第7章
作戦内容を伝える。なんて言われても、まだ俺には実感が湧かなかった。
それまで平和に暮らしてきたのに、今日からいきなり命をかけて戦えと言われても困る。心の準備ができないし、したくない。
……人と話すのは苦手だった。新しい環境に放り込まれるなんて尚更だ。人とどう接していいかわからない。自分以外の他人は、何か計り知れない全く別の生き物のように感じていた。
それでも、どうにか生きていくために俺も人間のフリをして、他人と接していた。そう、フリだ。人間として出来損ないの俺は、人間のフリをするしかない。
「アンタには無理そうね。無理せずあたしに任せときなさい」
赤毛の少女がそう言った。
幼なじみの彼女は、俺が人間だと感じられる数少ない人だった。数少ないというよりは、唯一だと言っていいかもしれない。
「それにしても、巨大な人形の怪物なんて、漫画やアニメの世界じゃないんだから。それにいきなり戦えだなんて、勘弁して欲しいわね」
「そうだな」
俺には、大事なものはそんなに多くはない。けれども、守りたいと思うものはあった。
研究室兼作戦室のモニターには、巨大な人型の獣が映し出されていた。
部屋のモニターには、見覚えのあるようなないような街並みが映し出されていた。
日本にはどこにでもあるように見える街並みで、俺の前世の記憶的には見覚えのないその街並みには、一つだけありえない光景が加わっていた。
「同じ時間をループって、どういうことですか?」
立ち並ぶビルの背丈よりもなお大きく見える巨大な影。それは人の形にとてもよく似ていて、でも似ているのは形だけだった。
「言葉の通りの意味だぜ? ちょっと詳しく言うと、フィオナちゃんがディスクを爆発させた時から、今この時間よりももう少し進んだ時間くらいかな。始まりの時間はいつも同じなんだけど、終わりの時間はちょっとばらつきがあって一概にはこの時間! って言うのが言えないんだ」
全身に毛がびっしり生えていて、頭部は猪のような、ライオンのような、なんだかわからない形をしていた。しっぽも生えていたり、鋭い爪があったり、色々な動物——とりわけ哺乳類か何かがごちゃごちゃ混ざったような感じだ。
「……いきなり何を言い出すかと思えば。何かの冗談ですか?」
その悍ましいとでも言うべき怪物が、日本の街並みを破壊していく。家々を踏み潰し、ビルを倒壊させる。
「冗談だったら僕もよかったんだけど。残念ながら違うんだよねー。本当に残念だぜ」
その怪物は真っ直ぐ街を突き進んでいた。どうやら無秩序に街を破壊して回っているわけではないらしい。何か目的があるのだろうか。
「もしそれが本当だったとして、それをどうやって俺に信じろって言うんですか?」
突然怪物が爆発した。何かが当たったように見えた。映像が空に切り替わって、飛行機らしきものが飛んでいるところが映し出された。あの形からして戦闘機か何かだろうか。と言うことは自衛隊? まぁ、こんなものが街中で暴れ回っていたら出てくるよな。
「別に信じてもらう必要はないんだけど。ま、僕の話を聞いてもらえると嬉しいかなーくらいな感じ?」
また映像が怪物の方に切り替わる。爆発した煙が風で吹き飛ばされて、怪物の姿が見えてくる。そこに映し出されたのは、全く無傷の怪物の姿だった。
「話を聞いてもらえると、ですか。まぁわざわざこんなところまで来てする話なんですし、別に聞く分には構いませんが。というかこんなところまで来なくても話くらい聞きますけど」
戦闘機の攻撃を受けて無傷ってどうなってんだ。特撮の怪獣じゃあるまいし。特別なヒーローしか倒せないのか?
