エピローグ

九月になって新学期が始まる。夏休みで帰省していた生徒たちも戻ってきていて、閑散としていた寮はいつも通りの賑々しさを取り戻していた。

「あれから夏休みは大変だったみたいだな、天野」

「僕が大変だったのはそうだけど、清水は何をやっていたの? 何か手伝いをしてくれたとは聞いたけど」

「まあ芹沢さんの手伝いというか。お前を探すっていうからお前が行きそうなところを挙げたくらいだな。結局自分で見つけて勝手に行っちゃったけどな」

「……それは本当にごめん。あとでたくみも謝らせるから」

「いいよいいよ、俺は好きで手伝っただけだしな。それよりもお前、橘とはどうなんだ? 聞くところによると何かいい雰囲気になったって」

「そんな聞かれ方してまともに答える人がいるのかな」

そう言ってからかってくるのは清水くらいのもので、あとの寮生とは軽く挨拶を交わすだけにとどまる。

「あ、先輩おはよっす」

「おはよう」

「……何か先輩、変わったっすか?」

一部の勘のいい人にこうやって変わったかなどと聞かれることはあったけれど、曖昧な言葉で誤魔化しておいた。彼ら彼女らだって本気で僕に興味があるわけじゃない。ただの世間話の一環だろう……こういう考え方は、よくないな。

だからなんとなくこう答えてみる。

「変わった……かもね」


「あいくん、今日から新学期だよ」

「そうだね」

相変わらずこちらの目を見るように話すたくみ。たくみがいなかったら僕は今も一人でいることを選んでいただろうから本当に感謝をしている。もちろん一人は一人で気が楽なのだけれど、それはそれとして人と距離を詰めないようにするという枷は外さなければならないと思う。

たくみにその分変なものを背負わせてしまったけれど、どうやらその心配は杞憂のようだった。いつも通りの明るい顔でたくみは話し始める。

「私はみんなと顔を合わせるの、初めてだから何かあったらサポートしてね」

「僕のサポートなんかなくてもたくみはうまくやれると思うよ。そんな変な人は……橘以外はたぶんいないから」

「すっごい含みのある言い方だね」

「いろいろあるんだよ、いろいろ」

橘は一時期、周囲の人に対する棘がかなり強かったから何故か僕が変な人たちとの間で仲裁を行ったのだ。思い出したくもない記憶の一つである。あれからあまり関りはないけれど、彼らは夏休みを楽しめただろうか。

「どうでもいいか、そんなこと」

彼らが楽しめていたかどうかは教室に入ってみればわかる話だった。

「ちょっと、そんなことってなに? 私すごく不安なんだけど、あいくん」

「いや、そういう意味のそんなことじゃなくってさ」

寮生には既に自己紹介していて、その時点では問題なさそうなふるまいをしていてもやはり不安なのは不安らしい。高校で転校なんてそうそうするものじゃない。橘みたいな家庭の事情があるのならともかく、だけど。

たくみは担任に用事があるようで廊下に入ったところで一端別れた。クラスメイトから『あれ誰なの?』といった質問を受けるが適当に「転校生だよ」「幼なじみだよ」と答えてあしらう。「橘さんと付き合っているんじゃなかったの!?」みたいな声も聞こえてきたがそれは完全に無視した。付き合っているわけがないだろうと思う。

転校ということでクラスにてたくみの自己紹介が行われたのだが、その時の様子はあまりにもあまりにもな状況だった。おそらく全クラスメイトが芹沢たくみという人間を理解したであろうというほどに強烈な自己紹介だった。

始業式だけが行われ、午前中で学校は終わり。どこか夏休み気分が抜けきっていないクラスメイトをよそ眼に僕が思わず頭を抱えていると、とんとんと肩を叩かれる。

振り返ると指が頬にぶすりと刺さる。爪が尖っていて結構痛い。

「橘、痛いんだけど」

「いや引っかかるとは思わないじゃん。油断しすぎ」

相変わらず薄手のカーディガンを制服の上に羽織っている彼女はいたずらっぽく笑うと指をぐいと突っ込んでくる。だから痛いって。

「ま、冗談はおいといて。おはよう天野」

「……おはよう、もう昼だけどね」

「テンションが低い。つまらない」

ふいとそっぽを向くとさっさと歩きだす。そっちから話しかけてきておいてその対応はあんまりじゃないか? と追いかける。

というか橘、人に近づかれるのはダメじゃなかったか? 普通に指、刺してきたんだけど。いい傾向なのかもしれない。少なくとも夏休みに清水とあったひと悶着のようなことはもう起こらないと思いたい。

「何、どうしたの橘」

らしくない様子に思わずそう尋ねてしまう。橘は振り返るとこう言って笑った。

「サイダー、買ってきた」

本当に、珍しいこともあるものだ。

ありがとうと言ってそのサイダーを受け取る。キャップを開けるとカシュっと炭酸が抜ける音がして、同時に泡がしゅわしゅわと湧き出てくる。


夏の終わりを告げるようにして、その泡は弾けて消えた。


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夏色サイダー 時任しぐれ @shigurenyawa

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