第6章

 見慣れた町の風景だ。そこそこの高さのビルがそこそこの間隔で建っている。たくさんの人が出歩いていて、それに合わせるかのように多くの自動車が行き交っている。

 田舎でもないが、都会というにも小さな街は、俺が生まれ育った街だった。

 なぜかそこで俺は一人ぽつんと立ち止まって、空を見上げていた。時々仕事で急いでいるだろう人が俺にぶつかって、小さな舌打ちを残して去っていく。

 「——」

 たくさんの黒い人並みの中に、極端に目立つ赤い髪を見つけて、俺は思わずぽつりと名前を呟く。

 徐々に近づいてくる赤い髪の少女は、口を大きく開けて俺に向かって何かを叫んでいるように見える。だが、人混みと少女との距離から、何を伝えようとしてきているのかはいまいちわからない。

 また俺は空を見上げる。

 空を隠すように建つビルの影に、巨大な何かが見えた気がした。






「外出許可が降りたわ」

 俺たちの部隊の談話室で、フィオナが「外出許可証」と書かれた紙をテーブルに叩きつけながらそう言った。

 俺はフルトとしていたカードゲームの手を止め、フィオナに振り向いた。

「どこに行くんだ? もう決まってるのか」

「まだよ。それをこれから話し合うんじゃない」

 いつの間にか談話室に用意されていた黒板に「第一回不思議探索会議」とチョークで書き込み、その下に「候補地」と書いたフィオナ。それを見ていたフルトが「不思議探索とは?」と声を上げる。

「私たちの部隊は面白いことを見つけたり作ったりすることが目的よ。そのための不思議探索。不思議って面白そうじゃない」

「そうなんですね。この間の実験の羽休めにもなりますし、いいんじゃないでしょうか」

「でしょ? というわけでシャン。どこか候補地を出しなさい」

 こいつ、マジで自分の面白いこと探しにこの部隊を使うつもりだったのか。まぁ、最初からそう言ってたしな。よくそんなので外出許可降りたな。

「いきなり言われてもそんなすぐに出るわけないだろ」

「何よ、使えないわね……フルト君は?」

「申し訳ありませんが、僕は最近こちらにきたばかりでこの辺りの地理や事情に詳しくないんです」

「それじゃ仕方ないわね。カレナは?」

 少し離れたところで、これまたいつの間にかあったラドフォード用の椅子に座り本を読んでいたラドフォードは、顔を上げてフィオナの方を向くとその後なぜか俺の方を見てきた。何なんだ?

「……任せる」

 そう一言言ってまた本に顔を戻した。

 何じゃそりゃ。俺に投げたってことか?

「だって、シャン。何か案を出しなさいよ」

「だからいきなりそんな案が出るわけないって……近所の商店街でも回ってみるか?」

「そんなところに何があるっていうのよ。もっとこう、いかにも何かありそうなところを案に出しなさい」

「いかにもなところなんてそうそうないだろ。……サクライ先輩はどうなんですか?」

 またナオミ先生のお菓子を勝手に取り出して食べていたサクライ先輩に振る。サクライ先輩はお菓子を飲み込み、お茶を飲むと徐に一枚の紙を取り出した。

「あるぜ、探索にぴったりの場所」

 取り出した紙をテーブルの上に広げるサクライ先輩。広げられたのはこの周辺の地図だった。その地図の一箇所に印がついている。ここから少し離れた位置だ。車に乗れば一時間くらいだろうか?

「さすがニノちゃん。シャンとは違うわね」

「ほっとけ。……それでサクライ先輩、そこ何なんですか?」

 サクライ先輩は首から下げていた自分のディスクを起動する。立体映像の術式が起動して、古びてはいるがまだ構造のしっかり残っているコンクリート造りの建物が映し出された。

「これはあんまり知られてないんだけど、ここに前時代の文明の遺跡があるんだよねー。この映像はその入り口だぜ。前時代の文明の遺跡なんていかにもって感じでしょ?」

 この世界には、今の俺たちが生きてる時代より前に、俺たちの文明よりもはるかに高度な文明があったとされている。その遺跡が各地に点在していて、色々と研究がされているらしい。高等科までに学校の歴史の授業でそう言った話はされるのでそれくらいは知っているが、逆にいうと俺が知っているのはそれくらいだ。どんな文明だったとか、どれくらいの技術があったとかは知らない。

 そんな前時代の文明の遺跡がこんな近くにあったのか。何で知られてないんだ?