「ここにきたのは、さっきもちょっと言ったけど、この部屋に君が入れるのかを確かめたかったっていうのがあって。前回も前々回も、いつものループでは入れたんだけど、今回もそうなのかなって。あとは、さっきから流してるこれ」
そう言って、サクライ先輩は戦闘機と怪物の足元に来ていた戦車が踏み潰されたところで映像を止めた。
街も、人も、戦闘機も、何もかもぐちゃぐちゃだ。唯一まともに残っているのは怪物だけだった。
「俺がこの部屋に入れることに、サクライ先輩にとってどんな意味が? ……まぁ俺自身もこの部屋に入れることには驚きましたが。あと、その映像はなんなんですか?」
俺の問いかけに、サクライ先輩はその長い白い髪を弄びながら答えた。
「僕ってば、これまでに何回も同じ時間をループしててさ。ループしてる原因とかさっぱりわかんないし、正直さっさとループを抜け出したいんだよね。だってさ、同じことの繰り返しだぜ? 毎日毎日同じことの繰り返し。しかも気づけば時間すら元に戻ってる。一回だけじゃないんだぜ。どんだけつまらないことかわかる? 明日何が起きるか。ひと月後に何が起きるか、一分後に何が起きるか、僕には手にとるようにわかる。全く望んでいないのに。僕、よく正気保ってられるよね。自分で自分を褒めたいくらいだよ」
「……まぁ、俺にはよくわかりませんが」
「そりゃそうだ。ここで簡単にわかるなんて言われたら魔法でぶっ飛ばしてるところだったぜ」
胸元にかけてあるディスクを弄りながらサクライ先輩が笑う。
時間がループする、なんて言うのは物語の中だけの世界だ。少なくとも俺の中ではそうで、だからこそサクライ先輩の言葉は信じ難い。
「それで、さっきも言ったけど、僕はこのループを抜け出したい。僕は面白いことが好きだって言っただろ? この何もかも知り尽くしてしまったクソつまんないループを抜け出して、僕は僕の知らない未知が待っている世界に進みたいんだよ」
俺は、まだサクライ先輩と知り合って日が短い。いまだに人となりなんてものは掴みきれていない。そんな俺から見ても、サクライ先輩の顔は真剣な表情に見えた。
「でも、今回のループはちょっと違うんだよね」
「違う?」
サクライ先輩はそこでニマッと笑うと、俺に人差し指を突きつけてきた。
「君だよ、シャン君。いつものループと比べて、君が違うんだ」
「……俺が?」
俺が違うってなんだ。サクライ先輩の知ってる俺と、今の俺が違うってことか?
「そう。そして、僕はそこにループを抜け出す鍵があるんじゃないかって思ったんだ。シャン君、君にね」
そう言ってサクライ先輩は俺に詰めよってきた。
ずいっといきなり目の前にサクライ先輩の綺麗な顔が迫ってきて、一瞬ドキッとする。……いや、まぁ俺も男の子ですし?
「い、いや、あの……どういうことですか」
そっと自然な感じにサクライ先輩を押し戻しながら聞き返す。俺は紳士なので。
「今までのループだと、君とフィオナちゃんは一緒にいなかったんだ。エンペドクレスのこともあるから結局は今みたいに同じ部隊に入るんだけど、幼馴染としていつも一緒にいる、みたいな感じじゃなかった」
俺はその言葉に少なからず衝撃を受けていた。
俺とフィオナが一緒にいなかった……? あのフィオナと、俺が?
「全く想像できませんが」
それが嘘偽りない俺の本音だ。俺とフィオナが一緒にいない、ということが想像できない。それくらい幼い時からずっと一緒にいたのだ。前世でも一緒にいたような気になってくるレベルである。フィオナがそばにいない俺と、俺がそばにいないフィオナ。……どんな感じなんだ?
「それが、僕にとってはそれが当たり前だったから、今回のループの方が驚きだったぜ? なんでこの二人が最初から一緒にいるの? ってね。めっちゃくちゃ久しぶりに僕の知らない事柄が出てきて興奮したぜ」
「ちなみに、俺がいないときのフィオナってどんな感じなんですか?」
「めちゃくちゃ荒れてる。全身トゲだらけみたいな感じ。軍に言われて無理やり士官学校に通ってるから授業なんてまともに出てないし、基本的に誰とも関わろうとしてない。今とは全く違う感じだったよ」
即答だった。悩むそぶりすらなかった。……ということは、サクライ先輩にとってはそれが普通だったのだろう。
というか、そうか。俺がいないとフィオナってそんな感じになるのか。——いや荒れすぎじゃね? 何やってんだよフィオナさんや。
「ちなみに俺は? ——いややっぱいいです。なんか俺じゃない俺のことは聞きたくないですやっぱり」
「そう? シャン君もまぁまぁ違うんだけど、聞きたくない?」
そう言われるとなんかちょっと聞きたくなってくる。でもやっぱ俺じゃない俺のこと聞かされるのもむず痒いからやっぱりいいや。そんなのは俺なのか俺じゃないのかわからない前世の記憶だけで十分だ。
「結構です」
「ふーん……そういうところも違うところなんだけど、ま、いいや。それで、シャン君がいつものループと違くて、ついでに言うとフィオナちゃんも全然違うもんだから、ここにループを抜け出す鍵があるんじゃないかなーって思ったわけなんだよね」
「まぁ、わからなくもない話ではありますが」
「でも、あまりにも違いがすぎるから、この部屋を開けられるかどうか試しに来たんだよ。それまでのシャン君はいっつも開けられてたからさ。今回も開けられるかなーって。開けられなかったら、シャン君が実は全然違う人間に入れ替わってたりとかってことも考えてたんだけど、いつも通り開けられたからシャン君はシャン君だったなって」
俺からしたら俺が俺じゃなかったら困るんだが。
「シャン君、何か変わるきっかけになったこととかってある?」
サクライ先輩にそう聞かれて唐突にあるイメージが思い浮かんだ。
まっさらな大地だ。何もない大地に、なぜか俺とフィオナだけがいる。俺とフィオナは大地から突き出た岩に寄りかかるように座り込んでいて、その目の前に小さな花が咲いている。赤と、白と、紫と。力強く、生命力にあふれている。
——なんだ、このイメージは?
