第10章—1
先日唐突に開いたこの巨大な穴は、底の見えない深い深い穴だった。直径も何キロにも及んでいて、ここにあったはずの山が一つ丸々なくなってしまったほどだ。俺が住んでいた街のほど近いところで発生したこの未曾有の大災害は当然全国ニュースとなって騒がれて、海外からも調査団が派遣されて連日連夜の大騒ぎだった。
バイクから降りてそんな穴の淵まで近づいていく。当然周りは立ち入り禁止処置がされていて、全面封鎖されてはいるのだが、いかんせん広すぎるせいでその全ての面をカバーできているわけではない。俺たちは割と簡単に立ち入り禁止のテープを越えることができていた。
「ニュースで言ってた通り、底の方は何も見えないわね」
「そうだな。……落ちるなよ?」
「落ちるわけないじゃない、小学生じゃあるまいし」
そう言いながら穴の淵ギリギリまで近づいていく彼女に、俺は一抹の不安を覚えた。あまりその穴に近づくのはよくない気がしていた。
「……何にも見えないし、帰ろうぜ。見つかって怒られるのも面白くないし」
「もうちょっと近くで見ててもいいじゃない。どうせ誰もいないし、見つかりっこないわよ」
何も見えない穴の何がそんなに気になるのだろうか。
そう思った矢先、彼女がバランスを崩した。穴の淵が欠けたのだ。
「あっ——」
まるでスローモーションのように、ゆっくり穴の方へ倒れていく。俺は考えるまもなく駆け出して、彼女の腕を掴んだ。
だが、人間一人の体重はなんの準備もなく咄嗟に支えられるほど軽くはなかった。
俺と彼女は、一緒に穴の中へと落ちていった。
あれから数日が経って、俺は病院を退院した。思った通り何箇所か骨折したりしていて割と重症だったのだが、魔法のおかげで早めの退院と相なった。魔法の力ってすげー。
まぁ物語やゲームの中みたいに一瞬で治ったりするわけではないので、怪我が治るまでは安静にしていなければならなかった。当たり前ではあるのだが。
入院中、面会時間の大半は誰かしら俺の部屋にいた。一番長くいたのは間違いなくフィオナだったな。暇なのか? あいつ。……いやまぁ、俺のことを心配してくれてたってのはわかってるよ。うん。
その次に、俺よりも重症だったくせに超技術のナノマシンとかいう科学力で、さっさと傷を治して俺より先に退院したラドフォードが長く居座っていた。そのナノマシンとかいうので俺の傷も治したりできないのかと聞いたが
「人体にどんな影響が出るか予測できないから、お勧めできない」
と言われてしまった。そんなこと言われたら大人しく普通に治療を受けるしかない。まぁさっきも言ったが、魔法のおかげで普通よりもずいぶん早く退院させてもらっているのだが。
サクライ先輩やフルトは来たり来なかったり。サクライ先輩は何をしているのか知らないが、フルトからは
「あんな怪物が出るとは、正直考えてもいませんでした。今僕たちの組織では今後の対応について話し合ってる最中でして。僕もその関係でこの数日結構忙しいんですよ」
なんて話を聞かされていた。
けれども俺はフルトたちの組織がどこで何をしてるかなんて知らないので、そうかそれは大変だな、なんていう月並みな返事しかできなかったが。まあフルトからしたら返事なんてなんでもよかったんだろうし、別に返事をしてもらわなくてもよかったのかもしれないし、その辺りはよくわからないが、肩をすくめて「全く、困ったものです」なんて苦笑いしていた。その姿だけ見たら割と余裕そうに見えなくもなかったが、実際のところどうなんだろうな。
そんなこんなで、俺は病院を退院してからとりあえずの日常に戻ってきていた。入院中に聞いたが、幸いにも俺の実家とかフィオナの実家とかは無事だったらしく、特に被害もなさそうだった。被害を受けた街は今急ピッチで再建を進めているらしい。俺たちももしかしたら奉仕活動とかの名目で駆り出されるかもしれないが、今のところ俺は何も聞いていない。
「しっかしお前、あんなのと戦ってよく無事で帰ってきたな。軍の広報官が態々学校に伝達に来たときにはマジで驚いたぜ」
教室で昼飯をつつきながら、テレンスが言った。なんだかこいつと飯を食うのも久々な気がするな。
「無事じゃない。死にかけたんだぞ」
「生きて帰ってきてくれて本当によかったよ」
「ありがとな。もう二度とあんなことしたくない」
マーロンに礼を言って昼飯を口に運ぶ。
全く、自分から志願したこととはいえあんなことは二度とごめんだ。まぁ二度目があっても困るのだが。あれっきりにしてもらいたい。
「お前と、ラドフォードが迎撃したんだろ? よくやるぜ。素直にすげーよ」
