第10話 百井クスリは遊ばれる
うだる夏の日差しの中、山に囲まれた田舎の一軒家、セミの声をBGMにして、玄関から出てきた少女に私はとびっきり笑って声をかけた。
「はろー、私、合坂アカネ。あなたが百井シロカ?」
「え……いや、違いますけど」
……あれ?
満塁ホームランを確信して決めポーズまでとった打球が、空中で鳥に咥えられてどこかに消えたような。
多分、私はそんな顔をしていた。
※
お姉ちゃんが旅立ってから、一日が経ったころ来客があった。
薄手のパーカーに身を包んだ多分、高校生くらいの女の人。
肩くらいの茶髪の隙間から人懐っこい笑みを浮かべた、でも顔も知らないそんな人。
ただ、名乗った名前に聞き覚えはあった。
お姉ちゃんが模試の結果を持って帰ってくるたびに出していた名前。
あのとんでも賢い姉と、同じくらいとんでも賢い誰かさん。
そして、昨日、その姉が探しに出かけた誰かさん。
それが今、私の目の前にいる。
……いや、なーんでこのタイミングで来ちゃうかな。お互いを探し始めるタイミングまで一緒とか、模試の順位が一緒なだけで十分でしょうが。
お互い、停止すること10秒ほど。
「あ、とりあえず外は暑いし上がります?」
「あ、どもども、お邪魔します」
そんなやり取りを交わして、私はとりあえずその自称合坂アカネさんをおうちに招き入れたのでした。
おねーちゃーん、これはどうしたらいいの?
「—————っというわけで、今、うちのお姉ちゃんっていうか、百井シロカはいないんですよ」
「まっじかー……」
とりあえず、家に上がったその合坂アカネさん、らしき人に事情を説明することにした。リビングで麦茶を差し出した私に対して、アカネさんはしばらく絨毯の上であぐらをかいたまま苦笑いを浮かべる。
まあ、お姉ちゃんが言うには九州の出らしいけど、まさかこんなことになってるなんて思うまい。あの姉だって、短期間の旅行は想定に入れていたけど、まさか、すれ違いで自分を探しに来てるなんてのは、考えてもなかっただろう。私だって想像もしなかった。いやだって、そんなのないでしょ。普通。
というか、変な話だけどこの人、本当に合坂アカネなんだろうか。お姉ちゃんがご執心な噂を聞いた何者か……て可能性もなくはない……かな、ないかなさすがに。
なんて、私が考えて、その自称合坂アカネさんに改めて目を向けると。
「っていうわけなので……えと……合坂さん?」
「っくやしー!! でもなんか運命的!! いやでも、やっぱ会いたかったなー!!! うわーん!! ざんねーんーーー!!」
そこには他人の家のリビングでじったんばったん暴れまわっている女子高生がいた。
感情表現むき出しに、腕をぶんぶん振り回してすっごい騒いでる。なにこれ。私より三歳は上のはずの女子高生が、五歳児くらいのテンションで悔しがっているんだけど。
思わず口を開けてあぜんとする私を置いて、アカネさんは5秒ほどそうしてから、少し息を落ち着けてふーっと息を吐きながら私に向き直った。
「え……えと」
「ふひー………………。あ、ごめんね、急に取り乱しちゃって。一回、感情認めないと落ち着かないから。……いやあ、でもほんと予想外だった。普通そんなことある?」
呆ける私を置いて、苦笑い気味に、でも確かに笑ってアカネさんは私に声をかける。
ちょっと驚いたけど、まあ、そりゃそうだろう。
どこから来たか知らないけれど、折角遠路はるばる訪ねてきてみたのいないわけだし。
でもその表情は、なんというか苦笑いなんだけど不思議なことに————、
「ま、まあ。お姉ちゃんもまさかこんなことになるとは考えてなかったと思いますけど」
「だよね、私もまさかって感じだよ。いや……いいね、楽しいね」
「楽しいん……ですか?」
「うん、楽しい。だってどうやったのか知らないけれど、自力で私の住んでるところを探し出したってことでしょ? すごくない? 本に仕込まれてた暗号見たときも想ったけどさ、すっごい。絶対ね、
そう言ってアカネさんはにこやかに笑った。
この人の正体は何も証拠がない。当然だけど、私は顔も知らないのだから。
知ってるのは、名前とお姉ちゃんと同じくらい頭のいいだれかさんだっていう、ただそれだけ。
