錆猫奇譚(3)

 飽きた。


「暇ぁ……」


 時計は二時を指している。

 多分、四時間弱はそうしていただろうか。


「暇」


 有料なのかテレビは映らず(そもそも興味を示せる番組があるかも怪しい)、お茶の淹れ方を模索するのも面倒になり(一度の失敗が思いのほか堪えたらしい)、かと言って小腹に突っ込む物も持ち込んでおらず(冷静に考えればこんな山の中で何故食べ物のひとつも用意しなかったのか)。

 端的に、時間を潰そうと思えば携帯端末とにらめっこのみ。暇潰し用のアプリくらいなら山と入っているが、同時にそれは暇潰し以上の目的には適さないとも言う。

 つまり。


「…………ぁあん」


 暇を極め、飽きの極地を埋めるには、あまりに程度が低いという事。


(刺激が足りない──かな。その刺激だって、今晩出てくるかどうかってところだけど)


 少しはしゃぎ過ぎた自覚が生まれ、自制心を半分。

 主目的を思い出す。


(新月の日の、山奥の旅館)


 都市伝説。

 そんな話が人づてに、口から口へと流れていく。

 今となっては発祥も経緯もわからない。ただ、その内容だけがまことしやかに語られる。

 ……失踪したいわけでも、死にたい訳でもない。信じていると言えば嘘になり、疑っているかと言えば虚偽になる。

 どちらでもない現状に、白黒はっきりつけたいのが、恐らく自分の本音なのだろう。


「でもこんなに暇だとは思わなかった……どこかで見たなぁ。旅人の最大の敵は『暇』で、暇を食べられる旅人が一番優秀なんだって」


 大の字になりながらのぼやき。

 聞かせる相手など居ないが、無音が過ぎて逆に不快だった。自分の声でいいから雑音が必要になったから、考えるより先に口に出しただけで。


「暇を食べる、ねぇ。面白い事言ったもんだ。ぶっちゃけ俺も暇だしトランプでも回さねーか? ババ抜きだと単調でつまらんが」

「トランプ持ってないです。あったら一人でソリティアでもやって」


 ぴたり。



 窓際に、男がもたれかかっていた。



「──入り口、鍵締めてたと思うんですけど」

「気にするとこそっちか?」


 雑な姿勢だ。真っ当に人と話す態度には思えない。

 立っているだけに身長ははっきりわかる。恐らく自分と大差ない──一般男性と比較すると相当に低い。

 二十代の後半辺りか。態度は軽く雑だが、一見してわかるだけの軽い威圧感は、少なくとも同世帯から感じる様な物ではなかった。


「お前、婦女子の部屋に男が上がり込んでるって事態にまず怯えろよ。やっぱ変だな?」


 ん、と一瞬の思考。

 それでも警戒心が勝り、その言葉を鵜呑みにするには一歩及ばず。


「それ以上に『どうやって入ったか』を知らないと、似た事態への対処ができないんじゃないです?」

「似た事態とかあってたまるか」


 嘆息。どうやら返答はお気に召さなかったらしい。


「知った所で真似できんよ。真似する奴もいないだろ。この旅館、もう人間は俺とお前だけみたいなもんだからな」


 会話しながら後ろ手で、ばちんと窓の鍵を解除。

 何をする、と声を投げる前に、素早くその窓は開け放たれた。


「名前が無いと不便だろうからな。──俺の事は『鼠』と呼びな」


 窓の外は、山の景色ではなく。



 真っ黒い海が、無秩序に広がっていた。

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