「これを使えるやつしかできないっていうんだから仕方なくだよ。本当はできることなら誰かに代わってもらいたかった」
「まぁそりゃあね。誰だって死にたくないもんね」
そこでテレンスが教室をキョロキョロと見回す。何かを確認しているのか、満足そうに一回頷いた。
「それにしても、俺はああいう場面なら真っ先にアインスタインが飛び出ていくと思ってたんだがよ。なんであいつ出なかったんだ?」
言葉に詰まる。説明しようにも、フィオナの個人的な話の内容になるし、そもそも説明するのも結構難しいというか、したくないというか。フィオナの代わりに俺が出たからだ、なんて言ったって理由を聞かれるだろうし、それはそれで恥ずかしいことをラドフォードに口走った気もするのであまり答えたくはない。
なんて考えて答えを言いあぐねていると、胸元からピリリリ、ピリリリ、と何かの音がなった。
「シャン、何か鳴ってるよ? ディスクのアラーム?」
「いや、俺のディスクは壊れてるからアラームなんて鳴るはずが……あっ」
言いつつ胸元のポケットを探っていると、一つの四角く固い物体に指が引っかかった。これ、すっかり存在を忘れていたな。どうせ使うことはないだろうと思っていたから制服のポケットに入れたままだった。
「悪い、ちょっと席を外す」
「あいよー」
俺は昼飯を置いて廊下に出ると、人気のないところまで移動する。周りをチラッと見て誰もいないことを確認すると、胸ポケットから携帯電話を取り出して通話ボタンを押した。
別に見られても良かったんだろうが、なんとなく気が引けてこんなところまで出てしまった。
『お忙しいところ申し訳ありません。今お時間大丈夫でしょうか?』
「昼飯食ってただけだからな。別に大丈夫だが。態々携帯を使って連絡してくるなんてなんの用事だ?」
『携帯はせっかくなので使ってみただけです』
「おい」
『ふふっ……冗談です。まぁあなたに用事があるのは本当です。これから共有談話室に来てくださいますか? お話ししたいことがあります』
フルトからの突然の呼び出しに若干困惑する。別に話があるならこんな呼び出しの仕方をしなくても、どうせ放課後はいつものように談話室に集まるのだからそこで話せばいいのに。
だからといって断る理由もないのだが。
「わかった。昼飯食ってからでいいか?」
『構いませんよ。僕もまだ食べてませんしね。それでは後ほど』
「ああ」
そこで通話がぷつりと切れた。
フルトが俺に用事って、なんなんだろうないったい。
昼飯を食べ終えてから談話室に行くと、すでにフルトが待っていた。
「すみません、お忙しいところを」
「別に飯食ってただけだからな」
フルトの対面のソファーに座る。
「それで、話ってなんだ?」
態々俺を呼び出してなんの話があるというのだろうか。フルトが異世界人だという話はこの間聞いた。それ以外に、俺個人を呼び出して話がしたいことってなんなんだ。
「我々組織の間で決定したことを伝えておこうと思いまして。それと個人的なことが少々」
「なんだそりゃ。お前たちの組織の決定と俺になんか関係があるのか?」
フィオナの近くにいるために俺と仲良くしておきたい、なんて話は前に聞いたが、それ以外に何かあると言うのだろうか。
「いえ、それほど関係はないのですが。これはまぁ、僕が個人的に伝えておいた方がいいかなと思っただけです」
「個人的に?」
「ええ。以前に、組織には地球——僕たちの元いた世界に帰りたがっている人たちが多数いると言う話をしましたね。覚えていますか?」
「そうだな。そのためにフィオナの力を利用したい、って考えだったんだろ?」
「その通りです。その人たちの思いが、壊獣の出現でより大きなものとなった。アインスタインさんの力をもっと直接的に行使してもらい、元いた世界に返してもらうことはできないか、と唱える人たちが多数派を占めたわけですね」
そう言うとフルトは肩をすくめた。
「以前は間接的に接触していき、いずれ元いた世界に帰れるようにしてもらう、といったような長期的なスパンで考えていました。ですが、壊獣の出現がよほど恐ろしかったのでしょう。アインスタインさんの不況を買ってどうにもならなくなってしまうからと、そう考えて避けていた直接的な接触と説得による力の行使を求める人たちがとても多くなった」
そりゃまあ、気持ちは分からんでもない。少なくとも地球にはあんな化け物はいないし、あんなのに襲われてこんなところで死ぬなんてごめんだ! なんて思う奴がたくさんいたって不思議ではない。
