第12話 そして二人は 前編

 『————ってことらしいけど』


 「へえ……」


 ボタンから届いた電話に、思わず頬が緩む。いやたぶん、緩むどころじゃなくて、爆笑しそうになるのをぎりぎり抑えてる。


 胸が震える、喉の奥が熱くなる。抑えきれない笑い声が少しずつ漏れ出していく。


 『あんた、こんなヒントで本当に会えるの?』


 「さあ、でも、それくらいのヒントだからこそ。出会えたら、嬉しいじゃん?」


 『さーよーか』


 「うん、ありがと! ボタン」


 『ほいほい、お土産は東京バナナ……は、いらないやなんか美味しそうなやつね』


 「りょーかい!! んじゃ、また後で!!」


 電話を切って、百井家のクスリの部屋で私は勢いよく飛び上がった。そのまま手持ちの荷物をカバンに詰め直して、出発の準備をする。


 「アッカネさーん、そろそろお母さん帰って来るけど、夜ご飯どうする———————、って、え、どうしたの?」


 急に帰り支度を始めた私にクスリはちょっと驚いたように声をかけてきた。私はそれに満面の笑顔で応える。


 そんな私にクスリは困惑しているけれど、今は残念、気にしてあげられない。


 だって心臓が高鳴ってる、頭に血がぎゅんぎゅん回ってる。


 それから、笑顔が溢れて止まらない。


 エンジンはもう準備万端、熱を帯びてアクセルが踏まれる時を今か今かと待っている。


 「ごめん、クスリ。今から羽田行ってくる!!」


 「はあ……?」


 「シロカがさ、今日、帰りに羽田通るんだって!! もしかしたら会えるかも!!」


 「え……羽田って……待ち合わせでもしたの?」


 「ううん! そんなのしてない! でも、もしそれで出会えたら、


 「……ここで、待つなり、素直に羽田のどこかで待ち合わせすればいいじゃん」


 「あはは、だめ! それじゃ面白くないでしょ?」


 ワクワクが止まらない。


 高鳴る期待が止んでくれない。


 私の後ろで誰かがずっと急かしてる。背中に手を当ててスタートの合図を今か今かと待っている。


 百井シロカは経由地点だけをボタンごしに知らせてきた。


 待ち合わせ場所も時間も、ノーヒント、見つける手立てはほんとんどありはしないけど。


 それでもそれを私に伝えてきた。


 つまり、これは百井シロカからの遊びのお誘いなのだ。


 そう、いうなれば、かくれんぼ。


 私が鬼で、シロカが逃げる。


 見つけた時の報酬は、シロカとの出会いそのものだ。


 頭が熱い。胸が高鳴る。脳細胞の一つ一つ、指の神経の一本一本まで、歓喜と期待が伝わっていく。


 全身が熱くなって、逸る鼓動が抑えられない。頭の後ろが熱くて熱くて止まれない。


 長く長く息を吸って、短くふっと息を吐きだした。


 そうして気合を入れ直す。


 「というわけで、クスリ! ごはんいらないや! ありがとう! また連絡するね!!」


 だって、行く先が決まれば、後は勢いのまま駆け抜けるだけ。


 跳ねだしそうな身体をどうにか抑えて、勢いのまま部屋を出る。


 ああ、早く、速く、疾く、いかないと。


 階段を下りて、玄関へ、そのまま軒先に出て走り出———「もう! アカネさん、ちょっとストーップ!!」、しかけたところで、クスリの声に足を止められる。


 身体は進みかけで足踏みをしたまま振り返ると、走って追いついてきたのか息を乱したクスリが寄ってきていた。


 「どしたの?」


 「どしたのって……空港までどうするの? バス、まだ結構時間あるよ?」


 「ああ、山越えて一直線で言ったら、意外と早く着くよ、大丈夫、大丈夫」


 距離と勾配的に公道と山道を併用して全速力で行けば、そこらへんのバスを待つより速いだろう。タクシーって選択肢はこの田舎だと期待できそうにないし。何より今は一刻も早く、羽田についておきたいし。


