その伍 蓬莱 天音
自分が、何者か自覚するのは難しい。
心が、自覚を拒絶する。
自分は、『村崎綾音』の体に憑依している。
自分は、『村崎綾音』の祖母と暮らしている。
ごく普通の高校生として現世で暮らしている。
蓬莱天音の『名』は、憑依を続けるのに必要な『言霊』なのだろう。
自分は、この『名』を被って現世で過ごしている。
『第八十九紀 近衛府の四将』を助けるために。
この『名』を破棄すれば、自分は現世を去る。
それは、『
荒れ果てた世界を復興するのが、自分の使命なのだ――
その時、自分は独りだ。
彼は、母親を見捨てない。
母親を愛する男性が傍に居ても……母親と別れるのを良しとしないだろう。
一昨日に――生みの母と再会した。
何も話さず、市長たちを見送る時に頭を下げただけ。
時間にして、五分にも満たなかった。
『月城
特に、過去世の記憶が蘇った訳でもなく……けれど、間違える筈もない。
自分を見つめる瞳は、今の祖母と似ている。
深い愛情と慈しみと……哀しみ。
それを感じた時――自分の未来が見えた……。
けれど……母の瞳を見て以来、心の疼きは大きくなった。
独りにしないで――そう求める自分が居る。
そして、それが……怖い。
自分の中に、得体の知れない憎悪の幼生が眠っている。
その幼生は、時に目を覚ます。
いつか、夢を見た。
何者かを、背後から一突きにする夢だ。
許せなかった。
それは、彼を侮辱していた。
彼に化けて、『村崎綾音』の両親を連れ去った。
この災いを消す。
喉元を突き刺すと、それは消えた。
自分は正しいことをした。
そう言い聞かせ……すると、写真を見つけた。
彼の写真だった。
愛して止まない男性の化身だ――
「おばあちゃん、おはよう」
蓬莱天音は、テーブルに着く。
祖母は今日は純夜勤で、夕方に出勤だ。
「起きなくてもいいのに。疲れるでしょう?」
そう言うと、祖母は
「いいのよ。天音が登校したら、仮眠を取るから。ご飯は、なるべく一緒に食べないとね」
そして、よそった味噌汁をテーブルに並べる。
昨夜の残りの五目御飯、ホウレン草の味噌汁、ゆで卵とツナのサラダ。
祖母の手作りである。
二人は向き合って椅子に座り、一昨日の『桜夏祭』のことを話しながら食べる。
「お茶席は、とても素敵だったわ。やっぱり和服は良いわね」
「生徒たちにも好評だったみたい。来年は、部員も増えそう」
「後輩が増えると大変かもね」
「うん……」
しかし、将来のことに話題が及ぶのは……避けたい。
蓬莱天音はリモコンに手を伸ばし、テレビを点けた。
朝のワイドショーが映り、芸人のキジ春が映った。
新作映画のプレゼンターを務めた、とのニュースである。
「ずいぶん、色々と出るようになったんじゃない?」
「ピン芸人グランプリで準優勝してから、全国区で売れ出したみたい」
「
「そうみたい」
蓬莱天音は、味噌汁をすする。
祖母には、
考えたら、この『村崎綾音』の祖母には、ずいぶん心配と迷惑を掛けている。
『村崎綾音』の体を借りた自分を受け入れ、孫として扱ってくれる。
岸松氏の説得もあったとは云え、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
生活費や学費だって掛かる。
近くのスーパーでバイトをしようとしたが、「お金は心配してなくても大丈夫」と止められた。
おそらく……自分が、家から離れる時間が増えるのを恐れているのだろう。
その間に、孫が居なくなるではないかと。
(心配はいらないのに……闘いが終われば、綾音さんや御両親は戻って来る……)
確信がある訳ではないが、そう思う。
自分はあの世界に残り、
しかし……それを想像すると苦しい。
荒れ果てた世界の、新たな創世の女神となる。
それが、とても切ない。
その後は適当に話を繋ぎ――家を出た。
マンションを出ると――交差点の向かいに、
久住千佳は、すぐに手を振ってくれた。
昨日、反省文の件は心配無用と聞き、三人で喜び合った。
一戸蓮も、反省文用紙の保護者氏名を叔父に代筆して貰ったらしい――父親の名前で。
捺印は、祖母に言えば貸してくれると聞いた。
祖父が煩いが、祖母は真逆らしい。
とりあえずは安心だ。
「おはよう」
二人に手を振り、歩き出す。
この世界に居られる時間は、そう長くはない。
自分が消えた時――世界は、自分を記憶しているだろうか。
彼らは、自分を記憶しているだろうか。
それは分からない。
けれど、自分の使命を全うしなければならない。
人々の魂を拾い上げ、癒し、復興させた世界に撒く。
その世界は、現世とは永遠に隔絶されるだろう。
その世界で、私は女神となる――。
その世界で、私は
「どうしたの? ぼーっとしてる?」
久住さんは、不思議そうに囁いた。
肩に届く彼女の髪が、風に揺れている。
羨ましいくらいに、無邪気で純粋な少女だ。
かつての自分も、そうだったかも知れない。
「……何でもない。ちょっと寝不足かも」
蓬莱天音は微笑み返し、先を進む
それは、春よりも少し広くなったように見えた。
―― 終 ――
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