第18話
「ゴミ犬含めて、二度と這い上がれない『
一戸は言うなり、上段の構えで和樹に襲い掛かってきた。
和樹も『
(重い、速い!)
和樹は腕に力を込め、太刀の
目の前で二本の鋭利な刃が輝き、銀の光を放って交差した。
(やっぱり、剣道やっときゃ良かったっ)
十字の形に交差した刃が顔の10センチ上まで迫り、和樹は今更ながら後悔する。
『
しかも、一戸に
(そうなんだよっ。僕って、あんましパワー無いんだよ!)
和樹は
『神名月の中将』は素早く動き、ジャンプも出来るが、近接パワー系には相性が悪いらしい。
しかし、考えてる間にも、交錯する刃は迫る。
宙に浮いている一戸は、和樹の上に陣取っており、押し切られて仰向けに倒れるのも時間の問題だ。
(いや……倒れろっ!)
和樹は
一戸の刀は『白鳥の太刀』の鍔に引っ掛かかっており、その勢いで、一戸は飛び込み前転して仰向けに体を叩きつけられる。
が、以前、その身は宙に浮いたままだ。
痛みも衝撃も感じていないのか、素早く起き上がって刀を構える。
「早く起きろ、ぐずぐすしやがって!」
一戸が叫び、和樹も立ち上がって太刀先を一戸に向けた。
(間違いなく、こいつは一戸の霊体だ!)
和樹は確信する。
わざわざ、こちらが立ち上がるのを待つなど、いかにも剣道愛好者だ。
『悪霊』に憑かれても、武道家の礼儀までは失っていないらしい。
(どうせなら、浮くのも止めてくれよ!)
愚痴をこぼしつつ、一戸を
厄介な相手だが、隙を見つけて、自分の得意な戦法に持ち込むしかない。
そんな斬り合いを、上野はハラハラと見守る。
「どうするよ、何か出来ないのかよ…」
風景や敵を塗りつぶす能力は、この敵には無意味だし、通用しない。
「チロ、どうにかならないか?」
万事休すで、抱いている愛犬に語り掛けてみると……返事が来た。
(せなか……いちのへくんのせなかのにおいがへん)
「背中だって?」
上野は、刀をぶつけ合う二人を見る。
が、見えるのは和樹の背中だ。それに、一戸は羽織を着ているが……
(一戸の背中に『悪霊』がくっついてるってのか!?)
チロに問い直す。
「うおおおおおお~っ、急に腹が!」
方丈老人が、地面にうずくまった。
地面には、からっぽの丼と箸が転がっている。
「トイレはどこじゃああああああ!??」
「だから、食うなと言ったでしょっ!家のどっかにあるんじゃないですかっ?」
上野は手近な家を指した。
老人は家に飛び込み、そして上野は
(一戸の背中を、ナシロに見せれば…!)
思い付き、チロを長椅子に降ろした。
その手前では、和樹と一戸の斬り合いが続く。
(取っ組み合いになったらマズイ!)
和樹は構えることはせず、ひたすら一戸の太刀を避けることに徹していた。
一戸の太刀を受けたら、また硬直状態になり、いつかは押し切られる。
何とか距離を取ってジャンプし、上空から攻撃したいところだが、それは一戸に読まれている。
素早い突きと斬りを繰り返し、こちらが跳ぶスキを与えてくれない。
(どうする?このままでは、
「おい!何だ、このクソまずい蕎麦は! ダシも何の香りもしない!」
上野が声を張り上げた。
一戸の動きがピタリと止まり、険しい顔で和樹の後方をのぞく。
「こんなものが食えるか!店主を呼べ!」
上野は蕎麦の丼を、地面に叩きつける。
その隣では長椅子に乘ったチロが片足を上げ、ご飯茶碗におしっこをしていた。
「き、貴様ら…」
一戸は和樹を押しよけて、上野たちに走り寄る。
「お蕎麦屋さんが精魂込めて作った蕎麦に何てことを!食べ物を粗末にする奴は、許さん!」
「背中だ!」
「許さん!」と「背中だ!」り言葉が、奇妙にハモった。
和樹は意図を察し、太刀を逆に構える。
刃の反対側、つまり『
だが『峰』と言えど、強く打ち込めば一戸の負傷は避けられない。
上野めざして走る一戸が横を通り過ぎ、次の瞬間に和樹は背中めがけて、『峰』を振り下ろした。
イチかバチかの方法であり、『峰』が『悪霊』に当たることを願うのみ。
和樹は走る一戸の背中を取り、一戸も和樹たちの意図を察した。
だが、彼が大勢を整えるよりも、和樹の腕の振りは早い。
太刀の『峰』は、一戸の背中に斜めに命中し、閃光と金切り音が立つ。
倒れた一戸の背中から鬼の顔のような煙が噴出し、太刀を持ち替えた和樹はそれを横一文字に断つ。
『悪霊』の
上野はチロを抱き上げ、和樹に近付寄る。