 そんな風に逸る私に、クスリは軽くため息をついた。


 「いや、この時間の山にはいるとか自殺行為だからね?! 危ないって!……行くなら私の自転車使いなよ、そんでちゃんとした道通ってね! 山道通っちゃダメだよ」


 「ありがと! でもクスリは自転車どうするの? 後で取りに来るの?」


 「お姉ちゃんに帰りに拾ってもらう、だから鍵さしっぱでいいよ。田舎だから自転車盗るような人もいないし。だから、鍵……はい」


 「ほんとありがと!! クスリ大好き!!」


 「はいはい……なんかアカネさんがどういう人か分かってきたよ……」


 軽くクスリにハグをかますと、ちょっと呆れた感じにため息をつかれた。うん、なんかすでにボタンやアオイの対応に似てきてるな。これは私と絡む素質があると見たね。


 そうして手渡された自転車の鍵をありがたく譲り受けて、私はガレージに戻ってクスリのママチャリに跨った。中学生の所持品らしい多少使い込まれた自転車に跨って、鍵を回して、勢いのままペダルを漕ぎ出す。


 クスリの傍を通り抜けて全速力で駆けていく。


 「じゃ、まったねーーーー!!」


 「気を付けてねーーーー!! お姉ちゃんに会えるといいねーーーーー!!!!」


 片手でクスリに手を振りながら、全力で両の足を動かした。


 クスリの相棒に跨って、立ち漕ぎになってペダルを勢いよく踏んでいく。


 ペダルに力を込めれば込めるほど、過ぎ去っていく景色と風が心地いい。


 無理に息をせずとも肺に空気が流れ込んでくる、その空気がまた足を動かしていく。


 止まらない、止まれない。今、私は前に進むことしか考えてない。


 そんな止まらない笑みを抱えて、抑えきれない喜色と一緒に、私は夏の夕暮れを駆けていく。


 紅みがかった景色の中。


 山を越えて、空港へ。


 そして、羽田へ。


 百井シロカの待つ場所へ。


 さあ、遊ぼうよ。


 はじめましてはかくれんぼ。


 もういいかい?


 もういいよ。


 そんな合図は当の昔に済んでいる。


 ねえ、シロカ。




 私達のはじめての遊びだよ、準備はいい?


 


 ※



 


 私が大分からの帰り際、ボタンに頼んだ伝言は一つ。


 今日、羽田に向かうこと。


 ただそれだけ。


 そして、私はそのまま飛行機を乗り継いで、今日中に秋田まで帰る。


 もし。


 もしも。


 ボタンから帰りの電車の時間を聞いて。


 そこから私が最短距離で大分から帰る道筋を逆算すれば。


 そう苦労はせずに羽田にいつ着くのか割り出すことができる。


 もし、そこに合坂アカネが間に合えば—————。


 もちろん、だから会おうと伝えたわけじゃないし。


 待ち合わせ場所や時間を決めたわけじゃない。


 人が蠢くように満ち溢れたあの羽田のロビーで、お互いを見つけ合える確率はいったいどれくらいだろうか。


 仮にすれ違ったとして、それに気付けるかも怪しい。


 そもそも、その瞬間に間に合うかどうかもわからない。


 でも、もし。


 もし、それでも出会えたら。


 ……ボタンに話してて分かったけど、この出会いに関して私は、多分、合坂アカネもだけど、変なこだわりがある。


 なんていうか、この出会いは劇的じゃないといけないのだ。


 お互いわかりきっている場所で、わかりきっている出会いをするような。


 そんなんじゃ、ダメなんだ。


 折角見つけた、多分、世界でたった一人、私の気持ちを分かってくれる人。


 これはそんな出会いだから。


 困難と偶然を乗り越えたその先に。


 ようやく出会える、そんな出会いがいいんだ。


 ……拗らせすぎかな? ボタンの声が、クスリの声が聞こえてくる。


 期待しすぎないほうがいいよって、さっさと会っちゃえばいいのにって。


 ま、確かにそうかも。思わず自分に苦笑い。


 まあ、これでも夢見るお年頃だし。


 ちょとくらい、期待したっていいよね?


 ねえ、アカネ。


 見つかるかな。


 出会えるかな。


 見つけて、くれるかな。


 羽田に向かう飛行機の中。




 私はそっと目を閉じた。



 もういいかい。



 まあだだよ。



 そんな声が遠くでなっている気がしてた。




 ※



 

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