第17話 百井シロカと時浜アオイ

 東京、江東区。夏真っ盛りの日差しとアスファルトからの照り返しが熱いそんな中。


 イベントで人がごった返すところから、少し外れた高台の公園のベンチでその人は待っていた。


 幅広の麦わら帽子に、ゆるめの白のトップス、可愛げのある空色のホットパンツに薄いサングラスをかけた。お洒落めいた女の人……女の人に見えるんだけどなあ。


 「はろーはろー、聞いてた通り真っ白で目立つねえ。百井シロカで、あってる?」


 「はい……」


 イベントがあるせいか、異様にごった返した駅の中、私はもみくちゃにされ既に息も絶え絶えになって、ようやくその公園に辿りついていた。正直、もう帰りたいけど、アカネからのメッセージもあるし帰るわけにはいかなかった。


 その女の人……ではないんだけど、女の人っぽい見た目の人は、高めのハスキーボイスで疲労した私をからから笑う。疑ってかかれば確かに、男性としてみることはできるけど、そう思わなければ普通に女性としてスルーしてしまいそうな声だ。


 「いやあ、大変だったでしょ、ここに来るまで。なにせ人多かっただろうし」


 「ま、まあ。なんかいつも以上に、コスプレって変な人に絡まれました。カメラ持ってる人いっぱいいるし……」


 見知らぬ人に声をかけられることはあっても、写真撮影までせがまれることはなかったんだけど。


 「ま、今日はそういう日だしねえ。アカネから聞いてない?」


 「いえ、何にも。あなたを探せとしか」


 そもそも探したところで、何があるのか、それすら分かっていないわけだけど。


 そんな私にその人は、にやにや笑いながらベンチから立ち上がると、歩き出した。


 「ま、とりあえず落ち着けるところまでいこっか、百井シロカさん?」


 「は、はあ、それであなたは……?」


 名前すら分からないその人は、私をみつめてにやっと笑うと、歩きながらしゃべりだした。


 「時浜アオイ、あ、でもここで呼ぶときはコスネームでアオって呼んでくれると助かるかなあ。実名はちょっと困るんだ。君もシロって呼ぼう」


 「はあ……」


 よくわからないまま、私はそこから少し歩いた喫茶店に通された。結構古びた喫茶店だけど、結構人が入っていて、何故だか随分と席同士の区切りの多い店だった。


 クーラーが効いた店内で窓から離れた席に二人で腰を下ろした。


 改めて、メニューを広げて思案する時浜アオイを観察する。それなりに近い距離で観察しても改めて女性にしか見えない。いわゆる女装というのはどうしても特徴が表れる部分が決まっている。頬の輪郭線とか手足の骨ばった感じとか、肩幅から腰に掛けたシルエットとか。


 チョイスしている服装がそういった要素を巧妙に隠すようにできているのだと、あらかじめ先入観をもってぎりぎり見破れる程度のものだ。うーん、凄まじい。ちょっと小説の題材にしたいくらい。


 そんなこんなで、私はアイスティーを、時浜アオイはカフェオレを頼んで運ばれてくるのを待つ。


 私が微妙に話しあぐねていると、彼は軽くニヤッと笑う。そういういたずらっぽい笑みは少し男の子っぽいかった。


 「にしても、あの写真でよく僕だってわかったね」


 「え……と、まあ。決め手はほくろと手の傷かな?」


 あれが、結局男女の違い関係なく個人として特定できる要素だったし。


 「ふーん……あ、これか。よくこんなんで見つけたね?」


 「うん……そういうの、細かいこと調べるのは得意だから。一応、そういう個人を特定するノウハウみたいなのもあるし。見るべきポイントや特徴が出やすい部分とか」


 「ふうん、すごいなあ。……あ、撮り損ねた」


 カシャと小さく音がした。


 え、と私が呆けている間に、彼はスマホのカメラを窓の外に向けて軽く舌打ちした。


 「あの……撮り損ねたって?」


 「んー、いや、どうもこの会場近くに来てから尾行されてるっぽいんだよね。悪質なファンかなーって。さっき、窓の外に顔見えたから写真撮ってやろうと思ったんだけど、外しちゃった」


 「へ、へえー……」


 そういえば、コスプレのツイッターアカウントは凄まじい数のフォロー数だった。私は公式のツイッターアカウントなんて持ってないから厄介なSNS絡みの経験はないけど、そこまでなると、やっぱり厄介なファンというのはいるものなのだろうか。