「前時代の文明の遺跡なんてホントにいかにもって感じね! あたし、前時代の文明にも興味あったのよね。鉄の塊が人を乗せて飛んだり、手のひらサイズの物で遠くの人と一瞬でやりとりできたり、そういうのがあったんでしょ? 一体どういった技術なのかしら。サーティス博士なんて目じゃないわね!」

 顔を輝かせるフィオナ。

 そういえばこの世界にはまだ飛行機がないんだったな。なんて思ったりもした。

「各地にある遺跡は割と有名ですが、なぜそこはあまり知られてないんですか?」

 フルトが尋ねる。

「ここ、実は軍の管理地でさ、普通は入れないんだよね。とりわけ隠してるわけでもないけど、一般人は入れないから有名にもならないってわけ。まぁ入れないボロボロの建物なんて、観光目的の一般人からしたら何にも面白くないしね」

「え、それって俺たちも入れないんじゃないんですか?」

 士官学校の学生とはいえ、俺たちはまだ軍に所属しているわけではない。この間軍の任務に従事したが、身分としては学生のままだ。学生のままということはつまりは一般人だ。

「シャン君、何のために僕がいると思ってんの?」

「え? ……お目付役じゃないんですか?」

「そんなつまんないことのためだけにいるわけじゃないよ。ま、僕が入れるように掛け合っておいたから大丈夫ってこと」

 そんな呆れたように言われても知らんがな。

「他に意見もなさそうだし、そこに決定ね。いいわよね、みんな?」

「僕はかまいませんよ」

「まぁ普通は入れないところに入れるっていうのなら、行ってみたらいいんじゃないか?」

 そう言いながらラドフォードの方を見ると、本から顔を上げて頷いた。

「じゃ、決定ね!」

 フィオナは候補地という文字を消すと、「目的地・遺跡」と書き直した。

「そうと決まれば早速準備よ。出発は明日だから、今日は解散でいいわ。みんなお疲れ様!」

 やれやれ、今日は終わりか。

 俺はフルトの方を向くと、止めていたカードゲームの続きを始めようと、手札に手をかけようとした。

「あんたはあたしと一緒に明日の準備に来るのよ」

「ぐはっ!」

 いきなりの衝撃に手札をテーブルの上に落とす。

 フィオナさん、いい加減後ろから人の襟を掴むのはやめてくれませんかね!






 サクライ先輩が手配した軍用車両に揺られること一時間ほど。俺たちは今回の目的地になる遺跡に到着した。

 ナオミ先生は不在だ。「遺跡の探索に私がついていく必要もないでしょ? 軍で管理されてるところだし」というのはナオミ先生の言だが、本音はサボりたいだけだろう。そんな感じが見て取れる。

「ここに来るのも何回目かな」

 車から降りながらサクライ先輩がそんなことを言う。

「何度か来たことがあるんですか?」

 俺たちもサクライ先輩に続いて車から降りる。

「まぁ、そうとも言えるかな」

 不思議な言い回しで答えるサクライ先輩。どういう意味か問い返す前に、フィオナが車から降りて騒ぎ出した。

「ここが前時代の遺跡ね!」

 ディスクの記録機能で遺跡の外観を記録しまくるフィオナ。

 遺跡の外見は何というか、俺が想像する「遺跡」という感じではなかった。俺の想像する遺跡は洞窟に何か施設がくっついてるとか、遺跡の遺構だけが残ってる感じだとか、そういうものを想像していたのだが、ここは全く違った。

 外見としては二階建てくらいの鉄筋コンクリート造の施設という感じの建物だ。広さ的には結構な広さがある。田舎の学校くらいの大きさか……? 学校の大きさなんてまちまちだから参考になるかどうかはわからないが。

