【後編】

-7-


 「ただいまー!」


 家に帰ったボクは、通学カバンとラポルタの紙袋を階段脇に置いて、「いつものように」洗面所へ向かう。

 うがいしてから手と顔を洗い、乱れた前髪をクシで整えてから、洗面所を出ると、ママが興味深げに紙袋の中を覗いていた。


 「あ……もぅ、やめてよ、ママ!」

 「ウフフ、ごめんなさい。珍しく双芭ちゃんがお洋服を自分で買ってきてくれたみたいだから、うれしくてね」


 悪びれずに笑うママの様子が、まるで悪戯っ子みたいで、怒るに怒れない。


 「それにしても、随分可愛らしいワンピースね」

 「こ、これは……ち、違うんだよ! エリリンとリョーコが、どうしてもって強引に」


 あわてて言い訳しても、ママは笑顔を崩さない。


 「あらあら、そうなの。でも、そういうのも双芭ちゃんには似合うと思うわよ。そうだわ! ママにも着てみせて頂戴」

 「え~、ヤだよ。そんなの恥ずかしいし」


 渋るボクに向かって、ママが条件を出してきた。


 「キチンと着せてみせてくれたら、そのお洋服の分のお金は、ママが出してあげてもいいわよ」

 「え、ホント!?」


 お小遣いの8割近い金額を出してもらえるのは、確かに有難い。

 一瞬の葛藤の後、ボクは首を縦に振っていた。


 「こ、こんなカンジだけど……どう、かな?」


 毒を食らわば──ってワケじゃないけど、ここまできたらどうせなので、ワンピースだけじゃなく、エリリンたちに買ってもらったエプロンや小物も身に着けて、ママの待つリビングに入っていく。


 「きゃー、可愛いわ、双芭ちゃん! ベリベリ・キュート・ガールよ♪」


 インチキくさい英語が混じるのは、ママの感情が高ぶった時の癖なので、たぶんお世辞じゃないんだと思う。


 「ん~、でも、せっかくなんだから、もうちょっとお目かしした方がいいわね。こっちに来て、双芭ちゃん」


 ママがどこからか取り出した化粧ポーチで、ボクの顔にささっとメイクを施す。


 「ほらっ、美少女度が4割アップよ」


 そんな大げさな──と思ったボクの感想は、いい意味で裏切られた。


 ブティックで試着した時も、普段と随分雰囲気が違うと思ったけど、それと比べてもまるで別人みたい。

 素っぴんだと、ベリーショートな髪もあってボーイッシュな印象が強いけど、こうしてキチンとお化粧して、女の子らしいフェミニンな格好してみると、見違えるほど可愛らしく見えるんだもん。


 (──って、あれ? ボクって、こんな顔してたっけ?)


 脳の片隅で、何か警鐘のようなモノが鳴ってる気がする。


 (きっとお化粧と服のせいで、印象が変わってる、だけだよ、ね)


 そう考えても、微かな違和感は消えなかったんだけど……。


 「ただいまー」


 “お兄ちゃん”の帰宅を告げる声で思考が中断される。


 「あぁ、お帰りなさい。ね、ね、トシくんも、こっち来てみて」


 ママに呼ばれて、面倒くさそうにリビングに顔を出した“お兄ちゃん”と視線が合った時、ボク──僕は、ハッと我に返った。


 (そうだよ! 不可思議なアクシデントで首から下がすげ替わってるとは言え──僕は妹の「双芭」じゃない。兄の「俊章」じゃないか!!)