「で、フィオナに直接お願いしにいくことにしたのか?」
「上層部はそう考えています。……僕もあの壊獣を見て、そういう気持ちにならなかったといえば嘘になりますね」
フルトは首から下げていたディスクを弄る。その顔は悩んでいるように見えた。
「前にも言いましたが、僕は普通の学生でした。僕が元いた世界ではあんな怪物なんていませんでした。それが、たまたまあの怪物を倒す適性があるから戦ってくれ……だなんて、そんなことを言われても困ります。僕には荷が重い」
「そりゃそうだ」
俺がそう返すと、フルトは思わずと言った笑みを漏らした。
「ふふっ……その状況で見事壊獣を倒してみせたあなたに、そんなに軽く返事を返されると僕の立つ瀬がないと言いますか……。とにかく、僕も上層部や直接的な手段を取るべきと言っている人たちの気持ちも理解できるんです」
「フィオナに直接何かするのか?」
まさか拉致監禁のような犯罪的なことはしないと思うが、直接的な手段なんて言うからにはフィオナに直接何かするのだろう。宥めすかして言葉巧みに誘導するとか……俺には初対面の相手に誘導されるフィオナの想像がつかないが。
だが、俺の質問にフルトは首を横に振った。
「いえ、ギリギリのところで現状維持が決まりました。壊獣が今後継続的に出現するか不透明な状況で、無理に行動を起こすにはリスクが高いという最終的な判断です」
「そうか。まぁいきなりフィオナのところに行って『私たちは異世界人なんです。元の世界に返してください』なんて言ったところで相手にされないと思うけどな」
「流石にもう少し捻っていくと思いますけど、あなたの言っていること自体には同意です。ただでさえ壊獣の出現で混乱しているところです。簡単にことが運ぶとは思えませんからね」
壊獣が出ていなかったとしても似たようなもんだと思うが。まぁその時はそもそも強引に行こうなんて意見はなかったわけか。
「それで、個人的な話の方はなんだったんだ?」
「それは……先ほど話した中にも入っていたのですが、僕自身も悩んでいるんですよ」
「帰る帰らないの話か?」
フルトが頷く。窓の外から学生の声らしきものが部屋に響いた。
「ええ。僕はこの世界のことを割と気に入っています。……これは前にも言いましたね。ですが、それはこの国が、この世界が比較的平和で生活するのにそれほど不自由しなかったからです。今は状況が変わってしまいました」
「壊獣のせいで?」
「その通りです。元々この世界の人間であるあなたに、こんなことを言うのは間違っていると思います。ですが、すでにこの世界は平和な場所ではなくなった」
あんな怪物が出たらそう思ってもおかしくはない。壊獣があの一体だけだとは誰にも保証はできない。何せ今まであんなものが出てきたことは無かったのだから。
……ああいや、ラドフォードのいた時代にも出てきていたのか。ラドフォードなら壊獣が後何体いるかとかわかるのだろうか。もしかしたらサクライ先輩も知ってるかもしれないな。後で聞いてみようかな。
「平和な世界に戻れるかもしれない手段が目の前にある。心が揺らいでくるとは思いませんか?」
「……気持ちは分からんでもない」
「元々この世界の住人ではない僕には、この世界のために戦う義務は無い。死んでしまう前に平和な元の世界に帰りたい……と思う僕も僕の中にはいるわけです」
フルトは座っていたソファから立ち上がると、窓へと近づいて行った。
「ただ、僕たちの持つこのエンペドクレスが壊獣と戦うことのできる唯一の手段だと言われると、それを持っているのに逃げ出してしまうというのは大変に寝覚めが悪い」
「寝覚め?」
「ええ。どうしてあそこで逃げ出してしまったんだ。あの世界にいた人たちはどうなったんだ……そう考えてしまって、とても気になってしまうと思うんですよね」
「読んでる途中で投げ出してしまった漫画雑誌みたいにか?」
「ふふっ……何なんですか、その例え。まぁでも、言い得て妙かもしれませんね」
「そりゃ大変だ。気になって仕方なくなるな」
「そうですね。大変なことです……ですから、僕は僕の持てる力を尽くしてみようと思っています。英雄願望とは小さい頃に、別れを済ませていたはずだったんですけどね」
窓の外を見つめるフルト。悩んでいる、と言っていた割には自分なりの結論が出ているんだが。
「悩んでるって言ってた割には、答えが出てるじゃないか」
俺の言葉にフルトは振り返る。顔に苦笑を浮かべて、それから天井を仰いだ。
「誰かに話を聞いて欲しかっただけかもしれません。自分でも驚きですが、口に出したらスッキリしたんですよ。ここに来るまで悩んでいたのは本当ですよ?」
