青いおじちゃん

@aikawa_kennosuke

青いおじちゃん

私は幼少期を母方の祖母の家で過ごしました。


父と母と祖母と曾祖母と私の5人での生活でしたが、保育園で年長になった6歳のころからは祖母と曾祖母と別れて別の一軒家に住み始めたので、祖母の家で暮らした記憶はほとんど残っていません。


しかし、断片的な記憶はいくつかあります。

例えば、私は歯磨きが嫌いで、嫌がるのを無理やり父に歯を磨かれ、泣きわめいたこと。

祖母が畑で見つけてきたクワガタムシに指を挟まれて、あまりの痛さに泣き叫んだこと。

夜寝る前に祖母がヘンゼルとグレーテルの絵本を読んでくれたこと。

朝起きて、居間で5人一緒にテレビを見ながら朝食をとったこと。

平凡ですが、いろいろとあります。


その中で、私が最も忘れ得ぬ、祖母の家での不思議な記憶についてお話しさせていただきます。




定かではありませんが、あれはおそらく5歳くらいのことだったと思います。


その日は父と母と祖母は仕事に出ており、曾祖母と私だけが家にいました。

曾祖母は高齢のため、普段は2階の自室にいて、あまり1階に下りてくることはありませんでした。

そのため、私は一人で1階の居間でテレビを見て、作り置きのご飯を食べて留守番をしていました。


しかし5歳の子どもにとって、ずっと屋内で一人で遊び続けるのは大変退屈でした。

そこで、祖母の家には小さな庭がありましたから、そこへ出て遊ぼうと思いました。


玄関に向かい、靴を履こうとした時です。

右足の裏に痛みが走ったんです。


驚いて足の裏を見ると、針が刺さっていました。

どんな針だったかは思い出せません。

木の破片だったかもしれません。

とにかく、何か鋭利なものが足に刺さっていたんです。少し出血もしていました。


針を抜こうとするのですが、なかなか抜けません。

しかし、刺さったままでは痛くて歩かれませんから、半べそをかきながら針を抜こうとしていました。

なんだか大事になったような気がして、パニックになっていた記憶があります。


自分ではどうしても針が抜けず、曾祖母を呼びましたが、寝ていたのか下りてきてくれません。

途方にくれた私は、玄関先にあぐらをかくように座って泣いていました。



どれくらいそうしていたか分かりません。

祖母の家の玄関は引き戸になっていて、曇りガラスが張られていました。

いつの間にか、そのガラスに向こうに誰か立っていたんです。


その誰かの影は青っぽい不思議な色だったのを今でもはっきりと覚えています。


私は玄関をガラガラと開けました。

父や母ではないとなんとなく分かっていましたが、大人であることは分かったので、助けてもらおうと思ったんです。


その人が家に入ってくると、私のそばにしゃがみ込んできました。

知らない男の人でした。

当時の私の語彙だと、“おじちゃん”と呼べる感じの人でした。

そして、その人は薄い青色の、影というか、もやというか、光というか、空気というか、そんな形容しがたい不思議なものに包まれていました。

無表情で私を見つめてきましたが、怖くはなく、なぜか安心感を覚えました。


私は足に針が刺さったことを泣きながら伝えました。


すると、そのおじちゃんは私と同じようにあぐらをかいて座り、私を後ろから抱きかかえるようにして足の上に乗せました。

頭を撫でられたような気もします。

何か言われて、大人の低い声を感じたような気もします。

はっきりとは覚えていませんが、なんだか安心して、身を任せていました。

青っぽい光に自分も包まれていました。

子どもながらに“このおじちゃんは自分と遊んでくれてるんだ”という漠然とした思いもありました。



気が付くと、その青いおじちゃんはいなくなっていました。

そして、足の痛みもなくなっていました。

足の裏に刺さっていた針はなくなっていて、薄く血がにじんでいる傷だけが残っていました。

歩いても痛みはなく、その後は普通に遊んで過ごすことができました、



これが、青いおじちゃんを見た最初の記憶です。


そして、もう一つ、このおじちゃんを見た記憶が残っています。


これも、おそらく5歳ころ、まだ祖母の家に住んでいた時のことです。


祖母の家には2階にベランダがあり、そこで洗濯物を干していました。

母が洗濯物を持って2階に上がると、私もついて行って、ベランダの空気を味わったり、その高さから見える近くの家々を眺めたりしていました。


危ないので、一人でベランダへ出ることは許されていなかったのですが、その日は一人でベランダに出ていました。

なぜ一人でベランダに出ることができたのかは覚えていません。