「そんなこと言われても、わかりません」
咄嗟にそう答えた頃には、さっきまで思い浮かんでいたイメージは綺麗さっぱり消え去っていた。本当になんだったんだ、さっきのイメージは。
「そっか。ま、仕方ないよね。そんな簡単にわかったら僕も苦労してないだろうし?」
そう言ってサクライ先輩は笑った。
「ちなみに、なんで俺がこの部屋を開けられるかは知ってるんですか?」
さっきのイメージの気分を変えるために、俺ですらなんで開けられたかわからないことを聞いてみる。さっきループのことを知り尽くしてるとか言ってたし、もしかしたら知ってるのかもしれない。
「それを僕が知ってたとして、シャン君はどうするの?」
逆にサクライ先輩に聞き返される。
聞き返されるとは思ってなかったから、返事ができない。俺の知らないことをサクライ先輩が知ってたとして、俺がどうするか、か……。まぁ、今の俺ではたぶん何もしない、が正解になるんだろう。何かする気があるのならさっき前のループで自分がどんな感じだったかを聞いてる気もするし。
「……まぁ、どうもしませんよ。たぶん」
「へぇー。ま、どっちにしろ僕からは知ってるとも知らないとも言えないかな」
「そうですか」
はぐらかされたような気がする。知ってるとも知らないとも言えないって、知ってますよって言ってるようなものだと思うんだが。
「ところで、この映像のことなんだけど」
そう言ってサクライ先輩はモニターのところまで戻る。
モニターの映像はさっき静止した画面のままで、相変わらず悲惨な状況が映し出されていた。
「この映像、なんだと思う?」
なんだと思うって聞かれてもな……なんだろうな。リアルなCGを使った特撮的な映像だとも思ったんだけど、違うんだろうな。……というか、俺はこれを知ってる気がする。なんか見た気がするんだよな。テレビとかではなくて、もっと別の何かで。
なんだったかな……別に前世の記憶的なアレではなくて、いやでも前世の記憶的なアレなのかも知れなくて——あ。
「壊獣の映像ですね」
「正解! なんで知ってるのかはさておいて、その通り。ここに映ってるこのでっかい怪物は壊獣だぜ」
いや、本当に、なんで俺はこの映像が壊獣のものなんだって知ってるんだ? この遺跡に来てからそんなことばっかりだ。自分が知らないはずのことを知っている。なんなんだ、いったい。
「この映像の他にも壊獣に関する記録がいくつもこの遺跡には残されてる。だからここは壊獣を研究してた研究所だったってわけ」
「いやでも、待ってください。壊獣は神話の中の存在では?」
そう。壊獣なんてのは子供の頃に聞く、世界を滅ぼしたっていう怪物のことで、それは大人が子供に語り聞かせる神話とか物語の中の存在のはずだ。実際にそんな怪物がいたなんて聞いたこともない。
「違うよ。壊獣は実在する怪物だぜ」
「証拠がありません」
「この遺跡っていう大きな資料兼証拠があるじゃん」
「すぐには信じられません」
「ま、信じなくてもすぐにわかるよ」
「どういうことですか?」
信じなくてもすぐにわかる? 壊獣について、何かあるってことか?
