錆猫奇譚(2)
「一人です。明日の朝まで」
エントランスで宿泊予約。
昼にもなっていない上、そもそも事前に予約を入れていないというのに、その要求は不気味なくらいにすんなりと通る。
「……飛び込みで申し訳ないんですけど、お金、これで足ります?」
当たり前の事だというのに、流れがスムーズすぎて失念しかけていた。
慌てて財布を取り出し、中身を確認。一般的な相場と比較すると、一泊二食を考えるとかなり足りない。
だが、その懸念もあっという間に払拭される。返答を確認し、財布の中から紙幣を四枚。カウンターに置いて領収書を受け取る。
今の所、不気味ではあるが違和感には至らない。
「──わかりました。じゃあ、遠慮なく」
そのまま部屋の案内までして貰えるとの事。
好意に甘え──実際これが「本物」だとしたら本当に好意か疑わしい所もあるのだが──示されるまま、無意識に軽くなっていく足を運ぶ。
思えば両親とひとつ屋根の下で疎遠になってから、旅行などまともな経験が無い。外泊は幾度か行った事もあるが、大抵は野宿かネットカフェといった、寝泊まりを前提としない手段ばかり。
いくら外見は寂れていようと、旅館と言うだけで浮き足立つのももっともな事だろう。
「ん。そうそう一泊。あー、いや飯は持参するからいいわ。部屋だけくれ」
出てきてくれた従業員についていく後ろで、別の人の声が聞こえた。
立地が立地であるが故に人など来るまいと思ったが、隠れた名店というようなものか。意外と客足もあるのだろうか?
「えっと、ここを上がって……」
無関係な個人への感想は皆無な為、無視して自分の都合に専念。
完全に迷子という程でも無いが、一本道というにも難しい、若干の入り組みを解決しながら。
二階の突き当たり。泊めて貰える部屋のドアノブが回り、内装をさっと目に通す。
「──わぁ」
十二畳一間。
……一人部屋とするには、少々過剰ではないだろうか? 畳に卓袱台、少々の茶菓子。部屋の隅にはテレビと、敢えて見せる為なのか隠されていないテーブルタップ。
撮影許可を貰いながら、携帯端末で部屋内をぐるりと一周。電力の確保も問題なさそうなので、一足先に充電ケーブルを刺しておく。
不足が無い。一般の基準にこそ疎いが、旅館と言われて必要な物は大抵揃っている様に思える。
「あ、わかりました。ありがとうございます」
夕飯時にはわざわざ食事を運んでくれるという。
とはいえ、一泊二食は今晩と翌朝。昼食はまぁ、抜いてしまっても構わないだろう。一食程度で倒れるようでは自前の好奇心に笑われてしまう。
「──よっし」
従業員の姿が見えなくなるまで待ち、部屋の鍵をかけて、早速一人遊びを始める事にした。
まずは急須。お茶の淹れ方を知らないのでさっとネットで検索、見様見真似で実行。
取り敢えず電気ケトルでお湯を沸かし、「美味しい淹れ方」の中間が面倒くさくなったので割愛。茶葉とお湯を無秩序に急須に投入。
体内で一分カウント。のち、忘れていた湯呑みをひっくり返し、適当な量を注いでいく。
……急須にかなりの量が余ってしまった。次回以降の教訓としよう。
「うーん……薄い」
あまりに適当な初めてのお茶は、たくさんの失敗を微妙な味で返してくれた。
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