続・第7章 存在せざるもの
第21.5話
白い部屋には、ベッドとテーブルと椅子だけがある。
立ち上がり、スーツを
これから出勤である。
テーブルの上を見ると、ノートPCが出現していた。
ここで作業をすることは出来るが、独りでは寂しい。
廊下に出ると、吹き抜けの建物の内部に出た。
巨大ショッピングモールの中のようで、見上げると五階まである。
壁際の通路を、様々な服装の人々が歩いている。
レトロなドット柄のワンピースの女性が、横を通り過ぎた。
こうして出歩くのは、独りが嫌だと言う者ばかりなのだ。
エスカレーターに乗ると、奥の階段に向かう男が居た。
江戸時代の同心のような羽織姿だ。
エスカレーターより階段を好んでいるのだろうが、どちらも同じことだ。
走ろうが泳ごうが、疲労感は感じないのだから。
ここは、自分の好みの方法で過ごせば良い。
一瞬で移動も出来るし、自分のテリトリーで過ごすのも良し。
展望台に行けば、『俗界』で過ごす大切な人の様子を視ることも出来る。
厳しい修行に励んで、『霊界の奥』や『高み』を目指す者も居る。
生まれ変わりたければ申請し、許可が降りれば『俗界』に戻る。
ただし『俗界』で『重い罪』を犯した者は、『獄』に墜とされて『罪』を償わなければならないとされる。
裕樹はここに来て『スカウト』され、言わば『公務』に着いた。
『公務』の種類は、多岐に渡る。
『俗界』に長期に留まる『霊』を連れ戻す仕事から、死者の名簿の管理、近辺のパトロールやら道案内。
『虫の知らせ』を発して、人間たちに警告を出すこともある。結果は、警告を受け取った人間次第だ。
こうして『公務』を一定期間引き受けるとアドバンテージがあり、生まれ変わる場所など環境を指定できるのだ。
二千年も『公務』に就いている超ベテランも存在するらしいが、この仕事が性に合っているのだろう。生まれ変わる気も、修行する気も無さそうだ。
さて、新米の裕樹の仕事は、上の命令を各部に伝えることだったのだが、突然に【君の息子の和樹くんに、『運命の恋人』を守護するよう伝えよ。特定の条件下で和樹くんとの面会も許そう】とのお達しが来た。
【しかし、和樹くんには『
先輩格の同僚に聴くと、破格の命令だビックリしていた。
そして、「息子さんと『恋人』が重要人物なのかもな」と付け加えた。
まだ中学生の我が子に、怪しげな闘いを要求するのは辛かった。
自分が『スカウト』されたのは、こういう裏事情があったのだとも察した。
だが断れば、他の誰かに仕事が回るだけだ。
それならば自ら出向いて穏やかに説得し、父として全力でサポートをしたい。
何より、死別した息子に会い、話が出来る。
こうして、裕樹は息子に会い、彼が友人たちと協力して闘う姿を知った。
たやすく『魔窟』に潜行できる彼らは、『霊格』が高いのだろうか。
『三途の川』の霊水の効能かも知れないが、そうであれと願う。
特別な存在でない方が良い。
特別であれば、苦難を強いられるからだ。
彼らには、普通に笑って友情を
ただ『
さらに
『蓬莱天音』に、邪心があるとは思えない。
『悪霊』たちが如何なる理由で彼女に憑くのかは不明だが、彼女を嫌うのは公正ではない。
だが、どうしても……父親としては、一抹の不信感を拭えない。
上層部の『お高い連中』は理由をご存知だろうが、声を聞くことすら不可能だ。
今は、出来ることをするだけだ。
まずは和樹の話を参考に、彼女の亡くなった両親を探すことにした。
自分のアクセス権限でどこまで調べられるかは分からないが、何もしない訳には行かない。
三階のライブラリーに入ると、人々が働いていた。
