【黒鉄孝之(3)】

「真綾……真綾……ヤバイって、おい真綾……!」


 屋敷内の大きな庭で声をひそめながら名前を呼ぶが、いくら呼んでも返事は返ってこない。想定外の単独行動に、胸の鼓動が張り裂けそうなほど高まり、軽い片頭痛や耳鳴りまでする。もしも、どちらかが捕まってしまえば、その時点で完全にアウトだ。

 孝之は焦っていた。

 こうなったら真綾を見つけ次第、この村から脱出しようと心に決めていた。

 立派な土蔵がいくつも建ち並ぶ区画に迷いこむと、背後に人の気配を感じて瞬時に振り返って身構える。

 目の前には、花柄のワンピースを着た濡羽色ぬればいろのおかっぱ頭がよく似合う4、5歳くらいの愛らしい女の子が、黄色いプラスチック製のバットを引きずって立っていた。


「マジかよ……まだ子供なのに、そんな……」


 こんな幼子でも、やはりケツバット村の住人のあかしなのか、その目玉は赤黒く、手には玩具おもちゃとはいえバットを持っている。孝之は困惑しながらも前屈みになり、仲間を呼ばれないよう、なるべく丁寧に優しく語りかけた。


「お、お嬢ちゃんは、ひとりぼっちなのかな?」


 引きつった笑顔の問いかけに、女の子は小さくコクンとうなずく。


「ここで何をしているのかな? もしかして、お友達とかくれんぼをしてるのかい?」


 冷や汗まじりであらためて笑顔をつくる孝之に、女の子は小さな声で「尻をだせぇー」と一本調子で返事をした。


「はははは……お尻を出したら、お嬢ちゃんはどうするのかな? そのバットで叩くのかい? お兄ちゃんは痛いの嫌いだな」


 女の子はにっこりと可愛く頬笑み、

「お尻を叩いて、ゆーことをきかせるのぉ」と答えた。


「えっ? 言うことを……」


 孝之は藤木が話していた仮説を思い出す。やはり村の住人たちは、観光客を捕らえては奴隷にしていたのだ。

 しかし、なんでそんなことをしているのか?

 孝之は少しでも何か訊けないかと、女の子の機嫌を損ねないように話しかけ続けた。



 そして、それから十数分後──



 以前に少しだけ保育補助のバイトをした経験が活かされたようで、孝之は女の子と手を繋ぐまでの信頼関係が築けていた。

 女の子に手を引かれて案内された先には、かつて真綾が乗っていた黒塗りの高級外車や、そのほかにも高そうな車が数台停まっている。なんとか鍵が手に入ればケツバット村から無事に逃げ出せそうだと、孝之は考えた。


「ねえ飛鳥あすかちゃん、お車の鍵がどこにあるかは……知らないよね?」

「しらなーい」


 首を横に何度も振ると、陽の光を浴びた黒髪がキラキラと左右に揺れる。


「だよなぁ。それにしても、真綾はどこに……あっ、そうだ飛鳥ちゃん!」


 孝之は警戒して飛鳥に真綾のことを訊いてはいなかった。もしやと思い、わかりやすく真綾の特徴を伝えてみる。すると──


「そのおねえちゃんなら、飛鳥しってるよぉ」

「本当かい?」

「うん、しってるぅー」


 飛鳥は笑顔でうなずき、孝之の手を強く引っぱってさらに奥へと歩き始めた。

 連れられて辿たどり着いたのは、この屋敷の勝手口だった。ドアノブに触れると、またしても幸運なことに鍵は開いていた。

 孝之は靴を脱ぐべきか逡巡したが、逃げることを考えてそのまま土足で入る。そして、無表情でたたずむ飛鳥に「バイバイ」と笑顔で手を振り別れを告げて、ゆっくりと扉を閉めた。


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