 途端に、こんなロリータファッション風の格好を、当の妹本人の目にさらしているのが恥ずかしくなる。


 けれど、お兄ちゃん──じゃなくて、双芭の顔には、そんな僕の姿を見ても、取り立てて軽蔑や呆れ、怒りなどのネガティブな感情は浮かんでいなかった。


 「へぇ~、イイじゃん。まさに、馬子にもなんとやらだね」


 むしろ、軽い感嘆の色さえ窺えた。


 「もぅ、そんな意地悪なコト言わないの。トシくんだって妹が美少女な方が、周りに自慢できるでしょ」

 「んー、そりゃ、まぁ、そうかもしれないけど」


 その態度は、いつもの僕──俊章ソックリで、演技してるという不自然さは皆無だ。


 「淑女レディを褒めるのも紳士ジェントルマンの務めよ?」

 「紳士ってガラじゃないんだけどなぁ」


 ポリポリと頭を掻く仕草も、まるっきり“俊章”そのものだった。


 「あ~、その、なんだ。似合ってるぞ、双芭。ちょっと見違えた」


 そんな台詞も、いかにもいつもの僕が言いそうなモノだ。


 「あ、ありがと、お兄ちゃん」


 しかも、“兄”に褒められただけで、なぜか嬉しいようなくすぐったいような気分がボクの中に込みあげて来て、自然と頬が赤くなる。


 ──結局、その日は、パパが帰って来るまでその服装のまま過ごすことになり、しかも「せっかくエプロンしてるんだから」ということで、ママにお夕飯の手伝いまでさせられちゃったんだ。


 8時前に帰って来たパパには、ボクの服装もボクがお手伝いした晩御飯も大好評だった。


 (えへへ、そんなに喜んでくれるんなら、たまにはお手伝いしてもいいかな)


 晩御飯のあと、自分のお部屋でカバンから教科書類を取り出して机の本棚に戻しながら、そんなコトも考えみたりして。


 ──コン、コン


 「“双芭”、入ってもいいか?」

 「あ、お兄ちゃん? うん、いーよー」


 何だろ。お兄ちゃんがこんな時間にボクの部屋に来るのは珍しいなぁ。


 「どうしたの、お兄ちゃん? 『荒野のペ天使たち』の3巻は明日発売だから、まだ買って来てないよ?」


 お兄ちゃんとはマンガの貸し借りはよくするから、その件かなとも思ったんだけど。


 「いや、それは知ってる。そうじゃなくて……」


 お兄ちゃんは、眉を寄せて言葉を探してたみたいだけど、キョトンとしたボクの様子を見て、フッと肩の力を抜いた。


 「──いや、まぁ、たいしたコトじゃないんだ。『少年キングダム』の最新号、読み終わったんだけど、いるか?」

 「いるいるー! わ~い」


 お気に入りの連載、『ネオピース・クラフト』の続きが気になっていたボクは、喜んで少年マンガ誌を貸してもらった。


 「じゃあ、ソイツはしばらく貸しといてやるから、あんまり夜更かしするなよ」


 なんだか、いつもより優しい感じのする笑顔を残して、お兄ちゃんは部屋に帰って行った。


 (うーん、何かが引っかかるなぁ)


 首を傾げていたボクだけど、ベッドの上に寝転がって(ちなみに服はもう着替えて、トレーナーとホットパンツ姿になってるからね)『キングダム』を読んでるうちに、アッサリその“違和感”も忘れてマンガに夢中になっていた。



-8-


 「双芭ちゃーん、お風呂沸いたわよー」


 家族揃っての晩御飯のあと、宿題を片付けて、そろそろ明日の授業の準備でも……と思ってたところで、ママの呼ぶ声がした。


 「はーい、今いくー!」


 我が家では、ボク、ママかパパ、お兄ちゃん、の順にお風呂に入るのが慣例になっている。


 (えへへ、一番風呂に入れるのって長女の特権だよね~)


 ──あれ、その割りに、昨日は風呂に入ったの遅かったような気が……。

 頭の奥で、お馴染みの何か奇妙な感覚がしたけど、さして気に留めることもなく、ボクはラベンダー色の七分袖&七分丈のパジャマと替えの下着を持って、お風呂場に急いだ。


 脱衣所で、トレーナーとホットパンツを脱ぎ、ブラジャーを外す。


 ふと顔を上げると、鏡の中に、見慣れた顔が映っている。

 ベリーショートな髪にハート型のヘアピン、太めの眉と日に焼けた肌は、ママがしてくれたお化粧で巧くカバーされている。

 そこから視線を下げて行くと、首から下は「不自然なほど」肌の色が白く、中学生としては平均的なオッパイと、なだらかな腹部から下腹部にかけてのラインが目に入る。


 (──あ……!)


