その肆 月城 永

 午前十時を二分ほど過ぎた。

 広いマンションで、独りで過ごすのは――厳しい。

 空調の効いた室内は快適だが、空虚だ。

 暑さも寒さも、肌を刺激することはない。


 

 静寂と閉鎖の中――心に浮かぶのは、『近衛童子』時代のことばかりだ。

 将来の栄光を夢見て、友たちと過ごした。

 汗に塗れながら、寒さに震えながら修練に励み……あの頃の思い出は色褪せずに、朝露のように輝いている。


 

 そして――今の望みは、『魔窟まくつ』で死ぬことだけだ。

 魂が引き裂かれたら、『自我』も『思い出』も消えるのだろうか。

 それでもいい。

 

 

 友たちは現世の『生』を全うする。

 そして、また転生し、出会うのだろう。

 転生までの『霊界』での休息期間に……『リーオ』なる男が居たことも思い出し、語り合ってくれるだろう。

 そして、新たな『生』を受けるために旅立つ……。




 玄関チャイムが鳴った。

 インターホンのモニターを見ると、あの御方である。

 すぐに解錠し、玄関に走って出迎えた。



「おはよう。月城くん。疲れは残ってないかい?」

 舟曳ふなびき千紀ゆきのりを名乗る男性は、エコバッグを下げて入って来た。

 半袖の紺色のポロシャツに、ベージュのストレッチパンツを履いている。

 初めて見る洋装だ。


「昨日は疲れただろう。急に市長や教育長が来て、僕もビックリだよ」

「はい……いえ……」


 月城は戸惑い、早足でキッチンに入る舟曳ふなびき先生を追う。

 彼は慣れた所作で、エコバッグの中の物を手早くカウンターに広げた。

 オレンジジュース、ポテトチップス、六枚切りの食パン一袋、卵一パック、カット野菜、大根、サバ、男爵いも、大豆ハンバーグ、カンロ、林檎、アイスクリーム。


「スーパーのお弁当ばかりじゃ飽きるだろう? 夕食のおかずを作っていくよ」

「いえ、そんな」


「カンロって、北海道で食べられているらしいね。あと二日ぐらいで食べ頃になるだろう。それまで、キッチンに飾って置くといい」

「はい……」


「調味料が多いと、味のバリエーションが無限だね。砂糖なんて、僕たちの国には無かった。それが誰でも簡単に手に入る」

「あ、僕が仕舞いますから」


 月城は、大急ぎで並べられた食材を冷蔵庫内に並べる。

 そんな畏まった態度が不満なのか――舟曳ふなびき先生は腰に手を当て、唇を尖らせた。


「方丈家で、しばらく同居してた仲じゃないか。素っ気ないな」

「……あの頃は、何も思い出してなかったので……」


「方丈家に戻ったって良いんだよ。ご飯も一緒に食べられるし」

「……いえ、ここで良いです。幾夜いくや様が、手間を駆けて、用意してくださった家ですから」


「……一戸くんたちと過ごすのも悪くないだろう?」

「……はい……慣れてますから……」


 全ての差し入れを仕舞い、緊張から薄い冷や汗が浮かぶ。

 昨夜は、ぐっすりと眠った。

 一戸・上野とは部屋を分けたが、あの頃を思い出さずにいられない。

 『近衛童子』の修業時代、四人は一部屋で過ごした。

 『近衛府の四将』となってからは個室を与えられたが……『花窟はなのいわ』に亡命後は、また四人で広い部屋で過ごした。

 だが、交代で宿直とのいを承り、揃って眠る時間は無かった。

 羽月うづき様をお見送りしてからは、殆ど休息する間も無く――

 

 その時に、『あの囁き』が聞こえた。


『……月帝さまの御命を断とうとした罪は赦し難い。雨月うげつ神名月かみなづきは、帝都大路にて極刑となろう。だが、私にも温情はある。我が弟の同胞を晒し者にするのは不本意である。私は、術士を欲している。二日以内に投降したまえ。さすれば、雨月うげつ神名月かみなづきは両目を潰した上での流刑で済まそう……』

 

 

