第5話 ボール、増えるといいな

 実習も後半に入ったある日の放課後、バスケット部に顔を出し、やっぱり現役は動きが速いな…などと感心して、疲れると適当に休んで。でも、みんな楽しそうでいいな、などと思ってね。自分もそうだったのかな、と考えながら練習後着替えて外に出ると野球部が片付けをしていた。


 Yくんはいないよな…、僕はすこし近寄ってみた。

「こんにちは…」

 生徒達が挨拶してくれた。

「お疲れだね、いつもこのくらいの時間なの」

「はい」

 たぶん一年生なのだろう、元気よく応えてくれた。

「強いの」

 複雑に笑いながら

「まあまあです」

「部員はどれくらい」

「一年生は六人で二年生が九人、三年生が七人です、あと沙紀さん」

「マネージャーさんかな」

「はい」

 そう言ってかれは視線を右に振った。

 そこにはジャージ姿の女の子。あれは二年生のジャージだね。

 ボール入れを片付けている。あれは元ビールケースだね。

 ふ~ん、マネージャーがいるんだ。野球部ってやっぱりマネージャーがいるんだな。僕たちの時はどうだったかな。


「こんにちは。実習生の松原です」

 中学生とはいえ、女の子に声をかけるのは難しい。

 実習生なんだから、変に意識しないでいいんだろうけれど、ちょっとね。

「こんにちは」

 沙紀ちゃん、ボールを数えている。

「毎日数えるの」

 数えている最中にじゃましないで、と僕だったら思うけれど、彼女は笑顔だ。

「う~ん、毎日でもないですが…。たまになくなりますから…」

「そうだろうね、増えることはある?」

 笑っている。

「寄付してもらえるんですか? 昔、野球部だったんですか?」

「僕はね、バスケ、でも野球部にも友達がいたんだ」

 沙紀ちゃんボールをひとつつかんで僕に見せる。

「これ、もうすりへってますね…、いいボール欲しいな…」

 にこって笑っている。

 つるつるだね、このボール。

「確かに指もかかりそうにないね、ちかいうちに増えるかな…」

 さすが大人っていう感じで僕を見る沙紀ちゃん。

「三年生の最後の大会までに増えるといいですね」

 夏か…

「そうだね、近いうちに増えるかな、増えるのは、それとも沙紀ちゃんや部員みんなの期末試験の成績を聞いてからにしようかな…」

 期末試験という言葉に眉をよせる女子中学生。

「そんな成績とか“つまらないこと”言いますか」

 関係ないよな…そんなことは。中学生が中学生時代にしかできなことを一生懸命できるように環境を整えるのが大人だよね。

「確かに、成績とか学習態度とか“つまらないこと”言っちゃだめだよね」

 何が大事だったんだろう…、中学生時代って。もう忘れかけてるな。毎日学校に行って友達と話して、部活して汗かいて、塾に行って、お風呂に入ってご飯食べてテレビ見て寝てたな。


「ボールは期待してます…、で…、何か…」

 不自然だよね、いきなりOBでもないのに。

「いや、コツ先生…、ああ、中村先生に着いて実習しているんだけれどさ…」

 僕は体育倉庫に目を向けながら続けた。

「知ってる…?中村先生って昔は野球部の顧問だったんだよ」

 笑っている沙紀ちゃん。

「知ってますが、前からコツ先生って呼ばれていたんですね…」

 なんかそうゆうのは伝承されるんだ。

「知ってたんだ…。でね、そうだ、OBとか来ない、ちょうど僕ぐらいの大学生みたいな…。あ…でも彼は童顔だったな」

 首をひねる沙紀ちゃん。

「野球部のOB、友達がいて…」

 会いたいんだ…とは続けなかった。本当に見たら怖いから。


「来ないですね…、え~と、いらっしゃらないです…、であってます?」

 気を遣わないでいいのに、大学生なんかにさ。

 でもいい子なんだな、もてるんだろうな…、沙紀ちゃん。

「中村先生、長かったからね、野球部の顧問。OBの誰かきてないかな‥と思ってね、ごめんね、お仕事中…」

「大丈夫です」

 笑顔で応えてくれた。もう薄暗いから、変なこと訊くのは切り上げないと。


 僕は校庭を見回した、晩い放課後の校庭は静かでいつもより広く見えた。僕が行った都内の私立の高校の校庭はコンクリートだったし、大学にはそもそも校庭はなかった。

 土の校庭って思えばここが最後だったな…。


「あ…」

 沙紀ちゃんの声が横でした。

先ほどのつるつるのボールを持って見つめている。

沙紀ちゃん、なにか思い出したようだ。

「OBじゃないですけれど、来ましたよ‥」

 うん?

「たぶん、OBのお母さん…」

「お母さん…」

「ええ…、お母さん…」

 真新しいボールをケースから取り出した。まだ凹凸がはっきりしている、いいボールだ。

「中村先生と話してました」

「そうなの…」

「ボール寄付してもらいました、これです」

 僕に見せてくれる。僕も思わず受け取った。

「よかったね、誰のお母さんなんだろうな…」

「さあ…、でもありがたいです」

 僕はボールを直接ケースに返した。

 もう帰ろう。


「ボール、増えるといいな…」

 つぶやくように沙紀ちゃんが言う。

 ちいさい声で、でも僕には十分届くくらいに。

「ねえ、ボール買ってるスポーツ用具店はどこかな…」

 1ケースのボールの入数が少ないことを祈りながら、僕はそのお店の場所と名前を聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る