ここにきてからの自分自身も、サクライ先輩の話もよくわからないことだらけだ。
俺のディスクから、突然音がする。合流の時間に合わせて設定しておいた、甲高いアラーム音だ。
「おっと、もう時間みたいだね。それじゃ帰ろうか」
「……そうですね」
音が鳴ってから、さっさと入ってきた扉の方に向かって歩き出したサクライ先輩について行く。なんだかもう、これ以上ここで話す気はなさそうに感じた。
「ああ、そういえば言い忘れてたけどね」
急に立ち止まって振り返るサクライ先輩。
「カレナちゃんとフルト君。あの二人にもちょっとした秘密があるから、話を聞いてみると面白いかもしれないぜ?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべて言うサクライ先輩に、俺は聞き返した。
「俺にこんな話をして、フィオナにはしないんですか?」
元の向きに直って再び歩き始めるサクライ先輩。
「彼女は常識的だから、こんな話をしてもまともに取り合ってくれないさ」
俺も信じるとか一言も言ってなくないですか? ……いや待て、フィオナが常識的?
「待ってくださいサクライ先輩! その言い方じゃ俺が常識的じゃないって聞こえるんですが!?」
「えー? 僕はそんなこと一言も言ってないぜ? シャン君の被害妄想なんじゃない?」
そう言って笑うサクライ先輩は「早くしないと約束の時間に遅れて、フィオナちゃんに怒られちゃうぜ」なんて言いながら走り出した。
「一番最後の話が一番納得いきません! サクライ先輩待ってください!」
人からそう思われてたなんて、今日一番の衝撃だったわ! 俺よりフィオナの方が常識的なんておかしいだろ!
そう思いながら、走り出したサクライ先輩の後ろを俺も遅れないように走り始めた。
集合場所に戻った俺たちは、というか俺はすでに到着していたフィオナに「ちゃんと探索してきたんでしょうね!」と詰め寄られていた。サクライ先輩が目の前にきた時はドキッとしたが、フィオナが俺の目の前にずいっときたところでときめく心は失ってしまっているのだ。残念なことに。
「してきたに決まってるだろ。俺をなんだと思ってるんだ?」
「こーんな美人な先輩と二人きりでアンタが本当に集中できてるかわかったもんじゃないわ」
そう言ってサクライ先輩の方に手を回すフィオナ。サクライ先輩はサクライ先輩で楽しそうにしていて何も言わない。
「そっちこそちゃんと探索してきたんだろうな」
「当たり前じゃない! あたしをなんだと思ってるのよ!」
「お前が先に聞いてきたんだろうが!」
「あたしは隊長なんだから、当然のことを聞いたまででしょ!」
ふんだ! なんて顔を背けるフィオナに呆れるやらなんやら。だいたいなんでこいつちょっと不機嫌そうなんだよ。わけがわからん。
「まぁまぁ、そこら辺にしましょうよお二人とも。時間も時間ですし、まずはここを出て迎えにきている車に乗りましょう」
俺たちを見かねたのか、フルトがそう声をかけてきたので、一旦外に出た。そこにはここまで連れてきてくれた車がもう止まっていて、ドアを開けて待っていてくれた。
「ま、とりあえず帰ろうぜ? 今日の報告会は帰ってからか、明日にしようよ」
さっさと車に乗ってしまったサクライ先輩に続いて、みんな車に乗って行く。フルトが乗って、ラドフォードが乗って、フィオナが乗って、最後に俺が乗る。
「あんた、帰ったら今日のことちゃんとまとめて報告しなさいよ。いいわね!」
「わかったわかった。ただでさえ六人も乗ってて狭いのに詰め寄ってくるな!」
なんてやりとりをしながら帰った翌日。
壊獣のことについて報告した途端「なんでそんな面白そうなことが分かったのにすぐにあたしを呼ばないわけ!?」なんて言われながら襟首を掴まれ首をガクガク揺さぶられる羽目になるのだった。
フィオナには、サクライ先輩がループしてる云々の話は話さないことにした。あまりにも荒唐無稽で俺でさえ信じていないのに、そんなことをフィオナに話したところで信じるとも思えない。というか、俺の話という時点でたぶん信じないので、話しても無駄な気がする。いや、気がするというか確実に無駄だろう。
まあでも、信じてはいないと言ったが、前世の記憶を持っている俺という存在がいる以上、あながちあり得ない話ではないのかもしれないとは思う。思うだけで、じゃあどうこう何かしようとかは考えていないわけだが。
しかし、なんだ。探索の終わり際にサクライ先輩が言っていたことが気にかかる。
ラドフォードとフルトにも秘密がある? どういうことだ。
まぁ、ラドフォードはなんとなくわかる気がするが。あれだけ無口な人間なのだ。秘密の一つや二つあってくれた方が納得できるというものだ。
フルトはどうだ? ……どうだろう。あいつとも付き合いが短いせいでよくわからないな。人当たりもいいし、別に何かおかしな行動をしてるわけでもなさそうだし。
そういえば、士官学校に編入してくる前はどこで何をしてたんだろうな。中途半端な時期に編入してきたのは実験のせいだが、そもそもなんで最初から士官学校に入学しなかったんだろう。折り合いがつかなかったとかなんとか言ってた気がするが……何との折り合いがつかなかったんだ?
