第8話 合坂アカネは辿り着く

 旅を出発してからはや二日目、私は秋田の空港で目を覚ましていた。


 携帯用の薄手の毛布の中でぐーっと腕を伸ばす。


 大阪の伊丹から深夜の便に乗り込んで、勢いのまま秋田に到着したのが昨日のこと。ただ残念ながら、さすが田舎、空港近くだというのに泊れるところがなかった。


 ネットカフェもなければ、ホテルもない。主要な街まではどうあがいても一時間以上かかって、あげくバスもタクシーが夜中にはすっかり停止しているときた。


 そんなわけで、仕方ないから、多少のリスクは鑑みつつ空港で夜を明かしたのだった。いやあ、夏でよかったね。とりあえず凍える心配はなかった。


 そうして起床した私は、毛布を畳んで荷物の中にしまい込むと、空港内のロビーで一人、朝の体操をしたりした。人も少ないロビーで一人、いっちにーさんしーと歌いながら体操するのはなんとなく気分がよき。


 それからは売店でおにぎりだけ買ってつまみながら、屋上に上がって、よく晴れた東北の空を眺めていた。


 『で、こんな朝っぱらに何?』


 「いやあ、暇だったからさ、ボタンの声が聞きたくなって。バスが来るまで時間もあるし」


 『なんで私なのよ、眠いんだけど』


 「だって、アオイはこの時間まだ寝てるでしょ、昼にならんとあやつ起きてきませんわよ」


 『ま、そうね……』


 というわけで、親友のボタンに再び電話をかけることにした。朝っぱらから電話をかけたから若干、ご機嫌斜めかな。


 「まー、機嫌損ねないでよ。帰ったらお土産あげるから。構ってくれないと、アカネちゃん寂しくて死んじゃうよ?」


 『はいはい、分かったから。ただ、私も朝の準備まだだから、着替えながらでいい?』


 「もっちろん、あ、録音しといてあとでアオイに送っとくよ」


 『何の意味があるの……それ』


 「アオイ、こーいうの好きそうじゃない? こう服がこすれる音がさらっさらって、想像力を掻き立てられる感じが」


 『好きそうね……あいつ。そういう、なんっていうかフェチっぽいやつ』


 「いやあ、実際好きでしょ。やつの同人誌の趣味的に」


 そんな与太話を交わしながら、私は空港の屋上にあった芝生でごろんと寝転がる。夜明けの芝生は、少し濡れていて服がじんわりと水分を吸い上げてくる。まあ、昼間に歩いてたらそのうち乾くでしょ。私はそのままごろごろと、芝生の上を転がりながら夏のきつい日差しを一身に受けていた。清掃員と思しきおばちゃんが、そんな私を見て不思議そうに首を傾げていたが、笑顔で手を振ると手を振り返してくれた。うん、爽快。


 『今日はどうするの? とうとう例の子の家につくの?』


 「そだねー、とうとう緊張のご対面ですよ」


 『ぜんっぜん、緊張してる感ないけどね、アカネは』


 「まっさかあ、これでも緊張してるよ?」


 空を見た、東北の空は透き通っていて、周りが森だらけだから見上げる景色もどことなく心地いい。青い空、緑の山、辺り一面にそれが広がって、時折飛行機が稼働の準備をする音が、その一帯の空気を震わせていく。


 そんな中、空を見上げながら、息を吐いた。長い息、深い息、いつも通り、落ち着いた息……いつも通り過ぎるって言った方がいいのかな。無意識的に落ち着こうとしてるというか、そういう作用を感じる。