 中に鉄筋が入っているかどうかなんてわからないが、見た目はそんな感じだ。鉄筋が入っているかどうかわからないということは、つまり外観がそれほど傷んでいないということだ。前時代の文明が三千年くらい前の文明だということを考えると、この外観の痛み具合はどんな技術力なんだと思うが、目の前にあるのだから仕方ない。

 でもこの遺跡、前世の記憶にも今世の記憶にも全く覚えがないのに、どこか見覚えがあるような気がする。いや本当に、気がするだけなんだけどなんか気になるんだよな。

「役所とか、もしくは研究施設とか言った外観な気がする建物ですね」

 車から降りてきたフルトがそんなことを言う。

 言われてみれば確かに、無骨な建物はそんな感じがする。間違ってもお洒落な商業施設的な建物ではなさそうな外観だ。

 最後にラドフォードが降りてきて、車の運転手は「ではまた、指定の時間に迎えにきます」とだけ言い残して去って行った。

「ニノちゃん、ここはどういった施設なのかしら?」

 全員が降りてきたタイミングで、フィオナがサクライ先輩に問う。何の遺跡かということはフィオナが「直前に聞きましょう」と言って聞いてこなかったが、今それをフィオナが質問した。

「何かの研究施設だったって考えられてる、って程度にしかわかってないかなー。何せセキュリティが色々あってね。それらのセキュリティが何で未だに動いてるのかってのもよくわかってないんだけど、まぁ簡単には調べさせてくれないってわけ」

 研究施設、か……。前時代の文明の研究って何を研究してたんだろうな。今の時代よりも技術は相当進んでたってことだし、俺たちには想像もつかないようなことを研究してたのか?

「謎の研究施設ってことね。ますます面白そうじゃない!」

 ニノちゃんの返答にテンションを上げるフィオナ。

「結構広そうな建物よね。全員でまとまって中を巡るのもいいけど、ここは効率良くいきたいところね」

「てことは、なんだ。全員バラバラにいくのか?」

「それも考えたけど、万が一何かあった時に対処できないから二手に分かれましょう。ちょうど入り口入ってから左右に道が分かれてるみたいだし」

 正面玄関らしき入り口からは、確かに左右に道が分かれている。二手に分かれるっていうのは効率の面で言えば確かに悪くはないだろう。まぁ正直、軍が管理してるって話だしこの遺跡は安全な場所だと思うんだが。

「そうだね。軍が管理してるって言っても全容が明らかになってるわけじゃないんだぜ。さっきも言ったけどセキュリティが生きてるところもあって、中に入れない部屋とかもあったりするし。だからこそ、今回僕たちが探索できるんだけどねー。ほら、これ、一応軍からの任務って形で引っ張ってきた探索だからさ」

「入れるように掛け合っておいたって、そういうことだったんですか……」

 詰まるところ、軍から任務として言い渡されるくらいには危険が伴うということだ。

「適度なスリルがあった方が面白くなるかもしれませんよ?」

 俺の横でフルトがそんなことを言うが、俺としてはごめんだな。俺はできるだけ平穏に生きていたいのだ。

「フルト君の言う通りよ! 適度な緊張感を持って探索にあたりましょう!」

 満面の笑みのフィオナに、サクライ先輩も「そうだねー」なんて言って頷いている。

「ちなみにサクライ先輩、ちょっとお聞きしたいんですけど」

「何かなー?」

「この遺跡の探索で死んだ人とかっていませんよね……?」

 俺の問いにサクライ先輩は俺の方を振り向いて、ぱちっとウィンクをした。

「……秘密だぜ!」






「くじ引きをしましょう」

 遺跡の入り口に入ったところで、フィオナが制服のポケットから五本の小さな木の棒を取り出した。二本は先が赤く塗られていて、三本は緑に塗られていた。

「一発勝負、文句は受け付けないわ」

 くじ引き用の棒をぐっと握りしめるフィオナ。そのまま俺たちに手を突き出した。

「これでチーム分けってことか?」

「そうよ。文句ある?」

 憮然としているフィオナ。

 危険があるかもしれない遺跡の探索チームを、くじ引きで分けようとするその姿勢には正直言って文句は大有りだが、まぁ俺が言ったところでこいつは聞きはしないだろう。

 フルトやサクライ先輩が何か言ってくれないかなーと期待をこめて二人の方をチラリと見るが、フルトはニコニコしながら「誰から引きますか?」なんて言ってやがるし、サクライ先輩は「僕ってくじ運強いんだよねー」とか言いながらすでに手を伸ばしていた。だめだこりゃ。

