第2話 百井シロカは旅に出る
夏の日差しがうだる中、空港の窓際で
「ねえ、妹」
『なぁにお姉ちゃん、出発早々電話なんて、愛しい妹の声が恋しくなった?』
「私ね、今回の計画。かなり仕上げてきたと思ったの」
『まあ、お姉ちゃん準備の鬼だからね』
「東京への小説の打ち合わせ、のついでに合坂アカネを探すというかーんぺきな計画。でも落とし穴があったの」
『うん、でももう、大体の目星ついてんでしょ? スケジュールまで私に見せてくれたじゃん。苦労する要素なくない?』
「そう、合坂アカネの居所は大体割り出してる。実家の予想もおおむね立ってる。交通手段だって、リサーチ済み」
『うん、んで?』
「でもね、私気付いたの」
『何に』
「私、飛行機乗ったことない。うち県から出るのも初めて」
『…………ふぁいと』
短い応援の後、妹は無情にも通話を切った。応援かな、あれ、適当に流された気がするんだけど。
とある県、とある町。田んぼが一面に広がる、そんなド田舎。
県内唯一の空港があることが、せめてもの救いなそんな場所。これがなければ、電車も遠いから、普通に陸の孤島だったりする。
比較的、引きこもりがちだった私はそれで構わなかったけれど、妹はよく遊ぶ場所が遠いんじゃーと愚痴ってたっけ。
空港は家からそれなりに近くの位置にあるから、いつも行きかう飛行機を眺めていたけれど、実際に来るのは今日が始めてだ。
そんなこんなで、バスを乗り継いで到着した私は、日差しとバスの揺れに、すでに若干の疲労をくらいなが、空港で独り立ち往生していたのだった。
それなりの数の人が、トランクや大きなカバンを持って右往左往している。
とりあえず搭乗ゲートに行かないと。そう思いながら、疲れた足を引っ張って、辺りを見回す。
ぐるぐる首を回して、搭乗ゲートを探す。えーと、どこかな。うん、我ながら田舎娘丸出しって感じだな。まあ、まだ田舎から出てすらいないのだけれど。
じっと見まわしていると国内線搭乗口と書かれた看板を見つける。なるほど、あそこから乗り込むわけだ。はっけーん。
となるとチェックインのカウンターがどこかにあるはず。すでに脳内でリサーチ済みの搭乗手順を復習する。脳内で予定表がベラッと広がる。
まずはチェックイン、それから手荷物を預けて、保安検査それから搭乗だ。うん、ばっちり。さすが私。
そんな感じに脳内で独り芝居して、とりあえず、カウンターまで行った。それから、しばらく並んで、受付のお姉さんの前に出る。
初めてのことにちょっと緊張気味の私に、受付のお姉さんは、にこやかに話しかけてきた。
「---------------,---------.」
「ーーーーーーーーー、ーーーー」
…………?
あれ、日本語じゃなくない……?。
不可解な出来事に私は思わず首を傾げる。……………、えーと、聞いたことある。ロシア語だこれ。以前、小説に必要で調べたから、ちょっとだけわかる。でも、なんでロシア語?
首を傾げる私に対して、お姉さんも少し首を傾げた。それから、また喋る言語を変えて話しかけてくる。……英語だね今度は、さっきよりわかりやすい。よくわからないまま、私は首を傾げながら、とりあえず応答することにした。空港って全部外国語だったりするのかな、そんなことないよね?
