第二章
第14話 時浜アオイは笑い合う
夏休みは、いい。
なにせ、ダラダラできる。
好きな漫画を好きなだけ読んでい、うだうだできる。
好きなアニメを好きなだけ見て、ごろごろできる。
元来、怠惰な僕にはもってこいの季節だ。
夏休みも四日目に入るころ、そんな生活を満喫していたわけだけど。
コンコンと、ドアのノックが鳴る音がした。
「なに、姉貴ー?」
適当にあたりをつけて、返事する。ドアはしばらくの後、勝手に開いて家族でもないお客はゆっくり顔を出した。
「私よ、私……って、うわあ」
そう言って、僕の部屋を嫌そうに見たのは、ボタンだった。クラスメイトで、まあそれなりの仲の女子。今日も育ちのよさそうな格好で、小さな身体を着飾ってる。
「あれ、ボタンじゃん。どうかした?」
僕がベッドで首を傾げると、ボタンは漫画が積まれまくった部屋を見て、ため息をついていた。
「別に、あっという間に自堕落になってるから、呆れただけ」
あははと軽く笑って、ベッドから勢いのまま起き上がる。まあ、そう言われるのも致し方なしかな。
「いやあ、しゃあねえじゃん。夏休み前にアカネにもらったシリーズ、折角だから、一気読みしとこうと思ってさ。ながいんだよこれ、既刊130巻で現在も連載中っておかしくない?」
アカネがわざわざ宅配便にどでかい段ボールで送り付けてきたシリーズを、ぽんぽんと叩きながら僕がそう言うと、ボタンは再びため息をついた。でも慣れた感じで気を取り直すとスマホをすっとこちらに向けてくる。
「そーなの。で、そのアカネが今日の夕方帰ってくるんだけど、どうする? 会いに行く?」
スマホに移された画面にはアカネから、確かにこっちに帰ってくるという、連絡が映ってる。
なんだ思ったより、早かったじゃん。
思わず頬がほころぶのを感じながら頷いた。
「いくいく、着替えるからちょっと待ってて」
「はいはい、下でお茶貰ってるよ」
「うん、わからなかったら姉ちゃんに聞いて」
ボタンが部屋を出てから、タンスを開いて、メイク道具を引っ張り出す。四日ほど引きこもってたから、気分的には久々だな。腕がなまってる気もしたけど、学校があるときは毎日やってるから、まあ大丈夫でしょ。
一旦、服を脱いで、気合を入れて。
「よし、今日も僕はかわいい!」
鏡に向かって、そう告げた。
鏡の向こうで、いい顔をした自分がにやりと笑っていた。
※
「お待たせ、待った?」
「待った、一時間も」
着替えを終えて、僕が下の階に顔を出すと、本を読んでいたボタンがこっちに目を向けていた。オカンもオトンもいないし、姉貴も、どうやらお客を置いて出かけたらしい。我が家ながら不用心だねえ。
軽く笑いながら、ボタンの前で景気づけにくるっと回って見せた。ミニスカートと薄手のカーディガンがくるっと跳ねていい感じに浮き上がる。中は見えない、ギリギリの跳ね具合。うん我ながら芸術的。
「どう? 今日の格好」
「んー? かわいいんじゃない」
そんな僕のテンションの上がり方とは裏腹に、対面するボタンの意識は手に持っている本に向いていた。厚手のハードカバーで随分と熱心に読み込んでいる。
「なっげやりだなあ、そんなんじゃモテないよ?」
軽くため息をついて、そう言ってあげると、ちょっと藪にらみ気味にボタンの視線が飛んでくる。
「……モテて欲しいの?」
「いや? 別に?」
むしろモテると困るわけだが。とまあ、そんなやり取りに軽く笑って、僕はそのまま踵を返した。
「ほらほら、またせて悪いけど。もう、行こう。アカネ待ってるかもしんないし」
「アカネなら、多分、アオイの着替えも計算して連絡してるから大丈夫」
「ま、それはたしかに」
というわけで、気合の入ったお洒落な僕は、ボタンの手を取って家を出た。ただ、ドアを開けるとむわっとした熱気が僕の全身を覆ってくる。
じめッとした感覚が、全身に汗をぶわりと吹き出させる。特にカーディガンが思いっきり身体に熱をこもらせてくる、さっきまでの上がりきったテンションが、じわりじわりと溶けていく気がする。
「ところで、その恰好暑くない?」
日差しに目を細めガラ呆れたように、ボタンが僕に問いかけてくる。彼女の格好はハーフパンツに半袖と僕とは対照的に軽装だった。対して、僕はカーディガンにタイツ諸々着込んでいるわけで。
「でも……お洒落は我慢だからねえ」
ちょっと苦笑いにはなるけれど、まあ仕方ないかと僕は息を吐きながら、日差しの中へ歩き出した。かわいいって大変だ。
