おまけ 合坂アカネの退屈

 ここは星円大学理学部数学科のとある研究室。


 そこでは合坂アカネの明朗な声が、元来、閑静な研究室にうるさいくらいに響いていた。


 「えーとね、まずこの場面での証明完了が姫だとしますよね?」


 「……姫?」「……」「あー」


 「で、そのために必要な最終関門がこの数式と、こっちの数式が同じルールによって相関してるってことを示すことなんです。要するにこれがボスです」


 「……ボス?」「……」「ほうほう」


 「で、そのためにはこの公式がいるのです。いわば勇者の剣、マスターソードです」


 「……?」「……」「はいはいはい」


 「ただし! このままだと、この公式使えません! 解釈を変えるのです! 伝説の台座に埋まっちゃってるんでね、封印解かないといけないんです。ハートが13個ないと抜けねえんですわ」


 「……んー? うん」「……」「あー、完全に理解したわ」


 「そこで役に立つのがこっちの公式! いわば相棒キャラですね! こいつ使って条件満たしてくわけです、剣を台座から引っこ抜くみたいな感じで!!」


 「……君ら、この説明でわかるの?」「……はい」「かなりわかりやすいですよ?」


 アカネは、有名な難関問題の解説を研究室の大学生たちにしているところであった。納得する若者二人の傍らで、この中で一番その問題を理解しているはずの助教授は、アカネの例えに首を傾げていたのだが。


 「直感的な理解って大事ですよ、助教授山田さん。ご飯食べてる時に産地の情報とか、その構成物質とか考えても食べる気起きないじゃないですか。とりあえずうまい! とりあえず熱い、っていうのが大事なんです」


 「わかるような、わからんような……」「……助教授は難しく考えすぎです」「ところでアカネちゃん。わかんねーところがあるからヘルプ欲しいって、化学科と物理学科のやつらがいってたんだが……」


 「今はヘルプはいや! です! なぜなら今日はこの後、アオイと同人誌を読み漁るんです!! その後、恥ずかしがるボタンに布教してにやにやするという大事な使命もあるので、無理!」


 「おおう……ロクな予定じゃないな……」「……無理強いダメだよ?」「まじかー、でも結構面白そうだぜ?」


 「……どんな内容です? あ、もちろん無理強いはしませんよ。そこらへんはわきまえてます」


 「新素材の3Dプリンター開発のための助言……、成功すればぷにぷにした素材を使って3Dプリントができる、だと」


 「え……なんか、えろそう。うーん、興味はあるけど、同人誌には勝てないのでパスで」


 「りょーかい。次は……なんだこれ。量子力学上のブラックホールの観測に関する事象の地平面の―――ああ? 専門用語多くてわかんね。ちょっとまってなー」


 「いえ、私や先輩みたいな門外漢、に伝わらないような文章で依頼してきてる時点でアウトです。実際話しても時間かかりそうだし、もうちょっとわかりやすくまとめてきてから、持って来いって言ってください」


 「だなあ、難しいことを難しいまま言うのは簡単だもんな。簡単に言いなすのも難しい。……で、最後のは俺の依頼、今度の飲み会に出す『対助教授用股間強打マシーン』をどうすれば、最適な強さにできるかだ。安全性とリアクションの両立が目的だ」


 「面白そう、要点まとめてメールで送っといてください」


 「おっけ、まかせろ」


 「え、ちょっと待って」


 「じゃ、行ってきまーす!」


 「「行ってらっしゃーい」」


 「え? ちょっと待って君たち。いいのか? そんなもの作っていいのか? 単位はいいのか? 講師に逆らっても知らんぞ?」


 「……企画者はあなたの上司教授ですけどね」「残念ながら装置はすでに機械科の連中が造っちまってるので。俺を脅したところでもう、とまらんのですわ、アカネちゃんも協力してくれちゃったし」


 「ぐおうわああああ大学教育界の闇ーーーー!!」


 「……うちの教授はノリが大学生から進化してないから」「ま、肉体的ダメージは極限まで抑えて、痛みだけ出るようアカネちゃんが考えてくれるから、大丈夫っすよ」


 「それが余計心配なんだよ!! あの子絶対、安全だけど極限まで痛い仕様にするじゃん!! 面白いってだけで!!」


 「「たしかに……」」


 そんな風に、壮年の助教授が必死に叫んでいるころ。


 「待って! アカネちゃん! うちの研究室に顔だけでいいから出して……!」「う、うちも面白ことしてるから、ほら? ね? こんな素材作ってるんだ!」「うちに来ればもっといい待遇になるよ? あっちのとこより研究費もいっぱいあるし!」「この問題だけでも、どうか解いて……!! って足はやぁ!!??」


 「どけーっ!! 私は帰るんじゃ―!! まっててボターン!!!」


 窓の外から、もはや大学の風物詩と化した声が響いていたのだった。


 そんなものを振り払って、合坂アカネは今日も自由にひた走る。


 彼女の親友のボタンが顔を真っ赤にするのは、また別のお話。

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