「まぁ、悩みが解消したのならよかった。俺の貴重な昼休みを使った甲斐があったってもんだ」
冗談まじりにそう返す。フルトはもう一度視線を俺に向けてきた。
「まったくです。どうやらもうそろそろ、午後の授業が始まる時間みたいですよ。僕の話に付き合ってくれてありがとうございました」
時計を見ると確かにそんな時間だった。
俺は立ち上がると、談話室のドアに向かって歩き出した。
「大切なものを間違えないようにしたいものですね」
「……そうだな」
ぽつりと呟いたフルトの声を背中に受けながら、俺は談話室を出て行った。
エンペドクレスが壊れてしまっている。
透明な賢者の石が嵌め込まれたディスクを眺める。
その日の授業を終え、談話室に集まっている折に手持ち無沙汰だった俺は壊れたエンペドクレスをくるくると弄んでいた。
正直このディスクにいい思い出なんて一つもないので壊れたままでいいのだが、たぶんそうはいかないだろう。俺の心情より、軍の都合が優先だ。
「あんたディスクずっと眺めてるけど、それどうするわけ?」
次に部隊で何をしようか、なんて云々考えていたフィオナが俺に話しかけてきた。この間はなんだかんだ弱った姿を見せていたように思うが、もうすっかり元通りになっていた。
「別にどうしようとかも考えてない。そもそも俺じゃ直すに直せないしな」
直したくもないし。
「そんな君に朗報だぜ、シャン君!」
「あ、知らせなくていいです大丈夫です」
突然明るい声で朗報だぜ! なんて言い出したサクライ先輩に反射的にそう返す。絶対朗報なんかじゃない。間違いない!
「そんなこと言うなよ、泣いちゃうぜ?」
ススス、と俺に擦り寄ってきながら悲しげな声を出すサクライ先輩。俺は背筋に薄寒いものを感じて咄嗟に身をかわした。そんな俺をフィオナがジーっと見つめてくる。
「な、なんなんですかサクライ先輩……急に寄ってこないでくださいよ」
「シャン君が連れないこと言うからさ。で、朗報の内容なんだけど」
「知らせてこなくていいって言ったじゃないですか」
「軍からエンペドクレスの修理と調整の話が来てるぜ。明日の放課後、駐屯地に来てくれってさ」
「問答無用で喋りましたね!」
「あったりまえだろー僕は生徒会副会長様だぜ?」
「まったく関係ないと思うんですけど!?」
俺にはいまだにサクライ先輩という人がどんな人なのか掴めない。この人本当にループがどうとか悩んでるのか? 普段の言動からするとまったくそうは見えないんだが。
「あんたら、仲良いわね」
呆れたようにフィオナが漏らす。そうかフィオナ、お前の目にはそう見えるのか。
「別によくないぞ」
「あ、酷いなシャン君。……まぁ、明日の放課後駐屯地に行ってあげてよね。カレナちゃんも一緒に連れてってあげてね。彼女も呼ばれてるんだ」
「はぁ……了解です。ラドフォード、そういうことだから明日放課後よろしくな」
ソファの端っこで本を読んでいたラドフォードに声をかけると、微かに頷いた。了解したということでいいんだろう。
「ま、ちゃんと直してもらったらいいじゃない。あんたの専用機、壊れたままじゃ宝の持ち腐れだわ」
その言葉の使い方は少し間違ってるんじゃないでしょうかフィオナさんや。
翌日の放課後。
俺とラドフォードは言われた通りに駐屯地に来ていた。
来た要件を聞かれたのでエンペドクレスの調整に来たと告げると、駐屯地の中に通された。待合室のような場所に通され「ここで少しお待ちください」なんて言われたのでおとなしく待つこと十分ほど。
どかどかとうるさい足音と聞きなれたようでもう聞きたくもなかった声が聞こえてきた。
「私の最高傑作を壊したというのかね君は!」
ドアを壊しそうな勢いで開けて中に入ってきたのは、ついこの間までお世話になったりお世話をしたりしたようなしてないような、あまり思い出したくない記憶を俺に植え付けてきたエンペドクレスの開発者、ジェームズ・サーティス博士だった。
ズカズカと不機嫌さを隠そうともせずに部屋の中央までやってくると、俺たちが座っていたソファのテーブルを挟んで対面に腰を下ろした。その博士に続いて何名かの研究者らしき人たちが入ってくる。
「お久しぶりです、ドクター」
とりあえず挨拶をしておく。別に久しぶりというほど会っていないわけでもないが、まぁ挨拶は社会人の基本だろう。俺はまだ社会人ではないが。
「挨拶などどうでもいい! どうして壊したのかね!?」
どうやら社会人的には挨拶なんてどうでもいいらしい。……この博士を社会人としてカウントする方がおかしかったのか。