とりあえず英語で搭乗するためにチェックインしたいこと、今日の羽田行きの便に乗りたいことを告げる。それから、ネットで予約した予約票をスマホで提示した。
お姉さんはちょっと安心したような顔になると、てきぱきと手続きをしてくれた。それから、私の名前を確認して、再び首を傾げた。
モモイ……百井? そんなことをつぶやく。
……あー。そこで、ようやく違和感に合点がいった。
つまりだ、これは……。
「……すいません、私、日本人です」
私がそう告げると、お姉さんは一瞬呆けて、その後慌てたように、し、失礼しました……と、気まずそうに告げた。
「……いえ、よくあるのでお気になさらず」
最近、知らない人がいるとこに行くことが少ないので失念していた。あー、うん、慣れたものだけどね。
ちょっと
そんな感じで、ちょっと、恐縮されながら、愛想笑いを返した私はチェックインを済ませて、窓口に荷物を預ける。ドラマやアニメでよく見る手荷物検査にちょっとドキドキしながら、空港の待合室で出発時間を待った。
ふと見ると、窓の外を飛ぶ姿ばかり見ていた飛行機が、ゆっくりと地上を行き交っている。
思わずちょっとおお、って声が出る。パイロットに夢見る五歳児の如く。
これから、あれに乗って、東京に向かうんだ。
そして、その次は合坂アカネの住む九州へ向かう。
うん、ちょっとワクワクするような、緊張するような。
改めて、本当に久しぶりに知らないところに行くんだなあ。
なんだか、改めて実感してせっかくなので家族LINEにメッセージを飛ばすことにした。
姉『速報:お姉ちゃん受付でロシア人に間違われる』
妹『納豆好きの女子高生とも知らずに哀れな受け付けよ……』
妹からの返信は常に迅速だ。多分、ヒマなのだろう。夏休みだしね。
私は軽く息を吐いて、それからじっと目を閉じた。
私はこれから、合坂アカネに会いに行く。
ここ数年、夢を見続けたあなたに会いに行く。
そんな感傷をぐっとおなかに溜めた。
期待と不安が渦を巻いて、身体の奥の方で何かが鳴いている。
さあ、行くぞ、行くぞって、じっと力を貯めていた。
※
初めて、全国模試で一位を取ったのはいつのことだったっけ。
確か、中学二年生の頃。
小学生の頃から、塾で受けていた模試を見てふと思ったのだ。
本気で努力をしたら、この順位はどこまであがるのかなって。
勉強は楽しい。そういうふうに努力してきた。
頑張っていない人より、頑張っている人の方が強いのは常識だ。
でも、実は、頑張っている人より、頑張ることを楽しんでいる人の方が強い。
それはもう、圧倒的に。
いつか、お父さんに教えられた、そんな言葉を、私は胸に刻み付けて、今日まで歩いてきた。
そして刻まれた言葉通り歩き続けたら、気づけば私より上には誰もいなくなってしまった。
努力を重ねたその日々に、別に後悔はない。むしろ誇らしいことだと思う。
ただ。
時々、想う。
私のことを分かってくれる人はいるのかな。
お母さんはよく褒めてくれる。妹は時々憎まれ口をたたきながらも、なんだかんだ認めてくれていると思う、多分。
先生も、同級生も、出版社の人も、きっとそう。
でも、本当に私がどれだけのものを積み上げてきたのか、分かってくれる人はいるのかな。
私と同じような目線で同じように感じてくれる人はいるのだろうか。
少なくとも、すれ違って私のことを天才だなんだと語る人は知らない気がして。
だから模試の結果発表で、私の隣に並び続ける
そうして、今年のゴールデンウイークにようやく詳細な、合坂アカネの居場所を突き止めた。
そして準備を終えた、夏休み。
それが今だ。
※
姉『速報:初見での搭乗手続きに姉、無事に成功』
妹『わー、えらーい(棒)』
母『シロカはすごいわねえ』
妹『お母さん、ダメだよ。飛行機の受付したくらいで褒めちゃ。お姉ちゃんはお母さんに褒められたらすぐ調子乗るから』
母『でもシロカはなんでもできるでしょ? だから、できるのが当たり前に見えちゃうでしょ? だからこそ、忘れないようにちゃんと褒めとかないと』
妹『お母さん今度本出そう。誉め殺しで娘を全国一位にする方法みたいな本出そう』
家族のやり取りに思わずくすっと笑って、私はネコが諸手をあげて喜んでいるスタンプを送っっているころ。
搭乗案内のアナウンスが鳴った。それに合わせて、よしと意気込んで腰を上げる。
さあいくぞって、気合を入れて。
ただ、その瞬間に、水を刺すようにスマホの通知が鳴った。
ちょっと、調子が狂いながら、スマホを見る。
妹『ところで、お姉ちゃん、高所恐怖症は治ったの?』
そんな妹からのメッセージ。
私は軽く息を吸って、ふーっと長く吐いた。
姉『妹よ、飛行機の事故率は車に乗るより圧倒的に低いのですよ』
妹『おー、理論武装で誤魔化すパターン』
そう、その通り、飛行機の事故率は自動車のそれより圧倒的に低く、車やバスに平気で乗るのだから、飛行機が堕ちるなど心配する意義はない。
ない。
ないんだけどさ。
姉『ただし、高いところの恐怖はそれとはまた別なんだなって今気づいたのでした、まる』
怖いものは、いくら理論で固めても怖いものだね。うん。
吐いた息が浅く、血が不規則に流れてる。
うん、すごい緊張してる。なんなら、冷や汗かいてる。
すっごく、怖い。
怖いなー、これ。
妹『お姉ちゃんって、たまにばかになるよね』
母『シロカは天才だからね、紙一重なの。大丈夫よ、裏返したらちゃんと天才だから』
妹『お母さん、それ絶妙にフォローになってなくない?』
※
百井シロカ17歳。
人生初めての飛行機、人生初めての県外脱出。
彼女は空港のロビーで仁王立ちになって、独りで深呼吸をしていた。
さもこれからの旅への期待を、一身で感じているかのように。
肩ほどまでの煌びやかな銀髪が空港の窓から入る、夏の陽光を反射して揺れていた。
それが彼女の足が震えているせいだと知る者は、悲しいかな、いないのだった。
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