第四話《幸せの形》
「ねぇ、君。名前なんて言うの?」
「
「
「てか君、女子苦手でしょ」
「に、苦手じゃないし」
僕の強がりに、彼女、サツキはくすりと笑う。
「やっぱ君、変わってるよね。私気に入っちゃったよ」
「こんなところで雨の中、一人踊って、笑って。普通じゃないのは君もでしょ?」
「ひどいなぁ。そんなこと言って、つ、ツユはそんな、おかしな女子高生をナンパするためにここまで走って来たんだよ。おかしいのはどっちなんだろうね!」
「それは、そうだね。どっちなんだろう。でも、サツキを見た時にワクワクしちゃって、ここにきただけだから、ナンパじゃない。それだけは言っておきたい」
「褒めてくれてるの? ありがと」
「ちょっ。そう言うわけじゃ」
「素直にならなきゃ、また後悔するよ。小学校、中学校とずっとそうだったように」
彼女は僕の昔を過去を知っているような素振りを見せる。言われてみると、
「その制服……。俺と同じ高校の」
(でも、見たことがない)
「私、君の噂いっぱい聞いたの。いいものは、あんまりなかったけどね」
「えっ。どういうこと?」
——私、入院してたの
「え? 入院?」
(聞いたことがある。幼少期に、脳に腫瘍ができ、小中高病院暮らし。そして、うちの学校がその子を学生として受け入れたと。
思い出づくりのために、といえば響きが悪いが、まぁ、実際入学式以降その子は学校に来ていないらしい。そんな風の噂を聞いたことがある)
——私、もうそろそろ死ぬの
僕は言葉を失った。
そんな僕の顔がおかしかったのだろう。大きく口を開けて笑った。女子としてはどうなんだろうか。
「死ぬと言っても、体は死なないよ?
記憶がなくなるだけ。
手術するとなんか、今までの記憶が全部なくなるらしい。
だから、安心して、私が死ぬわけじゃないよ。
てか、そもそも、君と私は関係ない二人。カフェで仲良くなった常連客と店員。入学式で仲良くなった一日限りのお友達。それらとなんら変わらない。でしょ?
もしかしたらそれ以下」
「え、そ。そうかもしれないけど……」
僕はなぜか悲しかった。サツキと僕はそんなに小さい関係じゃない。そう思いたかった。
雷は止み、雨は小雨へと変化しようとしていた。
「あぁ、雨止んじゃうね」
「待って、僕の話は終わってない」
そんな僕の言葉をサツキは聞き入れなかった。サツキは立ち上がり、手を振る。
「私は、明日、手術しないといけないの。それにワガママで貰ったこの外出も終わり。時間がもうないの。でも、よかった」
——人生に悔いなく、次のステップに行ける。
そう、ささやき、彼女は路地裏に入っていった。
僕は全力で追いかけた。だが、遅かった。
追いかけて追いかけて、大通りに出た時、彼女はもう手の届く場所にはいなかった。
タクシーに乗った彼女は、窓を開け叫んだ。
——今日が人生の最後でよかったーー! 君に会えてよかったーー‼︎
雨は止み、車も通らない時間帯。
僕はその時初めて知った。
雨上がりは静かだと。
僕の涙が頬を伝いアスファルトに落ちていき、硬い、冷たい音が響いた。
——もっと、君と一緒にいたかった
と。
——君のことをもっと知りたかった
と。
一日限りの友達だったかもしれない。でも、僕にとっての唯一の友達だった。サツキは、僕の特別な人に変わっていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
サツキと出会って一ヶ月が経った。
僕はあの日、雨がひどく、雷が轟音を鳴らした日から、サツキのことをずっと考えている。
駅のホーム、電車の車窓に映る外の世界、高校の教室、カフェ、踏切、僕はどこか彼女を探していた。
雨が降った日には傘を差し、子供も大人もいない公園に足を運ぶ。
僕は何かが変わっていた。高校で友達を作り、運動部に入部した。サツキと出会って自信がついたのか、ぽっかり空いた心の穴を塞ごうとしているのか、わからない。良くも悪くもない変化だが、確実に変わっていた。
ひとつだけ変わらないことがあるならば、それは幼馴染への対応だ。
どうしても、足が震える、手が震える。そして、その震えは日々増加していった。
過去は美化されるとよく言うが、それは少し違っていた。
良い過去は美化されるが、悪い過去はより悪くなっていく。
振られた言葉も、状況も、何もかも暗く悲しく感じられた。
雨は日に日に降らなくなっていった。梅雨が終わったのだ。
雨の降る頻度は少なくなり、気温は上昇を続ける。
汗の量が増えるにつれ、部活が忙しくなるにつれ、サツキが遠くへ行ってしまったような気がした。雨が降らなくなったら、サツキを忘れてしまうのではないかと不安になる。
そしてその不安は、晴れの日が続くと増幅していく。とてつもなく僕を苦しめた。
彼女を、サツキを、僕は覚えていられるだろうか。歳をとって、死ぬ間際、覚えていられるだろうか。良いことがあるたびにそんなふうに思う。
ぽっかり空いた心が何かで埋まった時、ぽっかり空いていたこと自体を忘れてしまうような気がする。
サツキと出会って、何ヶ月経っただろうか。あの日、雨が降っていた日、雷は鳴っていただろうか。
彼女の顔は可愛い系だっただろうか、綺麗系だっただろうか。
性格はおっとりしていただろうか、天真爛漫だっただろうか。
目は綺麗だっただろうか。
夏の暑さが消えてくのと同時に彼女の記憶も少しづつ薄れていった。冬を迎えた時にはどうなってしまうのだろうか。
想像もしたくない。
最近、幼馴染が僕の家によく来るようになった。
まぁ、玄関先で、小話をして、「またね」と別れる。
話の内容は至って普通。学校はどう? とか、最近こんな映画見たよ。とか、くだらないことを話す。
そんなことを繰り返していたからだろうか、幼馴染と話すときの震えは薄れたように感じる。
でも、高校の女子ならず、店員の女性までいろんな女性を目の前にすると震えてしまうようになっていた。女子を見ると震えてしまう。恐怖と不安が僕の心を締め付けるのだ。
今、僕は、サツキと会ったら震えてしまうのだろうか。そんな不安を抱えながらも、彼女を探す癖が治ることはなかった。
冬が来た。テレビには、数年ぶりの大雪です! と興奮気味でマイクを握るアナウンサーが映っていた。
今日、東京でも雪が降った。そして、幼馴染が僕に一通の手紙を持ってきた。
「これ、読んで欲しい。あと、私、今でもツユのこと好きだから」
そう、言葉を残し、玄関の扉を閉じた。彼女の声は震えていた。
★ ★ ★
高校を卒業し、大学を卒業し、今はシステムエンジニアとして会社に勤めている。
あれから、数十年が経った。そんな今でも、あの手紙はずっと大切にしまっている。
この数十年、色々あった。まず、僕はカスミと結婚したこと。そして、子供が二人いること。二人とも女の子だ。
子供の名前は、弥生と
最近、子供たちに言われる事がある。
「お父さん。どこ見てるの?」
と。
彼女を探す癖は無意識の中に染み付いてしまっていた。
この世にいない彼女をこれからも、ずっと、ずっと探し続けるのだろう。
そして、雨の日の楽しさを興奮を味わい続けるのだ。あの日を思い出して、微笑むのだ。
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