第7話 百井クスリは思案する
私の姉、百井シロカという、我が家の暴君は、まあ酷い人だ。
毎日のご飯のメニューはお姉ちゃんの気分次第、私が洋食がいいと口答えすればお小遣いは減らされるし、あまりに成績が悪いとたまに説教してきたりもする。
ありとあらゆるところで理性的にきっちりやっている反動で、私に対しては衝動的というか適当すぎないってくらい勢いで突っ込んでくる。適当で、ずぼらで、お母さんには甘い。あと、お小遣い下げるのは本当に勘弁してほしい。
—————まあ、実際、凄い人なのだけどさ。
なにせ、うちのご飯はすべてあの人が作っているし、うちの生計の9割9分はお姉ちゃんの執筆の印税だし、それでいて全国トップの学力を持ち合わせているときた。
とんでもない、控えめに言って意味わかんない脳みそである。私にもその才能を、欠片ほどでいいから、分けて欲しかった。結構、見た目が真っ白だから、実際突然変異のたまものなのかもしんない。
とまあ、そんな姉だけど、尊敬は、してる。というか、せざるおえないっていうか。
あの人が、やってることの一つだって、私は真似できそうにない。精々、お茶らけて、冗談で煙に巻くのが関の山って感じだ。
そういえば、小学生くらいの頃はそれでへこんで、ひねくれそうになった時もあったっけ。
ちょうど、お父さんが死んで、お母さんの鬱がひどかったころだったかな。
まあその時に、私を立て直したのも、あのお姉ちゃんなんだけどさ。
思い出に残ってるのは漢字の50問テストか何かがあってその結果が帰ってきた日だったかな。
漢字テストは、うち小学校の学年恒例行事みたいなもので、四年生になったら全員受ける。お姉ちゃんも受けて、お父さんやお母さんに結果を見せていたのを、私は小さいながらに覚えていた。
まあ当然、あのお姉ちゃんだから、百点満点とってくるのよ。
その時お姉ちゃんは確か、そこまで難しくなかったよって涼しい顔して言ってたっけ。そして、当時小一だった私はその言葉を真に受けた。受けてしまったのだ、はあ。
で、三年後いざそのテストを自分で受けてみると、まあ間違いが、出てくるわ出てくるわ。なにせ私、細かいことを覚えるのが苦手なんだもん。
結構勉強したけど、ここの点が足りない、棒が足りない、大体合ってるけど微妙に違う。そんなのの繰り返しで、見事に合格点の80点を割ってしまったのだ。
小学校の授業だし、それまであらかた出来ていたつもりだったけど、まあさすがに差が見えだしたってわけ。
できるやつと、できないやつの差が。
漢字テストなんて、ちょっとしたことだけど、そのちょっとしたことだからこそ、私とお姉ちゃんの差をわかりやすく表してるみたいで。当時の私は異様にへこんでしまったりした。
私はあの天才に、百井シロカには、なれない。
そんな当たり前の事実に、小学生のおちびだった私はようやく気付いたのだ。そんなもん、初めから分かりきってるんだけどね。誰だってあのとんでもお姉ちゃんにはなれない、なれっこない。
その当時、お姉ちゃんは趣味の小説をちょこちょこ感想が聞きたいからと、私に見せに来ていた。それがまた、私の自尊心をごりごり削っていくのである。
だって、面白いし、凄いし。しかも、お父さん、小説家だったのを、お姉ちゃんはちゃんと引き継いでるのだ。
私はなんにもできないのに。
勉強できないし、家事もめんどくさいし、小説も書けないし……、そんなこと考えていると、私って要るのかな、なんて卑屈に思えてきたりして。
その日は、そんな風にへこんで、拗ねて部屋に閉じこもった。
布団にくるまって、漢字テストを握りしめて、意味もなく泣きじゃくって、ご飯も食べず、電気もつけずにうじうじしてた。我ながらめんどくさい。
そんなことしてたら、私がすっぽかしたご飯をもって、お姉ちゃんが部屋に入ってきた。
湯気の立つチャーハンをお盆に載せながら、落ち込んでる私なんて気にもしないで、ベッドの近くにとんとお盆を置いたっけ。
「どしたのー、お母さん心配してたよ」
そんな風に、いつもの感じで聞かれたっけ。顔を見られたくなかったから、布団を頭から被ったら、そんな私の隣にポスンと腰を下ろしてきた。
