【田中麻美、浅尾真綾(3)】

「こんにゃろ! こんにゃろ!」


 麻美は、旅館の鍵で足枷を外そうと執拗に努力していた。この危機的状況下で、何もせずにはいられなかったのだ。


「麻美さん、もうやめなよ。疲れるだけだよ」

「はぁ? 真綾ちゃんは、このままどうなっちゃってもいいんだ?」


 空回りする鍵穴をいじくりながら、語気を荒げてそう言い放つ。そして最後には「ムキーッ!」と謎の言葉を叫びながら、旅館の鍵を波板のトタン壁に全力で投げつけた。


「よくないけど……」


 麻美の奇行を目の当たりにした真綾がかける言葉を失っていると、


「静かにして!」


 壁の向こうから、先ほどの女の怒鳴り声が響いて聞こえた。


「静かにして欲しけりゃ、あたしたちをここから出せぇぇぇぇぇッ!」

「ちょっ……麻美さん!」


 麻美は大声で叫び、鉄格子を掴んで獣のように暴れる。彼女におしとやかな印象を受けていた真綾は、人は危機的状況下におちいるとこうも変わるものかと、落ち着いた眼差しで麻美の言動を静観していた。

 それから1分と経たないうちに、女がふたたび姿を現す。

 あきらかに不機嫌そうな様子の女は、奇声を発しながら手に持っていた木製のバットで鉄格子を激しく打ち鳴らし、暴れる麻美を威嚇した。


「うああああああああああああ!!」


 女は相当苛立っているのか、麻美が鉄格子から離れても一向にやめる気配が無く、髪を振り乱しながらヒステリックに叫び続けた。

 すると、錆びついていた鉄格子が数本カクカクと動きだし、それに気づいた麻美が、その箇所の近くで女を煽り始める。


「ほら、ほら、ほらァ! もっとこいよ! お腹の赤ちゃんにいいとこ見せてやれよ!」


 女は〝赤ちゃん〟の言葉に反応したのか、よりいっそう凄まじく奇声を発しながら鉄格子を殴りつける。

 そしてついに、鉄の棒が2本ほど外れて転げ落ちる。それを待ってましたと言わんばかりに、麻美は体当たりをして鉄格子を破った。

 麻美はその勢いのまま床に倒れ込むとすぐに起き上がり、驚き顔の女へ飛びかかる。押し倒された女がバットを手放すと、続けざまに女の頬を右手で強烈に張った。


「麻美さん、もうやめてッ!」


 真綾も急いで鉄格子をすり抜け、馬乗りになってさらに追い打ちをかけようとする麻美を女から引き剥がす。麻美の身体から滲み出る汗と熱気が、真綾に彼女の本気を感じさせた。

 薄闇の中で、女と麻美の激しい息づかいだけが聞こえる。

 誰もその場から動かず、何も喋ろうとはしていなかった。

 やがて倒れたままの女は、片手の甲で顔を覆い、肩を震わせて泣きだした。麻美はむせび泣く女をしばらく見つめてから、


「ねえ、あんた。これの鍵は?」


 と、女に足枷の鍵の在処ありかを冷淡に訊ねた。


「あははははっ、無理無理無理。逃げれないよ、おまえたち。逃げれっこないよ」


 女は半身を起こしながら、手の甲で唇の血を拭う。


「この村から出れない、出れっこない。みんな捕まる……捕まるまで、終わらないんだ……」


 虚ろな目でそう喋り終えた女は、ふたたび咽び泣き始めた。


「……あの、終わらないって?」


 真綾は女に寄り添うと、自分のハンカチで涙や血を拭いて女の顔を綺麗にしてあげた。


「真綾ちゃん……」

「麻美さん、この人の目は赤黒くないし、ひょっとしたら、そんなに悪い人じゃないんじゃないかな?」


 麻美も女の目玉の色は気になっていたが、村側についているのは間違いはなく、さっさと女を締め上げ、足枷の鍵を外してここから逃げたかった。けれども、真綾の様子からして、それはすぐに叶わないだろう。


「あー、もう! それじゃあさ、そいつを人質にして、早くここから逃げようよ!」


 致し方なく妥協案を出した麻美は、転がるバットを手に持ち、女を脅すような素振りで(実際に脅していたが真綾に止められた)足枷の鍵のある場所へと案内させた。


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