第16話 合坂アカネの暗号解読

 「ここでかわいいかわいいアカネちゃんから、かわいいかわいいアオイに問題です。ま、シロカからの手紙の流用なんだけど」


 「ふうん、まあ僕がかわいいのは知ってるけど。で、何?」


 「アメリカのワシントン、ある密室のアパートの中、ジェーンとマリーが死んでいました。死体の傍には割れた金魚鉢。それ以外にはなにもありません。果たしてジェーンとマリーは何故死んでしまったのでしょうか」


 「……金魚鉢で殴られたとか」


 「ま、ありかも、でも多分NOだ。ヒントが順々に解放される仕様になっててね、全部で四つ。面白い仕様でさ、ヒントを捲るとシールが引っ付けられてて、多分最後の答え的なものが破れるようになってる。ま、できるだけ少ないヒントで解いた方が、最後の答えが分かりやすいよってやつだね」


 「また随分、手の込んだ……」


 「ちなみに、裏面から紙を破かずに、透かしてみようとすると、『バーカ』って書いてあった」


 「意外とそのシロカってのもの、いい性格してるなあ、で、ヒント1は?」


 「他殺ではない」


 「おおう、いきなりダメじゃん。ヒント2は?」


 「自殺ではない」


 「あと、……何があんだよ。ヒント3」


 「金魚鉢は机から、重心が崩れて落下した。人の手は関与していない」


 「……寝ころんでるとこに落ちてきたとか……? とりあえず、ヒント4」


 「この事件で死亡した人間は一人もいない」


 「……はあ?」


 「人間が死んでないなら、ジェーンとマリーはいったいなーんだ?」


 「ん……?」


 「ちっちっちっち」


 「……あー、そもそも人間じゃねーのか」


 「そ、ジェーンとマリーは金魚鉢に入っていた金魚の名前。問題の答えは金魚鉢から出て息が出来なくなったから」


 「はあ、なるほど。賢い奴は考える問題も違うなあ」


 「いや、簡単すぎるけどね。だってネット検索したら、多分、落ちてるよこれくらいの問題」


 「……ふうん?」


 「だから、ま、これはいわゆるお遊びなんだよね。前座も前座、あとどうにも、ヒントめくった数次第でそもそも出てくる答えが違うっぽい」


 「へー……本当に手が込んでんなあ。で、アカネはヒント何個目で解いたん」


 「え、0個」


 「ええ……、いや、さすがにヒント0は根拠足りなくないか?」


 「まあ、そうだね。正直、半分勘で解いたけど。答え埋めたらちゃんと住所とロッカーの番号は出てきたしおっけーでしょ」


 「勘ってお前なあ……」


 「うーん、なんていうか、高校の勉強と同じでさ、答えありきだから、作ってる側に絶対意図があるんだよね。こういう風にだましてやろう、逆にこういう風に答えに辿り着いてもらおうみたいな。さっきの問題で言ったら、事件に直接関わってないけど『いかにも疑いようがありません』って要素にさ、問題作る側は落とし穴置いとくじゃん。


 『密室』『ジェーンとマリー』『割れた金魚鉢』。いかにも、『よくある密室殺人・・・・ですよ、頑張って解いてね』って思いこませたがってる状況設定。


 謎の解き方の基本は、思い込みや偏見を外すことだから、逆に思い込みや偏見を誘う文章って、まあ要するにフラグなんだよ。そこに解答が眠ってますよって宣言してるようなものなの」


 「……あれかな、ゲームで意味ありげな行き止まりには絶対なんか隠しアイテムがあるやつ」


 「そうそう、無駄でそんな要素作るゲームじゃないなってわかったら、あ、ここなんだろ、絶対なんかあるってヒント見る前からなるじゃん、それと同じ。やっぱアオイは話が通じやすくて助かるよ」