「なんかあった?」
「……あったけど、お姉ちゃんには言いたくない」
「そか、じゃ、言わなくていいから。食べなよ」
そう言って、布団越しに頭をぽんぽんと叩かれた。その余裕な態度に意味もなくむっとしたけれど、お腹は確かに減ってたから布団から手と頭だけ出してお盆におかれたチャーハンを食べたのだ。食い意地には勝てねえもんね。布団の隅に漢字テストは投げ出してちゃってさ。我ながら、なんというか意地の張り方が適当だったな。もうちょっと粘ればいいものを。
黙々とチャーハンを食べて、そのあいだ、お姉ちゃんは何も言わずに私を見てた。
普段なら、行儀悪いから布団で食うなとか、いただきます言いなさいって怒るけど。
その日だけは何も言わずに、じって私を見ていたっけ。
私が手を止めるまで、ずっとずっと何とも言えない顔で、じっと見続けてた。
その時のチャーハンは好きなメニューのはずなのに、涙と鼻水が溜まってるからか、舌が熱いだけでなんか変な味だった。
お腹を満たすためだけに味もわかんないまま食べて、食べ終わったら手を合わせたっけ。拗ねてたけどそこは習慣で動いてしまったうのだ。
そうやってちょっと落ち着いて息を吐いた頃、タイミングを見計らっていたお姉ちゃんはぼそって口を開いた。
「……学校でお父さんのこと、なんか言われた?」
そうやって、ちょっと俯いて、いつもしっかりしているはずなのに、少し頼りなさそうな声を出してた。
私は黙って首を横に振った。
お父さんのことは学校のみんな、一度教えてから、びっくりするくらい何も言ってこなかった。多分、触れてはならないことになってるんだろう。小学生でもそれくらいの気は使える物だ。
「……そっか」
普段はしっかりしているはずの声が、細く小さく、そう零した。
それが気になって、ちらってお姉ちゃんを盗み見たけど、長い銀髪が下に垂れて項垂れた頭を隠していたから表情は見えなかった。
「じゃあ……なんで? ……ああ、それのせい?」
質問を続けたお姉ちゃんは布団の隅にある握りつぶした紙に気付いたみたいだった。
一瞬、止めようと思ったけど、見つかってしまったからには仕方なかった。どうせ、無理矢理みられるし、お姉ちゃんはしわくちゃのそれを伸ばして、じっと見た。
「76点……」
怒られるかなって思った。
もっとちゃんと勉強しなさいって。
だって、お姉ちゃんは100点だったし。
それに比べたらさ。
まあ、私、お姉ちゃんになれないし。
料理もできないし、美味しいチャーハンだって作れないし。
小説だって、お父さんのことだって。
どうせ、私にはできないし。
そう口をとがらせかけた私に。
「
そんなことを言ってくすっと笑った。……あれ?
「クスリ、漢字苦手なのに、頑張ったじゃん。というか、間違えてるのもケアレスミスばっか。大筋覚えてるよ、いいんじゃない?」
予想外の言葉に、ちょっと面食らったけど、なんか上から言われてるみたいでちょっとむかってきた。
だからつい、口を開いてしまった。
「……でも、お姉ちゃん、満点だったじゃん」
ぽんぽんと頭を撫でられた。
「ま、私、こー見えて、勉強得意だからね。努力はもちろんしてるけどさ。でも、クスリもちゃんと勉強してたでしょ、知ってるよ」
「……お姉ちゃんのほうが料理うまいし」
「それは教えるからやってみなって言ってるのに、やらないあんたが悪いでしょ」
「お姉ちゃんの書く小説面白いし、お父さんの仕事ちゃんと引き継いでるし」
「ありがと、そう言ってくれるのクスリだけだけどね。この間ネットに上げたらぼろくそに叩かれてたし」
「……私、お姉ちゃんみたいになれないし」
そう、結局、そうなのだ。私はお姉ちゃんにはなれないんだ。
百井シロカができることは、百井クスリにはできないのだ。
「そりゃそうでしょ」
姉はくすっと笑って、私を見た。それがバカにされてるみたいで、頭に来て思わず布団から頭を出して姉を睨んだ。
でも、お姉ちゃんは、優しい笑みで私を見てた。
「
その顔は私のことを、バカにしてなんか、いなかった。