でも、それでも。
この人は本物の合坂アカネだって、あのお姉ちゃんが探してた人だって、その時なんとなくわかった。
だって、お姉ちゃんのことを色々と評価する人はいっぱいいたけど。
賢い。天才だ。畏れ多い。憧れる。妬ましい。恨めしい。
今まで、お姉ちゃんについて色々と投げられた言葉はあったけど。
『遊んだら楽しい』なんて言ったのはこの人が初めてだし。
わざわざ合坂アカネだと嘘を言って、お姉ちゃんを騙そうとする人はそんなこと言わないでしょ。
そして、あの姉と並ぶくらいだ。
きっと、この人もさぞ
そんな想像に、思わずくすっと来た。
同時に、ちょっと、肩の力が抜けた。
「まあ、ともかく。うちには姉はおらんのですよ。どうします?」
「どーしよっかなー、悩むね」
「私が電話でもしましょうか?」
「んー、ありがと。でも、それはなんか面白くなさそうだからパスで」
「いや、面白くなさそうって、どんな理由」
「いや、大事だよ。面白いかどうかはねー、ほんと大事だよ。ここでそんな出会い方しちゃったら、10回連続同率一位になった意味ないよ、運命的じゃない。100年の恋も冷めるかのようだよ」
「え、恋? そういう気持ちで来てたんですか、恋愛的な?」
「はは、例えばの話ね? あ、でも私多分、女でもフツーに好きになれるよ?」
「わーお、そういうことさらっと言います? 初対面ですよ私達?」
「あはは、人と仲良くなるコツは、自分の秘密や弱みをちゃんと見せることだかんね」
「あー、それわかります。私弱点だらけなんで」
「ほうほう、例えば?」
「中学で生徒会やってるんですけど、仕事できなさすぎて九割、人にやってもらってます」
「っぷはは、そりゃ大変だ」
「で、みんなが私を助けまくった結果、生徒会長にまでなってしまったのですよ」
「お、謙遜に見せかけた自慢じゃん?」
「へへ、バレた」
「でもいいね、そういうのも楽しそう。キミ、面白いね。百井シロカの妹……じゃ、失礼か。名前、なんていうの?」
「クスリです。百井クスリ」
「クスリ……うん、クスリか、いいね。ね、クスリ。折角だし遊ばない?」
「はあ、遊ぶ……ですか?」
「うん、そもそも私百井シロカと遊ぶつもりで来たからね。クスリも遊んだら楽しそうだし」
「お姉ちゃんの代わりかー、荷が重ーい」
「あはは、気にしない、気負わない。ただ遊ぶだけだし。クスリは運動と頭使うのどっちが得意?」
「運動はまあ、そこそこに。部活で陸上やってるくらいです。頭は全然だめですねー」
「はは、そっか。でもいいねー。私も中学の頃、陸上やってたよ。じゃあ、あれにしよ。鬼ごっこ」
「え、本当にするんですか? こんな暑い中?」
「うん、あ、水分補給と虫対策はしっかりね……ってそんなの私より詳しいか」
「ま、まあ、腐っても地元なんで」
「ルールは……そうだね、この町の中だったらなんでもありとか? 他人様の敷地とか店以外」
「広すぎません? っていうか、引退してるんですよね? さすがに現役の私勝っちゃいますよ?」
「まあ、それはやってみてのお楽しみかな。あ、ゲーム開始の合図も兼ねて、ラインだけ交換しとこ」
「ほいほい、ちょっとスマホ取ってくるので待っててくださいねー」
「んじゃ、その前に、最初はグー」
「じゃんけん」
「ぽい」
「うげ、負けた」
「じゃ、私が最初に逃げる方ね、五分経ったら攻守交替で。二十分くらいで捕まえた回数が多い方の勝ちね」
「ほいほーい、あ、スマホあったあった、どぞ」
「よし、登録完了。ふふ私に勝ったら、コンビニでなんでもおごってあげよう」
「まじすか、先輩、ハーゲンダッツでもいいっすか」
「ファミリーパックでもどんとこい」
「ただ先輩、ここコンビニ行くまで往復30分はかかるっす」
「まじで、あははド田舎だなー」
そんなやり取りの後、二人して、玄関に出て軽く身体を動かす。
夏休みでなまった身体に血を巡らせつつ、私は準備運動でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
アカネさんは不思議な人だった。
だって、よくよく考えたら、おかしいじゃん。
普通さ、会ったばっかの人と鬼ごっこなんか、する?
