第8章
赤い髪の少女が叫んでいる。街はボロボロに崩れ落ちていて、無事なものは何一つとして残っていない。
俺はひび割れて地面が露出したアスファルトの上に倒れ込んでいた。
巨大な怪物が歩くたびに地震のような振動が響く。
それまで、当たり前のように享受していた日常が崩れ去った。あっけない終わりかただった。
残されたのは破壊された街と、悲嘆と絶望に暮れる人間だけだった。
全てを壊す巨大な獣は、一心不乱に何かを目指して進んでいく。
「——なんなんだ、これは」
つぶやきが漏れた。
俺たちが何をしたというのだろうか。こんな訳のわからない理不尽なことがあっていいのか。
——この世界は、間違っているのだろうか。
軍からの緊急招集なんてものは、生まれて初めて聞いた。まぁ普通に生活してたらまず聞くことのない音だし、そもそも俺たちはまだ学生だ。学生に緊急招集をかける意味がわからない。本職の軍人ならわかるが。学生を集めたところで何ができるというのだろう。
俺とフルトは、談話室で合流したフィオナたちと一緒に軍の駐屯地を目指していた。どうやら俺たちの部隊全員に緊急招集のアラームが鳴ったらしい。
「あたしたちみたいな学生を呼び出して、軍は一体何を考えてるのかしら。任務とかならわかるけど、緊急招集のアラームが鳴ったのよ? これって他国から攻撃を受けた時とか、とんでもない災害が起きた時とかになるやつでしょ」
「わからん。でも無視するわけにもいかないし、とりあえず行くしかないだろ」
「わかってるわよ、そんなこと」
突然の呼び出しの理由は、どうやらフィオナにもわからないらしい。
「もう少し行ったところに、どうやら迎えの車を送ってくれるらしいですよ」
士官学校から軍の駐屯地はそこまで離れてはいない。が、そんな距離も惜しいらしいということだろう。
「じゃあさっさと車の所まで行くわよ」
そう言ってフィオナはフルトが示した方向にズンズンと歩いて行った。
そんなフィオナに俺たちもついて行く。と、サクライ先輩がすっと俺に近づいてきて、耳打ちをしてきた。
「すぐにでもわかるって言っただろ?」
「サクライ先輩は、今日のこの緊急招集がなんのためなのか知ってるんですか?」
思わず聞き返す。サクライ先輩の言い方だと、なんのためなのかを知っている口ぶりだ。確かに、ループしているという話が本当なら、知っていても不思議ではない。
「ほら、もう見えてる」
そう言ってサクライ先輩はある方向を指さした。
それは俺たちが向かう軍の駐屯地のさらに先の方。俺の記憶では、住宅地と多少の商業施設が並ぶ区画だったはずだ。
——はずだった。
「なんだ、あれ……」
そこには、一匹の巨大な獣が佇んでいた。
大きさは、まだ高層建築が普及していないこの世界においては何よりも大きい。普通の家なら足で踏み潰してしまえるほどで、そんな巨大な獣はあろうことか人型をしていた。
顔の部分に当たるとことは、猪ともライオンとも取れるような複雑な形をしていて、全身にびっしりと毛が生えていた。尾骶骨のあたりからは長い尾が生えている。
——つい先日、遺跡の映像で見た巨大な怪物がそこにはいた。
「何よ、あれ……!」
その巨大な怪物にフィオナも気がつく。
足を止め、怪物の方を凝視していた。
怪物はまるでおもちゃの家のように、足元の家や建物を踏み潰していく。
「ほら、言っただろ? 壊獣は実在するんだぜ」
あんなものを見て何故そんなに余裕そうに笑っていられるのだろうか。
巨大なものは、恐ろしい。根源的な恐怖を感じるものだろう。よしんば恐怖を感じていなくても、圧倒されるはずだ。
フルトは怪物を見て、絶句していた。
ラドフォードは……こっちはいつも通り何を考えてるかわからない無機質な瞳を向けているだけだった。
——いや、なんかいつも通りのやつが二人もいて、なんか俺も落ち着いた気がする。
「とりあえず、駐屯地に行こう。俺たちが呼ばれたのもあれが関係してるのかもしれない」
