第4話 百井シロカは東京へ

 機内で眼を閉じて震えること、およそ一時間。


 私はとうとう、東京、羽田に辿り着いた。


 姉『妹よ』


 妹『なに』


 姉『姉は無事に地上に帰ってきました』


 妹『言うて一時間じゃん』


 姉『飛行機に乗ってあらためて思い知りました。雄大なる大地のありがたさを、地面が揺れないって素晴らしい』


 妹『飛行機ってほとんど揺れなくない……?』


 姉『でもなんか、傾いたよ?! ああ、私は今、大きな鉄の塊に乗って宙を舞ってるんだってありありと感じられたよ?! もう正直乗りたくない!!』


 妹『まだ飛行機の予定あるっていってなかったっけ……』


 妹からのそんなメッセージはそっと見て見ぬふりをした。今は、眼の前のことに集中する。


 他の乗客と共に飛行機から降り立つ。連絡通路をわたって、羽田空港内部へ。


 まだ若干の不安定さと酩酊感が残る身体を引っ張って、乗務員に促されるまま進んでいく。


 そういえば、飛行機の衝撃で忘れていたことが一つあったのだけど。




 「————わあ」




 開けた場所に出て、思わず口を開ける。


 高い天井。


 清潔な構内。


 複雑に乱れたエレベーター、エスカレーター。


 常に光り続ける案内板。


 横に際限なく並ぶ搭乗口、そこに群れを成すたくさんの人。


 行きかう人たちは誰も彼も足早に、それぞれの思惑を乗せて歩き去っていく。


 しっかりと誰かの声が聞こえるわけでもないのに、声が、靴の音が、衣擦れの音が、電子音が、あちらこちらから、薄い波のように辺りを満たしてる。


 


 初めて、こんなにも人が多いところに、東京に、来た。




 胸に手を当てると、少し逸っているのを感じる。


 興奮と期待と、あとはなんだろう。


 思わず笑顔になって足を進める。


 とりあえず、今日は小説の打ち合わせ、そして編集さんとの顔合わせ。それからはホテルにチェックインして休息をとる。大丈夫、ぬかりはない。


 とりあえず、荷物を受け取って、手続きをして。


 そこから私は意気揚々と東京という街に踏み出した。






 ※






 「———というのが、今日の私のクライマックスでした」


 「……シロカ先生」


 東京の、とある出版社の高層ビル。その小会議室の中、私は疲労困憊のまま机に突っ伏していた。時刻はすでに午後5時を回りもう少しすれば日も陰ろうかというころ。高層ビルから見下ろせる夕日とビル群は、いつも地元の山に下っていく夕暮れとはずいぶん様子が違って見える。まあ、角度的に見える景色が違うのは当然だけど、なんだか落ち着かないなあ、というのが正直なところ。


 「有原さん———、どうして東京は———あんなに人が多いんですか」


 「……東京だからですね」


 机に突っ伏したまま、力なく呟いたら、担当編集の有原さんに素の顔で答えを返された。くそう。


 「————私は、自分が人ごみに弱いことなんて、百も承知だったんです。50メートル四方に家が一件しかないような、田舎住まいだから、耐性がなくて、県庁所在地に行くために電車に乗るだけでも、私、しんどいのに……」


 「…………はあ」


 呟くだけで、今日のイライラがぶり返してくる。


 「———だからね、限界まで計算したんです。安全を確保したうえで、人通りが少ない道、時間帯、ルート、私の体力もこみこみで。もう、これはばっちりでしょって準備万端で、なのに、なのに……」


 「…………」


 深く息を吸った。


 「なんで、それなのにあんなに人がいるんですかぁぁぁ! ぜんっぜん、人少なくないし、混み合ってるし! 交差点通ったら、めっちゃぶつかられるし! 地下道通っても、人、人、人、人だらけ!! もう限界だって、タクシーに乗っても、おじさん滅茶苦茶、喋りかけてくるし! そもそもタクシー乗るだけでめちゃくちゃ待たされて、乗ってからも待たされて……。五メートルくらいで知らない人がいるだけでストレスかかるのに……、みんなバスバスぶつかってくるし、コスプレイヤー? とか声かけてくる人いるし、普通に高校生ですもん!!」


 「…………いや、間違われたのは多分、そこじゃないかと」


 有原さんが、表情を特に動かさないままに呟いた。————いや、コスプレと思われたのは、髪色のせいだと言うのは自覚しているけれど、聞かなかったことにした。


 「……はあ……すいません、あまりのストレスについ愚痴ってしまいました」


 「いえいえ、……でも本当に今回はご足労ありがとうございました、 


 有原さんが妙に恭しく、頭を下げた。その様子に思わず背筋がぞくっとする。そういうものと、理解しつつも小説家としての名前を呼ばれるこの感じは、自分以外の誰かを見られているような感じがして、あんまり好きじゃない。