 唐突に、自分が誰なのか、今どういう状態なのかを意識に叩きつけられる。


 「う゛、ぅわぁぁぁ……」


 まるで、真冬かヒドい風邪のときのように背筋がゾクゾクして、気持ち悪さにしゃがみこみそうになるが、懸命にこらえる。

 そのまま急いでショーツを脱ぎ、風呂場に入ると、かかり湯もそこそこに浴槽に飛び込んだ。


 「ぅぁちちッ」


 やや熱めの風呂のお湯と、慣れ親しんだこの空間のおかげで、少しだけ落ち付きと現実感が戻ってくる。


 「夢……じゃないんだ」


 今更かもしれないけど、お湯の中で胸の膨らみが弾む感触が伝わってくる。

 そう、ボクら──僕と妹は、今朝から、首から上がすげ替っているんだよ!


 そのことを思い出した(という言い方も変だけど)僕は、さっきまでのように平然と「六路双芭」として行動する気になれなかった。

 ──ううん、たとえ演技でも、そうするのが恐くなったんだ。そのまま、自分を見失ってしまいそうで。


 朝起きた時は、確かに僕は「僕」だった──たとえ、首から下の身体が妹のモノになっていたとしても。

 そして、中学に登校した時点でも、「双芭のフリ」は演技だったと思う。


 けど……時間が経つにつれて、演技は演技じゃなくなり、僕はごく自然に「ボク」──六路双芭として行動していたように思う。


 (どうして……?)


 コレが、魂の入れ換えというか、全身丸ごと入れ替わったというなら、まだ話はわかる。

 記憶や思考の源である“脳”も相手のものに変わっているのだから、たとえ自我や魂(心?)がとしあきのものであっても、脳に蓄えられた双芭ボクの記憶や性格の影響を受けるのかもしれない。


 でも、ボクら──いや、僕たちの現状はそうじゃない。頭部については、まぎれもなく本人のものなんだ!


 このコトを相談するべく、僕はお風呂から上がって手早くパジャマに着替えると、“お兄ちゃん”──本物の双芭がいるはずの部屋へと急いだ。


──コンコン


 「はーい、誰かな?」

 「えっと……入ってもいい、かな? “お兄ちゃん”」


 扉の向こうの存在にそう呼び掛けることは躊躇いがあったけど、ママたちに見られるかもしれないこの状況下では他に言いようもなかった。


 「ん? ああ、双芭か。いいよー」


 部屋主(ホントは僕のはずだけど)の許可を得て、“六路俊章”の部屋へと入る。


 たった半日来なかっただけなのに、その部屋は匂いも色彩も、なんだか本来自分の部屋だと思えないほど、見慣れないものに思えた。


 「お、なんだ。正気もとに戻ったみたいだね」


 勉強机の前で椅子に逆向きに座ったお兄ちゃん──じゃなくて、双芭がニヤニヤしながら、コッチを見ている。


 「! おに……いや、双芭は正気なんだ、その言い方からすると」

 「んー、少なくとも、晩ご飯食べた頃のオマエみたく、“双芭”の立場に完全に飲み込まれてはいないかな」


 よ、よかった~。

 もし、目の前の人物が、完全に「六路俊章」になりきっていたら、誰にも相談できない悩みを抱えたまま、鬱々と過ごさないといけないトコロだったよ。


 「──とは言え、少なからず“影響”は受けているとは思うけどね」

 「え?」


 小さく呟かれた言葉は、ハッキリとは聞こえなかった。


 「ううん、何でもない。それで? 何か話があるんだよね?」


 仕切り直すかのような双芭の言葉に、風呂の中で抱いた疑問について相談してみる。


 「ふーん、確かに一理あるかな。けど、こういう考え方もあるんじゃないかな? そもそも、人間の記憶は脳だけに蓄積されているものじゃないって」


 そう言えば、こないだ完結した少年マンガでも、似たようなこと言ってたよな。記憶転移とか言うんだっけ? 輸血したり臓器移植したりすると、移植元の人の性格の影響を受け……。


