第五話 教師として 

 「葉月!勉強もせずにどこ行ってたの!?」


 葉月の家に着いた僕たちを出迎えたのはさゆりさんの怒声だった。僕はちらっと葉月の方を見たがもう彼女に動揺はなかった。

 さゆりさんは僕を見るとさらに口角を上げ怒声をあげようとした。


「あんた——」


「さゆりさん。」


 僕は勢いづいて手がつけられなくなる前に声を遮る。さゆりさんは血走った目を向けてきたが関係ない。今の僕は教師だ。なら生徒の、はーちゃんの背中を押すのが仕事だ。


「僕のことをどう言おうが、どうしようが構いません。・・・ですが、ちゃんと葉月さんと、実の娘と向き合ってあげてください。」


 僕は正座を作ると土下座した。


「お願いします。」


 そんな僕を見るとさゆりさんは顔を真っ赤にした。


「あんた——」「お母さん!」


 またもや話を遮られたさゆりさんが信じられないという目を向ける。


「はっ、葉月。私はその人に用があるから部屋に——」「いや!」


「私はもうお母さんの言いなりじゃ——ない!」


 さゆりさんは憤怒。


「いい加減にしなさい!誰があんたをここまで育てたと思っているの!?大人しくいうことを聞きなさい!」


「私は、・・・私はもう、自分のことは自分で決める。医学部には行く。私の夢への第一歩だから。」


 そこで一度、葉月は話を区切った。そして、


「私の夢は、昔のお母さんみたいな、弱い人を助ける医師になること。・・・一位になることでもなんでもない。ただ、そういう人になることが私の夢。」


「なっ、なぁ・・・!?」


「私は私の道を行く。親不孝者かもしれない。けど、もう決めた!決めたの!だから——」


 ——見てて。

 そう言った葉月の顔は、晴れ晴れとしていた。彼女なら、もう、その確固たる信念で、どこまでも飛んでいけるだろう。

 僕は最後の仕事に取り掛かることにした。


「さゆりさん。」


「認めない。認めないわよ。こんな、こんなこと。」


「さゆりさん。葉月は貴女の期待を裏切ったわけでも、貴女を見捨てたわけでもありません。」


 そう。ただ——


「——ただ、少し遅い巣立ちの準備を始めたんです。——どうか親として、背中を押してあげてくれませんか?」


 ——親として。

 僕はそう言った。親ならば誰もがうなづくであろう言葉を。迷いつつも、心配しつつも、最後には背中を押さなくちゃいけない。どんなに大切に育てても、最後には籠の外に、世界に出してやらなくちゃいけない。だからこそ親の背中は遠く、大きいのだ。

 さゆりさんも親ならばきっと——


「・・・るな。」


「えっ?」


「ふざけるなあぁぁぁ!!!」


◆◇◆◇

(嘘だ。嘘だ!こんなこと。)


 葉月が私の元から去っていくなんて。そんなの許せない。


「——ただ、少し遅い巣立ちの準備を始めたんです。——どうか、親として背中を押してあげてくれませんか?」


 いけしゃあしゃあとそんなことを宣うこいつが憎い。私から葉月を奪っていこうとするこいつが。


『力が欲しいか?』


 ええ。ええもちろん!私は正しいんだもの!葉月に一番を取ろうとさせたのもあの子のため。決して自分の見栄やプライドのためなんかじゃないんだもの!

 そんな正しい私を裏切るなんて、許されない!許されない許されない許されない許されない許されない!

 ゆ・る・さ・な・い。


「・・・るな。」


「え?」


「ふざけるなああぁぁぁ!!!」

◆◇◆◇

 喉が枯れんばかりの怒声が辺りに響く。それと同時に黒い霊力——邪気が辺りに渦巻いた。


「なっ!?」「えっ!?なに!?」


 僕と葉月が異口異音の驚きを口にする。邪気は勢いよく辺りを走っており、気を抜いたらすぐに吹き飛ばされそうだ。

 その上、椅子やテーブル、リモコンなどが飛び廻り、室内は一種の修羅場と化していた。


「不味いわね。」


「時津神!」


気がつくと時津神が立っていた。彼女に意識を割いた瞬間、僕は耐えきれず吹き飛ばされそうになる。しかし彼女はそれに気づくと右手を振り不可視の結界を張った。が、

 ピシッ。


「なけなしの神力を使ったけど、このままじゃ壊れるのは時間の問題ね・・・。」


「どうすれば・・・。」


 どうする。どうする。この状況。時津神から忠告を受けていたのに生かせなかった僕の責任だ。


「落ち着きなさい。まだ手はあるわ。」


 その声に、僕は顔を上げた。


「ねぇ。葉月・・・と言ったかしら。あのペンダント。・・・一体いつから着けているの?」


「えっ?えっと・・・父と母が離婚する少し前なので・・・12年ほど前からです!」


「そう。」


「何か・・・わかったのか?」


 彼女はさゆりさんの首に今も妖しくぶら下がるエメラルドを指さした。


「あれに悪霊が封印されていたみたい。能力は『負の感情を増幅・暴走させる』と言ったところかしら。で、今封印が急速に解け始めている。このままじゃあと五分もしないうちに解除されるわ。」


 時津神の言に呆然とする。本当にどうすれば・・・。解決法は。

 最後まで聞かずに焦る僕を一瞥もせず、時津神は打開策を言い放った。


「私は時津神。時を司りし女神。私にできるのは巻き戻すだけ。あのペンダントを封印が解かれる前の状態に巻き戻す!」


「でも今のままじゃ神力が足りない。だから晴輝!生き残りたいなら、大切な人を守りたいなら力を貸して!」


 僕は迷う。こんな状況で抵抗して何になるのか。潔く諦めるべきではないのか。

 うつむこうとする僕の視界の端に少女が映った。その瞬間、僕の脳裏に走馬灯の如く渦巻く記憶。新聞のお悔やみ。図書館に篭った日々。神社での誓い。幼き頃の約束。そして——家庭教師としての毎日。

 僕は思いっきり頰を叩く。


(僕は馬鹿か!ここにきた意味を、誓いを忘れてどうする!)


「僕は・・・僕は何をすればいい!?」


 恐怖を無視。本能の叫びも無視。弱気な声を全て無視し心の奥に閉じ込める。そうして精一杯に声を張り上げる。時津神はこちらを流し見小さく微笑むとすぐに応じた。


「『血の誓約』の時のように札に霊力を込めて!お願い!」


 そう言って一枚の紙を差し出す。

 僕はすぐさまそれを受け取ると、霊力を込め始めた。集中し、ただひたすらに霊力を込める。ピシッ、ピシッと静かに響く音が僕の中に焦りを生んでいく。符は一向に完成せず、ただ時間だけが過ぎていく。さらに焦り出す僕の手を誰かが握った。もう存在の薄い僕の手に、優しい温もりが宿った。


(死なせたくない!)


 温もりが僕の中にある焦りを追い出す。そんな中、死なせたくないという一心で僕は全力で霊力を送り込んだ。

 札に白い光が灯る。完成した!


「時津神!」


 僕は時津神へと符を渡す。その瞬間耐えきれなくなったのか結界が崩壊した。

 僕と葉月は勢いに耐えきれず壁へと押しやられる。家具が飛び交う中僕たちは顔の前で腕を組む。しかし必死に目を開け、結末を見守った。

 時津神が走り出す。さゆりさんの前まで着くと札を握った左手を伸ばした。


「——時戻し!」


 ——白の世界に包まれた。


 

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