第11話 百井シロカが出会うとき

 その人は仲座ボタンと名乗った。


 私より少しが背が低い、同い年くらいの女子高生。


 彼女は後ろに軽く髪をまとめて、軽装だけど可愛らしい服装で、座る私を見下ろしていた。


 少しきつめの表情をしているのは、私に何か思う所があるからか。


 久方ぶりの見知らぬ相手との会話に、思わず心臓がすくみ上る。


 この人は誰? 合坂アカネの関係者? だとしたら、どういう意図で?


 拒絶か、疑惑か、警戒か、想像したどの反応が来るのかと、背筋に冷たいものが下りるのを感じながら、私は彼女を窺った。



 「あー! 走ってきたから、あっつい!! ごめんね、ちょっと飲み物買ってくる!」



 ……とりあえず、きつそうな表情をしていた理由は暑さのせいだったみたいだ。


 

 ※



 「は―……生き返るわ。……あ、ごめんね、急に話しかけて」


 「い、いえ……」


 その後、カウンターでアイスコーヒーを買った仲座ボタンは私の隣に座って、若干、暑さにへばりながらそんな風に謝ってきた。


 かくいう私は、まだ若干緊張モードというか、いまいちこの人がどういう人で、何を目的にしてきたのかを測りかねてる。


 そんな意図を察したわけじゃないだろうけれど、仲座ボタンは私にすっと向き直ると改めてと言った感じで、自己紹介を始めてくれた。


 「ええと、改めて仲座ボタンです。合坂アカネの同級生やってるの」


 「はあ……」


 合坂アカネの同級生……、やっぱり関係者か。まあ、そうじゃないと、この九州で私を特定できる人なんていないんだろうけど。


 「実はアカネのやつから二時間前くらいに連絡あってさ、そっちに百井シロカ行ってるかもって。で、おばさんに電話してみたら、案の上、私でもアオイでもない誰かが来たって言うから、追いかけてきたってわけ」


 彼女の言う言葉に、おおよそ納得する。まあ、そうだよね。私がここに来ているように、合坂アカネも同じように私の家についたということなのだろう。私がこっちに来ていると察するてことは、お母さんか妹に会ったと考えるのが妥当だし。