というか、十中八九そうだろう。あんなものが街に出現しているタイミングでの呼び出しだ。むしろ関係してないと考える方が難しい。具体的に何をしろと言われるかはわからないが。
「……そうね」
なんとか現状を飲み込みました、と言った感じでフィオナは頷いて、再び歩き出した。
……不謹慎ではあるが、正直フィオナはああいうのを見たら喜びそうなもんだと思ったんだが。全くそんなそぶりもなく、むしろ人並みに感じるものがあるようで、柄にもなく顔を強ばらせている。魔王がどうとか言っていた面影は感じられなかった。
もう一度怪物を見る。サクライ先輩はあれが壊獣だと言っている。確かに壊獣の研究をしていたという遺跡で見た映像の中の怪物とそっくりだ。ということは、本当に壊獣は実在していたということなのだろう。そう思うと、何故だか少しドキドキした。
——ふと、壊獣と目があった気がした。
瞬間、見たこともない「壊獣が口から光線を放つビジョン」が思い浮かび、俺は咄嗟に叫んだ。
「今すぐ地面に伏せろ!」
「は?」
俺が叫んだことに呆気に取られるフィオナの肩を掴み無理やり地面に伏せさせる。
直後、俺たちの頭上を一筋の光が通りすぎ、少し遅れて建物が崩れ、何かが爆発するような轟音が響いた。強烈な爆風が俺たちのところまで届いて、飛んできた建物のかけらが近くにゴロゴロと転がった。
爆風が収まったところで、伏せていた顔を上げて周りを見る。
崩れ落ちる建物。上がる火の手。響き渡る悲鳴。
さっきまで日常を過ごしていた街は、一瞬にして地獄のような場所に変わっていた。
「な、何よこれ……」
俺に遅れて顔を上げたフィオナが、周りを見てつぶやく。声に力はなく、掴んだままだった肩から震えが伝わってきた。
いきなり光線を放った怪物は、あいも変わらずそこに立っていた。
「おい、フィオナ、大丈夫か」
俺の言葉に、フィオナはハッとなって俺を見た後頷いた。その後「みんな大丈夫?」と他の三人にも声をかけ始めた。
「僕は大丈夫ですよ」
「僕も平気だぜ」
ラドフォードは頷きで返事をした。
「みんな無事みたいね。よかったわ」
そうフィオナが安堵した瞬間、前方から車の急ブレーキ音と、タイヤが地面を擦る音と匂いが襲いかかってきた。
「今度はなんだよ!」
思わず声を上げた直後、軍用車が見事なドリフトを決めて俺たちの鼻先を掠めそうなほど目の前に停車した。派手な音をたてて運転席のドアが開くと、中からナオミ先生が飛び出てきた。
「あんたたち、大丈夫なの!?」
「今の先生のドリフトで死にかけました」
「冗談が言えるなら大丈夫そうね!」
「冗談じゃないんですが」
いや、たぶん俺が後一歩前にいたら車に跳ね飛ばされてたと思うんだが。……まぁいいか。本当は良くないが、いいことにしないと話が進まないしな。
「軍が車を迎えに来させるという話でしたが、ナオミ先生が迎えだったのですね」
「そうよ。さぁ、さっさと車に乗りなさい。すぐに向かうわよ」
そう言って落ち着く間も無く車のドアを開けるナオミ先生。そんなナオミ先生にフィオナが食ってかかる。
「待ってよナオミ。ナオミはあの怪物がなんなのか知ってるの? あたしたちがなんのために呼び出されたのかも」
「駐屯地に着いたら、あなたのお父様から詳しい説明があるわ、アインスタインさん。今は一刻も早く駐屯地に向かうことを考えて頂戴」
「パパから……?」
ナオミ先生の言葉に、フィオナの顔から感情が少し色を消した。
「そうよ。さ、乗って乗って」
ナオミ先生に押し込まれるようにフィオナが車に乗ると、俺たちも続けて車に乗った。
「パパがあたしたちを……?」
そうつぶやくフィオナの顔は、さっき以上に強ばっていた。
怪物の移動する振動が、車ごしに俺たちに響いてきた。
「よく来たな」
作戦司令室、と書かれたネームプレートの掲げられた部屋に入ると、黒い髪の男性が机越しにこちらを待ち構えていた。