「ドクター、それは報告書をお渡ししたはずですが」
ついて来ていた研究者らしき人たちのうちの一人がそんなことを言う。報告書か。そうか、普通に考えたらあんな出来事なんだから報告書くらいあるよな。
「私は紙に書かれた報告書ではなく、実際に使って壊した本人から話を聞きたいのだ! それで、どうして壊したのかね!?」
テーブル越しに詰め寄ってくる博士に、俺は思わず背筋を逸らして逃げようとする。が、ソファの背もたれに当たってしまい、それ以上博士から離れることはできなかった。
「どうしてもこうしても、オーバーヒートしたんですが」
それ以上でもそれ以下でもない。魔法の使用に耐えられなくなって壊れたのだ。
「それは報告書で読んだ! だが信じられん! エンペドクレスは核の四機同調を実現した今考えられる理論上最高のディスクだ! 世に普及している通常のディスクの単純に言って四倍の性能を誇る! 完璧な同調を行えばそれ以上だ! それが、オーバーヒートだと!?」
「信じられないとか言われても、そうなったんだから仕方ないじゃないですか」
「君はフィオナ・アインスタインのような類稀なる魔法の才能を持っているわけではあるまい。隣に座っているカレナ・ラドフォードのように完璧に同調させてみせたわけでもない。それなのに何故?」
「そんなこと言われても分かりませんよ。それを研究するのがあなたの役目なんじゃないですか?」
しつこく言い募る博士に思わずそう返す。俺に言われたってわからないものはわからないのだ。
「……その通りだ! だから今日ここに来たのだ。エンペドクレスを渡したまえ。修理と調整をする」
俺の言葉が博士の何に触れたのかはわからないが、なぜか冷静になった博士が手を差し出してくる。エンペドクレスを渡せと言うことだろう。
俺は首から下げていたエンペドクレスを外すと、そのまま博士の手に渡した。ラドフォードも俺の隣でエンペドクレスを外し、博士に渡す。
「というか、とても今更なんですが、どうして俺が入院してる間に修理とか調整とかしなかったんですか?」
ふと疑問に思ったことを口にする。
病室にそのまま置いてあったから当然のように退院してからも持ち歩いていたが、そもそも俺が入院している間に修理ないし調整をしておけばよかったのでは? 態々今更呼び出したりしなくても、手間は省けたはずだが。
俺の疑問に博士が答えた。
「経過観察だ」
「経過観察?」
なんだ? どういうことだ。
「エンペドクレスは歴史上初めて物質の元になる『万物のもと』から作り出した賢者の石を組み込んでいる。故障した状態から賢者の石の効果で何か変化があるのか、何もないのか。それを調べるために今まで手を加えていなかったのだ」
なんだそりゃ。勝手に直ったりするのか?
「……まぁそう言う話は俺にはよく分かりませんが。どれくらいで直るんですか?」
「わからん。だが今日中には直る」
わからんのに断言するとはこれ如何に。マッドだしな……。
博士はさっと立ち上がる。「研究室に持って行っておけ」と研究員にエンペドクレスを渡した。受け取った研究員は部屋を出て行った。
「エンペドクレスの修理調整が終わるまで君たちはこの駐屯地に待機だ。もしかしたら修理中に呼び出すかもしれん。これは軍から正式に出ている命令だ」
「あ、そうなんですか。分かりました」
正直エンペドクレスを渡したらさっさと帰れると思ってた。やることないしな。
しかし、待機か……修理が終わるまで暇だな。というかどれくらいかかるんだろうな、実際。俺は何時まで待機してればいいんだ?
「では私はもう行く」
博士はそう言うと、先に出て行っていた研究員に続いて部屋を出る。部屋には俺とラドフォードだけが残された。
……いやマジで俺何時までここにいればいいんだ?
……手持ち無沙汰だ。何もすることがない。でも何時に終わるかわからないし、終わるまでここにいなければならないと命令されてしまっている。
本の一冊でもないのはマジでどうやって時間を潰せばいいのかわからない。この部屋にも最低限の調度品しかなくて、そういう娯楽的なものは一切置いていない。ラドフォードに一言言ってちょっと部屋でも出るか? どっちか一人でも残ってれば問題ないだろ。たぶん。
ラドフォードの方に視線を向けると、どこから持ち込んだのかわからない文庫本を読んでいた。談話室にいるときと変わらないな。過ごし方が。……というかその本、どこから持ち込んだんだ? 制服にでも入れてたのか? 俺と一緒にここにきた時は手に持ってなかっただろ?
