第4話 しょうがないな、Yくん
席が近いのでそのあとYくんとはよく話した。休み時間にはトランプもやった。まずYくんにルールを説明するのが最初なのだけれど、みんなそれは納得してYくんが理解するまで待っていた。
足は速かった。選手に選ばれるまでではなかったが、短距離は速かった。泳ぎはすごく苦手だった。
「まっちゃんさ、いきつぎできるなんてすごいね、ぼくさ、いきを吸うとね、かえって苦しくなるんだ…」
彼はクロールでも平泳ぎみたいに正面を向いて息継ぎをしていた。
「Yくんならさ、二十五メートルくらい息継ぎなしで泳げちゃうから無理にしなくてもいいんだよ…」
僕が言ってあげたら、Yくん
「いきつぎしないといけないと思ってた…」
と真顔で応えられた。
「まっちゃんさ、ちゅうかんテストでぼくさ、何点かとりたいんだ…」
僕なんかがそんな相談してもいいのかな…、そんな感じでいつもの照れ笑いをしながら言ってきたことがあった。
「国語はね、これ、灌漑、かんがいって読むんだ、読み方覚えておけばいいよ。あとはそうだな、蓄音機、ちくおんきって読むんだけど、これ今のレコードプレーヤーだからさ、そう答えておくとね、正解だよ」
数学も英語も社会も理科もね、先生が力を入れて説明していたところを教えてあげた。
今でも覚えている、「維管束」。理科だね。
「三権分立、三審制度」、説明したな。
問題なのは数学。でも先生方も考えていたのだと思う。
定期試験の最初の問題は、だいたい非常にやさしい、Yくんが解ける問題だった。
みなさんの努力の甲斐もあってYくんが零点をとることはなかったが、低い点数だった。
本人はあまり気にしてないように見えたが、でもね、そうでもなかった。
「まっちゃん、ぼくさ、4くみのせいせきさげてるよね…がんばったんだけどな」
平均点のことのようだ。そんなこと気にしなくていいのにね。
「大丈夫、Yくんの分はみんなと僕が取るからさ…」
僕は中学までは、まあまあの成績だったからね。でもYくんそんなこと気にしなくてもよかったのにね。
そんな子だった。同級生を“子”なんてね、失礼かもしれないけれど、Yくんはやっぱりそんな子だった。
Yくんの卒業作文は、ひときわ短いものだった。
“中学はたのしかった。野球をやってたのしかった。みんなとあそんだし、ぶんかさいやうんどうかいもやった。たのしかった。きょうととならにいった。まっちゃんやみんなとトランプをした。そつぎょうできたらうれしいな。”
「Yさ、とりあえず高校、あの県立のT高校に行ってな…」
確かそこまでは知っている。
合格できてよかったけれど、からかわれたりしてないかな…と心配した記憶がある。
「中学は楽しかったみたいだな…、今思えばよかったよ、お前もよくやったよな。あいつほっておいたらからかわれてたし、もしかするといじめられてたかもしれないし…」
そんなに気を利かしたつもりはなかったが、そう思われていたならよかったな。性格があかるかったしいじめられることはなかったとは思うけれどね。
でも、体育倉庫と野球部の部室のことと関係ないと思うけれど。
「もともと細かったし、かわいそうだったな…」
僕の驚く顔を見て、先生がさらに驚いた。
「松原、知らなかったか…」
「はい…」
Yくん、高校に入りがんばって卒業し就職したが、数年前急病で亡くなったとのことだった。細い体はなにか原因があったのか…。
「実はさ、去年くらいから小さい生徒が校庭の端を歩いていたり、野球部の練習を見ていたり、体育倉庫に出入りしたりってな、話しがあったんだ…」
先生、下を向いている。声も小さい。
「嘘だろうって思ってたんだけど…、この前さ、金子先生休みで臨時で野球部の練習見てたら…」
今度は優しく笑っている。
「Y…、外野で球拾いしていてな…」
Yくん、野球好きだったんだな。
「あいつ、俺と目があったら、昔見たいに、にこって笑ってさ」
彼の笑顔は覚えている。
「倉庫あんだろ、運動会用のテントとか入っているあの倉庫の裏に行きやがって…ひとつボール持ったまま」
大きい倉庫だ、校庭の端に建っている。でも校庭より大きくランニングするときように倉庫裏には人が十分通れるスペースがあった。
「俺、見間違いかもしれないからな…、とりあえず見に行ったんだよ」
「はぁ…」
「思ったとおりだよ、誰もいなかったけれどな…」
そうだろうな…
「でも、軟式の野球ボールが一つあったぜ…、まあ、Yが運んだんではなく、前からあったのかもしれないけれどな…」
「ボール、汚れてましたか…」
ずっとそこにあったボールならね、雨とかでね。
「ああ、そういえば…、まずいな、きれいだった…」
先生、やっぱ見ちゃったかな…という感じで僕を見た。
「…」
先生、だまっている。いろいろな意味で困ったな…。
「Yくん、ボール戻さないと…」
僕は変なことを言っているな…と思いながらも先生につぶやいた。
「そ‥そうだよな、あいつ、しょうがないな…」
しょうがないな、Yくん。
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