第2話 to プロローグ
体感では、ほんの一瞬意識を失っていたように思う。
沈んでいた意識がふわり、と浮かび、僕は自ずと目を開いた。
……眩しい。
目を開けて飛び込んできたのは、上下左右が真っ白な空間だった。
しっかりと地に足をつけているのが分かるのに、床らしきものは見えない。壁も無く、空間の切れ目も見当たらなかった。
……ちょっと状況を整理させてほしい。
聖剣はたしかに僕の魂を破壊した。
それは間違いない。
魂が破壊されると、神すらも復活は不可能なのに……何故、僕は今こうして目を覚ましたのだろう?
それに。
「助けてくださいお兄様ッ!!!」
「いやさっきより大声で言われても」
僕よりも背の低い少女は、僕が目を覚ましてから第一声と全く同じ台詞を大音量でリピートしてきた。
僕はというと、混乱が一周してそっけなく返してしまい、落ち込まれてしまった。俯いた少女の、大きな桃色の瞳が潤んでいる。
ぐっ、罪悪感が……!
この子は誰だろう?
……いや、名前は分からないけど、何者なのかは分かる。彼女から放たれる、聖剣と似た荘厳な力の気配からして間違いない。
彼女は── 神だ。
彼女は白地に金の刺繍が施された、シンプルなドレスを身に纏っている。
肩にかかる程度のブロンドヘアはハーフサイドテールに纏められており、誰から見てもとても可愛らしい顔立ちだ。バランスの取れすぎた容姿は、人外のそれである。
神、のはず。なんだけど。
彼女は本当に神なのだろうか?
魔族は神に嫌われた一族。
神の加護を拒絶する僕達に、神が直接何かを願うなんて青天の霹靂、天変地異もいいところである。
彼女は僕よりも低い目線から、真剣に、かつ懇願するように見上げてきた。
「お願いします、お兄様! どうか、お話だけでもお聞きください!」
しかも何故お兄様……。
僕は末っ子で、そもそも種族が違うのに。
しかし深く頭を下げる彼女の表情は、ひどく真剣だ。
それならなおさら、何故、魔族の僕に頭を下げるのだろう?
……疑問は尽きないけれど、ここまで言われて無視するのは忍びない。思えば神の加護とも言える聖属性魔法が使えたのだから、僕にも神に会う資格があったのかもしれない。
それでも頭を下げられる理由なんて思い付かないわけだけど。
僕は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「頭を上げてください。話は聞きますから」
「ほ、本当ですか? 言質は取りましたからね!」
彼女はパッと表情を明るくした。
途端、淡い桃色の瞳が揺れ、クラリと思考が眩んだ。一挙一動から目が離せないのは、やはり彼女が神だからだろうか?
片手で薄い生地のスカートを軽く摘まみ、片手を胸の辺りに添えて、彼女はふわり、と微笑む。
「私はラヴィティリエ。生まれたばかりの、まだ司る力の定まっていない神です」
「……生まれたばかり?」
「はい。神としては半人前ですが、神です。呼びにくいようでしたら、どうぞラヴィとお呼びください、お兄様。敬語も外して構いません」
人より魔力の多い魔族を狼狽させるほどの力でも生まれたて……とんでもないね。それでフレンドリーな事にこそ驚愕するけれど、本人が望んでいるのだし、ラヴィと呼ぼう。
五十年前というと、僕はもう生まれていたよね?
つまり僕の方が年上で……いや、それでも何故お兄様と呼ばれるのかは不明なままなのだけれど。
「……それで、僕は何をすれば良いの?」
「は、はい! 私の管理する世界で、賢者になっていただきたいのです!」
「ラヴィの管理する世界? 賢者??」
「生まれたばかりの神は、まず、世界を一つ管理させられるのです。件の世界は、先代の神が管理権を放棄したため私が担当する事になったのですが……その時点で、既に崩壊間近だったのです!」
「……はい?」
それから少しだけ彼女の話を聞くと、どうやら彼女は生まれが特殊だとかで、やっかみを受けやすいらしい。今回も二割が期待で、八割は嫌がらせなのだという。
任された世界をすぐに崩壊させたら印象は悪くなる。人によってはわざと壊したという見方も出来るしね。
神様の世界にも、そんな生々しい話があるんだな……意外だ。
ん? あ、そういえば、聖典ではドロドロの昼ドラ展開が繰り広げられてるってユーリが言ってたっけ。
昼ドラが何か知らないけど、あの時の苦い顔は多分、碌でもないやつだ。
全然意外じゃないね、うん!