 ……ん? ってことは、出発してからおよそ一日で到達したのか……、どちらかが本当にあと少し出発日をずらしていれば、すんなり出会っていたんだな、私達。


 改めて日付設定を惜しみながら、私は少し気になっていたことを仲座さん聞いてみる。


 「えと……なんで、私が百井シロカだと」


 見た目は誰も知らないはずなんだけど……。小説の著者近影にも写真は載せていない。女子高生であるってことは、宣伝材料になるからと、思いっきり使われているけれど。


 「え? ああ、おばさんがインターホンごしに見たら、『すごい白かったの!』って言ってたから。分かりやすかった」


 そして、首を傾げる私に、仲座さんは何でもない様にそう言った。


 「ああ……」


 そっか、直接会わなくても向こうからは見えてしまうものね、というか……言い方よ。まあ、仕方ないけどさ。


 若干嘆息する私をよそに、仲座さんはじっと私を見る。


 「…………」


 無言で観察されるのは少し……いや、かなり落ち着かない。


 思わず眉根を寄せて、肩身を狭めてしまうのを自覚する。


 「あの……なんで」


 「ん?」


 「なんで、私を探しに来たんですか?」


 何を問われるのだろう。


 何を期待されているのだろう。


 それがわからないから、ちょっと怖い。


 慣れない未知の人との交流は、そういう図りきれない部分がどうしてもある。


 私は肩が少し強張るのを感じた。


 ただ、そんな私に、仲座さんは優しく笑いかけただけだった。


 私より少し低い位置にある顔が、まるで年上みたいにゆっくり緩む。


 「え? なんだろ、興味があったから、かな」


 「興味……ですか?」


 「いや、だって気になるでしょ? と同じくらい賢い人。どんな人か、一回見てみたくなるじゃない?」


 きっとそれは邪気のない質問で。


 だけど内心、少し歯噛みする。


 突き付けられた好奇は、私がよく周囲に向けられているものだったから。


 どれくらい凄いか、どれくらい賢いか、どれくらいできて、どれくらい稼いだのか。


 それは、よく向けられ慣れた好奇だった。少し、いやかなり嫌気がさすほどに。


 私が、人付き合いが苦手になった原因でもあるけれど。


 私のことをちゃんと知ってる人が、褒めてくれるのは別にいい。


 お母さんが、クスリが、有原さんが、いつかのお父さんが。


 私の頑張りを知る人が、頑張りを褒めてくれるのは、全然いい。むしろ嬉しい。


 でも、何も知らない。私がどれだけの時間と想いを積み重ねてきたかも知らない人に。


 ただ、興味だけで、根ほり葉ほり聞かれるのは—————、好きじゃない。本当に。


 だから思わず、ため息をつきかけた。


 ただ、初対面では失礼だと思ったから、それを我慢したら、お腹がちょっと痛くなった。


 「…………」


 思わず逃げ出したくなってしまいそうだった。


 「……ごめん、なんか気分悪くした?」


 少し黙ってしまったから、仲座さんが心配そうに声を掛けてくる。


 私は言葉を紡ごうとして、でも上手く口が動かせなかった。


 だって、初対面の人にこんな弱み、晒したって何にもならない。


 「なんでもないです」


 だから、そう口にした。


 仲座さんは少し、そんな私を窺って。


 ふむ、と少し窓に顔を逸らした。


 それからふっと、何かを思い立ったように顔を私に向け直すと。


 「なーんか、的外れだったらごめんね」


 「え……?」


 そう言った。


 それから身体を椅子から少し浮かすと。


 

 片手をぽんと私の頭に置いた。



 「よしよし」


 「え……と、あの?」


 「えらいえらい、頑張ってる頑張ってる」


 「え……え?」


 困惑する中、頭を、撫でられた。


 私より背の低い、同い年の女の子に頭を撫でられる。


 いや、なんで。


 大慌てで思考を巡らせるけど、答えはさっぱり出てこない。


 何、何されてるの私。


 こんなの、自分の小説の中でだって書いたことがない。


 わしわしと撫でられた、ぐしゃぐしゃと撫でられた。


 でも最後は優しく髪を整えられた。


 困惑する私をよそに、仲座さんはふーっと息を吐くと中腰を解いて、席に戻った。


 「あ、いやだったらごめんね」


 それから、そう言って軽く笑った。よくわからない。


 「え……と、嫌ではないですけど」


 「けど?」


 「なんでか、よく……わからないというか」


 「あはは、初対面だもんねー。アカネや弟たちみたいにはいかないか」


 「え……」


 思わず声を漏らして、自分がさっきまで撫でられていた部分を触った。


 そんな私を見て仲座さんは優しく、どこか懐かしい笑みを讃えて。


 「いやあね、なんとなーくアカネや弟たちがへこんでる時みたいな表情してたからさ、つい、いつもの癖で。ごめんね?」


 それから、そんなことを言った。


 「合坂アカネにもこういうこと……してるんですか?」


 「うん、そーなの。あいつさ、ほら賢いじゃん、で、有名だからさ。あんまよく知らない人に絡まれたりとかする時があるの。この問題解いてみろとか、どんくらい稼いだのとかさ、よく知りもしないやつから、いちゃんもつけられたりさ」


 「……」


 あれ。


 「アカネは大概、前向きに捉えて、一緒に遊んだりするけど。どーしてもやっぱ悪意的な人っているからさ。そーいうのに当たったら、そん時は軽く流すけど、後々やっぱりダメージ引きずってたりするんだよね」