「……文句ないわ」

「お、赤だ。次誰引く?」

 俺とフィオナのやりとりを丸っと無視してくじを引いたサクライ先輩は、先が赤く塗られた棒を掲げた。

 ……まぁ、危険があるかもしれないと言っても、俺たち学生に任務として出してしまう程度の遺跡探索なのだし、そこまで危険はないと思うしかない。前回の任務で学生なのに死にかけたのが特殊な事例なのであって、普通学生にそんな危険な任務は割り振らないだろう。たぶん。おそらく。……自信は無いが。

 などと俺が一人でうだうだ考えている間に次にくじを引いたのは、意外にも今までずっと黙ってついてきていたラドフォードだった。

「緑を引いた」

 特に感情を表す様子もなく淡々と報告するラドフォード。相変わらず表情筋が仕事をしていないが、もうそれが当たり前すぎて特に何も思わなくなってきたな。

 サクライ先輩が赤に、ラドフォードが緑か。残りは赤一に緑二。どっちを引いても俺としては構わないが……。

 何となくフィオナの顔を見る。何故かフィオナは睨みつけるようにくじを見ていた。

「僕は残り物で構いませんので、お先にどうぞ」

 フルトがそう言って順番を譲ってきた。

 俺も別に残り物でいいんだが、まぁ断る理由もないしな。遠慮なく引かせてもらうとするか。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 そう一言断ってからくじに手を伸ばす。相変わらずフィオナはくじをめちゃくちゃ睨みつけている。

 そんなに睨みつけてるとちょっと引きにくいんだが。

「……赤だな」

 俺が掴んだくじの先は赤く塗られていた。

「僕と一緒のチームだね。仲良くしようぜ?」

「そうですね。よろしくお願いします」

 と言うことは、残りは二本とも緑が確定した分けだから、チーム分けは終了だ。

「残り二本は緑なので、僕とアインスタインさん、ラドフォードさんのチームですね。お二方、よろしくお願いします」

 フルトの言葉に頷くラドフォード。フィオナはそんな二人を無視して、自分が握っているくじを未だに睨みつけている。あまりにじっと睨みつけているせいでだんだん変顔になってきているくらいだ。

「なんだ、フィオナ。自分が用意したくじに何か不満でもあるのか?」

 あまりにもアレだったので思わず声をかけてしまった。

 フィオナは不機嫌そうにくじをしまうと「別に!」と言って俺に背を向けてフルトとラドフォードに合流した。何なんだあいつは……?






「いーい? デートじゃないのよ? 可愛い先輩と二人きりだからって遊んで終わりなんて許さないからね!? わかった!?」

 二手に分かれた後の探索先や合流時間など決めていざ探索、と言う別れ際にフィオナはそんなことを大声で俺に言ってきた。

 言われなくてもこんなところでデートになるわけないと思うんだが。しかもサクライ先輩と? ……ないわ、絶対。

 だいたいなんでフィオナは自分で決めたくじ引きの結果にイライラしてるんだよ。

「心配しなくてもそんなことにはならないぜ? ま、フィオナちゃんたちはフィオナちゃんたちで楽しんできなよ」

 なんてサクライ先輩の言葉を背に、フィオナは「行くわよ!」とフルトとラドフォードを引き連れて出発して行った。

「あのフィオナちゃんが、あんなふうにねぇ……」

 そんなことを呟くサクライ先輩に違和感を覚える。まるで昔のフィオナを知っているような口ぶりだ。

「……サクライ先輩は昔のフィオナを知ってるんですか? 士官学校で知り合ったって感じの話だった気がするんですが」

「んー……ま、何というか……言葉の綾ってやつだよ。ほら、僕たちも行こうぜ?」

 そう言って歩き出したサクライ先輩の後を着いて行く。

 あの口ぶりではしゃべる気はなさそうだ。自分で言うのも何だが、ほぼずっとフィオナと一緒にいた俺がサクライ先輩のことを今の学校に入るまで知らなかったのだから、小さい頃にフィオナとサクライ先輩が知り合いだったってことはなさそうだが。