「ラドフォード、もう一冊本持ってないか?」
なんとなく聞いてみた。持ってたら御の字だ。暇つぶしになるかもしれないし。
「持っていない」
本から視線をスッと上げて告げてくるラドフォード。
そうか、持ってないか……。まぁ持ってないものは仕方ないな。残念だけれども。
暇潰しの手段が一つなくなっただけだ。なくなったというか、元々なかったのだから現状に変わりがないだけだな。
ラドフォードは相変わらずの無機質な紫の瞳を俺に向けてきている。最近はなんだかこの無機質な瞳から、ラドフォードが何を考えているのかがちょっとだけわかるようになってきた気がする。気がするだけかもしれないが。最初よりは慣れてきたということだ。
その俺の観察眼からするに、今のラドフォードは……暇そうだな。俺と同じか。
——この間の話を詳しく聞いてみるか。
ラドフォードの瞳を見ながらそう考えついた。
ラドフォードが三千年前に作られたアンドロイドだという話は聞いた。作られた目的も聞いたし、なんだかものすごい技術で怪我が治っていくのも見た。
だから、そうだな……三千年前の文明がどんなものだったか、という話も聞いてみたい気もする。あの遺跡からするに、俺の記憶にある日本と似たような技術力があった文明だとは思うんだが。
「なぁ、ラドフォード」
「なに?」
「三千年前の文明がどんなのだったか教えてくれないか?」
「わかった。何が聞きたい?」
ラドフォードは読んでいた本を閉じると、姿勢をこちらに向けてきた。
何が聞きたい、か。これといって特定のものが聞きたいわけではないんだが。全体的にどんな感じだったかが聞ければいいんだよな。
「どんな文化だったとか、どんな技術があっただとか、どんな人が住んでただとか。なんだろうな……こう、全体的な? ことについて聞いてみたい」
「そう。情報を整理するから少し待って」
「時間はまだまだありそうだし、ゆっくりでいいぞ」
ラドフォードが頷いた。
「私が製造された国は——」
それからラドフォードの口から語られたのは、俺にとってなかなかに衝撃的な話だった。
「テレビ、車、飛行機、パソコン、スマートフォン、タブレット。VR技術の台頭とAIの開発競争。ロボット技術の開発に、宇宙開発?」
どれもこれも、前世の記憶で聞いたことのあるような話だ。デジタル技術的なものの発展が著しかったらしい。やはり人間の文明というものは、発展していけばそういう形になっていくのだろう。だが、それよりももっと俺が衝撃を受けた話があった。
「ラドフォードは日本で作られたのか?」
「そう。GAFAなどの企業からの技術提供受けた日本の研究所で、世界初の自立型AIを搭載した対壊獣撃滅用のアンドロイドとして製作された」
日本。日本だ。この世界に、日本という国があったというのだ。しかもその国は、ラドフォードの話を聞く限りでは俺の記憶の中にある日本とほぼ一緒だ。縦長の国土があって、一億を超える人が住んでいて、資源に乏しく、技術力はある。大戦に負けてからは戦争をする手段を放棄したというところも一緒で、壊獣が現れるまでは戦いとは無縁な平和な国だった、と。
日本という国どころか、世界の情勢も俺の記憶にあるものと似ていた。細かいところまではもう覚えていないが、確かにそうだ。
どういうことだ? なんでこの世界の過去の話が、前世の記憶と似ている?
もしや俺の記憶っていうのは、この世界の三千年前に生きていた人の記憶なのか? いやでも、俺の記憶に壊獣なんてものはなかったぞ?
いやまて——本当にそうか?
「三千年前、突如として日本に巨大な穴が開いた。底がどこまで達しているかが計測できず、面積は北海道にあった屈斜路湖ほどの大きさだった。この穴は現在、この帝国の北側に存在する穴と同一のものと思われる」
「……それはおかしくないか? 帝国の形は、ラドフォードの言っていた日本みたいに縦長の細長い国じゃない。ということは、位置が違うということだろ?」
「文明の崩壊後に大きな地殻変動があったと推測される。大陸の形が三千年前の地形と一致していない」
「そんなことあり得るのか?」
地殻変動なんて、何万とか何億とかって時間をかけて徐々に起こるものだろ? 違ったか?