「それで、その汚点を作りたくないからどうにかしようとしてる、とか?」
「……正直に申し上げれば、無いとは言い切れません。ただ、私の事情を抜きにしても、世界に住む者達が崩壊に巻き込まれる事は避けたいのです。そのためにお兄様を、私の神域にお呼びしました」
「神域……なるほど、僕の魂が破壊される前にここへ連れてきたのか。だからもう一度起きられたんだ」
「え? お兄様の魂は聖剣によってちゃんと破壊されていましたよ?」
こてん、とラヴィは首を傾げた。
……え?
「ですが、これからお願いしたい事のためにまずは対話が必要だったので、時間はかかりましたが、修復したのです! 私の力では、生前の能力まで復活させられなかったのですが……ごめんなさい」
「い、いや、そこは別にどうでも良いんだけど。えっと……魂が破壊されたら、神でも復活は不可能なんじゃ」
「魂が傷付きすぎていると不可能です。聖剣は確実に魂を破壊する神器のはずなのですが……実際、魔王が取り込める状態ではありませんでしたし。ですがどういうわけか、お兄様はギリギリ修復可能な状態でしたし、こうして話せるようになって良かったです!」
笑うラヴィに、僕は唖然とする。まさか、そんなギリギリの状態だったなんて、予想だにしていなかったからだ。
「……そこまでして僕にさせたい『賢者』って、一体何なの?」
「端的に言えば、魔法職の中で最上位の職業です。同時に、私が管理する世界を救う事の出来る職業でもありますね。それもお兄様の場合、資格がある他の方に比べ、世界の崩壊をすぐにでも解決出来るほど適正値が高いのです!」
つまり魔族云々は置いといて、即刻世界を救えるような力を僕が持っていたから、わざわざ壊れかけの魂を修復した、と。
「彼の世界において、賢者は世界の要。神の建造物:賢者の塔を管理出来る者で、管理者になれば不老となり、半永久機関として世界に力を循環させるのです。人で言う心臓のようなものですね」
「それは、たしかに重要そうだ」
「はい。賢者の塔は世界に七つあり、それぞれを賢者が管理する事で上手く回るようになっています。しかし今から約百年前、その内一つの塔で賢者が死んでしまったのです」
死んだ、か。
不穏な気配が漂い始めたような気がするけど、僕の気のせいかな?
「他の塔が機能していれば、即大事に至りません。しかし、問題は塔の機能にあります。塔はそれぞれ世界に巡らせる力の種類が違っており、件の塔は……簡単に言えば、機能しなければ次代の賢者が生まれなくなってしまうのです!」
「えっそれ詰んでない?」
「はい。以前は緊急時のために代わりとなる賢者を育てていたようですが、その頃には風習が廃れており、代わりの賢者がいないまま時が経ち……先代の神が見放したため、私にお鉢が回ってきた次第です」
うわぁ。
「うわぁ」
「声と顔に出てます、お兄様。そんなわけで他の世界から連れてくる選択肢しか無くなったわけですが、数十年単位で傍目には変化が無かったために召喚の儀式は行われず。聖職者の枕元に立っても、無名の神故に軽くあしらわれ……最終手段としてお兄様にお願いしに来たのです」
「……ちなみに、崩壊までの時間は?」
「………………明日の正午までです!」
「思ったより短いね?!」
告げられた刻限に目を見開く。
これ、僕が断ったらほぼ確実に崩壊するんじゃ??
僕の眉間のシワが濃くなった事に気付いたのか、彼女は分かりやすく慌て始める。
「もちろん、お兄様が断ってもお兄様が望む新たな人生をプレゼントする用意は出来ていますし、気に病む必要はありません。言ってしまえば身内贔屓のようなもので、優先順位を上げているだけですので……はい。私が悲しいだけで済みますので!」
そう言って、ラヴィティリエは悲しそうに微笑んだ。
……断りにくい言葉選びをするなぁ。僕は人の情に訴えかける言葉に弱いのに。その上そんな顔をするなんて、ズルいと思う。
というか、身内贔屓って?
僕をお兄様と呼ぶ事に関係があるのだろうか。むしろ無かったらおかしいよね? 何気に一番気になってたんだ。
「ねぇラヴィ。何で僕を『お兄様』と呼ぶのかな?」
「お兄様がお兄様だからですが?」
ラヴィはまるで、常識を語るかのように、小首を傾げた。
………………答えになってないっ!!