 『っていうと?』


 「んー、なんとかなるだろうけど、根っこの部分でどうなるんだろっていう、怖さがある感じかな」


 『ふうん』


 「でも、怖いのはさ、きっと初めてのことだからなの。今までにない出会いなんだっていう、予感があるからなんだ。だからね、この怖さがちょっと楽しいの」


 『そっか、相変わらず変ね、アカネは』


 「そっかなあ」


 ボタンの返答はいつも通り、呆れながら励ましてくれる。ため息をついてるんだけど、声の調子はどことなく優しい。


 『ま、前向きなのはいいことなんじゃない?』


 「でしょう、もっと褒めて。伸びるから」


 『はいはい、えらいえらい。その頭で、これ以上伸びてどうすんのよ』


 「えへへへ、今ならドラえもんだって作れるぜ」


 空港の屋上で、一人、笑顔に顔を綻ばせる。頭の奥が温かくなって、今日という日を頑張ろうって活力が生まれてくる。うむ、エネルギー充填って感じですな。


 『まったく、今まで散々人に褒められ慣れてるでしょうに、今更何が嬉しいんだか』


 「いやー、ボタンに褒められるとねー、こう心が特別ふわふわするんだよ。だから嬉しいの」


 『そーなの』


 あ、ちょっと照れてる。


 「うん、やっぱ親友というのは特別ですな」


 『はいはい、そーね』


 「愛してるよー、ボターン!!」


 『はあ……わかったから、あんたはどうしたら変人扱いされないか考えときなさい』


 折角、熱烈な愛情を渡したというのに、ボタンの反応は飼いネコが虫を持ってきたときくらいそっけない。ネコ的には大発見だから見て欲しいのだが、主人としてはどうでもいい、このギャップよ。ま、照れ隠しという要素も私、見逃しませんがね。


 そんなふうに、しばらく他愛のないやり取りを繰り返してから、私は別れを告げて電話を切った。


 うん、元気出た。


 おちゃらけてみたけど、ちょっと、緊張で弱気になっていたのは本当だから。


 でも、友達と話してると確かに落ち着いてくるのを感じる。うん、いけるな、私。


 私は芝生にもう一度ごろんと思いっきり転がると、そのまま反動をつけてぴょんと飛び上がった。


 しゃがんだ状態から勢いよく跳びあがって、身体を捻りながらびしっと着地する。


 体幹を制御して両手を広げてびしっと決めポーズ、審査員がいたら10点くれること間違いなしだろう。


 「……最近の若い子は元気だねえ」


 あ……いた、審査員。さっきの掃除のおばちゃんが私の近くで大型の掃除機を転がしながら、そんなことをつぶやいていた。


 そんなおばちゃんに、私は顔の真横でピースをびしっと作る。


 「そりゃあ、もう元気バリバリですよ!!」」


 私がそう言うと、おばちゃんは感心してくれたのか、小さく拍手をくれた。


 へへ、気分は演技を完璧に決めたオリンピックの体操選手だね。


 そんなこんなで、気分を良くした私はしばらくおばちゃんと喋りながら掃除を手伝ったのだった。


 そんで別れ際におばちゃんからお駄賃ってことで、お手製のおにぎりを貰って私は旅を再開した。


 ちなみに、おばちゃんと別れるころにはバスの路線が動き出して結構な時間がたっていたのは内緒だ。


 ま、楽しかったしいいでしょ。道草は楽しんでなんぼよ。



 ※



 百井シロカ、という名前を最初に眼にしたのはいつの頃だったっけ。


 多分、中学二年生かそこらくらい。


 それまで、学校のテストはそこそこ面白いゲームだった。


 やり方を工夫して取り込めば、結果が出る。ゲームと同じ、レベルを上げればボスを簡単に倒せる。レベルを上げまくれば、特別な技を使わなくても倒せたり、どれだけ早く倒せるかみたいな遊びもできる。


 ゲームと違って下準備がいるけれど、まあ、努力も楽しむためなら意外と悪くない。


 そんなふうにしていたら、学校で受けた共通テストが順調に順位が上がっていって、ぼちぼち全国一位とかなるんじゃない? とか考えていたそんなころ。


 ふと、想った。


 一位になったら、どうしよう?