おかしいのにさ、本当に楽しそうにやるから、私も、まあ、いっかって受け入れちゃった。
なんでだろ、この人に邪気はないんだってなんとなくわかる。きっと、本当にただ遊びたいだけなんだ。
それを初対面の相手に信じ込ませるような、そんな不思議な説得力があった。
年上のはずなのに、仲のいい同世代の友達と会っているような。ともすれば、はるかに年下の子どもと遊ぶような。
そんな、不思議な感覚。
「じゃ、10数えたらスタートね、5分でアラームつけとくし」
「ふっふっふ、現役陸上部の力、舐めないことですね」
「あはは、いい意気込みだね。じゃ、行くよー……よーいスタート!!」
そういえば、鬼ごっこなんてしたの何時ぶりだったっけ。
そんなことを考えながら、私達は夏空の下、思いっきり駆け出した。
結論から言うと、惨敗だった。
いや、なにこれ意味わかんない。
こっちが鬼の時はまじでまったくみつからない。行動が全部読まれてるんじゃないかってくらい、影も形も見つからない。居場所を探ってやろうと携帯をならして、それをヒントに探してみたけどすぐに振り切られてしまう。
めっちゃ遠くまで走って逃げていたと想ったら、すぐ近くに潜んでたり。追いかけてるつもりがずーっと尾行されてたり、時間切れになった時に泥だらけになって帰ってきたときもあった。側溝の中に埋まって隠れていたらしい……。最後の鬼の時は、隠れずに私の正面で待っていて、そこからずっと目に見える範囲にいるのに、五分間見事に逃げ切られた。
しかも多分、私の方が足が速い。なのに追いつけない。
すんでのところで切り返される。あとちょっと、ってところで視界から消える。横のステップで翻弄されてるところを華麗に抜けられる。
いや、ほんと意味わかんない。
極めつけはアカネさんが鬼のパターン、ほぼ全部二分以内に捕まった。
なんでか意味わかんないけど、隠れた場所が一瞬で見つかる。曲がり角を曲がろうとしたら、待っていましたとばかりにタッチされる。気づいたら背後からタッチされてたり、柵の上からとびかかられてタッチされたり、挙句の果てに足は私の方が早いんだから直線勝負に出たのにタッチされた。いや、確かに私のほうが足速いのに、直線で追いつかれるの意味わかんなくない? なんなの? そういう能力か?
「はあ……ひぃ……ひぃ」
「ほい、水とポカリどっちがいい?」
「ぽ……ポカリで」
「ういうい、おつかれ」
しかも私の惨敗だったのに結局近くの自販機でおごってくれた。なんだろー、凄まじい敗北感。まあ、ここまで差を見せつけられたら、もう、すごいなって感想しか湧いてこないけどさ。
「はあ……はあ……、はー、負けたーーー!!」
「あはは、惜しかったね」
ベンチで思いっきり、敗北感を声に出す。うむむ、まさかここまで手も足も出ないとは。
「っていうか、最後どうやったんですか? え? 私の方が速かったですよね?」
「うん、さすが現役っこ、最高速は私より速かったよ」
「じゃあなんで私、追いつかれたんですか?」
「ん、ああ、あれはね、私もずっと本気じゃなかったから」
「え?」
「あ、それでも多分ねクスリの方が速いよ? ただ、クスリにはずーっと私の速さを低めに見積もってもらってたの、ちょっと抑えめに走ってね。私より速いって言っても最高速なんてずっと出るわけじゃないじゃん? だから、大丈夫だなってクスリの気持ちが緩んで、私を振りかえらなくなったときに、隠してた速さで思いっきり走って追いついただけ」
「はへー、え、じゃあ隠れてるとこ全部分かったのは?」
「あれはねー、追いかけられてる時にクスリをずっと観察してたから、その時の行動パターンと性格と、後はなんとなく、かな」
「うわあ、もしかして、私分かりやすいですかね」
「うん、じゃんけんも初手でグーだったしね、会話してても想ったけど結構シンプルなタイプだよね」
「そっから読まれたんですか……まじかあ」
「はは、いや楽しかったね」
「あはは、ですねえ」
そんな風に笑い合って、でも同時に私はぼんやりと想った。
これは確かに、うちのお姉ちゃんくらいしか対等に遊べなさそう。
