【浅尾真綾(6)】

 大通りを歩いて小さな寂れた郵便局を過ぎる。すぐ近くに坂道があり、その下には村の案内図が見えた。

 いつ大勢で飛び出してくるかわからない村人を警戒しつつ、道路を急いで渡る。

 何年前から立っているのだろう。その案内図は色褪せ、ところどころ文字が読み難くはなっているが、現在地の坂の上にある大きな個人宅名に真綾は見覚えがあった。


「刀背打真右衛門……」


 ここが刀背打の家。

 父親の生家──


 真綾が初めて刀背打の名前を知ったのは、運転免許書を取るために戸籍謄本を収得した時だった。本籍地がケツバット村で、父方の姓が刀背打。子の欄には真綾の名前以外にもうひとり、女の子の、生年月日が同じ双子の妹の名前が記されていた。

 亡き母に代わって今日まで真綾を育ててくれたのは、伯母夫婦だった。

 貧しいながらも、母とふたりきりで幸せに暮らしていた中学2年生のある夏の日、不慮の交通事故によって急逝した母に代わり真綾を迎え入れてくれたのが母の双子の姉である。

 家庭環境が違う伯母には直接訊ねることができず、いつの日か、自分ひとりでケツバット村を訪れてみようと決めていた。

 だが、恋人の孝之との初めての旅行でこの村にやって来ようとは、真綾は夢にも思わなかった。

 亡き母がケツバット村を出た理由について、今となってはなんとなくではあるけれど、痛いほどわかる。それでもなぜ、妹を残して自分だけを連れて村を離れたのだろうか。


 このままケツバット村を逃げ出したら、もう二度とここへは来ないだろう。孝之たちの安否も心配ではあったが、後悔もしたくはなかった。


「……ごめんね、孝之」


 真綾は危険と知りつつも、まだ見ぬ妹を探しに刀背打邸へと向かう。



 上りきった坂の先にあったのは、武家屋敷のような立派な造りの、両袖付きの長屋門だった。想像もしていなかった大豪邸に、真綾はたじろぐ。


「えっ……凄っ……ええっ!?」


 生まれてこのかた、母親以外の身内に会ったことがない真綾は、自分がこんな大金持ちの血筋とは信じられないでいた。

 きょろきょろと門の前にたたずんでいると、自動なのか、ひとりでに重い門扉が開いてゆく。上部には監視カメラが備え付けられていた。

 真綾は入って来いとの意図を理解して、迷うことなく門をくぐる。

 正門から表玄関までは、石畳が真綾を導く。石畳の周囲は玉砂利が敷き詰められており、少し離れた先には大きな土蔵がいくつも見えた。

 式台に辿り着くと、出迎えたのは片手に金属バットを持つ勇だった。


「あらためまして、米蔵勇と申します。真綾様、どうぞ中へ御上がりください」


 勇にうながされるまま、板張りの床の手前にある沓脱くつぬぎいしで靴をそろえて脱ぎ、屋敷へと入る。

 表玄関の挨拶以降、一言も発しないで先導する勇の背中に続いて真綾も無言で襖廊下を進む。

 やがて、絨毯とソファがある広い部屋に着いた。


「どうぞ、掛けて御待ちください。あるじは……すぐに参りますので」


 勇は一礼して立ち去る間際、目深に被る作業帽をわずかにずらすと、真綾が肩に掛けるトートバッグやそこからはみ出るバットのグリップを一瞥した。


「……ふーっ…………」


 緊張のあまり、思わず溜め息が洩れる。

 壁を見れば、立派な金色の珠小菊の額縁に納められた絵画が飾られていた。それらの高級そうな調度品が、よりいっそう真綾の緊張感を高めていく。

 しばらくは立って待っていたのだが、誰も来る気配がないので、思いきって光沢のある本革張りのソファに腰を下ろす。


「ひやっ?!」


 ゆっくりと底無し沼のようにお尻が沈み、真綾は驚いて思わず頓狂な声を上げてしまう。

 そのソファは、ボタンや鋲に強いこだわりが感じられた。床に敷かれた深紅の絨毯も、きっと相当な値段に違いない。


(どうしよう……住む世界が全然違うよ……)


 爪先をじっと見つめながら、真綾は待った。

 そして、不意に視線を感じて顔を上げる。



 自分だ。



 顔や身体つき、髪型まで真綾と生き写しの妹が、そこにいた。


あや


 そうつぶやいてから、真綾は思わず立ち上がって双子の妹に笑いかける。

 だが、紗綾は無表情のまま、一言も発しないで部屋へ入った。


「そこ、上座なんですけど。早くどいてくれない?」


 紗綾の言葉に「あっ、ごめんなさい」と小さな声で謝り、真綾は慌てて脇に置いたトートバッグを掴んで下座のソファへと移動する。

 紗綾は真綾がすわっていた場所をあからさまに手で叩いて払うと、不機嫌そうに足を組んですわった。


「で?」

「え?」

「だーかーらぁ、なんなのよ? 何よ?」

「えっ……何って?」

「質問を質問で返すの? どんなしつけを受けて育ったのよ!」


 理不尽に怒る紗綾の姿に、真綾は自分が自分に怒られているようで、なおさら混乱してしまった。


「ごめんなさい……あの、あのね、わたし……」

「せっかく助かったのに、なんでこの村から逃げなかったの? お金? お金が欲しいの?」


 真綾は驚きの表情でかぶりを振って否定するが、紗綾は気にもとめずに続ける。


「言っとくけど、刀背打の財産は1円も渡さないから。この家を勝手に出て行ったのは、おまえたちなのよ!」


 紗綾の顔色はみるみるうちに怒気で赤く染まり、今にも破裂しそうだ。


「違うのよ、紗綾! お金なんていらない、紗綾に会いたかっただけなのよ!」

「はぁ? わたし? わたしに会ってどうするの? 身嗜みだしなみでも整えるのかしら?」


 紗綾はケラケラ笑いながら、仰々しく両手を右肩まで上げて2回ほど叩く。すると廊下で待機していたのか、すぐに勇が部屋へと入ってきた。


「もういいわ。後は孝之アイツがそろうだけ。勇、その女を任せたわよ」


 紗綾はきびすを返すと、背中を向けたまま片手を肩の高さまで上げ、ひらひらと揺らしながら去っていった。


「紗綾!」


 追いかけようとする真綾の行く手を、勇は金属バットを使って遮る。


「ねえ、あの子……紗綾は、いったいどうしちゃったの!?」


 やっと会えた妹は、自分とはまるで正反対の性格だった。戸惑う真綾は、勇に問いかける。

 が、返答に困ったのであろう。勇は作業帽を目深に被る顔をわずかに横へ背ける。

 沈黙を続ける勇はバットを静かに下ろし、「すみません」とだけつぶやく。


 次の瞬間──


 その体格からは想像出来ないほどの軽快なフットワークで真綾の背後へまわり込むと、目にも止まらぬ速さで真綾の尻をフルスイングで打ち抜いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る