「そこは長くなるのでまたいずれ。今は私がお兄様の妹である事を理解してくださるだけで十分です」
「理解出来る気がしないんだけど??」
「うふふ」
あっ話す気無いなこの子。
来るかも分からない『いずれ』に、頭痛しかしない。しかも、いやに頑なな意思を感じる。うぅ、聞き出せる気がしない。
うーん、でも、嘘は吐いていないように見えるんだよね。困っているのは本当みたいだし、僕も見ず知らずとはいえ助けられると知っていて見殺しにするのは気分が悪い。
僕は魔族だったけど勇者一行にいたんだ。助けられる人がいるのなら助けたい。
となると、答えは一つしか無い、よね?
短くため息が溢れたけど、僕は頭を振って僅かに残っていたモヤモヤとした感情を振り落とす。
「……分かった。賢者がどんなものか知らないけど、大勢の人が救えるなら……なるよ」
「本当、ですか?」
「僕は一度言った事を覆すような真似はしない。正直、不安しか無いけど、賢者になる。なって、ラヴィの世界を救う」
世界を救う、なんて勇者の特権みたいなものだけど、この場合は間違ってない。ユーリみたいなかっこよさも無いから、ひどく様にならないだろうけど。
それでも、僕は世界を救うよ。
こっ恥ずかしいけど、言葉にしないと伝わらない事もあるだろう。
だから、僕はちゃんと言葉にする。
ただ恥ずかしいには恥ずかしいから、頬が熱い。ごまかすように笑うけど、ごまかせていない気がするなぁ。
「……ありがとうございます、お兄様!」
「ぴゃっ?!」
一気に近付いた強大な力の気配。
身体全体に走る軽い衝撃。
と同時に後ろへ倒れる僕。
そして、頬に当たる柔らかな感触。
……柔らかな感触?!
見れば、ラヴィが僕を抱き締めていた。
僕よりも背が低い彼女だが、僕が倒れたからか僕より頭一つ分、目線が上に来る。
そのせいで控えめながらも確かな柔らかさを持つ双丘が、比喩ではなく僕の視界に広がっていた。
「え、ちょ、なっ」
「お兄様に協力していただければ、あの世界も絶対救えるのです! ありがとうございますお兄様っ!」
「お、お礼とか良いから! 放しっ、放してっ! 神様には恥じらいとか無いの?!」
見るからに女の子だし、声も到底男性とは思えないし、や、柔らかさとかも、女の子のそれなのにっ!
何とか離そうとするけれど、こんなにや、柔らか……っな女性を魔族の力で剥がそうとすれば、傷付けてしまう気しかしない!
おそるおそる引き剥がしにかかるけれど、結果は芳しくなかった。思ったよりセーブしてしまって、思ったように手も足も動かせなかったのだ。
「ラヴィ、急いでるんじゃなかったの?!」
「え? 急いではいますが」
「じゃあ! もう行くから! 世界が崩壊したら意味が無いでしょ!」
「……それもそうですね!」
ラヴィがパッと離れる。
はー……無いはずの心臓が痛い。ドキドキしすぎて口から出てきそう……。
神様の貞操観念どうなってるの……?!
「では説明は案内人に任せるとして、お兄様を件の賢者の塔付近に送ります。さしあたってこちらを授けますので、後程中身をご確認ください」
「これは……マジックバッグ? それも、前に僕が使っていた物と同じ」
「はい、頑張って似せたのです! ただ中身も性能も違いますし、いくら使ってもくたびれない仕様にはなっていますが。これからも必要と判断しましたので」
前世、ユーリに初めてもらった物。
ユーリが自分の誕生日に、何故か僕にプレゼントしてくれたマジックバッグだ。
黒い革製で、手触りは滑らか。ユーリ曰く学生鞄とやらをイメージしたらしいそれは、あの時は彼の手作りだった。さすがに死んでまで持ってこられるとは思っていなかったけれど……粋な計らいをしてくれたものだ。
意図せず頬が緩む。
「ありがとう、ラヴィ」
「いえ。今の私には、これくらいしか出来ませんから。それでは……いってらっしゃいませ、千尋様」
ラヴィが僕の名前を紡ぐと同時、その姿が白く霞み、やがて消える。視界がホワイトアウトを迎え、僕の意識も落ちていった。
最後に僕の名前を呼ぶなんて、彼女も良い性格をしている。
ユーリがくれた名前を聞くだけで、僕は、何でも頑張ろうと思えてしまうのだから。
こうして、
異世界で万屋始めます!~魔族で賢者になったら女神な妹が出来ました?!~ PeaXe @peaxe-wing
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