偶然ベランダの窓が開いていたのでしょう。


ベランダの手すりの間から周りを眺めていて、もっと高いところから眺めたいと思った私は、手すりの上によじ登ろうとしました。

しかし、なかなか登れないので、ベランダに置かれていた室外機を利用しようと考えました。

まず、室外機の上になんとかよじ登り、手すりの上に腰かけることができました。


もっと高いところから見たい、そう思った私は手すりの上に立ち上がろうとしました。

しかし、うまくバランスをとれるわけもありませんでした。


ベランダの下には庭があったのですが、私はそこへ背中から落っこちてしまったんです。


体がふわっと浮いて、落ちていくのが分かりました。


幼いながら、自分の体にこれからもたらされる衝撃と痛みを予期し、目を閉じて体をこわばらせました。


しかし、その衝撃や痛みはいつまでたってもやってきません。


私が目を開けると、誰かに抱きかかえられていました。


あの、青いおじちゃんでした。


おじちゃんはまた私を無表情に見つめていました。

何か言われたかもしれませんが、覚えていません。


長い間抱きかかえられていたような気もします。


気が付くと、私は庭の真ん中にあお向けで倒れていました。

体はどこも痛くありませんでしたが、たった今自分の身に及びそうになった危険を顧み、思わず泣いてしまいました。


父と母と祖母が駆け付け、私が二階から落ちたと言うと、その後は大騒ぎでした。


救急車まで呼ばれましたが、結局どこも異常なし。


父にこっぴどく叱られただけで済みました。




これらが、私が忘れることのできない、祖母の家での記憶です。


その時は、青いおじちゃんのことは誰にも言いませんでした。

なぜだかうまく言えませんが、あの時感じた安心感や優しさは、親類の人へ感じるものに近いものがありました。

自分の中では、非日常なこととして感じなかったんだと思います。




この“青いおじちゃん”のことは、長いこと思い出さずにいました。


思い出すことになったのは、小学校3年生か4年生のころです。


たしか、「ほんとにあった怖い話」、いわゆる「ほんこわ」をテレビで見ていた時です。


あの番組って、投稿された怖い話のドラマを流して、それに出てくる怪奇現象とか霊について、霊能者の人が解説していくんですけど、

その解説の中でこんな話がありました。



幽霊は、特に心霊写真等で、色を伴って現れることがある。

おおまかに、黒や赤は悪い霊、白や青は善い霊、と判定できる。



その話を聞いた時、あのおじちゃんのことを思い出したんです。

あのおじちゃんは青でした。

もしかすると幽霊だったんじゃないか、そう思うとヒヤリとするものがありましたが、

善い霊が青を発するのなら、おじちゃんは幽霊だとしても善い霊だということになります。


その日はそれ以上は考えませんでした。



そして、それから少し経った日。

母に連れられてお墓参りに行った帰りでした。


ふと疑問に思った私は母に問いかけました。

母方の祖母の家には祖父がいませんでした。

はっきりとは覚えていませんが、おじいちゃんはもう死んでしまったのか、そんなことを聞いたんだと思います。


母はこんなことを言いました。


「おじいちゃんはね。

あんたが生まれる半年くらい前かな。

それくらいに亡くなったの。

あんたが生まれるってことも伝えて、おじいちゃん大喜びしてたんだけどね。

車の事故に遭ってね。大けがで助からなかったの。

おじいちゃん、残念だったろうね。

生まれてくるあんたに会いたかったろうにね。」


そして、祖父の写真を見せてもらいました。

厳格そうな顔をしていましたが、私が生まれてくるのを楽しみにしてくれていたのを思うと、

自然と優しそうな人に見えました。




あの“青いおじちゃん”の顔ははっきりとは覚えていませんが、きっと母方の祖父だったんだろうと、そう思いました。

生まれる前から私のことを愛してくれて、そして危なっかしい私を見ていられず守ってくれたんだと思うと、なんとも言えない、悲しみに似た愛おしさがこみ上げてきました。

そして、あの青いおじちゃんに抱かれていた時の優しさや安心感を思い出しました。



生きていたおじいちゃんに会って見たかったなあ、と思いました。

次にお墓参りに行く時は、その思いと感謝を伝えようと思いました。



母が運転する車の心地よい振動を感じる中、私は気づかれないように涙を拭いました。



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