黒い髪に、目は赤い。厳しく細められた表情は、どこかフィオナの面影を感じさせる。
ナオミ先生に駐屯地に連れてこられた俺たちは、そのまままっすぐこの部屋に連れてこられた。駐屯地は出撃準備に沸き立つ人たちで騒々しかったが、この部屋は一転、打って変わって静寂に包まれていた。
「パパ……」
部屋で待ち構えていた人物が、フィオナの父親だった。名前は確か、ハリー・アインスタイン。軍の関係者だと聞いていたが、どうしてここに? さっきナオミ先生もフィオナの父親が説明してくれると言っていたが、今回のことについて事情を知っているということなのだろうか。
「アインスタイン少将、お待たせいたしました。フィオナ・アインスタイン以下、同部隊員四名お連れしました」
ナオミ先生がフィオナの父親に敬礼をしながら報告をする。
少将だって? めちゃくちゃ偉い人じゃないか。関係者どころの話ではない。軍のトップで、何千何万という人を指揮する立場の人間だ。全然知らなかった。
「ご苦労だった。下がってよろしい」
「はっ。……ですが、私はこの子達の指導教官ですので、残って一緒に話を聞きます」
ナオミ先生はそう言うと、俺たちの後ろに立った。
「好きにしたまえ」
……フィオナとフィオナの父親——アインスタイン少将は仲が良くない。喧嘩をするとか、そういう意味ではなく、そもそもこの二人はほとんど一緒にいない。幼いころフィオナの母親が亡くなってから、アインスタイン少将はほとんど家に帰ってこなくなった。フィオナの世話も親戚の人に任せっきりで、俺はこ二人が会話らしい会話をしている姿をもう数年サッパリ見たことがない。だからこそフィオナは父親の話は全くしないし、俺はフィオナの父親が軍でめちゃくちゃ偉い人だなんて知らなかった。
母親が死んでから家に寄り付かなくなった父親に、フィオナは苦手意識を持っている。捨てられた、と思ってもいただろう。口には出さなかったが。
そんなアインスタイン少将が、今回俺たちを招集した。
フィオナは大丈夫なのだろうか。
「今回の件について、お前たちに任務を言い渡す」
アインスタイン少将が言った。
「フィオナ・アインスタインとカレナ・ラドフォードは現在市街を破壊している壊獣の撃破に出撃。他、同部隊員三名は別命あるまで待機だ」
感情を感じさせないアインスタイン少将の声。
俺は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。言葉は耳に入っていたが、言われた内容が信じられなかったからだ。
俺たちが招集された理由は、外の怪物のことに関してだろうなとは考えていた。だが、今アインスタイン少将はなんと言った? フィオナとラドフォードで怪物の撃破をしろと言ったのか。
……徐々に頭の中に浸透していく。——いや、率直に言って死ぬだろう、それは。よしんば死ななくても無事では済みそうもない。人間の何十倍あると思ってるんだ? 大きさはわかりやすい力だ。それに加えてあの光線。正直、近づく前に消し炭にされそうな気がする。
「パパ、何を言っているの……?」
フィオナが力無くこぼした。普段の様子とは全く違う。
「壊獣の相手をすることができるのは、エンペドクレスに適性のある者だけだ。そして現状、エンペドクレスを扱える適正のある者はお前たち四人だけであり、万が一に備えて二名は待機。実験の成績の良かった二名に迎撃に出てもらう」
「あんなのの相手をしろっていうの!? どうにかできるわけないじゃない!」
フィオナが叫んだ。
「フィオナ。これは命令だ」
アインスタイン少将の冷たい声音に、フィオナが怯む。そこに親子の情のようなものを感じ取ることはできなかった。
エンペドクレスを使う人間にしか倒せない? 正直に言って、意味がわからない。どうしてそんな縛りプレイじみた行動を強要されなければならないのか。普通の兵器や魔法使いでは駄目なのか?