 ――神逅椰かぐやは、大勢の術士を殺し、その力を吸い取り、強大な力を得ていた。

 自分の能力を神逅椰かぐやに渡すのは、事態の悪化に他ならない。

 だが――雨月うげつ神名月かみなづきを救いたかった。

 

 羽月うづき様の葬儀を境に、花弦の王と王后は王宮の無血開城を決め、雨月うげつ神名月かみなづきは自分たちの処刑を覚悟した。

 如月きさらぎも、二人と運命を共にするつもりだ。


 だから――自分は、ひと足先に投降した。

 この身と引き換えに、雨月うげつ神名月かみなづきの助命を願い出るために。

 


 にも関わらず――結果は、最悪を遥かに上回るものだった。

 刑場で、如月きさらぎ神逅椰かぐやを挑発し、真っ先に逝った。

 

(……何やってんだよ……)

 

 倒れた友に、話し掛けた。

 神逅椰かぐやに縋り付けば、処刑は逃れられたかも知れないのに、と。

 

 それから先は、頭がぐるぐる回って記憶が定かでは無い。

 気が付いたら、自分の太刀が血に染まっていた。

 友の命を、自らの手で断ったらしい……。


 

 神逅椰かぐやが姫君を連れて立ち去り、刑場は衛士たちの無念の嗚咽で埋まった。

 衛士たちがむしろを用意し、三人に数珠を持たせ、丁寧に包んだ。

 巻き添えで殺された猫も布で包み、三人の遺体と共に荷車に乗せた。

 荷車は刑場を離れ、残った衛士たちは跪いて見送る。


 彼らは『義』の殉教者として送り出される。

 自分は『卑劣な裏切り者』として生きている。

 

 

「我ら四将、片時も『義』の心を忘れず、月帝さまと故国と民にお仕えすることを誓い給う。ゆえに我ら四将の『絆』は、時の果つるまで続くであろう。この言葉を以って、我ら四将の『不滅の契り』と為す」



 『叙任の儀』での雨月うげつの契りの言葉が蘇った。

 

 行かなければ、と思った。

 みんなと行こう。

 ずっと一緒だった。

 あの頃のように、一緒に……







「月城くん……?」

 

 呼ばれて、我に返る。

 カウンターに手を当て、寄り掛かるように立っていた。

 記憶の渦に呑まれ、我を失っていたようだ。

 


「方丈家の池で君を引き上げた時も、そんな顔をしていた。まるで、夢に浸っているような……」

 舟曳ふなびき先生に肩を軽く叩かれる。

 月城は、瞼を押さえ――応えた。

「……夢は、血の色で終わるんです……自分の罪の色……」


「座って、本でも読んでなさい。ふろふき大根を作って、サバを焼いて置くから」

「いえ、そんなことは」

「良いんだよ。バランスの整った食事は大事だよ。野菜で浅漬けも作るか」

「でも……」

「……全ての罪は、私が背負う。そのために、私は此処に居る」


 その御方は、重々しく宣じた。

 黒い瞳には、鮮烈な決意が浮かんでいる。

 国と民を守れなかった責と悔いに苛まれ、現世に立っているのだと思い知る。

 自分と同じように――。



「そうだ、月城くん。反省文の件だけど」

 彼の表情と口調は一転し、普段の親しみやすい教師に戻った。

信夫しのぶ先生に訊いたんだけどね。今回は、保護者の方には学校からは直接連絡しないらしいよ」

「え?」


「市長ご夫妻と教育長は機嫌よく帰ったし。君のご両親の件もあるし、事を荒立てたくないそうだ。適当に書いて提出すれば良い。親の署名は僕が代筆するよ。みんなに教えてあげるといい」

「……はい!」

 

 月城も、生徒の顔に戻って笑みを零す。

 一戸が、祖父の叱責を恐れているのは知っている。

 早く、彼に教えてあげないと――。


 月城はスマホを取り、彼へのメッセージを打ち込む。

 明日は、いつも通りの顔の友人たちと会えるだろう。

 

 

 別れの時は来る。

 たがら――触れ合える時間を大切にしたい。

 彼らのためになら、喜んで消えよう。

 終わりなき煉獄に墜ちよう。


 怖くはない。

 

 

 

 ――  終 ――

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