 「……普通にシロカでいいです。どうせ、ほとんど本名みたいないものだし」


 「……外でうっかり呼んで、本名がバレてしまうかもしれませんよ?」


 有原さんは不思議そうに、首を傾げる。なんてことはないでしょう、という感じで。こういう所があるから、この人は妙にやりにくい。


 「音だけ聞いて、氏名のどちらかなんてわからないですし、大丈夫ですよ。あと先生も止めてくださいっていってるじゃないですか。そんな大層なものじゃないし」


 「……なるほど、しかし世間一般では高校生ベストセラー作家、楽曲や映画のタイアップも決定。家事も学業も完全に両立、というのは十二分にですよ?」


 つらつらと事実を並べられると、言い返せなくなりそうだけど、それでも私はそういう扱いが苦手だった。だって、なんかそういう完璧な像は私の実物とはどうしても程遠い気がする。


 「……それでも、止めてください。私がそう呼ばれることで驕りそうなんです。調子に乗って人の話を聞かなくなったやつほど、めんどくさいのはいないじゃないですか」


 そう、私が偉そうに驕るのなんて、妹相手にだけで十分なのだ。妹も別に敬ってなんて来ないし。


 「それを自覚している時点で、その心配はないと思いますけど……まあ、了解しました。再三言われてますしね、シロカさん」


 ともあれ、有原さんはちょっと首を傾げながらだけど、ふうと息をついて呼び名を訂正してくれた。それで私はようやく落ち着いて息を吐く。どうにも、マイペースな人だ。これと言ったら、曲げないし、言うことはずばずばいう。そこを買われて、私の担当編集に抜擢された人らしい。実際、この人のお陰で、多分、本来よりかなり私の作品は広く世に広められたそうだ。


 ただ、やりにくいなあというのが正直なところでもある。まあ、意見を言ってくれるだけ、私を遠巻きに見てるだけみたいな大人や同級生よりは、幾分やりやすいのだけど。


 そんなやり取りを終えた後、私達は本題の新作の打ち合わせに入った。入ったと言っても、大体は私が練り上げ切ってるから、事前に用意してきた資料を有原さんに説明していくだけだ。有原さんはそれを聞きながら、時折質問を挟んでそれに私が答えていく。


 「ここで主人公の心情はどうなるんですか?」


 「旅の仲間の死が、嘗てあった父親の死と重なります。そこから先は———私の中で、彼女が仲間の死を経験しないとわからないです」


 「まだ、未定……ってことですか。でもここ結構重要なところですよね? 今後の展開が大きく変わってくる。方針くらい決めとかなくて大丈夫ですか?」


 「んー……でも決めなくていいと思います。私は主人公の感情はその場面場面で体験して、初めて結論が出るものだと思っているんですよね。彼女の経緯、体験、日常の些細なやり取り、性格、利害、そう言ったものが絡み合って、その局面で初めて答えが出るものだと思ってます。だから、答えは今の段階では出ないし、決めないほうがいいかなと」


 「ふうむ……だから、この後、資料がプランAとBに分岐するんですか……」


 「はい、個人の感情や決定とは別にそれを取り巻く、環境や利害。選択によって変わる事象は存在するんで。特にこの件では教会関連の対応が180度変わっちゃうんですよね。だから、それにまつわる心情や展開、利害がらみがそっちに書いてます。大雑把にいうとAが変わらず教会と協力、Bが離反ですね。ただ、最近、そんな分かりやすい選択にこの子が陥るかなあって思ってるので、Cプランもありかなとは思ってます。これも書いてみないとわかんないんですけど」


 「AプランとBプランでそれぞれ資料が30ページほどあるんですが、これCプランになったら全部捨てるんですか?」


 「え? あ、はい、捨てますよ」


 「……それはまあ、もったいないような」


 「ああー……、でも主人公が納得のいく選択をするのが最優先なので、そこは割り切りましょう。あと、作ったものもいいところは採用したり、他の展開に活かしたり、もしもの話として活用できたりするので、あながち無駄じゃないですよ。それに、AとBを作ってる時にできた設定もいっぱいありますから、完全に捨てるわけじゃないですし」


 私がそこまで説明しきると、有原さんは少し考え込むような顔をしたあとうんと頷いた。ふう、色々と想うことはあるけれど、納得はしてくれたみたいだ。


 「わかりました、じゃあこの方向で行きましょう。しかし、相変わらず、すさまじい作り込みですね。これ、どうやって学業や家事と両立させてるんです?」


 「うーん、やり方次第ですかね。努力や積み重ねが楽しくなるように工夫したら意外とできます」


 そう辛いことは人間、頑張れないから。


 どれだけ、積み重ねを努力を、苦しいものにしないか。


 どれだけ日々のその在り方を楽しめるものにしていくか。


 前向く技術というのはそういうものだって。


 ———まあ、これは人の受け売りなのだけどね。 


 そんな今後の打ち合わせを終えて、私達は一息ついた。有原さんが出してくれた緑茶をすすりながら、少しぼーっとする。大手出版社の会議室は小綺麗で、白くて、広い窓がどこか遠くの水平線を照らしている。そろそろ日が沈みそうだなあと。そこまで考えてから、自分が高所恐怖症だったのを想い出して、そっと窓から視線を逸らした。東京の不満や小説のことばかりを考えて、すっかり忘れていた。忘れたままで居たかった。