「待ってください。何故エンペドクレスに適性のある人間しか相手にできないのでしょうか。国民を守るために軍がいるのでは? 俺たちは士官学校に在籍しているとはいえ、まだ学生です。いきなり呼び出されて、怪物の相手をしろと言われても意味がわかりません」
父親の様子に怯んで二の句の告げられなくなってしまったフィオナに代わり、俺が思ったことをぶつける。何故学生である俺たちがいきなり命をかけて怪物の相手をしなければならないのか。あんなものの相手をするのなんてごめんだ。できることなら誰かに代わりにやってもらいたい。俺は平穏無事に生きていたいのだ。そのために俺の家族とか友達とかの誰かが死ぬのなんていうのも、もちろんごめんだが。
そんな俺の内心なんて知る由もないだろうが、アインスタイン少将は少しだけ理由を話してくれた。
「あの壊獣も、エンペドクレス同様『万物のもと』に関係している。故に同じ万物のもとに関係しているエンペドクレスでしか対処することはできない。現在、エンペドクレスはお前たち四人専用に調整された四機しか存在しない。理解したのなら出撃の準備をしろ」
怪物が万物のもとに関係している? なんだそれは。
……いや待て、何か引っかかる。俺の記憶の片隅に何かがある気がする。
いつも通りに過ごしていた日常。慣れ親しんだ我が家に帰って、たまたまテレビで見た緊急ニュース。巨大な黒い大きな穴。幼なじみとともに覗き込んだ。街に現れた巨大な影。特撮とか、SFやファンタジーの世界に迷い込んだのかと見紛う光景。壊獣。
あの怪物には、壊獣には何か目的があって、それを阻止しなければ大変なことになる。ボロボロに崩れ落ちたビルに、潰れた虫けらみたいに踏みにじられた日常。俺たちはこれ以上どうにかさせまいと、その壊獣の目的を阻止しようとして、何度も何度もどうにかしようとして、それで——
「あんなのの相手をして、無事でいられるわけないわ。パパは、久々に会った娘に死ねっていうの……?」
絞り出したようなフィオナの声に、記憶を掘り起こそうとして飲まれそうになっていた俺の意識が現実に帰ってくる。
なんだったんだ、今のは。あれは……俺の記憶なのだろうか? いったいいつの? 前世の記憶とはあまりに似つかない。
「お前が戦わなければ、大勢の人間が死ぬのだ」
「いきなりそんなこと言われてもわかんないわよ!」
……サクライ先輩が、フィオナのことを常識的だと言っていたことを思い出す。小さい頃は魔王だとかなんだとか言っていたし、つい最近も似たようなことを言っていた。
けれども、内心ではそんなものは『あり得ない』とも思っていたのだろう。常識的に考えて、そんなものがいるはずがない。そう考えていたから、今この状況で抵抗しているのだ。ありえないはずの現実が突然のしかかってきて、どうしたらいいのかわからないのだ。
フルトは何も言わない。どうするかということについて、おそらくはフィオナに任せるつもりなのだろう。ナオミ先生も見ているだけだ。
「アインスタイン少将の言ってることは本当だぜ? あの壊獣は僕含め、普通のディスクしか使えない魔法使いにはどうしようもないし、もちろん軍の通常兵器も役には立たない。せいぜい時間稼ぎが関の山さ。どうする? シャン君」
俺にだけ聞こえる声で、サクライ先輩が耳打ちをしてきた。
……実は、最初にフィオナが出撃を命じられた時から俺がどうしたいかは決まっていたのだ。——ああ、確かに俺の方がフィオナよりも常識がないかもしれないな。
「俺がフィオナの代わりに出撃します」
アインスタイン少将に向けてそう告げた。
俺の言葉に、フィオナが勢いよく俺の方に振り向く。信じられないとでも言いたげな顔だ。
「何バカなこと言ってんのよ!?」
「バカとはなんだよ」