だって、私は遊んでたって言うか、遊ばれてたって感じだもんなあ。いや、もしかしたらお姉ちゃんでもしんどいかも。
そんな風に、思わず苦笑いする私に、アカネさんはちっとも息を切らさずににやりと笑って声をかけた。
「次、何して遊ぶ?」
「いやあ、一回家戻りましょ。汗だくだしシャワーでも浴びましょ、アカネさん、泥だらけだし。服貸しますよ」
「お、いいの? ありがと」
そう笑い合って、私達は家に戻った。
そういやお姉ちゃんは今頃、アカネさんの家についてるかな。
そんなことをふと想った。
それから、なぜか二人で一緒にシャワーに入って、水シャワーの冷たさにきゃいきゃい騒いで。アカネさんの服と汗だくになった私の服を洗濯機に突っ込んだ。
それで二人の服が渇くまで、ゲームでもすることにした。ちなみに、アカネさんには私の服は微妙にサイズが合わなかったから、お姉ちゃんの服を貸しておいた。
夏用の薄手の長袖と長ズボン。あのお姉ちゃん、日焼け対策をきつめにしなきゃいけないから半袖がないのじゃ。
ゲームは色々やったけど、結局マリオパーティをすることにした。運ゲーだし、それが一番、勝負になったから。
なにせ対戦型のゲームはひとしきりやったら、ほぼ全部フルボッコにされて勝負にならなかった。やったことがないって言うゲームまですぐに慣れて、経験者の私を追い越すのはほんとどうかと思う。結局勝てたの、始めの三・四戦だけだし。
ちなみにマリオパーティも結局負けた。いや、運までついてるってどういうこと? 無敵かよ。そんな私にアカネさんは惜しかったねって無邪気に笑ってた。
そんなこんなで服を乾かして、着替えるころには、もうすっかり夕方になっていた。
夏だから、まだ日は落ちていないけれど、もういい時間だ。
私が洗濯とか諸々の片づけを終えて、アカネさんを招き入れた自室に戻ると、アカネさんはなにやらニヤニヤしながら紙に向かってボールペンを走らせていた。とてもとても、楽しそうに。
「なにしてんの? アカネさん」
「ん? ちょっといいこと思いついたから、百井シロカに手紙残しとくの」
そう言ってペンを走らせるアカネさんは、本当に酷く楽しそうでーーーーああ、この人は、この人たちは本当にお互いに会えるのが楽しみで楽しみで仕方ないんだろうなって、そう想えた。そういえば、お姉ちゃんも合坂アカネの話をするときは、こんなふうに、とてもとても楽しそうな表情をしてた。
まったく、出会う前からお似合いな二人ですなあ。
なんてちょっと、一人でほくそ笑んで。
まあ、そりゃそうだよね。
私じゃ相手にもならなかった。
きっと今まで隣に並べる人なんていなかったんでしょ。
わかるよ。
だって、うちのお姉ちゃんもいっつもそんな感じだから。
それがきっと、やっとの思いで、見つけたんだよね。
隣に一緒に立てる人を。
そりゃあ、まあ楽しみだよね。笑いたくもなるよね。
「ねえ、アカネさん」
私が声をかけると、アカネさんは首を傾げてう不思議そうにこっちを見た。
「百井シロカ、うちのお姉ちゃんはね———」
そんなアカネさんにちょっとお願いしておこう、妹として。
「根暗で、コミュ障で、頑固で、引きこもりなの———」
どうか、悪いとこも、いいとこも、強いとこも、弱いとこも、お互いに受け入れられる。
「でもね、優しくて、家族思いで、すっごい頑張ってて、世界一のお姉ちゃんなの———」
そんな、そんな友達になってくださいって。
「でも、ちょっと寂しがり屋だから———」
できたらで、いいからさ。
「だから、お姉ちゃんのこと、お願いね?」
アカネさんはにこって笑う。
本当に、本当に楽しそうに。
それから私にこう言った。
「
それはまるで小さな子どもが、大きな夢を語るみたいに。
生まれて初めて手にした、とっておきの宝物を見せるみたいに。
アカネさんは笑ってた。
その笑顔を見て、思わず私も笑ってた。
ああ、お姉ちゃん、早く帰ってこないかな。
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