 まぁ俺はサクライ先輩のことをよく知らないし、もしかしたらって可能性もなくはないが。

 俺たちは遺跡の廊下をまっすぐ歩いていく。軍が管理しているためか遺跡だと言う割にはしっかり掃除されており、ほこりっぽさとか砂利やゴミなんかは無い。遺跡だと知らなければ今でも普通に使われている研究所だと思ってしまうだろう。

 窓から太陽の光が差し込んできていて廊下は比較的明るい。流石に窓ガラスは新しいものが取り付けられているようだ。綺麗な透明のガラスが嵌め込まれている。昔は透明な窓ではなく、外から見えないようにすりガラスが取り付けられていたはずだ。

「サクライ先輩、窓ガラスは最近取り替えたんですか?」

「まぁ最近ってほどでもないけど、取り替えたのは確かだね。取り替えたっていうか、無くなってたから新しく嵌め込んだだけなんだけど。どうしてそんなこと聞くの?」

「いや、昔は今ある透明のガラスじゃなくて、すりガラスが付いていたなって思って」

 俺の言葉に、先を歩いていたサクライ先輩が立ち止まって振り向く。その顔は怪訝そうな表情に彩られていた。

「……何でそんなこと知ってるの? この遺跡が発見された時には窓ガラスなんて枠しか残ってなかったのに」

「何でって……」

 ……何でだ? 何で俺はすりガラスが付いていた、なんて知ってるんだ? この遺跡に来たのはこれが初めてだ。そもそもさっきのサクライ先輩の言葉通りなら、この遺跡が発見されたときには窓ガラスなんて残ってなかった事になる。すりガラスが付いていたなんてこと、知りようがない。それなのに何で俺はそれが当たり前のように考えたんだ?

「……何ででしょうね。分かりません」

 俺は正直に答えた。

 実際わからないのだからそれ以上の言いようがない。

 確かにこの遺跡の入り口を見たとき、既視感がするような、何とも言えない違和感はあった。でもデジャヴ的なものは日常生活でもごく稀に感じたりするし、そこまで不審に思うことではない。でも、今回は別だ。デジャヴなんてものではない。ごく自然と、それが当たり前だったかのようにその考えが浮かんだのだ。

「ふーん……ま、すりガラスがついてたなんて確かめようもないし、君が単にそう感じただけかもしれないね」

 なんてサクライ先輩は言うが、本当にそうなのだろうか? でも、そうと思うしかないようにも感じる。

 何とも言えない奇妙な違和感を感じたまま、俺は再び歩き始めたサクライ先輩の後をついて行く。

 廊下にあったいくつかの扉を無視して、廊下の突き当たりまで歩いて行く。そこには上に伸びる階段と、下に続く階段があった。

「上の方は軍がほとんど調べ尽くしてるから、僕たちは下の方に行こうか」

「下の方は軍は調べてないんですか?」

「調べられるところは調べてるけど、上の階ほど進んではないかな。もちろん今僕たちが進んできた一階が一番調査が進んでるんだけど。だから目の前を通った部屋を全部無視してきたわけだし」

「軍が調べられてないところを進むのって危なくないんですか?」

「危ないかどうかを調べるのも探索任務の内だよ」

「……そうですか」

 下の方は何となく見たくないというか、見てはいけない気がするんだよな。ほんと、気がするだけなんだが。ただまぁ、調べられていないところを調べるのが探索任務なら、サクライ先輩の言っていることは至極もっともで、俺が反対する理由は思い浮かばない。

 俺とサクライ先輩は階段を降りていく。

 当然地下は日の光が届かないので、真っ暗だ。真っ暗で何も見えない方に向かって降りて行くのは、何だかそこの見えない穴の中に降りて行っている気分にさせられる。大袈裟な表現ではあるが。