——まぁ、サクライ先輩も話を聞いてみればいいって言ってたし、聞いてみればいいか。あんな言い方するってことは、聞けば答えてくれるのだろう。たぶん。
俺は授業が終わった放課後、部隊の共有談話室に来ていたフルトを誘い、食堂に移動した。
この時間帯の食堂は中途半端な時間帯ということもあり、ほとんど人がいない。参考書を広げて勉強してるやつとか、友達と喋ってる奴が数人いるくらいで、だだっぴろい食堂のほとんどのスペースが空いている。
俺とフルトはそんな食堂の隅の方に腰掛けた。
「この時間帯の食堂はほとんど人がいなくて静かですね」
「そうだな。まぁ中途半端な時間帯だし、この時間に来ても何も食べられないしこんなもんだろ」
「こういう隙間時間にも何かおやつとか、デザートのようなものが食べられればもっと人気が出そうな気もしますけどね、ここの食堂も」
「いい案かもしれないが、そもそも店ってわけじゃないから人気とか儲けとかどうでもいいんだと思うぞ」
「それもそうですね」
「まぁ、食堂が何も提供してないだけで、ここで何も食べたらダメなわけでもないからな」
そう言って俺は談話室から頂戴してきたナオミ先生のお菓子をテーブルの上に広げた。
サクライ先輩が勝手に食べまくっているナオミ先生のお菓子、気づいたら補充されていたりする。ナオミ先生がちょくちょく談話室にお菓子を置いて行っているのだろう。減ってることには確実に気づいていると思うが、何も言ってこないので今回俺もちょろっと持ち出させてもらった。
何も言ってこないのが悪い、そういうことにしておこう。……いややっぱ悪いから後で何か補充しておこう。
「それで、僕に何か話でしょうか?」
広げたお菓子に手をつけながらフルトがそう言った。
まぁ、こんなところに二人できたら想像は難しくないわな。
「お前のことについて、サクライ先輩からちょっと聞いたんだが」
そう前置きをする。俺がいきなり「秘密があるんだろ」とか言ったって意味わかんないしな。サクライ先輩から聞いたことにしておけば多少は違うかもしれない。実際本当のことだし。
「フルトには秘密があるから話を聞いてみるといいって。……いや、いきなり言われても意味わからないと思うが」
俺はお菓子を一つ手に取り、口に放り込む。うまい。
フルトは少し目を見開いた後、微笑んで「そうですね」と言った。
「確かにサクライ先輩の言う通り、僕には秘密があります。……聞きたいですか?」
「まぁ、こうして話を聞こうとするくらいには興味があるな」
興味がなければ、そもそも話を聞こうとはしない。ループしてるなんて嘘かほんとかわからない発言をしてきたサクライ先輩の言う「秘密」だ。興味をそそられないといえば嘘になる。
「そうですか。……いえ、僕もそのうちあなたにお伝えしようとは思っていたんです。ただ、それがあなたの方から聞かれことが少し予想外だっただけで」
「そうなのか。それで、フルトの秘密っていうのはなんなんだ?」
「僕、実はいわゆる異世界人なんですよね」
「へぇ、そりゃまたすごい——って、異世界人?」
促した先にさらりと言われたのは、割と衝撃的な秘密だった。
異世界人? 異世界人って、あれだよな。この世界とは別の世界の人間ってことだよな?