 「……」


 私と同じだ。


 「そういう時にね、ちょっと撫でて―、なぐさめてーって来るから。いっつも仕方ないなって、あんたも賢いなりに苦労してんのねって。そんな感じで撫でてたの。神様みたいに賢くても、別に心まで神様ってわけじゃないからね」


 「……」


 そっか。そうだよね。


 「で、百井さんの顔がさ。そういう嫌なこと他人に言われた時のアカネの表情とか、言いたいこと言えない時の弟たちの顔にそっくりだったからさ、つい、撫でちゃった。本当にごめんね?」


 「いえ……」


 よくよく考えれば、合坂アカネも私と同じような苦しみを持ってるのかな。


 そりゃ、そっか。


 いや、そんなの分かってたはずなんだけど。


 むしろそれを期待して、出会おうとしてたはずなんだけど。


 改めて、合坂アカネを知る人から、仲座さんから、そんな話を聞いて。



 なんていうか、初めて『実感』ができた。



 私とおんなじことで苦しんで、つまずいてる、そんな人がいるんだ。


 そして、それを慰めてきたのが、この人なんだ。


 頭では、理屈では、道筋では分かっていたこと。


 でも今初めて、感情が、心が、納得したこと。


 感じ取れたこと。


 もちろん、それは私の思い過ごしかもしれないけれど。


 ちょっと。


 やっぱり、ほんのちょっとだけ。


 嬉しかった。


 自分の抱えてる痛みと似た『それ』を抱えた人がどこかにいることが。


 胸の痛みが少しだけ、薄く、淡くしてくれた。


 「……え、と。怒ってる?」


 「いえ……あの……もし、よかったらなんですけど……」


 ボタンさんはちょっと困ったように首を傾げていたけれど。


 私が、もう一度だけ撫でて欲しいとそう言うと。


 くすくす笑って、お姉ちゃんみたいな顔をして撫でてくれた。弟たちがいるって言ってたから、本当にお姉ちゃんなんだろうな。


 私は頭をゆっくりもう一度撫でられた。


 そういえば、こんなふうに撫でられるのいつぶりだろ。


 お父さんが死んでから、ちゃんと褒めてくれる人なんて、お母さんくらいしかいなかった。


 そのお母さんも、どうしてもしんどいことが多かったし。


 そう考えると、本当に心置きなく誰かに甘えたのはいつのことなんだろう。


 頭を撫でられていると、不思議と胸の痛みが少しだけ軽くなる。


 いつもいつもそこにあって、痛いことすら忘れていたそんな痛みが。


 溶けて、解れて、少しだけ、軽くなっていた。



 ※



 「そういえば、おばさんに聞いたんだけど。アカネと電話するの断ったんだって?」


 「はい……ちょっと、それは違うかなって思ったんです」


 「ふーん、納得できないみたいな感じ? あ、敬語じゃなくていいよ?」


 「え、あ、……うん。そうだね、なんか納得できない感じ」


 「うーん、そっか。まあ、アカネもそんな感じらしいしね。百井さんの妹にあったけど、電話繋ぐのは断ったって言ってたし」


 「へえ……そうなんだ」


 「それは……もしかして、嬉しい顔?」


 「……うん、なんだろ。やっぱり、同じ風に思ってくれてるのは嬉しいかな」


 「通じ合ってんねー。なんだろ、運命的な出会いを期待してる感じか」


 「そ、そんなわけではないと思うけど……思うけど」


 「あんま期待してると、いざ会った時に幻滅するよー。アカネ、割とろくでなしだから」


 「うぐ……」


 「アオイのやつと———、あ、仲のいい同級生ね? よくえろい同人誌読み漁ってるし」


 「あがが……」


 「それから———、中学生の頃———」


 「ま、まだ!! まだそんなに知りたくないよ! ネタバレ! ネタバレ禁止!!」


 「ふふふ、悪いとわかってても、つい見たくなってしまうのがネタバレっていうものじゃない?」


 「あばば……まだ心の準備が……」


 「あはは。ま、今度ゆっくり教えてあげるよ。ラインも交換したし」