「実際起こっている。私は否定する根拠を持たない」
「……その、ラドフォードの作られた国とか文明っていうのは、壊獣に滅ぼされたのか?」
ラドフォードの話で若干混乱した頭で、そんなことを聞く。明らかにこの時代よりも進んだ文明だった日本含めた国が、前時代の文明とか呼ばれてほとんど残っていないのだ。そこには何かしらの原因があったはずだろう。
「原因の一端だったことは間違いない。でも厳密には違う」
「原因の一端だったけど、厳密には違う?」
「そう。壊獣は確かに街を破壊した。でも、いくら巨大な生物とはいえ、壊獣の力のみでは世界は壊れない。そこにはもっと別の原因があった」
確かに、そうかもしれない。いくら大きな怪物で、口から光線を放つような意味のわからない力を持っていたとしても、それだけで世界が滅びるなんてことはないはずだ。万物のもとの力を利用しなければ倒せないとして、じゃあ三千年前の文明に万物のもとを利用した兵器がなかったかと言われるとそうではないのだろう。そうれなければラドフォードがそのことを知っているのはおかしい。
壊獣は世界の崩壊に関わっているが、直接壊獣が原因で崩壊したわけではない?
「壊獣と万物のもと。それと——」
ラドフォードが何かを言いかけた時、急に俺たちのいる部屋のドアが開いた。
「暇してるだろうと思ってカードゲーム持ってきたぜ」
部屋に入ってきた人——サクライ先輩は俺たちの向かいのソファに腰掛けながら、持ってきたと言ったカードをテーブルの上に置いた。
「サクライ先輩。どうしてここに?」
急に部屋に来たサクライ先輩に尋ねる。
サクライ先輩が来たせいでラドフォードの話が中断されてしまったが、まぁ仕方ないだろう。あとでまた聞けるしな。
「さっきも言ったじゃん。暇してるだろうなって思ってさ」
「まぁそれはその通りですが」
「ま、せっかく持ってきたんだしカードゲームしようぜ? どうせまだまだ時間はかかるし」
そう言ってサクライ先輩はカードをシャッフルし、俺とラドフォードの前に配る。
本当に暇つぶしに来ただけなのだろうか? 何か用事があってきたわけじゃないのか。
「サクライ先輩は修理が何時ごろに終わるか知ってるんですか?」
「いつもの通りなら夜までかかるよ。その後壊獣が出てくる」
「そうですか。壊獣がまた……は?」
あまりにサラッと言われすぎて、一瞬反応ができなかった。
この人今なんて言った? 壊獣が出てくる? また?
「え……あの……またあんなのが出てくるんですか?」
「そうだね。まだ彼らは目的を達成していないし、僕の知る未来では出てきたぜ」
目的? あんな壊獣に目的があるっていうのか? やっぱり、世界を滅ぼすのが目的なのか? だがラドフォードは直接の原因ではないというようなことを言った。いったいなんなんだ? それに、どうしてこの人はこんなに落ち着いていられるんだ?
俺なんてまた壊獣が出てくるって聞いただけで、尊像が早鐘を打ってるっていうのに。
「なんでそんなに落ち着いていられるんですか。またあんなのが出てくるっていうのに」
「僕からしたらいつも通りのことだからね。今更慌てるなんてことないよ。それに慌てたって僕みたいな普通の魔法使いにはなんにもできないし? 慌てるだけ無駄だぜ」
カードを配り終えたサクライ先輩は自分の手札を見て「お、ラッキー」なんてはしゃいでいる。やっぱこの人おかしいんじゃないか?
……はぁ。いや、サクライ先輩のいう通りでもあるな。慌てるだけ無駄だっていうのはそうだ。まだ壊獣が出たわけでもないし、慌てたところで事態が変わるわけでも、ましてや好転するなんてことはないわけで。
そう考えると気持ちも少し落ち着いて、俺は配られたカードを手に取った。なかなかの手札だ。
「サクライ先輩」
「なにかな?」
「壊獣の目的ってなんですか」
「壊獣の目的はこの世界をリセットすること、かな」
「リセット?」
なんだそれは。リセットっていうことは、何か? この世界をやり直すってことか?