「異世界人って……それ本気で言ってるのか?」
「ええ。本気と書いてマジってやつですよ。……ああ、いやこの言い回しはこの世界では通じませんね。すみません」
いや俺には伝わったわ。前世の日本人的な言い回しだよな、それ。しかもちょっと古いぞ。
フルトの表情は相変わらず微笑んだままだ。その表情からさっきの話が本当のことなのかどうかは窺い知れない。
「僕は異世界の日本というところに住んでいました。今いるこの世界よりももっと科学技術の発達した世界です。……ああ、科学というのはこの世界でいう錬金術のようなものです。とにかく、もっと進んだ技術と文明をもった世界に住んでいました。そうですね……ちょうど先日探索に行った前時代の文明のような技術力でしょうか。あちらの方が幾らか進んでいるように見受けられましたが、まぁそこまで変わりはないでしょう」
スラスラと喋り続けるフルト。俺はその話を遮らずに聞きに徹した。
日本ってことは……俺の前世の記憶にあったあの日本ってことか? どうなんだろうな。
「その代わりと言ってはなんですが、魔力なんてものはありませんでしたよ。魔法は御伽噺の中の、創作の中の存在でした」
そう言いながら、フルトはディスクを胸元に掲げる。
「僕はその日本というところで、学生をしていました。学校に通って、授業を受けて、友達と遊んで……その辺りはここもそこまで変わりはありませんが」
「それで、なんでこの世界に来たんだ? というか、どうやって?」
俺がそう聞くと、フルトはディスクから手を離してお手上げと言わんばかりに肩をすくめた。
「わかりません。気づけばこの世界にいたのです。……本当ですよ? こんな荒唐無稽な作り話のような話をしているのに、ここで嘘をつくメリットが僕にはありませんからね」
「確かにメリットはないが」
「僕の主観としては、いつも通りに過ごしていたのです。授業を受けて、帰路につく途中で、気づけばこの世界に。ちょうど、アインスタインさんが爆発事故を起こした日です」
「フィオナが?」
サクライ先輩もそんなことを言ってたな。ループの始まりの日は決まってフィオナの爆発事故の日だって。なんだ、フィオナのやつなんか変な力でも持ってんのか?
「ええ。僕の他にもそれなりに大勢の人間があの日、異世界からこの世界にやってきたみたいです。いきなり何も知らない異世界に飛ばされた僕たち異世界人は寄り集まり、一つの組織を作りました。異世界人が集まり、異世界人の互助をする組織です」
「なんだ、そりゃ。その組織っていうのにフルトも入っているのか?」
「もちろんです。僕がこの士官学校に入れたのも組織のおかげですしね。この五年ほどで、それなりに影響力のある組織になったんですよ? まぁそのせいで軍と折り合いがつかずに、僕の士官学校への入学が遅れたわけですが。大きくなるのも一長一短ですね」
「そんな組織なんて聞いたこともないが」
「公にはしていませんから」
異世界人のより集まる巨大組織、ねぇ……フィオナが聞いたら食いつきそうな内容だな。
「ちなみに、なんで士官学校に入ったんだ。今の言い方だと、何か目的があるように聞こえるんだが」
「目的はありますよ。その目的のために、この話をあなたにしようとしていたんですから。あなたからの信頼を得るために」
「俺からの信頼? なんでそんなものが必要なんだ」
というかこんな話をして、俺からの信頼が得られると思っていたのか。なんだろう、俺ってどう思われてるんだろうか。サクライ先輩もフィオナの方が常識的みたいな話をしていたし、俺はこういう話をすんなり信じるような奴に思われてるのか? 誠に遺憾である。
「将を射んと欲すればまず馬を射よ、という言葉が僕の世界にはありました。僕の、というか僕たち組織の目的は、簡単に言えばアインスタインさんとお近づきになることですよ」
「フィオナと? またなんでそんなことを」
フィオナとお近づきになって何かいいことでもあるのか? こう言ってはなんだが、ぱっと見でわかるあいつの良いところなんて外見くらいなもんだと思うんだが。本人に言ったら殺されそうだから絶対言わないが。
「考えてもみてください。サクライ先輩は彼女を起点にこの世界をループしていると言っていました。そして僕たちは彼女の爆発事故によってこの世界にやってきた。つまり、何か彼女に特別な力があると考えられませんか?」
「フィオナに特別な力?」
あいつに? 魔法適性がめちゃくちゃ高いだけじゃないのか、あいつ。というかサクライ先輩がループしてるって話、フルトたちも知っているのか。
「僕たちには僕たちの情報源があるということです」
「なんだそりゃ。……というか、フィオナの特別な力ってなんだ? 俺が知る限り、あいつにはめちゃくちゃ魔法適性が高いって以外何かあった記憶がないんだが」
そういえばディスク無しで魔法を使ったように見えた場面もあったが、たぶんそういうことではないのだろう。
フルトは相変わらず微笑んだままで、俺にはフルトの内心を読み取ることはできない。
「彼女には、願望を実現する能力がある」
「——はぁ?」
フルトの言葉に、思わず声が漏れた。
願望を実現する能力? 前世の日本のライトノベルじゃあるまいし、そんな力を持った人間がいてたまるか。ましてや、フィオナに?