 「う、うん……」


 「ところでさ、百井さんって言うのもなんか遠慮あるし、シロカって呼んでいい?」


 「え、うん、いいけど」


 「おっけ。私もボタンでいいから。あ、家に無事着いたら連絡頂戴ね」


 「う、うん!」



 ※



 それから、ボタンさん……ボタンは、結局、私を駅まで送ってくれた。


 「なーんかね、アカネのやつが、何かシロカの家に残してるんだって。で、それを楽しみにしててだって」


 「そーなんだ……」


 そして、結局、私も合坂アカネもどちらかの家で待って出会う、と言う選択肢は取らなかった。


 もちろん、待っていてもいいのかもしれないけれど。


 それは、なんというか、違う気がする。


 すごく曖昧なことだけど。


 それでも私たちは、私達が納得できる出会い方じゃないといけないんだと、そう想う。


 「うーん、わがままかな? いらないこだわりかも」


 「ま、いいんじゃない? 本人同士にとって大事なことってのは、あるんでしょ。それにきっと、上手く言葉にできないこともあるしさ。だから、シロカとアカネがそれでいいんなら、私はそれでいいと想うよ」


 ボタンはそう言って、優しく笑った。私は思わず、頬を綻ばせて、だらしなく笑ってしまう。


 恥ずかしいような、嬉しいような。それと、どうして合坂アカネがボタンと友達になっているのか、よくわかるような、そんな気がした。


 「えへへ、そっかな。ありがと」


 「ま、でも、本当に会いたくなったら、手段なんて選ばず会った方がいいよ」


 「……うん、そうだね」


 時計を見た。


 そろそろ電車が出る時刻だ。


 それを伝えて、私はすっと立ち上がる。


 伝言はちゃんとしたし、後はもう本当に帰るだけだ。


 生まれて初めて一人で遠くまで来たけれど、その旅ももう終わろうとしてる。


 想ってたよりはずっと短かったけれど。


 合坂アカネにも出会えなかったけれど。


 たくさん知らないことを知って、たくさん出会ったような気がする。


 気のせいかな、気のせいかも。


 でも、いい旅だったとそう想うんだ。


 最後に気になったことがあったから、私はボタンを振り返って聞いてみた。

 

 「そういえばなんで、私と……とも……えと、ライン交換してくれたの?」


 友達……と、言っていいのか、微妙に測りかねるのは、我ながら対人関係の経験値が低すぎると言うか、なんというか。


 「ん? ふふ、それはね―――」


 そんな私をよそに、ボタンはちょっと意地悪な笑みを浮かべた。


 ずっと見せてくれていた、優しいお姉さんみたいな笑みじゃなくて、ちょっと意地悪な年相応な少女の笑み。


 にやりと笑って、とっておきのいたずらを告白するみたいに。


 「———私が先にシロカと友達になったって言ったら、アカネ、悔しがりそうじゃない?」


 子どもっぽい、ちっちゃな理由を晒してきた。


 そんな顔を見て、私はこらえ切れずに思わず、吹き出した。


 だって、さっきまでの優しさも、見栄えにそぐわない大人っぽさもなんというか、色々台無しなんだけど。


 「あはは、何それ?!」


 「えー、だってアカネのやつねー、いっつも無自覚にマウントとってくるの。本人悪気ないんだけどね。勉強も、運動も、遊びもなんもかんも、なんでもできるから余計に質悪いのなんの、たまには悔しがらせとかないとねー」


 「ふふっ、あははは!」


 なんてそんな風に笑ってたら、電車がホームに来るアナウンスが鳴ったから。


 私達は頷いて、そっと優しく手を振りあった。


 「じゃあ、シロカ。またね」


 「うん、ありがとう! ボタン」


 こうして、私の最初の旅はそっと終わりに近づいていった。


 家に帰りつくまで、あと、もう少し。

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