「やったな!」
だが下を見ると……全裸の一戸が倒れている。
羽織袴が『悪霊』の本体だったらしい。
刀も消えている。
だが一戸の背中には、ミミズ腫れのような跡が斜め一直線に残っていた。
和樹は
「ウチャノケ、大丈夫か!?」
和樹は、一戸の耳元でささやく。
すると、一戸がゆっくり目を開けた。
「……背中いてえ……」
一戸は、うわ言のように呟いた。
まだ、意識がはっきりしていないようだ。
上野はソソッと彼の近付き、膝を付いて、反対側の耳にささやく。
「おい、ウチャノケ。お前ん家の店のオススメのケーキを教えてくれ」
「……ブラックチョコモンブラン…バナナ入り……」
一戸は小声で答え……その三秒後にバババッと起き上がった。
目の下にクマがうっすらと見える。
が、すぐに彼は全てを察したらしく、頭を抱えて絶叫した。
「ああああああああああッ!俺の名前は『
「すまん、お前に醤油さしを売り付けたのが間違ってた。反省してる」
上野は、ペロリと舌先を出す。
「でもさ、チョコとバナナって相性が良いよな~」
そして翌日。
一戸は、風邪を理由に学校を休んだ。
和樹と上野は、見舞いに一戸家を訪問する。
一戸の家族は、一戸の両親と妹と祖父母だ。
父親はパティシエで、大型スーパーのテナントのパティスリーを経営している。母親も接客を担当し、祖父は自宅の一階で書道教室を開いている。
二人が訊ねた時は祖母が出迎えてくれ、一戸の部屋に案内された。
一戸の部屋は和室で、二人が訊ねた時は折り畳み机に向かって勉強をしていた。 スウェットに前開きのセーターを羽織っており、当然だが顔色は冴えない。
しかし二人を、笑顔で迎えてくれた。
和樹は、クイッと一戸の顔を
「具合はどう?」
「背中が少し痛むけど、傷は無い。明日は登校する。それより……」
一戸は、二人をジーッと見つめる。
「あの長文メールの内容は、全部真実なのか?」
「うん」
和樹は頷いた。
事の次第は、昨夜のうちにメールに記して送信しておいたのだ。
「……信じがたいけれど、信じるしかなさそうだ」
一戸は腕組みして考え込んでいると、祖母が
「これ、おしるこ?」
上野は、すぐにお椀を手にして覗き込む。
「蕎麦がきの
「へ~……うん、うまいわ」
上野は、汁もすする。
和樹も、柔らかな蕎麦がきの風味を味わいつつ、説明する。
「蓬莱さんの周りに『悪霊』が視えた日の夜は、『
「もう、手遅れだろう」
一戸は蕎麦がきに小豆をからめ、大きく息を吐く。
「俺にも『
そう、一戸が珍妙な名前に
『この異界において『名』を持った者は、闘いの渦からは逃れられぬわ』と。
「一戸……」
和樹は、友人の温かさと頼もしさに鼻をすする。
「本当にごめん。そしてありがとう。一応、醤油さしを五個持って来た。必要になるかも知れないから、持っててくれ」
「確認するが、これを持ってたせいで『魔窟』に引き込まれたと言う訳ではないんだな?」
「うん。今回は、君にも『悪霊』が憑いてたから。同じ物を渡した母の伯父さんは一度も『魔窟』には来てない。上野は、例外中の例外かと」
「うん。見たいか?ホレホレ」
上野はポケットの醤油さしを取り出して指で弾く。
ブワッと上野の顔面が消え、一戸は
「お、お、おい……マジか……」
「マジでーす」
上野は醤油さしを拾い、ポケットに戻すと、また顔面がピタッと戻る。
「それで、一戸。ちょっと聞きたいんだけど」
和樹は、ふたりの間に割って入った。
「あのさ、終業式の日に、廊下で蓬莱さんを見たんだよね?」
「あ、ああ。彼女、俺の顔見知りの看護師さんと一緒だった」
「え?」
「七丁目のクリニックの看護師さんだよ。俺の祖父母の掛かりつけクリニックで、その看護師さんの顔は知ってる。だから、看護師さんの親類の子が転入して来たのかと思った」
意外な話に、和樹は下を見て考え込む。
蓬莱さんは、祖母と二人暮らしだと言っていた。
深い事情がありそうだが、彼女の家庭と『悪霊』は関連があるのだろうか。
そして、自分の『運命の恋人』のために、友人たちを巻き込んだのは、正しいことなのだろうか。
和樹の心は、複雑な痛みを覚える。
そして、一戸の祖母が今度はお茶を運んで来た。
三人は何事もなかったように、笑顔を向けた。
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