……まあ。
そんなこと、最初からわかってたけどさ。
「クスリはクスリにしかなれないの。お父さんの本にも書いてたでしょ? できることをやるの、得意なことをやるの。クスリは友達作るの上手いし、人懐っこいし、失敗してもみんな笑って許してくれるでしょ? 私、そんな人になれないよ」
だって、うちのお姉ちゃんは、優しいのだから。
「でも私、飽きっぽいから、努力できないし。お父さんの本読んでも、へーくらいにしか思わないし」
「ま、人に寄るでしょ、そこは」
お姉ちゃんはくすくす笑って、うりうりと私のほっぺたを虐めてくる。
そう、この姉が私を見下したことなど一度たりともないのだから。
ただ、私が劣等感で創り上げたイメージを押し付けてただけ。
そんなの小学生でもわかったけどさ。
わかったけどさあ。
もうちょっと、拗ねさせてくれてもいいと思うのだけど。
仕方ないので、私は、はあ、とため息をついた。
「できた姉を持つと苦労するー」
「ありゃ、クスリが褒めてくれるの珍しいじゃん」
「ほーめーてーなーいー」
仕方ないので、機嫌、直してあげましょう。
ったく、しゃーないなー……なんてため息をつくふりをして。
まあ、全面的に私が悪いし、何よりお姉ちゃんにそう言われてしまえば、私は機嫌を直さざる得ないのだ。治ってしまうのだ。
何せお姉ちゃんに褒められるだけで、気分なんてもうとっくに改善してるのだ。
だってこの人は私の自慢の姉なのだから。
時々、夜ベッドで一緒に寝るときに、私が寝たのを確認した後に、抱きしめてきて、独りで泣いたりしてて。
それでも頑張っている、私のお姉ちゃんなのだから。
私の、尊敬すべき、愛する、口うるさい、優秀過ぎる、ただ一人の、お姉ちゃんなのだから。
しゃーない、頑張るかーってお姉ちゃん見てたら思っちゃうのだ。
「ところでお姉ちゃん、中学で友達出来た?」
「うぐ……」
口を詰まらせて、目を泳がせるお姉ちゃんを見てほくそ笑む。
まあ、意外と弱点もあるしね?
そう想うとこんな私も意外と捨てたもんじゃないのかもしんないか。
なんて想ったのだ。
※
『着いたよ!! 大分!! 飛行機、脱出!! 今、電車乗ってる! もうちょっとで合坂アカネの家着くよ!!』
「……」
『え、何で? 無言?』
「いや、昔のこと想い出してて……。改めて、お姉ちゃん友達作れるのかなって」
『うるせー!!』
意気揚々と電話をかけてきた姉の声に、思わずほくそ笑んでしまう。いやあ、こんなテンション高いこと、今まであったかな?
ずっと、何かに肩肘張ってる人だった。ずっと私やお母さんの分まで、何かを背負ってる人だった。
「まあ、私は生徒会長ですし? 人望あつあつですし? そういう立場から言わせてもらうと、まー、お姉ちゃん基本的に人にビビりすぎだよねって感じかなー」
『うるしゃーい! 部下にほとんど仕事任せてるぼんくら生徒会長の癖にー!!』
元気な姉の声が、何かを楽しみにして笑っている姉の声が、私の心まで弾ませていく。
くすくすと思わずにやついてしまう。
「ところがどっこい、この前の調査で支持率は93%、貫禄の歴代トップを記録したのですよ」
『ちょっと世の中どうかしてると思うわ』
「ちょっとできないくらいの方が、人は助けてくれるからね。ちなみに副会長は、なんか納得いかねえ! って叫んでたけど」
『あはは。だよねえ、まあ、クスリだからそれで笑って許されるんだろうけどさ』
二人して、けらけら笑った。姉妹揃って、くすくす笑った。
私も、今までにないくらい楽しい、そんな日だった。
「ねえ、おねーちゃん」
『なあに? 妹』
「なれるといいね、友達に」
『—————うん』
※
それから電話を切って、しばらくした。
さあどうなるかな、って私が自室のベッドで寝転がっているときに。
ピンポーン
って、インターホンが鳴った。
誰かが。
ウチに。
来た音だ。
もし。
聞き間違いでないのなら。
百井シロカを呼ぶ、そんな声がした。
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