2. 30分
「やっぱり、海月がいい」
アズちゃんの声。電話越しなのでどんな顔をしているかはわからない。
「チナちゃんは何がいい?」
生まれ変わったら何になりたいか。それが今のテーマだった。
チナちゃん?という呼び掛けに対して、私は咄嗟に答える。
「アズちゃんと同じのがいい」
生まれ変わっても、アズちゃんと同じ種族でありたい。同じ種族でもまた会えるという保証はないし、もしかしたら共食いするかもしれない。だけれど、食物連鎖のとかのステージ的には同じになるだろうし、いろいろが対等でいられる気がした。
「本当に
その語尾の甘い優しさに、私は溶ける。
私と安土。アズちゃんは二つの一人称を使い分けている。いつどちらを使うかは本人次第なので、私には予測できない。
でも、とアズちゃんは語りはじめた。
「絶対にまた会えるっていう保証があるなら、わたしは同じのじゃなくてもいいな。もし野生で、食べる側と食べられる側だったとしても。悲しいかもしれないけれど、それでも」
アズちゃんの声はとても落ち着いていて、真剣なんだなと感じた。
「そうだね。私はアズちゃんになら食べられてもいいよ。アズちゃんを食べるのは嫌だけど」
「うん。安土もチナちゃんになら食べられてもいい。それに安土はチナちゃん食べるよ。だって、すごいことだよ。私がチナちゃんを食べたら、チナちゃんは安土の一部になるんだよ。そしたら、ずうっと一緒に生きていける」
素敵でしょ、とアズちゃんは笑った。
うん。確かにそうかもしれない。
ずっと一緒にいられるのなら、私もアズちゃんを食べたい。私の一部にしたい。
「私はカメがいいな」
「カメ?」
「生まれ変わったら。アズちゃんが海月なら、私はカメ」
「えー、私チナちゃんに食べれちゃう!安土だってチナちゃん食べたいのに!」
アズちゃんは海月を取り消して、やっぱりサメがいいと言い出した。だめー、と私は言う。ちぇ、とアズちゃんの小さな声が聞こえた。
私は今、この娘の時間を独占しているんだ。そういうことを、ふと考える。
私は学校の誰よりも長い時間アズちゃんと接しているだろう。アズちゃんとはクラスが違うけれども、昼休みの度にふたりきりで過ごす。
私にもアズちゃんにも、それぞれの友人がそれぞれのクラスの中にいるわけだけれど、ふたりで過ごす時間とその友人たちと過ごす時間とは全く違う。時間潰しや気まぐれなお喋りも嫌いではないけれど。アズちゃんといる時間には、とっても大切で楽しくてやさしいものがたくさん詰まっている。
アズちゃんは大事な話をする。生きていることとか、私たちのこととか、この先のこととか。時間潰しでは語りきれないような事柄を、たくさんの時間を使って共有する。少し話して、長い間立ち止まって。私たちはいろんなことを考えて、考えて、話して。
アズちゃんと過ごす時間は、学校の授業なんかとは比べ物にならないくらい大切。アズちゃんと話していると、いつも何かに気付かされる。
「明日、いつもより30分早く来て」
アズちゃんの声が、長い休憩を断ち切った。
「うん。わかった」
私は何の疑問も戸惑いもなくそれを了承する。他の人が言ったら「何で?」と問い質すだろう。アズちゃんには理由を訊かない。
アズちゃんがそう言ったのだから、アズちゃんは私にそうして欲しいのだし、そうなったら私は頷く以外にない。
「おやすみなさいチナちゃん」
「アズちゃんも。おやすみなさい」
アズちゃんが通話を切った。
1時間22分。
私とアズちゃんの、ふたりだけの大切な時間。
目を閉じる。
すぐには眠れない。
瞼の裏に、アズちゃんがいる。
笑っている。チナちゃん、と私を呼ぶ。想像の腕を伸ばして、アズちゃんの手を握った。徐々に指先が絡められていく。アズちゃんは何も言わないで、ずっとただ私の隣にいる。
かわいいアズちゃん。大好きなアズちゃん。ずっと一緒にいたいな。
何で、私は独りで眠らなければいけないのだろう。何で、アズちゃんが隣にいないのだろう。これはおかしい。絶対におかしい。
アズちゃんのことで頭がいっぱいで、それ自体は幸せなことなのに、全身が苦しくて痛い。寂しさとも、悲しさとも違う、そこにある筈のものがないという感覚。アズちゃんがここにいないという感覚。
こういうとき、世界が大嫌いになる。
30分という時間が長いと思うか!短いと思うか。アズちゃんといるときは、とても短く感じる。でも、そういう場面ではなくても、そんなに長い時間だとは思わない。でも30分が2回だと1時間になると考えると、やっぱり長いのかなあ。
いつもより35分早く家を出ただけで、すれ違う人が変わる。田んぼと畑がいっぱいの田舎だから、普段から人とすれ違うことはあんまりなくて。だけど今日はいつもの半分以下、くらいかな。ていうか、2人だった。とっても少ない。
駅までの道のりで、いつもすれ違う人を見かけることはなかった。
いつものように無人駅のそばにある自販機の近くでアズちゃんを待つ。大抵は私の方が先に着いてアズちゃんを待つ。たまにだけれど、私がアズちゃんを待たせてしまうこともある。
アズちゃんが来るのを待っている時間が好き。待たせるのは嫌だけれど。
アズちゃんはいつものように、少し遅れ気味に到着した。おはようを言い合う。
「ごめん。遅くなっちゃった」
「気にしないで。アズちゃんのことなら、いつまでも待つから」
「ありがとう。チナちゃんといると、安土だめだめ星人になっちゃうな」
「いいよ。なっても」
もうなってる、とアズちゃんは私の右半身にもたれかかった。
「そうだ!違うよチナちゃん。今日はね、大事なんだよ」
何が違うのか、何が大事なのか、私はちょっと混乱しながらアズちゃんの言葉を待った。
「あのね」
「うん」
沈黙が続いた。
「なんでもない」
私が咄嗟に「え?」と聞き返すと、アズちゃんはもう一度「なんでもない」と言った。そして、言いにくそうに言葉を続ける。
「えっと、大事なんだけど、ちょっとまだ違ったかもというか、いや、違わないんだけど……」
しどろもどろになって、目が泳いでいくアズちゃん。私は何がなんだかわからなくて、返事が思い付かない。
私が何もできないでいると、アズちゃんは唐突に謝りだした。
30分も早く来てもらったのにごめんねチナちゃんごめんなさい。安土の言ってることよくわかんないよねごめんね…………
アズちゃんの声が遠くで響いている。何度も難度も、ごめんねという言葉が聞き取れた。
何でアズちゃんが謝っているんだろう。私は何もされてないよ。なのに、どうして。そんなに悲しそうな顔しないで。自分を責めないで…。
アズちゃんを謝らせてる。私が?どうしてどうして。嫌だ、嫌だ。嫌い。大嫌い。
「やめてよ」
え?という表情で私を見たアズちゃんに、私はもう一度言う。
「やめて。もう」
今までにないくらい、突き放した言い方だった。これが私の声かと疑うほど、低い音。
自分でもわかるくらいに、冷めた言葉だった。
もっと言い方あるでしょ。何でこんな風にしか言えないの。アズちゃんを困らせたくない。悲しませたくない。
なのにどうしても、凍った言葉しか出てこなかった。自分では止められない勢いがあって。
アズちゃんの顔がどんどん歪んでいく。
私も泣きたかった。
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