 階段を降り切って真っ暗の中にたたずむ。といっても背後からは一階からの光が僅かに届いているので、今のところ完全に暗闇というわけではない。

 そんな中、サクライ先輩は手で壁をペタペタ触っていた。と思ったら、いきなり眩しいくらいに光が降り注いで、地下を照らし出した。

「まぶしっ」

「おー、ついたついた」

 明るすぎて思わず目を瞑って腕で庇う。徐々に光に目が慣れてきたところで周囲の光景を見ようと目を開けた。

「……電気?」

 そこには、蛍光灯に煌々と照らされた無機質な廊下が奥の方まで続いていた。この地下の廊下もある程度掃除が行き届いているように見えるが、一階ほど綺麗にされてはいないらしい。

 ここは地下の端の廊下なのだろう。廊下の片側にだけ扉が複数あり、廊下の真ん中あたりと奥の方の突き当たりで左側に道が続いているようだった。

「お? この灯りのこと知ってるんだ」

 そう言われてハッとする。確かに俺は前世の記憶のおかげで蛍光灯と電気のことを知っているが、そういえばこの世界には電気を利用した灯りはない。代わりに魔力を光に変換する「魔光灯」なるものがあるが、形としては電球っぽい丸型で蛍光灯のような細長い円柱状ではない。

「たまたまそういう名前が浮かんだだけです」

 咄嗟にそう返す。特段前世の記憶について隠しているわけではないが、別に積極的に話しているわけでもない。説明が面倒だし、そもそも普通は信じてもらえないしな。

 まぁ前時代の文明でこれが蛍光灯って呼ばれてたかどうかなんて知らないしな。別の呼び方だったかもしれないし。

「たまたま? へえ、たまたまでこの灯りの名前を当てるんだ。シャン君はすごいねー」

「ええ、たまたまです。……ていうか本当にこの灯りって電気って言うんですか?」

「発見された資料から、この天井についている細長い棒みたいなやつに電気ってやつを流して光らせてるってことはわかってるぜ。細長い棒みたいなやつは蛍光灯って言うらしいんだけど。ま、僕には詳しい原理はよくわからないけど、とりあえず僕がさっき押したスイッチを押せば灯りがつくってわけ」

 そう言ってサクライ先輩は壁に設置されているスイッチを指さした。そこには日本でよく見た記憶のある、あのパチパチとオンオフを切り替えるスイッチが付いていた。

 スイッチを押したら灯りがつく。……電源の供給とかどうなってんだ? 発電所なんて無いし、まさかこの施設未だに自力で発電してるのか? どうやって? 核融合炉か何かでもあるの?

「とりあえず奥に行こうぜ? 軍が調査できなかった入れない部屋とかあるし、そういうところにどんどん挑戦していこう」

 歩き出したサクライ先輩に追従する。

「それにしても、何を研究していたんでしょうね」

 こんな三千年以上も形を保ったままの丈夫な建物を造って、一体何の研究をしていたのだろうか。地下にも建物が広がってるし、外に出したらやばいものの研究とかか? 細菌とか、感染症とか。

 いや、むしろ中からというよりは、外から壊されないためとか? ……壊獣的な? ……まさかな。

「壊獣の研究だよ」

 壊獣の研究か。まぁ壊獣の研究なら確かに頑丈そうな建物とか必要そうだよな。何せめちゃくちゃでかい怪物だったって話だし……神話の中の話だけど。

「ここは壊獣の研究をしていたんだ」

 もう一度言うサクライ先輩をまじまじと見つめる。冗談じゃなかったのか。

 壊獣の研究? 神話の研究でもしてたってのか? 三千年も前に?

 というか、ここに入る前に、何の研究をしていたかはわからないみたいなこと言ってなかったか?

「サクライ先輩、ここに入る前に何の研究をしているかはわからないみたいなこと言ってませんでしたか」

「そうだね」

「なら、どうして壊獣の研究をしていたなんて言ったんですか」

「壊獣の研究をしていたからだけど?」

 歩きながら当然のことのように言うサクライ先輩。

「それはわかってないことなんじゃなかったんですか」

「軍はね」

 そのまま歩き続けて、やだて一つの扉の前で止まった。

 その扉は閉ざされていて、扉の横にはタッチパネルのようなものが光っていた。

「今日僕はさ、実は君に話があってここにきたんだよね」

「はぁ……どういうことですか?」

 今日のサクライ先輩は少しおかしい。いやまだ短い付き合いだし、サクライ先輩はこんな人だ! なんて自信を持って言えるわけではないが、なんかおかしい。

 そんなサクライ先輩が俺に話? ……あんまりいい予感はしないな。

「ところでシャン君はこれが何か知ってる?」

 タッチパネルを指さすサクライ先輩。そこには0から9までの数字が表示されていて、画面上部には八桁の空間が空いている。前世の記憶で見たパスワード入力画面みたいな感じだ。