壁際に立ってスマホを操作する女性、畳の上で積み上げた巻物を読む平安貴族の女性、コピーをとるワイシャツ姿の初老の男性、チョークで板書するジャージ姿の男性……。
他にも、ドレス姿の高齢女性やパイロットのような服装の青年も居る。
30名ほど居るようだが、現れては消える者も多く、正確には把握できない。
好きな外見や年齢を選ぶのは可能だから、彼らが何歳で亡くなったのか不明だ。
平安女性も、平安時代の霊であるかは分からない。その時代が好きで、コスプレしているのかも知れない。
まあ、筆で書こうが、キーを打ち込もうが、作業効率は同じ。
ここは、そういう場所なのだ。
彼らの傍のデスクに、裕樹は座った。
出現したノートPCを起動させ、『蓬莱天音』の両親の行き先を確かめる。
(亡くなったのは、一昨年の夏か。事故った場所は、関東地方だろうか? 祖母が現役の看護師として働ける年齢なら、亡くなった母親は沙々子と同年代かな。一昨年の夏に事故死した30代の妻と夫。名字は『蓬莱』……」
しかし、そうしたワードで検索しても、該当する人物が出て来ない。
年齢のチェック欄を外して再検索しても、出て来ない。
事故の場所を、日本全国に広げても駄目だ。
(まさか、アメリカで事故ったとかじゃあ無いだろうな。それとも、俺の権限じゃ無理なのか?)
裕樹は、頭を捻る。
海外の死者を調べるには、上の許可が必要だ。
(死亡者リストに載ってないなら、生存しているのか? それとも、『魔窟』の奴らが拉致したのか?)
しかし、生きている人間を長期に拉致して何の得があるのだろう?
生者を『異界』に留め置くのは、想像以上のエネルギーが必要だ。
殺害して『魂』だけを人質にする方が、手っ取り早い。
いや、すでにそうしているのかも知れない。
遺体が見つからないのは、近辺に生息する獣の仕業と言うこともある。
だが、警察もバカじゃない。それなら痕跡は残る。
やはり夫妻は、体ごと消えているのだ。
(もう少し、条件を取っ払っうか。女性で、名字は『蓬莱』……)
しかし、該当女性は引っ掛からない。
『蓬莱』と言う名字の女性は居るが、年齢が70歳代だ。
(やはり、俺の権限じゃ駄目かも知れない。『蓬莱天音』は、重要人物らしいし)
だが……リストを流し見ていた裕樹は、息を呑んだ。
ここでは、関連する人物も表示される。
そこに並ぶ名前は、彼を驚愕させた。
(いや……まさか……!)
落下するように椅子に腰を降ろし、再検索をする。
キーを押して、関連情報を表示し――目を剥いた
「そんな………嘘だろうううっ!!!」
それらを見て、裕樹は絶叫した。
平安女性は眉をひそめて膝立ちし、ジャージ姿の男性が近寄ってくる。
「あんた、大丈夫か?」
「……は…い……」
裕樹はどうにか返答し、PCの蓋を閉めた。
だが、心臓に激しい痛みを覚え、胸を押さえて突っ伏す。
余りのショックで、魂の一部に
床に崩れ落ち、激しく咳き込む。
「救急隊を呼んでくれ!」
男性が叫び、スマホ女性が慌てて緊急先にコールする。
すぐに救急隊員三名が駆け付け、裕樹を担架に乗せて運び出した。
裕樹は激しい痛みに耐えつつ、熱で沸騰しそうな頭で考える。
(……和樹……どうして……)
赤く染まる視界の片隅に和樹と沙々子の顔が浮かんだ。
二人の平凡な幸せを願っていたのに――余りに厳しい壁が立ち塞がった。
息子は、『手の届かぬ存在』なのだ――。
父親として、何もしてやれない。
息子のために、何が出来るだろう……
彼は瞼を閉じ――濡らした。
幽霊でも泣くことは出来る……
それは……歓迎すべきことなのだろうか?
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