第20話

 『魔窟まくつ』は、いつもと変わらない暗さだ。

 上空に浮く巨大な月も地を照らしてはいるが、全てを覆い隠そうとするように、

『魔窟』の全貌をあらわわにはしない。

 

 一つの区画の『悪霊』を倒せば、次の区画への山門が開き、後戻りは出来ない。

 それが、この『魔窟』の掟であり、中心に存在する『宝蓮宮ほうれんのみや』に辿り着くには、山門を解放しつつ前進するしか手は無い。

 そして、辿り着いた先には……


「『よいの王』って、ラスボスが居る訳ね」

 上野は頷いた。抱かれているチロも、ウンウンと頷く。

「つまり、『よいの王』を倒せば、あの月も無くなるってことか」

「そういうことで良いんですね、方丈ほうじょうさま」

 和樹は、開いた山門前に座る方丈老人に問い正す。


「いかにも」

 老人は、杖で地面を叩く。

「月が去れば、ここも住み良い都に戻るじゃろう。『宝蓮宮ほうれんのみや』の『ぎょくの間』に幽閉された都の王が、解放されればな」

「でも、ここは『魔窟』でしょ? 住み良い場所なんすか?」

 上野が聞くと老人は立ち上がり、上野の頭を杖で軽く叩いた。

「古来、人は夜を恐れたものじゃ。夜は、人食い鬼が出歩くと言う噂を信じてな。じゃが、お主らの時代の夜はどうじゃ?」


「危険ちゃ危険ですけど、月は星はキレイです。キャンプ場で見た星空は、とても美しかった」

「夜には、夜の良さがあるのじゃ。そして、闇の中でしか生きられぬ存在もある」

 和樹の答えに、老人は大きく頷く。

「それにしても、『雨月うげつチョコなんとか』とやらは遅いのう」


「迷ってるんですよ、きっと」

 上野がチロの腹を撫でる。

「チロは、彼も来てるって言ってる。オレも、少し遠くに着地したし」

「三人同時に、同じ場所に着地できないかな。それぞれ、自分の家に居るからダメなのかな」

 すると、チロがワンワンと吠え出した。

 聞き慣れた一戸いちのへの、ちょっとハスキーな声も届く。

神名月かみなづき如月きさらぎ、居るかああ~?」


 上野もホッとして叫び返す。

「早く来いよ、チョコモン!」

「『チョコモン』じゃないって! ちょっと待ってくれ、こいつが動かん!」


「『こいつ』って何だ?でっかい犬でも連れて来たのか?」

「さあ?……ちょっと行って来る」

 和樹は、走って迎えに行こうとした。

 が、一戸の「うわっ!」と叫びと、パカパカという音が聞こえた。


 二人は目を凝らす。

 そして、薄闇の中に白いモノが浮かび上がった。

「……馬かよ!?」

 上野は横に後退あとずさった。

 和樹も反対側に避ける。


 向こうから、白い馬が走って来るのだ。

 その背に、一戸らしき人物がまたがっている。

「何で、馬が!??」

「およよよよよ」

 老人は声を上げ、向こうから走り寄る馬の正面に立つ。

「ほぉ、こいつは……」

 老人は避ける素振りも無く、杖をかざして力強く命じた。

「止まれ…!」

 すると、白馬は速度を落とし、老人の手前でピタリと停止した。

 一戸はグッと手綱を引き、足踏みする馬をしずまらせ、慎重に馬から降りる。


「おい、何で『バナナの被り物』をしてないんだよ!」

 上野が突っ込む。

 一戸は、時代劇で見た『弁慶』に似た衣装を身に付けていた。

 白い頭巾をすっぽり被っていて、髪の毛は見えない。

 下には薄紫の羽織に白い袴。羽織の下には、五月人形が来ているような武者鎧を付けている。

 履いているのは、和樹と同じ『烏皮履うひり』だ。

 背負っているのは、竹刀しないではなく『薙刀なぎなた』らしい。

 本人の顔と同様に、精悍なスタイルだ。


「くっそー、コック服にバナナの被り物を期待してたのにいぃ~!」

 上野は舌打ちしたが、一戸はツンと顎を上げる。

「僧兵だな、この衣装は。東京のお寺の、僧兵行列の行事を見たことがある」

 祖父と叔父が僧職なのは、伊達だてではない。その辺りの知識は豊富なようだ。


「でも、そのお馬さんは何じゃいな? 牧場に親戚でも居るのかよ?」

 上野に聞かれ、一戸も首をひねる。

「馬と接したのは、札幌で馬が牽く観光馬車に乗ったぐらいだ。他にも……ある。笙慶しょうけいおじさんの母校の学校祭に行った時、学校近くの牧場の馬が陸上トラックを走って、大騒ぎになったことはある。幸い、校庭は無人で、負傷者は無かった」