 次はどうやって遊ぼうか。


 どれだけ早くできるか、とか、縛りプレイみたいに利き手と逆手でどれだけ行けるか、とかそういう検証をしてもいいけど。


 そこまで行きついちゃったら、さすがにちょっと退屈かもなあ、なんて考えていた。


 だって一位になって、そっから縛りプレイって、ゲームで言ってしまえば、そこはもうあてもないエンドコンテンツみたいなもんじゃん。滅茶苦茶、時間かけて攻撃力が数パーセントあがったりする程度。


 目標もなく他にやることもないから、仕方なく微量の向上を義務感で積み上げるような、そんな領域。


 そこまで行ったら、さすがに勉強にも飽きてしまうかもなあ。


 なんて私の危惧をよそに、帰ってきた模試の結果は、予想通り全国一位。


 ま、全教科満点だったので、当たり前と言えば当たり前なのだけど。


 あー、これで勉強も遊びつくしちゃったかな、なんて考えていたそんな時。



 ふと、気付く。



 偏差値の分布図がある。


 自分が全体の比率のどのあたりにいて、自分と同じ得点ラインが何人いるか、みたいな、そんな表。


 大きな山がグラフとして描かれて、私の偏差値はその左端の欄の少し離れた位置にポツンと点が打ってあった。


 自分と他人がどれだけ離れているか。


 それが分かりやすすぎるほど、明示してある。


 ただ。


 そこに。


 私と同じ欄に。


 もう一人。


 いる。


 確かに。


 もしかして?


 私は模試の結果表のページを勢いよく捲った。


 各学科、成績最上位100名までは名前が公開される。


 それらを捲り倒して、そして期待通りの結果に舌を巻く。ほくそ笑む。


 なんて、嘘、大笑いしてた。


 学校の放課後に独りで勝手にうきうきして飛び跳ねて、ボタンが不思議そうに首を傾げていたっけ。


 全部、全部、同じ名前。数学・国語・英語・理科・社会。全部、100点、全部、私の隣にいる。


 総合一位 合坂アカネ 500点


 総合一位 百井シロカ 500点


 


 私と並ぶ子がいるんだ。


 山を独りで上り詰めってしまったと思ってた。


 そしたらもう、一緒に歩いてくれる人はいないんだって思ってた。


 そしたら、隣に立ってる人がいた。


 顔も知らない。どこに住んでいるかも知らない。わかるのは名前だけ。


 でも、それでも確かにその人はいた。

 

 突き詰めすぎたゲームがもう、退屈なもの成り下がったと思ってたら、まだ遊べそうな相手がいた。


 その事実が、何よりうれしくて、何より私を勉強というものにのめり込ませた。


 それから、10回、そう10回も、私と百井シロカは、全国模試という遊び場で隣に並び続けた。


 あまりに百井シロカのことを考えすぎて、ケアレスミスをかました模試ですら、同点だった時はなんというか、運命すら感じたもんだ。


 そんな人に、そんな相手に、私はこれから会いに行くのだ。


 バス停を抜けて、田んぼの先へ。


 夏の熱気さえ振り切って、息を切らして、その先へ。


 そうして見えてきた少し古めの一軒家が、暗号のが示した答えだと、スマホの地図が教えてくれる。


 息を切らして、汗を垂らして、でも不思議と笑顔は止まらない。


 心臓が震えるのが気持ちいい、肺が動くの心地いい、眼が、腕が、足が、身体が、今ここにあることが心地いい。


 抱えていた不安も恐怖も、気づけばどこかになくなっていた。


 今はただ楽しみだから。


 最高の友達遊び相手に会えることが。


 インターホンの前で私は立ち止まる。


 指をインターホンにかける。震えてるけど、止まれない。


 そこでふと、思いつく。


 思いついて、実行するか、思案。


 うん、非常識だけど、まあいいか。


 だって、出会いは鮮烈なものがいい。


 そっちの方が、きっと楽しいから。


 だから、今はただ、勢いのままに。


 私はインターホンを押して、息を大きく吸った。




 「シーーーーローーーーカーーーーー!! あーーーそーーーぼーーーーーーー!!!」




 

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