「お前それは、本気で言ってるのか?」
「もちろんですよ。我々はそう考えているから、僕を彼女の近くに配置したんですから」
「じゃあ、なんだ。この世界はあいつの願った通りに進んでるってことか? お前の話の通りなら。この今の世界が、あいつにとって都合のいい世界なのか?」
そんなことあるわけないだろう。もしそうなら、あいつの母親は死んでないだろうし、父親とだって疎遠になってはいないはずだ。願望を叶える能力とあいつの現在の境遇が合致していない。
「必ずしもそういうわけではありません。彼女は自分の力を自覚していないのですから。いえ、正確に言うなら、彼女は彼女の願望を叶える力を持っているわけではありません」
「フィオナの願望を叶える力を持っているわけではない?」
「ええ、そうです。無意識のうちに、他者の願望を読み取って叶える力がある、と我々は考えています。そうでなければ、あなたのいう通りこの世界は彼女の都合のいいように、もっと違った世界になっていたことでしょう。もちろんこの世界の現状に、彼女自身の願望が少しも反映されていないとは言いませんが、大部分は他者の願望なのではないか、という話です」
「フィオナに、他人の願望を叶えるなんて殊勝な心がけがあるとは思えないが」
「さて、それはどうでしょう。彼女はああ見えて思いやりのある女性だと思いますが」
「思いやりのある人間は俺の首根っこを掴んで引っ張ったりしないと思うんだが」
俺のそんな反論に、フルトは笑うだけだった。
「第一、フィオナの願望でないなら誰の願望を叶えてるっていうんだ」
「いったい誰のなんでしょうね」
その質問にそれ以上フルトは答えなかった。
「僕たち異世界人は、異世界人がいてほしいと願った誰かの願望をアインスタインさんが叶えた結果、この世界に呼び出された。僕たちはそう考えています。そして、そういう力を持っているアインスタインさんの近くにいるために、僕たちはあなたの信頼を得たかったのです」
「どうしてあいつの近くにいるのに俺の信頼が必要なんだ? 別に勝手にあいつと仲良くなれば良くないか」
別に俺なんかいなくたって問題ない気もするが。というか俺と仲良くなったところであいつと仲良くなれるかはわからないだろう。
「逆に聞きますが、あなたはあなたのいないところで彼女が誰かと親しくしている場面を見たことがありますか?」
「ないな」
「それが答えですよ」
いや、でもそれは俺の視界に入ってなかっただけで、俺の知らないところでは仲がいい奴がいたのかもしれない。……これ、あいつに彼氏がいる云々の時にも思ったな。
改めて考えると心配になるな。あいつちゃんと友達作れてるのか?
「まぁ、その話は一旦置いておこう。仮にフィオナが本当にお前が言う力を持ってるとして、あいつの近くにいてお前はどうしたいんだ?」
「基本的には、別に何かをしてもらいたいわけではありません。仮に彼女が自分の力を自覚したとして、じゃあこの世界は自分にとって都合が悪いから作り替えてしまおう、なんて思われでもしてしまったら目も当てられませんしね」
「当てる目も無くなるどころか存在ごと消えそうだな」
「全くです。ですが、彼女に気づかれることなく僕たちの組織の願いを叶えてくれるようにできないか、とも考えているわけです」
「組織の願い?」
なんだ、その謎の異世界人の組織にはわけのわからん力に縋ってまで叶えたい願いがあるのか。秘密組織みたいだし、まさか世界征服とかじゃないよな。
「世界征服ですよ」
「そのまさか!?」
「冗談です」
「おい」
この流れで冗談を言われると何が本当かわからなくなるだろうが!
