ここがケツバット村

【藤木和馬、黒鉄孝之(1)】

 仲間の無事を確認した藤木は、軽トラックを火の見櫓の下まで走らせ、孝之を乗せてから進路を変えて近くの山へと向かっていた。

 鬱蒼とした暗い雑木林へ入ると、軽トラックを竹藪の中に停め、ふたりは気持ち程度に落葉や枯れ枝で軽トラックをカモフラージュしてから、ふたたび乗り込んだ。

 孝之はすぐにでも刀背打邸へ向かいたかったのだが、夜通し逃げまわって疲弊している身体では充分に戦えず、返り討ちに合うとの藤木の申し出を渋々承知して、少しの時間だけ休むことにしたのである。

 助手席のリクライニングを倒しはしたものの、気が張っているのか、孝之は少しも眠くはなかった。ただ、喉は渇ききっていて、口内は唾液も出ていない状態だった。

 車内はエンジンを切っているため、空調が止まっていた。窓は開けていたが風はまったく通らず、ただ蝉時雨が車内に響くだけで、暑さに滅入る気持ちをさらに苛つかせた。

 額から噴き出す汗をハンカチで拭おうと取り出した藤木は、隣の孝之が全く汗をかいていないことにようやく気づく。


「孝之君、せめて水分だけでもりなさい。キミが倒れては、真綾さんも悲しむよ」

「あっ、はい……ありがとうございます」

「御礼なんていいから、さぁ早く」

「どうもです……」


 けれども孝之は、水や食料を口にする気にはとてもなれなかった。

 真綾は、今頃どうしているのだろう。

 何も飲み食いしていないはずの真綾を思うと、自分だけ食べるわけにはいかない。しかし、藤木はそんな孝之の気持ちをんで言葉を続ける。


「わたしは麻美を見つけるし、もし捕まっているのなら必ず助けだします。でも、わたしの身に何かあれば……キミに頼みたい。キミが麻美を助けてやってはくれないか」


 藤木はスラックスのうしろポケットから黒い革財布を取り出す。そして、写真を1枚抜き、愛おしそうに見つめた。

 その写真には、10歳くらいのおさげ髪の少女が公園のブランコに乗ってこちらへ頬笑んでいる姿が写っていた。


「この頃の麻美は……娘は、よく笑っていましてね。とても明るい子でした」

「娘って……」


 田中麻美は藤木の娘だった。しかし、苗字が違うことに関して、孝之は訊くまでもなく察した。


「もうお気づきでしょうが、離婚をしてから、わたしと麻美はずっと離れて暮らしていました。原因は……わたしが悪いんです。すべて、わたしが…………」


 言葉を詰まらせる藤木に、孝之は何も言えなかった。


「ですが、疎遠になっていた麻美と思いがけない形で再会することになりましてね。実は、わたしは末期のガンなんですよ。原因は長年の不摂生がたたりましてね。それで、病院関係者が緊急連絡先の娘の……麻美のところへ連絡を。それから少しずつ、交流が戻って、なんとか一緒に旅行ができるまで関係が修復できました」


 深刻な内容を照れ笑いを浮かべて話す藤木に、孝之は何か返さねばと思い、言葉を探す。


「お元気そうに見えるのに……そうだったんですか。旅行ができて、本当に良かったですね」


 結局、当たり障りのない常套句しか思いつかなかった。自分の語彙力の無さを失望する孝之をよそに、藤木は話を続ける。


「それで、最後に親子旅行でもと思いまして、ケツバット村へやって来たのですが……いやはや、これが失敗でした」


 苦笑いをする藤木の目には、うっすらと涙が滲んでいた。

 かたちこそ違うものの、孝之も真綾との初旅行にと、ケツバット村を選んでしまったことを強く後悔していた。行き先をほかの場所にすればこんなことに巻き込まれなかったと、悔やんでも悔やみきれずにいた。


「でも、以外とケツバット村って有名なんですかね? オレはつい最近まで、全然知らなかったんですよ」

「いえ、わたしもです。わたしも、つい最近までは聞いたこともありませんでした。親子水入らずの旅がしたかったので、観光客が少なくて自然や温泉が楽しめる場所を探していたら、偶然この村を人に勧められて決めたんです」


 そう言い終えると、藤木は手にしている愛娘の写真をふたたび見つめた。



 人に勧められてケツバット村へ決めた……



 孝之は、その言葉が無性に気になってしかたがなかった。なぜなら、孝之も人に勧められて行き先をケツバット村に決めたからである。


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