少将という軍の中でも高い地位にいる人からの命令だ。最初に言われた時から断ることはできないだろうなと思ってはいた。
「バカだからバカって言ってんの! あんなのの相手をしろって言われてるのよ! あたしたちまだ学生で軍人じゃないのに……絶対無事じゃ済まないわ。最悪死んじゃうかもしれないのよ!?」
「そうだな」
「そうだな、じゃないわよ! あんた本当にわかってんの!?」
「わかってるさ」
「わかってない! 死んだらおしまいなのよ! 二度と会えなくなるのよ!?」
フィオナに詰め寄られ、襟首を掴まれる。いつもはフィオナの思いつきに付き合わされるために突然掴まれていたが、今回掴まれたのは……まぁ俺が悪いな。
「だからだよ。今のお前が出たって何ができるか怪しいもんだ。俺はお前に死んでほしくない。俺たちにしかどうにもできないっていうなら、お前の代わりに俺が出る」
俺はそう言って、襟首を掴んでいたフィオナの手を外す。
俺は俺が平穏無事に過ごすことが大事だが、幼い頃にそばにいてやりたいと思ったフィオナが傷つく姿を見るのも嫌なのだ。
俺の言葉に、フィオナは口を閉ざした。その顔は全く納得いっていない、という顔だったが、同時に自分がどうしようもなく怯えているのも理解していて、自分ではどうにもできないということもわかっているような、複雑な表情をしていた。
「……それでも、なんであんたが出なきゃいけないのよ。代わりが……代わり——」
そこで、フィオナがチラッとフルトに目を向けた。
口を開こうとした瞬間、俺が言葉を被せた。
「フィオナ、それ以上は言うなよ。それは最低なことだぞ。わかるだろ」
俺にそう言われて、フィオナは開きかけた口をキュッと閉じた。
フィオナは長く息を吸って、吸った時間と同じくらい時間をかけて息を吐いた。それから何度か瞬きをして、俺と目を合わせてきた。
「——わかったわ。あんたの言う通り、あたしはたぶん今何もできない。あんたが代わりに出るって言うなら、それを受け入れる。でも、これだけは言わせてもらうわ」
そこでフィオナは俺に人差し指を突きつけてきた。
「隊長命令よ。絶対に死ぬんじゃないわよ! あんたも、カレナもね。無事に戻ってこなかったら承知しないからね!」
「わかってるよ。もともと死ぬつもりなんてないしな。ラドフォードもそうだろ?」
そばにずっと立っていたラドフォードを見る。俺と目があうとひとつ頷いた。
「あんたたち……それでいいのね?」
それまで話を聞いているだけだったナオミ先生が問いかけてくる。
『問題ありません』
俺とフィオナが同時に答える。
「そう……そうね、わかったわ。アインスタイン少将、今の話の通りです。アインスタインさんではなく、彼が代わりに出撃するということでよいでしょうか」
「壊獣を撃破することができるならば問題はない。すぐに準備したまえ」
アインスタイン少将の言葉を受けて、俺たちは壊獣撃破の準備を始めた。
「フルト、もし万が一のことがあったらフィオナとサクライ先輩を頼むぞ」
移動の道中フルトにそんなことを頼んだら、返事はまさかのノーだった。
「嫌ですよ。そんなこと言われても、僕では手に余ります。なので、必ず帰ってきてくださいね」
真剣な顔でそう言われて、俺は思わず頷いてしまった。
「よかった。そのまま辞世の句でも読み始めそうな雰囲気でしたので、どうしようかと思いました」
なんて言われて、俺は思わず自分の顔を触ってしまった。
……そうか、俺は自分で思っていたよりも、どうやら緊張していたらしい。まぁ、当たり前か。あんなとんでもない怪物の相手をするのだ。普段通りでいる方がおかしいか。
「ま、僕の経験上どうにかなると思うぜ。気楽に行くといいよ」
いつも通りの口調でサクライ先輩が言う。
「ちなみに、サクライ先輩のループでは今回のことも起こってたんですか?」