 なんて私の関心をよそに、軽く息を吐いた彼はそっと私に目線を戻した。


 「ま、どっか行ったから。しばらくは大丈夫だよ、ごめんね巻き込んじゃったみたいで」


 「う、ううん、私は大丈夫だけど。大変だね……?」


 「まあねー……、僕、まあ一応、素性は隠してるからさ。あーいう、素顔見てやろうみたいなのが一定数出てくるんだよねー、最近はなかったんだけど」


 「ふうん……」


 「で、話が逸れたね。アカネのことでしょ」


 彼はにこっと人懐っこそうな笑みを浮かべると、そう問うてきた。私は若干、自分とは違う明るい属性に気おされながら首を縦に振る。


 「はい、えっと。あなたからキーワードを聞き出すってことでしたけど」


 「うん。そう、出会ったらキーワード教えることになってるけど、タダで教えるってつまんないじゃん?」


 「…………」


 内心、軽く息を吐いた。


 うん、そうくることはわかってた。なにせ、タイムリミットは三日ある。調査の分を差し引いても、その時間設定でこの人に会って終わりとは考えにくかったから。


 さあ、何が来るかな。謎かけか、今回の人探しみたいな課題か。ぶっつけ本番での対応は苦手だけど、やるだけやるしかない。


 「あー、心配しないでいいよ。今日、一日で絶対終わるし。僕としては、キーワード話してはい終わりだとつまんないから、シロと話してみたかっただけだしね」


 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼はけらけらと笑ってた。


 私は彼の言葉にはてと首を傾げる。


 「私と、話、ですか?」


 「そう、模試のたびにアカネから噂話は散々聞いてたからね、どんな人か気になるのが自然じゃない?」


 「まあ、そうかもですね」


 「うん、シロが創った手紙もさ、僕見たけど全然わかんなかったもん。あれ、ヒントどれくらいで解く前提になってるの?」


 「あれは……まあ、合坂アカネならヒントなしで解いてくるかなとは」


 「うげえ……、想定値が高いなあ、まあそういう話では聞いてたけど」


 彼は少し呆れたような顔をしてから笑みに口を曲げた、それがなんだか面白くて私もなんとなく笑ってしまう。


 「でも、実際ヒント0で解かれたみたいで、ちょっと嬉しいです。こうなるかなとは想ってたけど、本当に期待通りとは」


 「そこはアカネも大概、おかしいからなあ……、気が合うねえってとこなのか」


 出会ったこともない相手だけど、なんだかずっと仲の良かった友達の話を二人でするみたいで、ちょっとだけ楽しかった。


 そうやって話をするうちに、飲み物が来て熱い身体に二人して冷たいものを流し込む。結構、長いこと歩いたからちょっと疲れ気味だけど、ふうと息を吐くと少し気持ちが楽になる。


