5. かたちあるもの

 黒い糸で縛り付けられて一ヶ月。私は苦心していた。 

 机の上では、アズちゃんから貰った黒い小箱が、卓上ライトの光に照らされている。リングはというと、私の右手の小指にある。

 この素敵すぎる贈り物に、一体何を返せばいいだろうか。

 貰いっぱなしが嫌だというのではなくて、私もアズちゃんに何かかたちあるものを贈りたいという明確な想いがある。なのだけれど、その「かたちあるもの」が具体的にどういうものか、中々イメージできないでいた。

 アズちゃんはきっと、見返りなんて求めていないだろう。だからこれは、純粋に私の気持ちだ。

 アズちゃんに、私の選んだものを受け取ってほしい。それが現実になったら、どれだけ嬉しいだろう。その嬉しさが、私だけの自己満足にならないように。

 何かとっても素敵な「かたちあるもの」を、私は探している。

 スマートフォンを片手に、ギフトショップの通販サイトを眺めて1時間半。何の手応えもないまま、それでも指先は惰性でスクロールを繰り返す。結局、下から上へ流れる画像と文章の波に気疲れしただけだった。

 これくらいにしておこうとスマートフォンの電源を落とそうとしたとき、通知が届いた。アズちゃんから通話。


「こんばんは。チナちゃん」

「こんばんは。アズちゃん」

「ごめんね。今日は電話するって言ってなかったのに」

「気にしないで」

「今週の土曜日、空いてる?」

「空いてるよ」

「よかった!ね、チナちゃん。水族館行こう」

「急だね」

「そう。急なの。ごめんね。ついさっき水族館行きたい!って思って」

「いいよ。行こう。アズちゃんが急なのはいつものことだし」

「……怒ってる?」

「怒ってないよ。怒るわけない」

「よかった」

「それで、どこの水族館に行くの?ここらへんにはないし…」

「えっ、ないの?」

「ないよ。一番近いので隣の県」

「そうなんだ…。知らなかった。水族館は全国展開だと思ってた」

「じゃあ、一番近いところに行こうか。電車賃、高くなるかもしれないけど」

「ごめんね。私が言い出したせいで」

「私は全然大丈夫だよ。場所と電車、調べておくね」

「ありがとう、チナちゃん。明日学校でね。おやすみなさい」

「うん。どういたしまして。おやすみなさい」


 どうしよう。

 というのが、まず私の正直な思い。

 水族館に行く日にアズちゃんに贈り物をする、それはなんて素敵なことだろう。

 だけれど、それは難しいと頭でわかっている。まだ品物も決まっていないのに、今週の土曜日なんて言ったら、もう、すぐそこだ。

 あと数日しかない。

 いや、その日に渡さなければいけないという制約は別にないのだ。私が単にそのシチュエーションに素敵さを感じているだけであって。

 ああ、どうしよう。1ヶ月も探し続けて何のアイデアも浮かばないなんて。

 だって、アズちゃんのほしいもの、わからない。

 私はリングという名の黒い糸を貰ってとても嬉しかったけれど、アズちゃんはどうなのだろう。

 もし糸をあげるとしたら、何色がいいだろうか。私はアズちゃんを縛り付けようなんて思っていない。アズちゃんは基本的に奔放で、その奔放さが私は好きだ。だから、もしアズちゃんが私のもとから離れるようなことがあっても、それがアズちゃんの考えなら否定したくない。自分が縛り付けられるのは全然構わないしむしろ嬉しいくらいだけど、相手を縛り付けたくはない。アズちゃんには自由でいてほしい。

 それに私は、アズちゃんがアクセサリというものを身に付けている姿を、一度として目にしたことがない。イヤリング、チョーカー、ネックレス…。アズちゃんはいつも、そういった飾り物を取り払った姿で私の前に現れる。だから、もしかしたらアズちゃんはアクセサリの類はあまり好きではないのかな、という推測をしている。本当のところはわからない。

 私の頭から、アクセサリという選択肢が消えた。完全消滅。

 アズちゃんはすごいなぁ。何を渡したいか、ちゃんと考えを持っていて。私には思いつかないや。

 プレゼントのことは一旦頭の外に出すことにした。

 最寄りの水族館の場所と、経路を検索する。

 乗り換え1回、乗車時間は約1時間半。そこからバスを使って水族館へ。


「最近何かほしいものない?」

「チナちゃん!」

「え、あ、いや……ありがとう」

 予想外の答えに驚き半分、嬉しさ半分。素直なところが、アズちゃんのいいところ。

 昼休みの中庭は日差しで暖まっていて、空気は湿気っている。いよいよ夏が近い。梅雨明けはしたんだっけか…。あまりニュースを見ない身なのでよくわからない。天気予報くらいは見るべきか。

 意を決してアズちゃんに質問してみたのはいいけれど、得られた回答はあまり参考にならなかった。私の身でよければいつでもいくらでもアズちゃんに捧げるのだけれど、今回のコンセプトとしてはそういうのとは違う。

 具体的に、私自身をアズちゃんに捧げたらどうなるのだろう。今と何一つ変わらない気がする。

 登下校もお昼休みも、いられるときはずっと一緒にいるから。これ以上の時間を共に過ごそうと言うのなら、私がアズちゃんのクラスに編入して、アズちゃんの家の子にならなければいけない。それは、絶対に、無理。

 昼食のサンドウィッチを食べ終えたアズちゃんは、コッペパンをかじっている私の手元をじっと見ている。

「大丈夫だよ、アズちゃん。黒い糸を嵌めていなくても、私はアズちゃんの隣にいるから」

「うん。ありがとう。でも、そんなに大袈裟に捉えないでね。あのときは縛り付けるためとか言っちゃったけど、安土だってそこまで強制的なつもりはなくて」

「そうなの…?アズちゃんが言うことなら、私はいくらか強制的でも気にしないよ」

 それにね、と私は続ける。

「そんなに心配しなくても、私はもとからアズちゃんから離れるつもりなんてないよ」

「ありがとう。でもそしたら、黒い糸なんて要らなかったね」

「そんなことないよ。見た目格好いいし、アズちゃんの気持ちが可視化できてるみたいで、私は好きだよ」

「そっか。チナちゃんが喜んでくれるなら、私も嬉しい」

 チナちゃんは本当に嬉しそうに笑った。

 黒い糸。アズちゃんの気持ちの具現。私はそれを、学校にいるとき以外ずっと身に付けている。あずちゃんといつも一緒にいるような、そんな感覚になれる。ご飯を食べるときも、寝るときも、起きるときも。ずっとずぅっと、アズちゃんがそばにいる感覚。

 幸せ。

 私今、幸せなんだ。

 アズちゃんにも幸せになってもらいたいな。

 アズちゃんの生活に何があったら、アズちゃんは今より幸せになれるんだろう。

「アズちゃん」

「なあに」

「水族館楽しみだね」

 そうだね、とアズちゃんは笑った。



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