 「それはどうも、で、ここがそのゴールなわけ?」


 「そ、ヒント0。最難関のゴールだよ」


 夏真っ盛りの東京のど真ん中、私とアオイは駅前の一つのロッカーに辿り着いていた。


 百井シロカから私の家に残された一つの手紙、そこに同封されていた四つの鍵。そのうちの0と銘打たれた鍵を指定のロッカー番号に回しいれた。


 がちゃりと、音が鳴って扉がするりと抵抗なく、中身を晒す。


 「……本か?」


 「本……だね。え、でも、これ……」


 私がロッカーから取り出した本は、随分と重い金属の装丁が端々に縫い付けられたどう見ても一品物っていうか、市場に出回ってなさそうな本。


 拍子を裏返してから、タイトルを見てピンときた。


 「……?」


 「これ! これ白香モモイの未発売の新刊だー==!!!」


 思わず本を胸に抱えたまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねてしまう。頭と胸が熱くなって、気付けば頬がにやけ始めてる。


 シロカの本は既刊はまだ一巻。一巻の時点で注目されてるからすごいんだけど、二巻の発売はもう少し先のはずなんだ。なのに、ここに!! 今、二巻がある!


 やった、やった! いやあ、暗号として以上に、続き気になってたんだよね!!


 「へえ、そりゃすごい……けどアカネ、おっきい声出してるから、注目されてるよ」


 「あ、ごめん!! でもでも、これ絶対、私用の特注品だよ! 装丁も豪華だし、タイトルも一巻で隠されてた暗号の通り!! それをわざわざ私のために用意してくれたんだよ!! 興奮もするって!」


 思わず声がぎゃーぎゃー出てしまうが、仕方ない、だってこんなことってある?


 らんらんと足は踊りだすし、楽しい気分は絶好調、そのまま歌い出したい気分も相まって、アオイの手を取ってぐるぐると二人で回りだす。


 あはははと思いっきり笑う私に、アオイは仕方ないなあとでも言いたげな表情で一緒にぐるぐる回ってくれる。うん、よくわかってないだろうけど、ノッてくれるなんてやっぱいい友達だなと、そんな感慨に機嫌がよくなってさらにぐるぐる回り続けた。


