
「きったねぇ例えだな!? それなりに的を射ているのが腹立つわ!」
叫ばれてしまった。そんな怒らせるような事を言っただろうか。
しかし、なんとはなしに直感での理解は追いついた。つまり、彼と共に取り敢えず夜を越え、翌朝になったらここを抜け出ようと。
恐らく、そういう事か。
「なるほど、流れは掴めました。つまり今はひたすら『待て』なんですね?」
「頭いいのか悪いのかどっちだ? ──その通りだ。今はここから逃げられんのでな」
ふむ。
一息ついて、そして致命的な問題点がひとつ。
「お腹すきました」
「頭悪そうな発言だなオイ」
時計を振り返る。
体感で言えばそろそろ三時か──と思いきや、既に短針は真下から左に寄っていた。
「あれ? そんな話し込んでましたっけ、私達」
「……現世の常識は通用せんさ。異界化してから、流れがかなり早まってるんだろ。基盤には俺も触れないからな」
七時前になるか。
そうなるとそこそこの空腹も納得できる。今日の食事は朝、しかも家から逃げるように摂った物だけである為に、そろそろエネルギー切れを起こしてもおかしくない。
「あー……そういえば」
確か。
エントランスで、夕食を運んでくれると示された記憶を、頭の片隅から思い起こす。
こんこん。
扉が軽くノックされた。
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