「もちろん。細かいところは違うけど、大筋は一緒のことが起きてたよ」
「結果はどうなってました?」
「それを言ったら面白くないでしょ? 自分の目で結末は確認してくれたまえ、若人君」
なんてことを言われて煙に巻かれた。まぁ、こう言うことを素直に教えてくれないのもいつも通りだ。
その後待機部屋に行く三人と別れ、俺とラドフォードは着替えるために司令部付きの控室へと通された。
そこで用意されたエンペドクレス専用に調整された魔導服に袖を通す。魔導服というのは魔力を行き渡らせることで飛躍的に強度や柔軟性が向上する装備で、見た目は帝国軍の軍服に魔力を通しやすくするためのラインが入っている。
タグのところにあのマッドの名前が書かれていたので、俺たちが実験を終わらせた後にでも作ったのだろう。実験中に作って欲しかったな!
ここにくるまでに任務における簡単な作戦の説明があった。
最初に帝国陸軍が壊獣の足止めを行う。その後、魔法部隊が飛行しながら牽制しつつ、人や建物のない場所まで壊獣を誘導する。そこまで行ったら俺とラドフォードが出撃する。帝国陸軍と魔法部隊はそのまま俺たちの援護に入る。ざっと言うとこんな感じ。
現在魔法部隊が誘導を行なっている最中らしい。誘導が完了したら司令部に連絡が入るらしいので、その後に俺たちが出ることになる。
俺とラドフォードは着替え終わると、控え室に備え付けられているベンチに座る。
しばらく無言の時間が流れた。
「……ラドフォードは怖くないのか?」
何も喋らないのもどうかと思って、ラドフォードに話しかける。それはこの任務を聞かされた時から思ってはいたことだった。
出撃しろと言われて反発したのはフィオナだけで、ラドフォードは終始無言だった。まぁラドフォードはいつも無口ではあるのだが。
「怖くはない」
淡々とした声で答えが返ってきた。
「そうなのか」
「これが必要なことだと理解している。それに、私が死んでも代わりはいるから」
「何言ってんだ? 代わりなんているわけないだろ」
二文節も喋ったと思ったら何を言ってるんだラドフォードは。死んでも代わりがいるとか、そんなわけないだろう。死んだら、そこで終わりだ。
だが、俺の言葉が不思議だったのか、ラドフォードは俺の方を向いて目をパチクリとさせた。……いや、客観的にはいつもの無表情なんだが、なんとなくそんな感じがしたのだ。
「……そう」
「そうだよ」
そう言うと、ラドフォードはまた正面に向き直った。
そこで会話が途切れるかと思ったが、今度は珍しいことにラドフォードから話しかけられた。
「あなたは、死ぬのが怖い?」
「怖いに決まってるだろ。俺はできればこんなことはしたくないんだ」
「でも、あなたは自分からフィオナ・アインスタインの代わりに志願した。死ぬのが怖いのなら、何故?」
「そりゃ、さっきもフィオナに言ってたけど、今のフィオナじゃどうにもできそうにないし、フィオナが傷つくのも嫌だからな。俺たちしかできないのなら、俺が出るしかない。こんなことフルトに押し付けるわけにもいかないしな」
「それは、死の恐怖に勝るもの?」
そう言われて、俺は黙る。
俺がフィオナの代わりに出撃しようと思った理由は、フィオナに行って聞かせたことで間違いない。間違い無いが、たぶん全部でもない。俺自身、まだうまく言い表せていないこともある。
俺は少しづつ自分の中で整理しながらラドフォードに話していく。
「さっき言ったのも本当だし、それ以外の理由もある……と思う。うまく言えないんだが、なんだろうな」
壊獣を見た時、俺が心の底で感じたことはなんだっただろうか。
「不謹慎だけど、俺はあの壊獣っていうでっかい怪物を見て、少し楽しかったんだと思う。面白かったって言い換えてもいい」
「面白かった?」
そう。面白く感じたんだ。それは何故か?