 「まさかっ!?」

 「そう。いま、ボクらは通常の臓器移植なんてメじゃないくらいの割合で、身体が他人のモノになっている。だったら、その影響も推して知るべし、じゃないかな」


 そ、そんな……でも、理屈は通っている、かも。


 「そもそも、僕らは朝起きた時、「首から下が入れ替わっている」と認識したけど、割合的に言うなら、「双芭の身体に俊章の頭部が移植され、俊章の身体に双芭の頭部が移植された」という方が、むしろ正解かもしれないよ」


 薄く笑った“お兄ちゃん”の言葉が、“ボク”を追い詰めていく。


 認めたくない……認めるのが恐い……「変わる」ことが、じゃない。「その変化じじつにどこか納得している自分がいる」のを自覚することが。


 「お、お兄ちゃんは……それで、いいの?」

 かろうじて声を絞り出してそう聞き返したものの、“お兄ちゃん”は肩をすくめた。


 「いいも悪いもないんじゃないかな。どの道、原因がわからないと元に戻る方策はたてられないし、仮に原因がわかっても巧く戻れると限ったものじゃない。

 それに──正直言うと、僕としては今日一日男の子やってみて、コッチの方が自分の性に合っている気がしてるしね。お前だって、そうだろう、双芭?」


 お兄ちゃんの視線が、薄紫色の可愛らしいパジャマを着たボクの身体を上下する。

 胸の辺りを見つめられた時、ボクはなぜか恥ずかしくなって、反射的に両手でソコを隠していた。


 「お、お兄ちゃんのエッチ!」

 「フフフ、ごめんごめん。けど、ごく自然にそういう言葉が出て来るくらいには、中学2年生の女の子である“六路双芭”という立場に馴染んでいるんじゃないか」


 確信に満ちたお兄ちゃんの言葉を、ボクは否定できなかった。


 「──まぁ、なるようにしかならないんだから、あまり悩むのはよくないと思うよ」


 そんな“兄”の言葉を背に、ボクはトボトボと自分の──“双芭の”部屋に帰って、そのまま明日の予習を続ける気にもなれずに、ベッドに身を投げた。

 ベッドの上に寝転がって、考えをめぐらせる──もちろん、今の状況を一瞬で解決する名案なんて、浮かぶはずもない。


 ウンウンうなりながら寝がえりをうつと、未だ慣れない……ような、そうでもないような微妙な違和感を胸元に感じた。


 「あ……」


 もちろん、今のボクには胸──というか乳房があるからだ。


 希薄になりつつある男としての女体への好奇心をかき集めつつ、再度仰向けになり、パジャマの胸のボタンを外す。

 巨乳と言うほどじゃないけど、中学生にしてはやや大きめの膨らみが、ぷるるんと柔らかそうに揺れている。

 ママからの遺伝だとすると、多分、これから成長するにつれてますます大きくなるに違いない。

 なけなしの勇気(かいしょう)を振り絞って、ボクはそこに手を伸ばした。


 「……ひっ、あふぅン!」


 掌に伝わるやわっこい感触と、胸から伝わる暖かい「さわられる感覚」に、つい声を上げてしまう。その声も、普段は似ても似つかないメゾソプラノだ。


 「これが……オッパイを揉まれる感触……」


 知らず自分がそう呟いたのにも気付かない程、ボクは目の前(目の下?)の光景に釘付けになっていた。


 こちらも本来の自分とは似ても似つかない、白く細くしなやかな五本の指を広げてあてがうのにちょうどいい大きさの膨らみ──それは、視覚的にも触感的にも抗いがたい誘惑だった。


 もし、下半身にいつもの“突起物”が付いていたなら、ソレは痛いほどに自己主張していたに違いない。


 しかし、股間ソコ逸物ソレは無く、代わりに生じた──いや、元からこの“体”に備わった秘裂がヌルヌルと湿り気を帯びてきたのが分かる。

 そして、それを自覚した途端に、その“ヌメり”がいっそう濃くなってきたことも。


 しばらく両脚をモジモジと内股に擦り合わせ耐えていたけど、やがて我慢できなくなって、ボクはパジャマの下をずり下ろし、右手をそっと太腿の合わせ目へと忍ばせたのだった。

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