人食い兎は夢を指す(2)

「状況を整えよう」


 口も無いのに声が聞こえる。

 ここに居るのは自分と「兎」と名乗る誰かだけ。何も考えずとも、その声は兎の物だと悟るに至った。

 

「そんな難しい事じゃないよ。ただ、今回は逆から数えた方が良さそうだねぇ」

「……逆?」

「そうそう」


 両手を広げながら「兎」は語る。


「よし。記憶を整理して、自分を組み立てて──『どうしてこうなった』? まずはそこから思い出そうか」


 疑問の提示。

 ふむ、と手を顎へやり──すり抜けた事に恐怖心が湧いたが先程よりは平静でいられた──熟考の姿勢を取る。

「こうなった」理由を思い起こす。現状は先程例えられた通り、水の中の角砂糖。今現在の形を取るまでは、ほぼ溶け切った体だった事は想像に難くない。

 否。ここでもう一つの疑問が浮かぶ。


「ここは……『何処』だ?」

「おっと。定義不足か、そうだった」


「兎」は足を踏み鳴らす。

 地面の存在さえも曖昧な闇の中、その姿だけが輪郭もはっきりと見える事に、なんとなく異常性を感じながら。


「例えるなら大穴。現実性の希薄な場所。自我が緩んだ所に潜り込む墨。人の心の間隙──うーん」

「なんだそりゃ」

「うーん……いや、なんて例えたらいいのかなぁ?」


 腕を組みながらの「兎」の思案。

 なんとなく首が上を向いた気がした。


「そうだねぇ……『夢屋』って知ってるかい?」


 都市伝説。

 そんな単語が脳裏に飛来する。


「聞いた事あるぞ。『生き方に迷った人を飲み込んで、迷ったままだと帰れない』とかなんとか」

「ビンゴ。良いね良いね、理解が早いのは何よりだ」


 くすくすと笑う「兎」に、ほんの僅かな不快感。

 胸元に手を置こうとして、置き場を見失い、仕方なくふらりと腕を放す。無防備な挙動から腕が外れるのではないかと一瞬焦ったが、幸い肩が少し伸びた程度で泣き別れにはならずに済んだ。


「ええと、つまり俺は……」

「飲み込まれた、と。そう考えるのが自然だね」


 一息。

 続きを促すような「兎」の動き。


「『夢屋』は、人を溶かす物なのか?」


 質問をひとつ。

 なんとなく、「兎」なら答えてくれる気がした。

 反応は即時。左手をふらふら振りながらの返答。


「結果論だね、そりゃ。『夢屋』は入り込んでしまった人間の『中身』を欲しがってる」

「……内臓?」

「グロテスクな話はやめてよ? ──感情、思想、理念、本性、理想。そういう物だよ」


 お互いグロテスクな姿だというのに今更何を。

 突っ込みたかったが控えておく事にした。冷静になればなるほど、現状に余談は許されない事を深く理解していく。


「ちょっと待て。俺はさっきまでほとんど溶けてたんだよな?」


 肯定。

 ならば、と続ける。


「俺の『中身』は──もしかして、持ってかれた?」


 くすくす。

 得体の知れない笑い。


「一歩手前さ。ガワもナカミも一通り溶けちまったけど、最後の最後で細い線だけは繋がってる! ──そのままキミが忘れたら、何も残らない程度しか残っちゃいないけどね!」


 いつの間にかその笑いは大笑へと変わっていた。

 愉快。そんな顔が浮かぶような気がしていた。


「お前……どっちだよ。俺の味方か、『夢屋』の味方か」

「おっと、そこは疑わないで欲しいな」


 す、と指された。

 ……意図を計りかねたが、それ以上の言及はされない事を察してしまい、逆に言葉に詰まる。

 紫煙と暗闇。お互いに口を閉ざせば、そこには静寂と閉塞感。

 呼吸も鼓動も聞こえない──そもそもそれらが機能しているかも怪しい環境で。


「『夢屋』に飲まれたのが事実なら、俺は……生き方に迷った、とか?」

「さて」


 肩を竦める。

 なんとなくその挙動が憎らしい。


「多分、キミは……死にたかったんじゃないかな」

「──え」

「死に方を知らないし、苦しんで死ぬの嫌だし、誰にも迷惑かけずに死にたくて」


 訥々と、言葉が繋がっていく。

 それに伴い、不思議と視界が開けていく感覚に襲われる。


「お金もかけず、人知れず、眠るような死に方を探して」

「待て、待ってくれ」

「誰にも顔向け出来ず、自分の心の整理もつかず、路地裏で壁にもたれかかって──」

「待てよ!!」


 ぴたり。

 叫んだ直後に落ちた闇は、先程よりも深く感じた。


「お前──なんで、見てきたみたいな」


 一番不気味だったのは。

 それらの言葉を紡がれているうち、そんな記憶はなかった筈なのに、自分の視点でまともな街を歩いていた景色が浮かんでいった事。

 恐怖心が心臓を掴む。だというのに、再び声を発する「兎」は。


「……言ったでしょ。『夢屋』は中身を欲しがってるって」


 呆れたような顔を崩さずに。



「キミの溶け出た中身を、勝手に覗き見てたんだよ。というか、これもやっぱり結果論だけどさ」

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