「リセットってどういうことですか」
「その言葉通りの意味だよ。今あるこの世界を一度消して、またやり直すってこと」
「なんですか、それ。なんの意味があってそんなことを……」
「さぁね。流石の僕もそんなことまでは知らないよ」
ラドフォードもカードを手に取り、ゲームが始まる。俺は手札から場にカードを一枚出した。
「リセットって、どうやってやるんですか。確かに壊獣は巨大な生物でしたが、それでもあの規模で世界を破壊し尽くすなんてことは無理でしょう? 現にこの間の一体は俺たちに倒されてる」
「直接破壊するわけじゃないよ。彼らは万物のもとに触れることによって世界をリセットできるのさ」
サクライ先輩もカードを一枚場に出し、ラドフォードの番になった。
万物のもとに触れるとリセットできる? またそれは、なんなんだろうな。
「どうしてそんなことが」
「さぁ? でも僕は実際そうなるところを見たことがあるし。彼らがどうして世界をリセットしようとしているのかは知らないけど、やろうとしてることは今言った通りだよ」
ループしてる中で、そういう光景を見たことがあるってことか。それにしても、ならばなぜこの国に現れるんだ?
「なんでこの国に出てくるんですか? というかどうしてこの街に」
「そりゃこの街に万物のもとがあるからさ。より正確に言えばこの建物の真下にね」
「は?」
え、何それ。初耳なんですが。というか初耳な情報ばっかりだが。
「いや、あの……なんでここにあるんですか?」
「あれ? ドクター・サーティスから聞いてない? 大穴を発掘調査したときに万物のもとを見つけたって」
……思い返せば、エンペドクレスの実験の時にそんな感じのことを言っていた気がする。
「その時にここに運び込んだのさ。だって、手元にないと研究に不便だろ? そのおかげでエンペドクレスだって安定して起動できるようになったわけだし」
「それは、そうかもしれませんが」
なんたってそんな危ないもんを運び込んできてるんだ。それがなければ壊獣だってこの街に現れなかったかもしれないだろ。
——いや、その当時は壊獣が出てくるなんてわかるはずもないか。そりゃそうだよな。
「だから壊獣はこの建物を目指してやってくるのさ。まぁ知能自体は高くないから、この間みたいに誘導に引っかかったりはするけど。最終的な目的地はここにある万物のもとだぜ」
ラドフォードはカードを二枚出し、また俺の番が回ってきた。
ラドフォードの言っていた、文明が崩壊した理由っていうのは、壊獣が万物のもとに触れたからか? それで世界がリセットされた結果、文明が滅びた? だが、ラドフォードは壊獣は原因の一端だった、としか言っていない。
一体、三千年前に何があったんだ? そしてこれから何が起こるんだ?
——俺はそれを、知っているのか?
「ちなみに、シャン君は壊獣は後何体いると思う?」
「二体ですかね」
サクライ先輩の質問に咄嗟に答える。壊獣は後二体いる。この間のが哺乳類みたいな見た目をしてたから、あとは——って、なんで俺はこんなことを知ってるんだ?
この間からずっとそうだ。遺跡の時も。壊獣と戦う前も。俺はいったい何を知ってる?
——いや、何を忘れてるんだ?
そう。忘れてるんだ、これは。忘れてる記憶の中から、咄嗟に出てきてるんだこの知識は。何を忘れてる? なんで忘れてる? どうして今更になって出てくる?
俺はいったい——
「集合。命令が来た」
今まで黙っていたラドフォードが言った。それと同時にサクライ先輩のディスクからアラームが鳴る。この音は、俺たちに対する緊急招集のアラームだ。
「おっと……僕の記憶より少し早いけど、どうやら来たみたいだね。ま、この時間帯ならおそらくエンペドクレスも直ってるだろうし、問題はないかな」
そのサクライ先輩の言葉に釣られて窓を見ると、陽は随分と傾いていて夜の帳が街を覆う時間帯に近づいていた。
「じゃ、行こうか」
カードゲームを途中で切り上げて立ち上がるサクライ先輩。ラドフォードも、カードをテーブルの上に置いて立ち上がった。俺もそれに続いて立ち上がる。
……また壊獣と戦うのか。二度と戦いたくないと思ったはずなんだが、世界はそう都合よく回ってはくれないか。
正直に言って逃げ出してしまいたいし、今も指作は冷たくなっている。さっきは慌てても無駄だなんて思ったが、それとこれとは話が別だ。誰かが代わりにやってくれるならそれが一番いい。けれども、やっぱりそうはいかないのだろう。
グッと手を握りしめる。さっさとドアを開けて出て行ってしまったサクライ先輩に続いて、俺もドアを潜る。ラドフォードが後ろから着いてきた。
「……今度は、足を引っ張らないようにする」
ラドフォードに向かってそう告げる。心臓が早鐘を打つ中、自然と出た言葉だった。
「大切なものが何か、忘れないで」
ぽつりとラドフォードが返してきた。
大切なもの、か。そういえばフルトも似たようなことを言っていたな。
俺にとって大切なもの。そんなものは決まってるんだ。
間違えないさ、絶対に。
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