第3話 きざはし

 きがつくと、めのまえには階段がありました。

 よくおぼえてはいないけれど、しばらくまえから階段をのぼっていたようなきがします。

 おかあさんがてをひいてくれています。そばにはおとうさんもいます。

 おとうさんはあさになるといなくなります。よるになるともどってきます。

 カイシャというところにいっているのだ、とおかあさんがおしえてくれました。こことはちがう階段をおとうさんはのぼっているのよ、ともいいました。

 階段をのぼりながら、ともだちとあそぶのはたのしいです。いろいろなあそびをしました。でも、ただひとつだけできないことは、階段をぎゃくにおりていくことです。それだけはできないのです。階段はのぼるためにあるからです。

 おうちは階段のうえにたっています。こうえんもそうです。どうろもそうです。じどうしゃも階段をのぼっていきます。

 おうちのなかで、階段をのぼりつづけるのはたいくつです。やっぱり、あそびながらのぼるのがいちばんいいな。



 学校に行きはじめるようになって、階段が少し急になったような気がしました。

 授業は気づまりです。ついつい足をとめたくなってしまいます。それでも、階段はのぼりつづけなければならないのです。

 友達のなかには、あからさまに言う者もいました。

「のぼりつづけるなんてバカバカしい、おれはおりるぜ」

 そう言って、階段を足音たかく駆けおりていきました。中学二年のときです。

 その友達とは二度と会えません。彼もきっとべつの階段をいまではのぼっているでしょう。かつて、彼が降りていった段数が、むだにはならなかったことを祈りたいです。

 しばらくすると階段の段差が大きくなりました。受験です。

 みんながその段差にとびついています。へたをすると友達の顔すらも蹴り飛ばしかねない勢いです。むろん、ぼくもそれに加わりました。蹴落とされたくなかったからです。格好をつけてもはじまらないと思ったからです。

 みんな階段をのぼっているのです。立ちどまったら負けなのです――



 ぼんやりと階段をのぼっていた。

 会社をやめたあと、毎日ぶらぶらしていた。勤めていたころは、こんなふうに階段をながめることはなかった。目先の目標にむかって、呻吟しながらのぼっていたような気がする。

 ぼくが勤めていた会社は、かなり急な階段の上に建っていて、一時はそれがとても自慢だった。まわりも「いいところに勤めていていいなあ」と言ってくれていた。

 でも、急勾配の階段を一歩ふみはずしたら、もう目もあてられないことに、その時のぼくは気づいていなかった。

 身体をこわし、会社をやめて、ぼくは気がついた。

 黙っていても階段はそこにある。どんなにささやかでも。



 彼女と出会ったのは、階段の勾配に、少し足腰がついていきにくくなった頃だった。

 男の三十五は晩婚とはいえないかもしれないが、早くもない。でも、それはそれでいい。最良の相手に出会うのに少し手間取ってしまっただけだ。

 彼女と歩調をあわせながら階段をのぼるのは楽しい仕事だ。

 そして、じきに家族がもうひとりふえる。ぼくののぼる階段は、さらに急になるかもしれない。それでもかまわない。

 ぼくはようやくほんとうにのぼるべき階段を手に入れたのだから。



 子供の歩幅が大きくなって、ぼくのそれを追い越すようになった。

「おやじ、おれは二段抜かしで行くからさ」

 言いおくと、長い脚をひらめかせて、どんどんのぼっていく。

「おいおい、そんなにあわてるなよ」

 笑いながら、目を細めて階段の上を見る。

 ぼくに少し似た、それでいてぼくよりも背のたかい青年が、どんどん階段を駆けあがっていく。

 どんどん行け、と心のなかであおっていた。

 転ぶなら転べ、いまのうちならば、おれが追いついて助け起こしてやれる。いまのうちに、転びかたを覚えておけ。いまのうちに――



「じゃあね。おじいちゃん」

 黄色い声が一瞬まとわりついて、すぐにはなれていく。

 ひらひらとした服をまとった孫たちが、さんざめきながら走っていく。

 わたしがのぼる階段は、すっかりと勾配もゆるくなり、小さな孫たちにとってさえ、気軽な遊び場のようになっている。

 わたしはすっかりと涙腺もゆるんでしまって、孫たちが笑っているさまを見ているだけで目がうるんでしまうことがある。

 つれあいが階段をのぼることをやめてしまったためかもしれない。

 おたがい歯がなくなってからが勝負だぞ、と言い合っていたのが嘘のように、つれあいは先に逝ってしまった。

 盆と正月のほかは、わたしはただひとり、すでに見慣れてしまったゆるやかな階段をのぼりつづけている。



 その日はとてもよい天気で、わたしは気分よく散歩をしていた。

 ふと、思った。階段をのぼりはじめた頃の気分はどんなだったかと。

 目の前に階段があることに気がついたときには、すでにだいぶん登っていたようだ。

 最初のころはとにかく足もとがおぼつかないものだから、一歩一歩、ずいぶんと気をつかいながら登っていたように思う。

 むろん、失敗もした。思いきり向こう脛をぶつけて、涙を流したことも一度や二度ではない。

 それでも、少しずつは慣れていくようで、じきに登ることそのものにはそんなに苦労をしなくなった。

 後ろを振りかえってみる余裕もできた。

 登ってきた距離はそれほどでもない。登りはじめの記憶が曖昧なのは残念だが、下の世界を眺めれば、はるかに心安い。そこに大地がある、という感じがする。さて、向きなおって見あげてみると、行き先はなにも見えない。ただ、ひたすらに階段があるばかりだ。

 だから、のぼった。

 先になにが見えるのか、たしかめたくて、ただのぼった。

 そのうち、のぼることが当たり前になり、とまることがこわくなった。

 なんのために、とか、どこへいくのか、とか、思わなくなった。

 そして、気がついたら年をとっていた。

 のぼった階段の数はとても覚えてはいないが、まあ、それなりにのぼったように思う。

 ふと、ふりかえってみた。

 驚いた。

 ずうっと、のぼってきた階段が続いている。階段は、堅牢な石でできていて、わたしの足跡がしっかり残っていた。ふもとはとても見えない。

 こんなにものぼってきたのか。そして、その間にわたしはなにもできなかったのだなあ、と思った。

 空をみあげた。かつては、かすんでいて何も見えはしなかった。だが、いまになってようやく見えてきたものがある。

 極楽浄土?

 わたしはにやりと笑ってみせる。

 ――そんなものではないよ。

 わたしはまた、階段をのぼりはじめた。立ちどまるのは至福の瞬間までおあずけだ。まだまだ、わたしにも、のぼるべき階段はある。



 きざはしの

 はてるそのさきに

 みゆるまほろば――



                       「きざはし」 了


                        1996/12/9完成

                        1997/4/29字句修正

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