 そんなことをしていたからかな。


 視界の端でこちらに近づいてくる影があった。


 楽しい気分のままに、足を急停止して回転を止める。


 急に止まって、勢いでふらついたアオイの腰を支えて、私の横に抱え込む。


 そのまま身体を端に寄せた。これで近づいてきた影が私達に当たることはない。


 はずなんだけど。


 ドンと音がして、私の肩に通行人の肩が思いっきり当たった。


 ルート的には避けてた。それは相手も分かってたはず。


 なのにわざと思いっきりぶつかってきたわけだ。


 ぶつかってきたのは、ちょっと年のいった背広を着た男の人。


 がたいが大きくて、私の身体は重心がぶれてよろけてしまう。


 このままこけるかな、って思ったところで目の前に手が伸びてきた受け止められた。


 さっきとは逆に、今度はアオイが私を受け止めてくれたみたいだった。


 「なに駅で騒いでんだ、うるさいんだよ」


 ぼそっと細く、小さく、でも私達に聞こえるように、その人はそう言った。


 吐く息がどことなく冷たい。心の奥に嫌悪感がガラス瓶から割れて出てきた汚濁みたいに広がってくる。


 辺りを包む音が遠くなっていく。


 ああ、ほんと、こういう手合い、嫌い。


 ぱっと見、女二人組だから物理的に威圧すれば勝手に黙ると思いこんでいる。


 手慣れた感じでぶつかってきたから、やり慣れてるんだろう。子どもとか、身体の弱い人とか、そういうのにぶつかって憂さ晴らしをしてる常習犯。


 犯罪にならないからって、調子に乗って他人に恐怖を押し付けて、自分のストレスばかり発散してる。


 意図は明確、明け透けなほど。


 物理的に人を威圧するのは、自分が普段社会的に威圧されてるから。


 強い立場になりたいのは、自分が基本、弱い立場にいるから。


 そしてそんな現実を受け容れることもできずに、ただ人に憂さを晴らすだけの人間なのだろうね。


 ああ、本当に気持ち悪い。嫌なことを思い出すから、絡んできてほしくないんだけど。


 カバンに突っ込んだ手がペン型のスタンガンを探り当てる。


 監視カメラの位置は問題ない。どうせ証拠も残らないし、人に訴える度胸もありはしない。


 ま、騒いでいたのは申し訳ないが、かといってそこまでされる道理もない。


 というか、私こういう手合い、ほんっとうに嫌いなんだよね。嫌なこと想いだすから。


 思い知ればいい。自分が当たり前に踏みにじってきてる奴の痛みを。


 あなたはどうせ、自分も痛い目にあっているからとか言い訳をするのでしょうけれど、それなら私たちが受けた痛みがあなたに返っても、文句なんて言わないでしょう。


 ペンの先でバチっと弾ける音が鳴った。









 「やめな、アカネ」




 


 アオイの手が私の手を抑えてた。


 「どうせ、あの手のやつはそうすることでしか自尊心を保てないんだから、構うだけ無駄だよ」


 アオイは私に諭すように、でもあえて、大きな声で。多分、すれちがったあの男に聞かせるためにそう告げる。


 案の定、そのサラリーマンは怒った顔をしてこちらを向いた。


 ただ、アオイはそれを待っていたとばかりに、凄惨に笑ってた。


 「おま―――」「ああ゛? うるせえよ、おっさん。俺たちみたいなかわいい女子二人にあて散らかして満足してる暇あったら、精々自分でも磨いてろ。人に当てつけしても、残念なら自分て変わんねえんだよ、知ってたか?」


 今日のアオイはコスプレ会場に入る前だから、アニメキャラの格好こそしてないけれど、普通に都心にいそうなお洒落な女子スタイルだ。くるんとカールしたブラウンのミディアムに、ベージュを基調としたちょっと緩めのトップス、水色のロングスカートが派手さはないけど、確かな可愛さを演出している。


 声も基本は、意図的に高くして少しハスキーなくらいの女声になっていたのだけど。


 そんな女子が突然、殺人鬼みたいな表情でドスの利いた低音ボイスで怒りだした。


 相手のおっさんは、完全に面食らってしまったらしく開きかけた口をパクパクと開いて、言葉が出せないでいる。


 「いくぞ、アカネ」


 相変わらず低音になるとイケボだなあと謎の関心を抱きながら、私はアオイに肩を抱かれながら貸ロッカーのエリアから出た。


 普段は「いや、僕かわいいなあ……」とか言ってる奴だから、忘れがちだけど、肩を抱かれる腕の感触は確かにどことなく固い男の子のそれなのである。


 うん、私が男性恐怖症じゃなかったら、確実に惚れてるな。イケメンかよ、イケメンだなこいつ。見た目かわいい女子なんだけど。


 駅からしばらく歩いて、さっきのおっさんが追ってこないことを確認すると、アオイはふうと息を吐いた。


 「ったく、東京はろくなやついないな……。大丈夫、アカネ?」


 「うん、大丈夫。ありがと。……人が多いからね。歪んだ人はどうしたっているよ」


 「そーだな、あんなのばっかじゃないと信じよう」


 「だねー」


 二人揃って、夏空の下、緊張を解くために伸びをする。まあ、何はともあれ目的の物は手に入ったわけだし、私もそろそろ目的地に向かわないと。


 「ところで、今の流れの僕、かっこよすぎでは、惚れた?」


 「イケメンムーブだったね確かに。ま、それはそれとしてボタンにチクっとこ」


 「……怒られるかな?」


 「褒められ半分、嫉妬半分と見たね」


 「まあ、それはそれでありじゃない? かわいくない?」


 「……ありだね、かわいい」


 はあ、なんか随分、要らぬ力を使ってしまった気がするけれど、シロカと遊ぶ約束があるんだ。いまはそっちに集中しないとね。


 若干のため息交じりに、私は戦利品の本を開いた。


 さ、いよいよゲームの始まりだ。

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