 サクライ先輩の言う「これ」がタッチパネルを指しているのか、パスワードを打ち込む画面というか、パスワードのことを指しているのかわからない。そもそもなんて答えるのが正解なんだ? 俺がタッチパネルのことを知ってるのもおかしいし、パスワードのことを知っているのもおかしい。まぁパスワードなんてわからないんだが。

 少し考えて、俺は「分かりません」と答えた。

「そっか。ま、そうだよね。簡単に説明すると、この画面の数字のところを触ると、画面の上のところに触った数字が表示されていく。正しい順番で八桁の数字を触れば、この部屋の鍵が開いて中に入れるようになるってわけ」

 やっぱりパスワード入力の画面だったのか。進んだ技術を持ってた文明だったのなら、生体認証的なロックもありそうなもんだが……元々なかったのか壊れたのか。結局古典的なパスワードが一番信頼できるって所長も言ってた気がするな……。

「シャン君、ちょっと押してみてくれない?」

「俺がですか?」

「うん。ここのパズワードってまだわかってなくてさ。僕はもちろん、軍の人も入ったことのない部屋なんだよね」

「いや俺、正解なんて分かりませんけど」

「大丈夫大丈夫。誰も知らないし、試しにぽちぽちってやってみてよ」

「はぁ……わかりました。ちなみにこれ、間違えたからって何かペナルティとか無いですよね?」

 間違えた瞬間急にトラップが作動して帰らぬ人になるとか、そういう系のやつだったら絶対やらんぞ、俺は。

 そんな俺の心配をよそに、サクライ先輩は笑って「ないない」と言った。

「今まで軍の人が何回かチャレンジしたみたいだけど何もなかったって。だから間違えても大丈夫だぜ」

「それほんとなんですよね?」

「大丈夫だって。何なら試しに僕が先にやってみようか?」

 なんて言って、俺の返事も聞かずにサクライ先輩はぽちぽちっと数字を押してしまう。すると「パスワードが間違っています。もう一度やり直してください。あと二回間違えると自動で警備会社と警察に連絡をします」という表示が出た後、先程の入力画面に戻った。

 あー……まぁ、この時代に前時代の文明の警備会社とか警察とか残ってないし、パスワード入力を間違えた結果起こる処理がこれだけなら、確かに俺たちにとってみれば何も起きないに等しいな。

「ね? 何も起きなかったでしょ?」

「そうですね。まぁ適当に押してみますけど、何が正解かなんてわからないんで文句言わないでくださいよ」

 適当にパスワードを打ち込んでいく。わからないから本当に適当だ。

 当然間違っていて、さっきと同じ画面がもう一度出てくる。当たり前だが。

「もう一回お願い」

「何も変わらないと思うんですけど」

「いいから」

 何だろう、押しが強いな。そもそもわからないのにパスワードを打ち込む意味があるのかこれ。ドアなり壁なり壊して入った方が早くない?

「中に何があるかわからないのに、そんなことして大事な資料が壊れたりしたらどうするのさ。どうしてもっていう時の最終手段だぜそれは」

「まぁ、確かにそうですね。……これ三回間違えたらしばらく数字打ち込めなくなったりしませんか?」

「よくわかったね。丸々一日は反応しなくなるよ」

 やっぱりそうか。この手のやつはだいたいそんな感じがしたんだよな。スマートフォンのロック解除とか、間違え続けたら面倒臭かった気がするし。

 四桁くらいなら偶然で当たるかもしれないけど、八桁なんて偶然じゃ当たらないよな……。それで当てたらどんな確率だ? って話だ。

 んー……まぁ、外したところで俺に何かペナルティがあるわけでもないしもう一回適当に押そうか。八桁だろ? 八桁。

「……20251114」

 何となく思い浮かんだ数字だ。特に意味はない、と思う。

 ぽちぽちと数字を押し終わる。

 まぁ間違ってるだろうな。特に反応もないし。存在しない警備会社と警察に連絡がいって終わりだろ。

『パスワードを認証しました。ロックを解除します』

 ガチャリ、と何かが外れる音がした。

「……は?」

 ……え? 開いた? なんで? いや、そりゃパスワードがあってたからなんだろうけど、いやいやいや……え? なんであうの? 思い浮かんだ数字を打ち込んだだけだぞ?