「本当はもっとシンプルですよ。我々の中には、元の世界に戻りたがっている人たちがたくさんいると言うことです」
そう言われて、俺はなるほどな、と思った。俺の場合は生まれ変わった、と言う意識があったから日本に戻りたいなんてことを思ったこともなかった。前世の記憶はあくまで今の自分とは違うものだと言う意識が強かったのだ。
それに比べて、フルトたちの話を信じるならば、フルトたちの組織の人間は生きている間に突然この世界に来たことになる。そんな状態ならば、元の世界に帰りたいと思っても当然だろう。少し考えればわかりそうなことだ。
「フィオナの力を使って元の世界に戻ろうとしてるのか」
「そういう人たちが多数いる、ということです。僕はそうとも言えませんが」
「……違うのか? それまたなんで」
フルトはディスクをふわりと浮かせる。
「僕は存外、今のこの世界を気に入っています。もちろん元の世界に未練が無いとは言いませんが……もう五年も経ったんです。五年を短いと感じる人もいれば、長いと感じる人もいる。ある程度気持ちの整理をつけるには、僕には十分な時間でした」
「……そうか」
確かに五年は長い。特に俺たちくらいの年齢しか生きていない人間ならば尚更だろう。人生の三分の一くらいの時間だ。俺だって幼い時にこの世界を受け入れるとき、数年で見切りをつけていた記憶がある。
「まぁ、それとは別にして、何かあった時に元の世界に戻る道筋をつけておきたいというのも僕の本音です。だからこの場にいるのですからね」
そう言うとフルトは制服の懐から何かを取り出した。それをテーブルの上に置く。
「いつこの話をして渡そうかとタイミングを伺っていたのですが、今日この話ができたので渡しておきます。組織からの友好の証だと思ってください」
テーブルの上に置かれたのは、俺の前世の記憶でも懐かしいと感じる、折り畳めないタイプの古い携帯電話だった。
「それは僕の元いた世界で『携帯電話』と呼ばれていたものです。僕がいた時代から考えると結構古いタイプのものなのですが、この世界の技術で作ろうと思ったらそのタイプが限界だったみたいです」
「携帯電話、ね」
フルトはテーブルの上の携帯電話を俺の方に差し出してくる。
「電話番号、というものがありまして、その電話番号を押してこのボタンを押すか、もしくはあらかじめ登録してある番号を選んでこのボタンを押せば、その人と遠く離れていても会話ができるというものです。文字を打ち込んでメッセージを送ることもできます。これにはとりあえず僕の連絡先が登録してあるので、どうぞお受け取りください」
差し出された携帯電話をマジマジと見つめる。まさかこの世界でまた携帯電話を見ることになるとは思わなかった。そもそも存在すら忘れていた。携帯電話とか、スマートフォンとか、あったら便利ではあるが、無かったら無かったでそれにあった生活をするだけなのだ。無いものは無いので、別に困ったりもしない。そもそも無いのが当たり前だからな。
「俺、お前と毎日談話室で顔合わせるけど、使い道あるのかこれ」
「友好の証だと思ってください、と言ったじゃないですか。僕たちが世間に秘匿している異世界の技術で作ったものを渡すのですから」
「押し売り業者みたいだな」
「お金は取りませんけどね」
差し出された携帯電話を手に取り、くるくると回して色々な方向から眺める。
——よくできてるな、これ。電話とかメールのやりとりができるってことは、電波的な何かがあるのだろうか。その辺どうなっているのだろう。というか、こんなものを作れるということは、フルトたちの組織とかいうのは本当に異世界の日本ないし地球のどこかからやってきた人たちの集団なのだろう。少なくともこの世界で生きてきて、こんな携帯電話なんて見たこともないし。
そんなふうに勝手に納得している俺を見てどう思ったのか、フルトは「これからもよろしくお願いしますね」なんて言って、話は終わりだと言わんばかりにまたお菓子を摘み始めた。
「まぁ、貰えるもんはもらっておくかな——」
なんて言って、携帯電話を懐にしまった瞬間、俺とフルトのディスク——エンペドクレスがけたたましく鳴り響いた。
甲高い音で不安を煽るようなその音は、以前士官学校の授業で聞いたある音で。
「軍の緊急招集?」
帝国軍からの、駐屯地への緊急招集を告げるアラーム音が、俺たちの耳朶を激しく揺さぶった。
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