 それからは、まだ予定まで時間があるらしく他愛もない話をした。


 「というか、それ地毛?」


 「え、うん。生まれつき、かな」


 「へえ、いいね。きれいじゃん」


 「外国人とよく間違えられるけどね、コスプレとも」


 「あら、じゃあ今日酷かったでしょ?」


 「ほんっと、なんかカメラ持った人に囲まれちゃって、何のキャラですか? って。キャラじゃないって言っても信じてもらえなくて……」


 「あはは、災難だ。ごめんね、こんなとこ呼び出して」


 「はは、えーと、今、イベントしてるんだっけ」


 「そ、でっかいイベント、結構有名でしょ。来たことある?」


 「なーい。なにぶん、人混みが苦手なもので」


 「そいつは大変、ま、後でちょっとだけ付き合ってもらうけどね」


 「えー……、それが課題だったりしますか」


 「ま、そういうことだね」


 「うひゃー」


 「漫画とか同人グッズも売ってるよ、好きなサブカル系ないの?」


 「うーん、資料としては読むけど、入れ込んでるのはあんまりないかなあ……大体、自分で調べるし」


 「そーいうもんか、ま、歩き回るだけでも意外と楽しいよ」


 「はーい……」


 「ふーむ、やる気が上がらないならご褒美だそうか?」


 「……?」


 「今、アカネについて、何か質問に答えよう。で、クリアしたらもう一つ、何か質問できる、とか」


 「……ふむ」


 「やる気になった?」


 「ちょっと」


 「そいつは上々、じゃ、最初の質問。お好きなのどうぞ?」


 「うーん……アオさんとアカネはどういう関係?」


 「アオでいいよ。……うーん。難しいな。どーいう関係なんだろうなあいつは」


 「……」


 「クラスメイトで、悪友で、ボタンの弄り仲間で、コスプレ仲間で、オタク仲間、最近一緒に唄ってみたも上げたなあ」


 「おおう……」


 「へんてこな奴だよ、多分、それこそ日本中探して、一人か二人いるかどうかのへんてこな奴だ。その分、楽しいけどね」


 「……」


 「ん、どうしたの?」


 「いや、うちの妹が合坂アカネとあってるんですけど、似たようなこと言ってたなって、楽しそうな人だったって」


 「あはは、だろうねえ。あいつはそーいうやつだ。……こっちからも質問していい?」


 「あ、どうぞ」


 「つっても、色々聞きたいことあるんだよなあ……。何がいいかな、———ってスマホゲーム知ってる?」


 「テレビで名前を聞いたことは……ありますけど」


 「それで充分。コスプレ経験は?」


 「ない……ですけど」


 「ふむふむ、体力ある人? 熱中症なりやすいとか?」


 「あー、ちょっと日差しには弱い……ですね」


 「おっけ、おっけ。じゃ、時間は短めでいこう。ちなみに最後の質問だけど」


 「え……はい」


 「アカネと会ったら何がしたい?」


 アオイは優しく笑ってそう尋ねた。


 少しだけ、考える。


 想像はきっと何度だってした。


 顔も知らないあなた、声も知らないあなた。


 そんなあなたと出会うこと、そして何をしようって、何度だって考えた。色々、数えきれないほど、考えた。


 たくさんの準備をしてサプライズをしようかとか、練りに練った台詞を言おうかとか、想い出の場所に連れていこうかとか、そんなことを考えていたんだけれど。


 未だに答えは決まってない。


 だから、きっと。


 「話がしたいかな」


 「話?」


 「うん、合坂アカネが今までどういう風に生きてきたか、私が今までどうやって生きてきたか。何が好き、何が嫌いか、どうしたら楽しくて、どうしたら嫌か。これから何がしたくて、これから何ができるか」


 「……うん」


 「そういうことの話が……したいかな」


 出会ったときに決めるんだ。


 二人で、何をするのかを。


 アオイは軽く笑って、頷いた。


 「いいね、シロならちゃんと、そうやって隣で歩けるんだろ」


 ちょっと嬉しいような、ちょっと寂しいような。


 そんな不思議な表情だった。


 「あいつ、普段お茶らけてるけど、寂しがり屋の怖がりだからさ。ま、頼むよ」


 アオイはそう言って笑うと、カフェオレを飲み干して、うしと気合を入れて立ち上がった。


 「じゃ、いこっか?」


 「え、とどこに?」


 立ち上がると同時に表情ががらっと塗り替わる。


 友人を想う優しげな笑みが、いたずらを思いついた子どもみたいに、にやりと口元が綺麗に曲がる。見た目はとびっきりかわいい女子なのに、表情だけが悪い子どもみたいでなんだか、不思議だ。でもどことなく眼が離せない。


 「そりゃあ、コスプレ会場」


 「ああ、ですよね」


 話の流れから、なんとなく察してはいたけれど、つまりそういうことなのだ。


 アオイがコスプレするのに一緒に同行するって言うのが、アオイのおねが「はい」




 何か手元に渡された。




 「……なに、これ?」


 「会場のパンフレット、更衣室入るときの参加証代わりにもなってるからなくなさないでね」


 ………………?


 「衣装は現地で用意済み、女子更衣室で着替えを手伝ってくれる人も調達済みだから、メイクとか着替えはその人に任せちゃって」


 ……………………?


 「顔にヴェールがかかるキャラにしといたから、バレにくいし。アップいいですかって聞かれたら、ダメって答えたらいいからね。あ、とりあえず現地で連絡とれるようにラインだけ交換しとこうか、僕の方が着替え早いだろうから、更衣室近辺で待ってるけど、迷ったら連絡して。熱中症には気を付けてね、今回は軽ーく出てすぐあがるつもりだけど、あんま露出が多い服じゃないから蒸れちゃうしね」


 ……………………………………?


 「銀髪キャラのね、合わせをしてくれる人、探してたんだー。欲を言えば細身の美人が欲しかったら、万々歳。絶対、似合うもん。もう見る前から、わかる。はー楽しみ。二人で今年の話題かっさらっちゃおう」


 …………。





 「あの」


 「なに」


 「私も、でる?」


 「うん」


 「する、コスプレ?」


 「うん」


 「しないと、キーワード、だめ?」


 「うん!!」


 かわいい女子の顔をした、いたずら少年はとても楽しそうな笑顔で、ぐっと私に親指を立ててくれた。


 

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