【黒鉄孝之(7)】

 開かれたままの大邸宅へ釘バットを片手に土足で進入する若者を見かけたら、そいつは犯罪者と思うのが普通だろう。さらに付け加えれば、次々と襖をバットで叩き破りながら廊下を突き進むのである。

 しかし、彼の場合は──黒鉄孝之の場合は違っていた。

 愛する人を助けるため、敵地へと単身乗り込んでいたのだ。 


「真綾! 真綾ッ!」


 何度も恋人の名前を叫びながら辿たどり着いた客間を、釘バットを使って一心不乱に破壊する。高そうなソファ、年代物の箪笥、大きな掛け時計に誰かが描いた油彩画……みんな見るも無残にグシャグシャだ。


「うぉらぁああぁぁぁあああああッッッ!」


 孝之は、決して気がふれた訳ではない。

 彼は正気だ。

 この暴挙は、挑発行為だった。

 早く出て来いと、見えない相手に誘いをかけていたのだ。


「ねえ、孝之」


 ほんの一瞬だけ真綾の呼ぶ声が聞こえたかと思えば、尻に激痛と衝撃が走り、孝之は前へ仰け反り倒れて釘バットを手放してしまう。


「……あのさぁ、あなたってフリーターでしょ? 弁償できないなら壊さないでくれるかな。どれも高いのよ、うちの家具」


 蔑む目で孝之を冷たく見下ろす真綾は、有刺鉄線バットを静かに構え、掬うように孝之の尻をふたたび強く打つ。


「うぐっ! おまえの……おまえたちの目的は、いったいなんなんだ……」


 起き上がろうとするも、さらにまた尻を強く打たれる。さらに無様に、床へ這いつくばる惨めな格好となった。


「村よ。このケツバット村を守るのよ。もうずいぶんと前から過疎化が進んで──」


 再度起き上がろうとする孝之の尻を、さらに容赦なく激しく打ちつける真綾。その顔つきは何も変わらず、ただ、冷淡無情に凶行に及んでいた。


「お祖父じい様も、村の連中も、いろいろと対策はしたみたいだけれど、結局は今のやり方……にッ!」


 真綾がとどめと言わんばかりに強烈な一撃を尻に与えると、孝之はついに動かなくなった。


「その代わり、胸糞悪いヤツとかかわり続ける羽目になったけどね」


 真綾は廊下に出て周囲を気にし、ふたたび客間に戻る。

 板張りの天井を見上げてから、有刺鉄線バットの先端でそれを押した。

 カチャリと金属音がしたかと思えば、板張りの天井から隠し階段がゆっくりと姿を現し始める。真綾は無言のまま、その機械仕掛けの動きをじっと見つめていた。


「さあ、これからみんな一緒に、ケツバット村で仲良く暮らしましょうよ」


 不気味に笑いかけて客間を見るが、孝之の姿はどこにも無かった。


「おい」


 真綾が声のほうへ振り向くよりも先に、釘バットが凄まじい勢いで彼女の尻へと食い込む。


「きゃああああああっ?!」


 悲鳴を上げて倒れる真綾に見向きもせず、孝之は天井裏へと続く隠し階段を一気に駆け上る。

 天井裏は暗いが、なんとか下からの明かりで見渡すことができた。

 孝之は、湿気や埃のにおいが立ち込める闇の世界を突き進む。

 薄暗さに慣れた頃、数々の大小の箱や蜘蛛の巣を被った西洋の骨董品に紛れて、とても大きな真新しい木箱が目に止まる。

 よく見れば施錠はされていないようで、簡単に蓋は持ち上がった。

 その木箱を開けると、中には胎児のように身体を丸めた下着姿の若い女性が入っていた。女性は気を失っているのか、呼吸と共に肩を揺らすだけだ。孝之は女性の頬に掛かる髪を、恐る恐るそっと指で横に流す。


「……真綾!?」


 間違えようもない。真綾だ。

 飛鳥に教えられた天井裏の木箱の中には、真綾が閉じ込められていた。

 すると、下にいる真綾はいったい何者なのか?

 いや、そもそも、この女性こそ真綾なのか?

 孝之が混乱していると、壁か階段をバットで叩きながら、もう1人の真綾が階段をゆっくりと上ってくる。


「たぁかぁゆぅきぃぃぃ……あんた……よくもわたしのお尻をったわねぇぇぇ……」


 孝之は近くの骨董品を覆っていた白いシーツを剥ぎ取り、下着姿の真綾に掛けて抱き起こす。その間に、もう1人の真綾が階段を上りきってその場に立ち塞がった。


「おまえは……真綾なのか? 本当の真綾なのか?」

「本当の? アッハッハッハッハ!」


 孝之の問いに、もう1人の真綾は下品な高笑いで答える。


「さすがに気づくだろ、この間抜けぇー。あー、でもしかたないかぁー。孝之ってさァ、本当に馬鹿面だもんね」


 もう1人の真綾は、ショートデニムパンツのうしろポケットから小瓶を取り出し、その中身を有刺鉄線バットの先にまんべんなく振りかける。バットを伝って、何かの液体が滴り落ちた。


「おまえたちふたりは、きょうからわたしの家畜。家畜には焼印しるしを付けなきゃねぇ……アッハッハッハッハ!」


 言いながら今度は、前ポケットをまさぐる。すると、その手に小さな火がともり、ゆらりと動いて有刺鉄線バットに引火して燃え上がった。

 燃えさかる有刺鉄線バットの炎で、もう1人の真綾の顔が暗闇に浮かびあがる。それは、いまだかつて見た事がない、恋人の狂喜に満ちた邪悪な表情だった。


「クソッ、この村の人間は全員イカれてるのかよ!」


 抱き寄せる手に自然と力が入るが、それでも真綾は動かない。


 狂乱の真綾と眠る真綾。


 2人の真綾の顔を交互に見比べ、孝之はますます混乱した。


「いったい何があったんだよ……真綾……」


 腕のなかの真綾の寝顔はとても穏やかで、まるで天使のようだった。




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