「はあ、日傘持ってきてよかった」
「ふうん、冷感シートいる?」
「後でちょうだーい」
それにしても夏は嫌いなんだよなあ。身体のライン出ちゃうから、着れる服が限られるし。
ぼやきながら空を見た。やっぱりこのまま引きこもっていたい気もするなあ。
※
「いっやあー……楽しかった!!」
僕達がやってきたファミレスには既に、アカネが待ち構えていた。相変わらず元気そうだけど、たった四日ほどなのに、なんだかほんのり日焼けしてるような気もする。
それで僕達は、挨拶もそこそこに、ドリンクバーと軽食だけ頼んで机に戻った。まあ、何があったか知らないけど、アカネが話したくて仕方がないって顔してるからね。
「おっかえり、そんで結局どこ行ってきたのさ」
「うん、大阪経由で秋田、で、帰りに東京かな」
「また、大分、遠くまで行ってきたねえ」
「でしょ! ほんと楽しかったんだ。ま、とりあえずアオイのお土産はこれね!」
アカネはいつも通りけらけらと無駄に明るく笑って、僕に向かってすっと紙袋を差し出してきた。まったく自由だねえと、軽く呆れながら手渡された袋をごそっと漁った。中から出てきたのは、……同人誌か、これ。あまり見ない作者のものだけど。ジャンルは割と有名どころみたいだ。
「なんだこれ、どちらさまの同人誌?」
「アキバでたまたま知り合った作家さんの本、本人からの手渡しで買っちゃった」
「いや、ほんとにどちらさまだよ」
僕が軽く笑いながらそういうと、アカネはくるくる指先を回しながら、にやりと笑みを深くする。楽しそうな思い出話がしたくてしたくて、しかたなかったんだろう。
「えとね、シロカと会えなかった日、折角だから、東京観光してから帰ろうと思ってさ、アキバうろうろしてたんだ。それでメロンブックス寄って、マイナーな同人誌探してたら、なんか視線感じてさ、ぱっと振り返ったら大学生くらいのお姉さんがじーっと見てきてんの! で、気になったから問い詰めてみたら、私が見てたのそのお姉さんが書いた本だったのね。たまに売れてるかどうか気になって見に来てるんだって。で、そのままお姉さんのお宅にお邪魔して、お家にあった在庫の本、買ってきちゃった」
「また、おもろい出会いしてるなあ……、そこで普通、突撃するか?」
「いやあ、だって読んでみたらわかるけど、多分、私とアオイの趣味どんぴしゃだよ? これは新作チェックも怠れねえわ」
呆れ半分、関心半分で返事を返すと、アカネは至極楽しそうに喋り続ける。
「あ、あとね最初にフェリーで子どもと知り合ったんだけどさ、そこのおばあちゃんが作家みたいで—————————、あ、あと会いに行った子の妹がまた面白くてさ——————、それでそれで、空港のおばちゃんと一緒に掃除したらね————————」
「いや、待て待て。三日か四日くらいの旅なのに出てくるエピソードの量がおかしくないか?」
「へへへ、それだけ楽しかったってこと!!」
告げたその顔はどこまでも楽しそうで、何というか突っ込む気もうせてくる。隣を見たらボタンもどことなく楽しそうに笑ってた。そんなボタンにアカネははっと思い出したように向き直ると
「あ、これボタンのお土産ね、家族で分けて!」
手渡されたのは結構大仰な紙袋だった。ボタンがそっと中身を取り出すと、菓子類っぽいのが多量にあふれ出てくる。
「なにこれ」
「それはねー、東京ばなな」
「……これは」
「それはねー、東京ばなな……のパチモン」
「……これは」
「雷おこし」
「……これ」
「の、パチモン」
「…………これ」
「東京ラスク…………のパチモン。あ、それで最後ね」
「なんでそこだけ、本物不在なんだよ」
「いや、見つかんなかったよね」
「……絶対面白がって、これだけ本物買ってこなかったでしょ」
「あはは、バレてしまっては仕方ない」
けらけらと笑うアカネにボタンはちょっと呆れ目の視線を向ける。僕は見てて笑えるけど、ボタンは若干呆れの方が強そうだ。なんつーか、こういうとこあるよなあ。面白さ優先って言うか。
「是非、家族で食べ比べてみておくれ」
「違いあんの?」
「うーん、試食したけど。パチモンのばななはちょっと甘味強め、おこしはなんか若干食感違うかったかな。パチモンの方がお値段リーズナブルだけどね」
「そう……」
ボタンはやれやれって感じに、小さな肩をすくめると菓子を袋に丁寧に詰め直してから、そっと脇に置いた。
「ありがと、アカネ。弟たちよく食べるから量が多いのは助かるわ」