「ああ、そんな話を聞いたな」

 和樹は思い出す。確か、小学生の頃だった。

「それは、お主とえにしの深い馬じゃよ。すぐに乗りこなせるじゃろうて」

 老人は言い、馬の足にそっと触れた。

「『チョコモン』とやら。その馬の名は何と言う?」

「それは……」

 一戸は馬の首を撫でる。

 立派な体躯たいくの白馬で、たてがみも尻尾もフサフサだ。

 手綱たづなくらも真紅で。くらに貼った生地には、金色の糸で刺繍が施されている。

 一戸は、少し考え込み……言った。

「『びゃくえん』……『白い炎』と記して、『白炎』と申します」

「かっこいい名前じゃないか。この馬も、僕らの仲間だ!」

 和樹は、一戸の肘を軽く叩いて微笑んだ。



「さて、揃うたな。行くぞよ」

 老人は、月を見上げた。

 巨大な山門を怪しげな月が照らしている。

 四人と一匹と一頭は、その下をくぐり抜ける。

 その直後に、山門はしめやかに閉じ、周辺の光景は一変する。


「何じゃ、こりゃっ? 寒っ!」

 上野はマントで身を包み、チロをしっかり抱く。

「これは……」

 一戸も、胸元に垂れた頭巾の端をギュッと絞った。


「まるで、真冬のオホーツク海だな」 

 和樹も、キュッと唇を結ぶ。

 ニュースで見た光景が、足元から彼方に広がっている。

 流氷を粉砕して進む観光船の映像は、毎年のように観る。

 その映像そのままの光景が、目の前にある。

 和樹たちが立つ海面は凍結しており、先の方には砕けた氷の塊が海上を漂う。

 突き刺すような寒風が容赦なく吹き付け、まつ毛も凍り付きそうだ。


(これは……どういうことだ?)

 和樹は怪しんだ。

 今回の『門番』たる『悪霊』は、鹿に関係あると思っていた。

 上野たちにも、そうメールをしている。

 だが、『悪霊』らしき存在は見えない。

 鉛のような空と、真冬の凍り付いた海が広がっているだけだ。

 しかし……初めて明るい場所で老人を見て、戸惑う。

 ここでも、老人は『影』のように黒く、ほのかに揺らいでいる。

 それ以外は、現実と変わらぬ光景に見えるのだが……



「ワン…ワワン!」

 チロが吠え、上野は振り向いた。

「後ろに、何か居るみたいだ!」

 上野はベレー帽を押さえ、前屈みに歩き出す。

 和樹も続いたが、一戸は馬の様子を見ながら、慎重に一歩ずつ足を運ぶ。


「おい……あっちの氷の上に何か居る!」

 上野が指差し、和樹は目を凝らした。

 砕けて海上を漂う氷の上に、何と子鹿が乗っている。

 氷の大きさは、三メートル四方ぐらいだろうか。

 その真ん中に、子鹿が立ち尽くしている。


 チロがまた吠えた。

 すると、いつの間にか和樹の横に、雌鹿が立っている。

 

 雌鹿も白炎もチロも、怯えたり興奮したりする気配は無い。

 雌鹿は微動だにせず、子鹿の乘った氷の塊を見つめている。

 流されている氷の塊は、少しずつ遠ざかっている。


「まずいな…」

 ようやく追いついた一戸が言った。

「子鹿が流されてるぞ」

「参ったな。初めてのパターンだ」

 和樹は、両手に息を吹きかける。

「てっきり、鹿のお面を被ったやつが襲って来ると身構えてたのに」


「お主ら、まさか鹿を助けようと言うのか?」

 付いて来た老人は、呆れたように嘆いた。

「助けた途端に、頭が鹿の口の中に『ごちそうさま』されるかも知れんぞ?」

「しゃーないじゃん」

 上野は、老人の隣にしゃがみ込んで苦笑する。

「あの子鹿が『悪霊』の作った幻だったとしても、助けなきゃならないのが『正義の味方』のツライとこなんですよ~」


「ええ……恥ずかしいことは出来ません」

 和樹は、氷上に立つ子鹿の黒い瞳を見る。

「あの子鹿を見捨てることは『恥』です。見捨てれば、『悪霊』は喜ぶでしょう。お前たちも我らの同類だ、と」

 立ち上がった『神名月の中将』は、彼方の想い人の美しい声を思い起こす。


『私は、ここに残ります。いかなる邪鬼じゃきであろうと、見捨てることは出来ません。そして二度と……ここに来ぬよう命じます』

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