 微妙に落ち着かなくなった膝を抱きながら、もう一度を息を吐くと、資料を見ていた有原さんがそれとなく話を振ってきた。


 「ところで、シロカさん。新作もやっぱり、表紙の構図指定します? 前作でもやりましたけど」


 「はい、やります。あ、っていうか資料の一番後ろに載せてます」


 「あ、ほんとだ。相変わらず細部までしっかりですね。———毎度思いますけど、これなんでここまで設定するんですか? 結構、シナリオ進行とは関係ない部分も一杯ありますよね、逆字にしたロシア語? ……とかも入ってるし……」


 有原さんは首を傾げたまま、そのラフを見ている。表紙に描かれたそれはストーリーの今後の展開、というか世界観の秘密を、逆字や左右反転した多言語で表記したもので、まあいわゆるお楽しみ要素的ものだった。解読できれば、世界観のヒントをほんのちょっと先取りできる、その程度の物。言葉遊びや、暗号めいたものも入れてある。大半の人にとっては、そういう、ただのいわゆるお楽しみだ。



 大半の人にとっては、ただそれだけ。


 

 



 まあ、ほとんど気づかれないようにしてある。


 逆字化した文字を数字に置き換える。置き換えたものを作中に登場する独自言語にあてはめる。さらにそれを作中内で主人公がしたのと同じ要領で並べ替える、ここまで行くと次作のタイトルが出てくるようになっている。でも、ここで終わらない。加えて、それをとある数学の、嘗て未解決だった公式に則って解を出す。


 ここまでしてようやく、私の住所が浮かび上がるようになっている。


 個人情報だから、解読は極度に難解なものにした。


 これを解くことが可能なのは、恐らく


 大半の人間は、表の世界観の解読で満足する。独自言語の解読まで行ったものも、次作タイトルが出てくれば、とりあえず答えを得る。


 だから、合坂アカネだけがその先にいける可能性を持っている。


 ————そんな妄想をして、表紙を発注したけれど、発売から半年ほど、合坂アカネが私を訪ねてくることはなかったのだけど。


 ……さすがに、難しすぎたかな、いや、それかそもそも本を読んでいないというオチもありうる。折角ペンネームは本名が察しやすいものにしたのに。……あまりに露骨すぎたのかなあ?


 まあ、というわけで、見つけてもらうのは諦めて、自分で探しに行くことにしたのだけど。


 「はい、以上で大丈夫です。今日は本当にありがとうございました、シロカさん」


 「いえ、いつもウチまで来てもらうのも申し訳ないですし。ネット通話も限界がありますし。こちらこそありがとうございました、有原さん」


 そんな挨拶を終えて、長いエレベーターを降りて、愛しい地上に帰りついた。


 ふと見回すと、日が暮れたのにやけに明るい街に思わずため息が出た。帰宅ラッシュだからかな、道には埋め尽くさんばかりの人、人、人。……はあ。


 これから、ここを通ってホテルまで行かなきゃいけないのか。


 というか、ご飯もどうしよう。


 ……早速、家に帰りたいなあ。


 あまりに早すぎるホームシックに項垂れていると、ピロリンとスマホが鳴った。




 妹『偉大なる暴君へ、私は!! これから!! 夜に!! マクドナルドを食べるぞ!!』


 姉『太るわよ、ってかご飯準備してあったでしょ』


 妹『大丈夫、買うために自転車で往復40分飛ばしてきたから。カロリーは使い切ってる。あと、準備してくれたご飯はお母さんがレンジで温めすぎてぶっ飛んじゃった』


 母『ダメなお母さんでごめんなさい……』


 姉『……今度からは、三分くらい温めるだけでいいからね』


 妹『ま、明らかにあっためすぎてんなってわかってたけど、見逃したの私なんだけどね』


 姉『バカじゃないの』


 妹『だって、だって……夜にマクドナルドが食べれるんだよ?! 禁忌だよ?! だからこそ誘惑に耐えられなかったの!!』


 母『ごめんね、ごめんね。でも照り焼きバーガーは美味しいの、ごめんねシロカ』


 姉『……ちゃんと私が帰るまで生きといてよ? 栄養失調で倒れるとかやめてよ?』


 妹『大丈夫、明日はちゃんと作ってくれたご飯食べるから。やっぱ、夜にマクドナルドは重いわ、胃がもたれる。あと遠かったから、ちょっと冷めてる』


 姉『ほんっとバカじゃないの』




 私はため息をついて、夜の東京の空を見上げた。ビル群の中にぽっかりと小さく月が浮かんでいた。

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