「でしょ? へへ。楽しさの中にも気遣いを忘れないアカネちゃんなのです」
それから、そう言って笑いあう。ボタンの笑顔はちょっとだけ引きつってるけど、まあ機嫌はいい方だと思う。いつもはもうちょっと呆れ成分強めだし。
そんなこんなで、後は大体、アカネの思い出話だった。出会った人に、見た光景、新しい発見。掘れば掘るほど、そこから湧いてくる温泉みたいに、アカネはテンション高く喋り続けて、僕とボタンでそれを笑いながら聞いていた。なんというか、楽しそうに喋るなあ、本当に。
なんて、会話もだいぶ、進んだ頃、ふと気になったことがあったので聞いてみることにした。
「そういや、結局、会いに行った本命の……誰だっけ」
「百井シロカ」
言い淀んだ僕の隣で、ボタンがそっと言葉を付け加えた。
「そう、それ。その子は?」
そう問うと、アカネは一瞬ピタリと動きを止めた。ん? とこっちが首を傾げると、そのままぷるぷると震えるとパアンと机を叩く。
「アカネそう言うの店の迷惑だから止めなさい」
「ごめん! ボタン! でも聞いてよアオイ!」
「お、おう……」
珍しく、我慢がならないとでも言うようにアカネはびしっとボタンを指さした。
「私ね! 結局、シロカに会えなかったの、なのに、で、今度こそ会うぞって気合入れてるのにね!? ボタンがシロカと連絡先交換してて、ことあるごとにシロカからこんな連絡来てたよーって、言ってくるの!! いじわるだぁー!! 私もまだ連絡先知らないのにー!!」
ちらりと横目でボタンを見ると、まあ確かにちょっと珍しいくらい悪い笑みを浮かべていた。あーらら、日ごろの鬱憤、晴らしちゃってるよこれ。
「え? 私が自分の友達と何しようが勝手でしょ? ねえ、まだ知り合ってもないアカネちゃん?」
「そして、やたらと煽ってくるのじゃーーー!!」
珍しく泣き叫ぶアカネをしり目に、ボタンはスマホでこれみよがしに自分の顔を仰いでいた。気分は、札束を見せびらかすご令嬢か何かだろうか。
うん、まあ、なんというか。
「アカネも割とナチュラルに煽るときあるし、仕方ねえんじゃねえかな」
「味方がいねー!!!」
なんて、じったんばったんとファミレスの座席で器用に身悶えるアカネと、珍しく煽る手段を得て随分楽しそうなボタンとのやり取りが五分程繰り返されて。
「ふひー、ふひー」
「……で、結局百井シロカとは会えなかったのか。これからどうするんだ?」
とりあえず、煽られたおされて息も絶え絶えになったアカネと、煽りたおして満足げな笑みを浮かべるボタンを眺めながら、いい加減、話題を変える。
アカネはゆっくりと机に突っ伏していた体を起こすと、ふうと長めに息を吐いた。ようやく復活、って感じかねえ。
「んー、もう次の遊びのタネは仕込んであるんだよね。そのために、クスリ———シロカの妹に手紙は託してきたし、そろそろ準備しないとね」
「ふうん……つまりまだまだ、諦めてないと」
「ん? 当たり前でしょ?」
アカネはそう言うと、気楽ににやっと笑い返してきた。ま、こういう奴だわな。
第一、それでへこたれてるなら、居場所もわからん人間なんて探す前から諦めてるか。
「そか、ま、がんばれ」
僕が笑ってそう言うと。
「そうだシロカの写真あげよっか?」
ボタンが何気なくそう返して。
「どぅわぁ! やめろぉ!! それはズルだから! 自分で探すからよう!」
アカネが大慌てでボタンを止めていた。
それから三人で、けらけら笑う。
まあ、アカネのボタンも楽しそうで何よりだ。
僕は話す二人をしり目に、折角だから貰った同人誌の封を開けてぱらぱらと中身をめくってみた。
「あ、アオイ、それ表紙に反して中身は、どえろいからね」
「お、まじだ、どえろいな」
「ファミレスでなんてもん開けてんのよ……」
なんてわいわい喋りながら、時間はあっという間に過ぎていった。
だらだらするのもいいけれど、こう楽しそうな姿を見せられたら、僕も楽しいことしたくなっちゃうなあ。
「また、コスプレでもしよっかな」
「お、いいね。私も合わせしたいなあ。ボタンもどう?」
「パース。だって、あんたらネットに上げるでしょ」
「「だから、いいんじゃん?」」
「だから、ダメなの……」
軽く笑って、これからのことに思いをはせる。
夏休みは、まだ始まったばかりだ。
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