人食い兎は夢を指す(4)
その単純な質問に、何故答えが出なかったのか。
問いの意味を理解し損ねた訳ではない。むしろ、即答を以て返そうとした。
「俺は──」
だというのに。
「俺、は」
口から出るのは、曖昧な音だけ。
形のある回答には至らない。返す言葉を持っている筈なのに、それが声に乗らないのだ。
「……夢屋は『中身』を求めてる」
先程までより静かな声で「兎」が零す。
諭すように。或いは導くように。
「キミは言うなれば搾りかすだ。大半の『中身』は持って行かれ、撹拌され、……残った僅かな残渣を手がかりに、キミはそれを取り返そうとしてる」
ふん、と無い鼻を鳴らしながら。
「兎」は腕を腰に当て。
「さて、疑問をひとつ提示しよう。『夢屋』という都市伝説──これが今までに飲み込んだ人間は、果たして何人いるんだろうね?」
紫煙が揺れる。
その曖昧な境界の意味を理解するのは、
大量の視線に貫かれてから、すぐにだった。
「──は」
ぎょろり。
「ひっ……!?」
じろ。じろり。ぎょろ。ぱち。
目が。目が。目と目に目を目から目が目すら目。
上も右も左も前も下も振り返っても目を閉じても目が。
視界に関わらず八方から暗闇には不釣り合いな程の目が。
爛爛と。
「何、なん、だよ──これは!」
「……さぁ?」
その声は、いつの間にか呆れたような物に戻っていた。
先程までの諭すような、或いは促すような声は一転。小馬鹿にするような声に、恐慌の中で苛立ちを思い出す。
「被害者というか。事故者というか。……溶けて消えて亡くなって、それでもかろうじて一本の線だけを残した末路。放っておけば、キミもこうなる」
紫煙が揺れる。
一歩も動かなかった「兎」が、ゆらりと足をこちらに向ける。
「というより、半分こうなっていた。その時にちょっと『中身』が混ざって──もしかしたら『キミ』はもうキミの中に無いのかもしれないね」
紫煙が揺れる。
顔の無かった「兎」の闇に、真っ赤な目が不気味に灯る。
「手遅れ、一歩手前だ」
手を伸ばされ。
右腕を、掴まれ。
「彼らは、キミを待っている」
引き抜かれた。
「──っ!?」
痛みは無い。
抜かれたというより、もっと正しく言うなら、ただ引っ張られただけ。
ただそれだけの動作で、辛うじて繋がっていた右腕は、完全に闇へと離された。
そのまま「兎」は無造作に腕を放り投げ、まるで水中であるかのように宙を舞っていく。
数秒。
「時間稼ぎはしてあげるよ。対価は安くは無いけど、彼らに食い荒らされるよりはマシでしょ」
不満が混じる声。
直後、焦燥の中で「目」が消えている事に意識が向く。
「再度の問いだよ。『お前は誰だ』?」
「兎」は目の前で両手を広げながら。
「『夢屋』はどういう場所だった? 思い出して──」
導くように。諭すように。
凶行が嘘だったかのように丁寧に。
こちらに、問い掛けてくる。
「…………」
痛みが無いという実感か。
或いは環境が生み出す非現実感か。
冷静になるのに、大して時間は必要なかった。
無くなった右腕から必死に意識を逸らしつつ、熟考。そこまで大それた話ではない。考えなくとも答えを出せるべき問いの筈。
何故、その答えが出ないのか。
「……なぁ、『兎』」
なんとなく。
それが、見えた気がした。
「お前は──俺か?」
「三十点」
ぐい、と引っ張られる触感。
左腕を「兎」は掴み、続ける。
「着眼点は良いね。だけど、正解からは程遠い。……場合によってはもう一回の『時間稼ぎ』に入ろう。彼らがそんな悠長で居てくれるかは運次第だ」
恐怖は無い。
多分、ここで恐怖心を抱かないのは異常なのだろうが、それ以上の高揚感に飲まれている。
死ぬ、という実感さえ薄いのか。理由は不明瞭。だが。
「お前は俺の味方だ、『兎』。それは間違いないだろ」
「……さて」
「じゃないなら、さっき俺の全部を散らして『目』の餌にすれば良かったんじゃないのか」
腕を引き抜かれ、放り投げられ、直後にその気配は立ち消えた。
それに意味があり、そしてその行動の理由を求めるなら、それしか答えが出てこないだろう。
さらに直感を続けていく。
「お前、俺の『外側』を持ってるんだろ」
見慣れた学生服。
顔の無い姿。
聞き慣れているが故に苛立ちを誘う声。
それら全てが、「自分」を示唆しているのならば──
「七十点」
紫煙が揺れる。
「兎」の姿がかき消える。
「『兎』──!?」
「慌てない慌てない。元はと言えば私はこんな姿だよ。『夢屋』の中で溶け切った概念、或いは残滓か」
暗闇の中、からかうような声が響く。
顔の無い学生服はいない。だというのに声だけが聞こえる。
それは遠くからか。もしかしたら耳元からか。
「大詰めだ。人の思考はどこから来るかという疑問だけど」
最早、それを探る事に意味はない。
気が付けば四肢の感覚は鮮明で、探る指先は確かに体に触れている。引き抜かれた筈の右腕も、問題なく伸ばすことができた。
朧な幻想はいつの間にか、確かな実感へと変わっている。
「脳? 否。心臓? 否否。私は敢えてこう言おう──『全身』で思考する生き物だ、とね」
少しずつ、声に歪さが混じっていく。
「兎」が味方で居てくれる時間が徐々に無くなっていく。
意識は明瞭。記憶は確実。
喉の奥で止まった答えも、今なら迷い無く声になる。
その確信を以て、「兎」の問いに応えよう。
一瞬の間隙。そして、それは飛んできた。
「キミの『名前』は?」
「『俺』は──」
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