「やっぱり、シャン君はここを開けられるんだね」

 呆気に取られている俺をよそに、サクライ先輩は鍵の空いたドアを開けて中に入っていく。慌てて俺もサクライ先輩についていって部屋に入った。

「やっぱりってどういうことですか?」

 部屋の中は実験台と思しき頑丈そうな机が中央に置かれていて、大量の資料が詰まった本棚が壁際にあって、本棚の反対側には今生で初めて見たデスクトップパソコンが置かれた机が配置されていた。

「さっき、僕は君に話があるって言っただろ?」

「そういえばそうですね」

 この部屋に入る前にそんなことを言ってたな、確かに。

「だからちょっと、くじ引きの結果を弄らせてもらったんだ。フィオナちゃんには悪いことをしたと思ってるけど」

「くじ引きの結果を弄る? そんなことどうやって……というかなんのためにですか? 俺に話があるならわざわざそんなことしなくても、談話室で話せばよかったんじゃ?」

 いちいちこんなところで話をしなくてもよかったはずだ。わざわざこんなところで、一体なんの話をするんだ? 他の人に聞かれたくない話とかか? 愛の告白ってことはまずあり得ないだろうしな。なんなんだ、一体。

「ま、僕くらいになるとくじのひとつやふたつ弄るのなんて朝飯前だぜ。それで、わざわざここに来たのは君がさっきのドアを開けられるのか見たかったっていうのと、あまり他の人に聞かれたくない話をしようかなって思ったからさ」

 そう言いながらサクライ先輩はデスクトップパソコンに近付いていった。パソコンの埃を軽くはたき落とすと、電源ボタンを押す。

 この施設の電気が生きているのだから、もしかしたらつくのかもしれない。と思っていたパソコンは、俺の思いと同じく電源がついた。

 それにしても、掴み所の難しいサクライ先輩の他の人にあまり聞かれたくない話って……。いったいどんな話なんだ? 全くいい予感はしないが。

「あー……シャン君、パスワードはなんだったっけ」

「KKK20251114ですよ」

「あーそうそう、ありがと」

 ……いや待て、俺今なんて言った? KKK20251114? なんでこんなところにあるパソコンのパスワードなんてすらっと口から出てくるんだ? どう考えてもおかしいだろ、それは。

 パスワードを打ち込んだパソコンはデスクトップ画面が立ち上がる。サクライ先輩はエクスプローラーを開き、そこからデータを探している。

 目当てのデータを見つけたのか、サクライ先輩はそのデータをダブルクリックした。それは一つの動画ファイルだった。

「ねぇシャン君」

 動画ファイルの再生が始まり、モニターにフルスクリーンで映し出される。その映像の中には、前世の日本によく似た街並みが広がっていた。

 サクライ先輩が俺の方に振り返る。

「僕はこれからあり得ないなって思われるような話をするんだけど、あり得ないなんてことはあり得ないってことで、一つ話を聞いて欲しいんだ」

 俺はまだどうしてこの部屋やパソコンのパスワードがわかったのか? ということや、サクライ先輩がいきなり動画を再生し始めたことに混乱していて、まともに返事をすることができずに頷き返した。

 サクライ先輩は次の言葉を紡ぐのにゆっくりと溜めを作った。もしかしたら俺がそう感じただけかもしれない。そう感じるくらい、サクライ先輩が言った言葉に俺はまた頭を混乱させられたのだ。

「実は僕、してるんだよね」

 うっすらと顔を笑みの形に変えてそう口にしたサクライ先輩の表情は、同時にとても疲れているようにも見えた。

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