「突然降って沸いた非日常的な光景に、俺はワクワクしたんだ。もちろん、心の底から面白いと思ってたわけじゃない。怖かったのも確かだし、街が壊されたのを見て何くそ! なんて感じたかもしれない。でも、心のどこかでそう思ってたのも確かなんだと思う」
「そう」
「そうなんだよ。俺も俺がこんな奴だなんて思ってなかった……でも、そんな思いもフィオナの様子で木っ端微塵に砕け散った」
ラドフォードは黙って聞いている。表情に特に変化はなかった。
「俺の幼なじみにこんな顔をさせてるやつのことを面白いと思うなんて、なんてバカなんだって。さっきはうまく言葉にできなかったけど、今はそう思う。それで、震えてるフィオナを見て自分が出ようって思ったんだよ」
「それは何故?」
俺は喋りながら、自分の首から下げているディスクを目線の位置に持ってきた。
「自分のワクワク感とか、どうでもよくてさ。俺はフィオナが死ぬのが嫌だったんだよ。自分が死ぬことと同じか、それよりも嫌だなって感じたんだ。だったら俺が出ようって」
死んだら二度と会えないってさっきフィオナも言ってたけど、その通りだ。もしあのままフィオナが出撃して、仮に死んでしまったら。フィオナが戻ってこなかったら。
生まれてからずっと一緒にいたのだ。正直に言って、フィオナがいない世界なんていうのは全く想像できない。フィオナがいない世界を自分から想像することに恐怖を感じたのだ。
だったら、俺が自分で出たほうがマシだ。フィオナがいなくなるかもしれない恐怖なんて味わうくらいなら、俺が自分で出撃して戦った方がマシだと思った。
結局はそういうことだ。フィオナが死ぬかもしれないのが怖いから、俺はフィオナの代わりに志願したのだ。
「そう……わかった。話してくれて、ありがとう」
「いや……なんていうか、恥ずかしい話をしたな」
……うん、普段だったら絶対こんな話はしないわな。
やっぱフルトとのやり取りの時も思ったけど、俺は自分でも思ってないほどに緊張してるらしい。死ぬかもしれないし当たり前だとは思うんだけど、その緊張に気づかないくらい硬くなっていたのだ。
——フィオナには絶対に聞かせられない話だな。こんなん聞かれたら恥ずかしすぎるわ。
控室に弛緩した空気が流れた。が、その空気をディスクから鳴ったアラームが一瞬で壊した。そのアラームはあらかじめ作戦の説明を聞いていたときに知らされていたアラームで。
俺たちの出撃を知らせる合図だった。
俺とラドフォードはベンチから立ち上がる。出撃場所に向かうために、ドアに向かって歩き出した。
「あなたを死なせたりしない」
ドアを出る間際、ラドフォードが言った。
「さっき、私に変わりはいないと言ってくれて、嬉しかった」
ラドフォードの表情は見えない。
「……そうか」
俺たちはドアを閉めて、出撃場所に向かった。
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